「本当に……するんですか?」
「ダメなの? あんなに欲しがってくれたのに?」
「うぅ……なんか、祐恭さんすごく意地悪ですよ?」
「知らなかった?」
「っ……もぅ」
 いつもとは違い、彼女が上にいる状況は変わらない。
 ふたつほど重ねた枕へもたれたまま彼女へ手を伸ばすと、指を絡めるように握ってから、小さく笑った。
 間接照明の淡いオレンジの光が、身体を起こしている彼女を浮かび上がらせる。
 きれいだな、と素直に思う。
 そして――この顔を、乱してやりたいとも。
「っ……ぁ」
「……早く」
「でも……あの……」
「大丈夫。教えてあげるから」
 反応した自身を感じてくれたようで、羽織が唇をわずかに噛む。
 むしろ、今さらやっぱりナシと言われたら、何を言われても問答無用で組み敷いてしまいそうだ。
 風呂の湯量がちょうどよく溜まったのと、羽織が俺に身を預けたのとはほぼ同時だった。
 だが、そのまま仲良く入る選択は当然なく、バスタオルで彼女を包みあげ、寝室まで向かうことにした。
 抱き上げた瞬間はひどく驚かれたし慌てられもしたが、耳元で小さく囁くだけで大人しくなってくれるあたり、彼女の中に芽生えた熱は冷めてないらしい。

『最後までって言ったろ?』

 羽織はきっと、あのときそんなつもりで言ったんじゃないのかもしれないが、俺にはそう聞こえたんだから仕方ない。
 言葉は本来、受け手側に主軸があり大きな意味を持たせるモノだろうから。
「俺を押し倒してまで欲しがったのは、羽織だろ?」
「あれは……!」
「そんなに欲しかったんだ?」
「……うぅ……違いますってば……」
 タオルごとベッドへ下ろしてやろうとしたところで羽織が慌て、バランスを崩した。
 身体を包むものが何もない今、怪我でもしたら大変なことに――と諭してやろうとは思ったものの、倒れこむ寸前に俺の腕を引いたことで立場が逆転したらしく、俺の身体の上に彼女がいた。
 だから、今の状況がある。
 せっかくだから、このままでもいいじゃないかと判断したのは、正解だった。
「……そんなつもりじゃなかったんです」
「そんなつもりでいてくれていいのに」
「祐恭さんっ!」
「俺は、羽織の彼氏だからね」
「っ……」
「羽織になら、何されても文句ないよ」
 君がそうであるように、とはさすがに言わないものの、少しくらいはそう思ってくれてるんじゃないのかとうぬぼれる。
 じゃなければ、恥ずかしいとか嫌だとかよりももっと強い拒絶の言葉を向けられるだろうに、彼女はそれをしないでくれているんだから。
「……おいで」
「ぁ……」
 握ったままの手を引くと、小さく笑みが浮かんだ。
 欲しい、って思ってることは伝わっているだろうか。
 彼女にしか叶えてもらえない願い。
 どうしても、と強く願ったことから現実になる。
「でも、どうしたらいいか……」
「大丈夫」
 困惑気味の彼女に笑い、そっと腰へ手のひらを滑らせる。
 クーラーが効いているとはいえ、少しだけ汗ばんだ肌が、先ほどまでの情事を感じさせるようで、思わず喉が鳴った。
「っぁ……!」
「そう。ゆっくり……ね」
 切っ先を秘所へあてがい、導くようにそっと腰を落とさせる。
 彼女がいちばんよくわかっているだろう。今、自分の身に何が起きているのかを。
 そして――どれほど俺が、欲しがっていたかを。
「は……ぁっ」
「……そんな……欲しがってくれて嬉しいよ」
「や、だ……もぅ、祐恭さっ……んぁ……!」
「いい声」
「や、あ、あっ……ふぁあっ!」
 突き上げるたび揺れる柔らかな胸が、ひどく淫らに映る。
 眉を寄せてしどけなく開かれた唇が、いかにもというほど甘い声を聞かせてくれているのがひどく嬉しい。
 喜び、とでもいえばいいか。
 俺でいっぱいになっている顔を見るのが、これほど満たされるものだとは思わなかった。
「んやぁっ……あ、ぁあっ……う、きょうさ……っ」
「……ん……何?」
「ぁ、ああっ、そ、こ……っ……んん、そこ……っ」
「ここがいいんだ?」
「ひゃぅっ……あぁあん!」
 わずかに身体を起こしたことで角度が変わったらしく、背を逸らせた彼女が首を振った。
 彼女を組み敷くのもイイが、この姿勢もこれはこれでイイものだな。
 揺れる胸を手のひらに納めて転がすと、先端が擦れてか甘い声をいっそう響かせた。
「ふぁ、あっ……気持ち、い……っ」
「……それはよかった」
 よかったのは、俺自身じゃないのか。
 ただ濡れているのとは違う、やけに耳に残る音を聞きながら、ゆっくりとした抽挿を繰り返す。
 一度果てたからなのか、それともまだあのチョコレートの影響が残っているのかはわからないが、もう……どっちでもいいな。
 これだけ自身でよがってくれるのなら、理由がなんであれ。
「あぁ、あっ……! ん、ぁあっ!」
「く……っ……すごいな」
「祐恭さ、っ祐恭さぁん……! そん、な……されたらっ……ふぁああっ……!」
 ぐちゅりと濡れた音とともに、彼女のナカが変わる。
 すべてを持っていかれそうなほどの吸いつきで、たまらず息が漏れた。
 気持ちいい、どころじゃないな。
 熱くて、柔らかくて、わずかに動いただけでもくらりと眩暈にも似た感じに溺れそうだ。
「あっ、ああっ……そこっ……や、ぁ……も、っ……だめぇ……」
「……もう少し、我慢して」
「ふぇ、ぁっ……ああんっ!」
 両手で腰をつかみながら引き寄せ、身体を起こす。
 と同時に胸の先を含むと、悲鳴にも似た嬌声があがった。
「だめぇ、そこっ……そこ、だめっ……! んんんっ!!」
「……ふ……そんなに我慢できない?」
「も、だめ……だめなのっ……そんなにされたらっ……んぁあっ!」
 ふるふると首を振る彼女が、うっすらと目を開けた。
 今にも泣きそうなほど潤んでいて、表情そのものが淫靡でしかない。
 目を見たままゆっくり口づけると、離れる寸前、惜しいと思ってくれてかわずかに顎をあげた。
「……我慢、できな……」
「ッ……」
「気持ちよくして……ぇ」
 まるですがりつくかのように、彼女が俺へ両手を伸ばした。
 首へ絡みつくと同時に、耳元で聞こえたのはたまらなく甘い声。
 呼応するように自身をキツく締めつけられ、たまらず口角が上がる。
「これは……いけない子だ」
「っんぁああ!!」
 どくりと反応した自身に従うように、彼女をそのまま押し倒す。
 胸をわしづかみ、深くまで沈めるように腰を圧着させると、羽織自身も波打つようにきつく包み込んだ。
「やぁあっ……そん、な……されたら、あっ、あぁっ!」
「く……いいよ、イっても」
「ん、んんぅっ……ふぁ、ぁあああっ!!」
 律動を早め、足を持ち上げるように角度をキツくしてやると、ひくひく胎内が震えた。
 果ては近い。
 だからこそ――欲しい。
 何もかも。すべてを。
「ッ……ぁ、イク……!」
「あ、あっ、あぁああっ!!」
 体積を増した自身がすべてを吐きだすのと、彼女のナカがすべてを飲み込むように動くのとはほぼ同じだった。
 全身で息をし、びくびくと震える胎内で吐きだしたまま、かき抱くように腕を回す。
 ……まいったな。
 こんなに強く求めるつもりじゃなかったんだが、すべては予想外。
 それでも――。
「……羽織」
「ん、んっ……」
 むさぼるように口づけ、ひと呼吸のところで名前を呼ぶと、潤んだ瞳が俺を見つめた。
 倦怠感、なんて生易しい感覚に支配されているわけじゃなさそうだ。
 とろりとした眼差しに思わず苦笑すると、気づいてか眉を寄せた。
「……えっち」
「知らなかった?」
「っ……もぅ!」
「ごめん」
 ぼそりとつぶやかれて瞳を細めると、唇をとがらせてそっぽを向かれてしまった。
 が、けだるそうに手をあげたかと思いきや、そっと髪を梳かれ、普段と違う感触に身体から力が抜ける。
「好きだよ」
「……私も……大好き」
 ちゅ、と唇を重ねるだけの口づけをほどこし、目の前で笑うと、羽織のほうがよほど嬉しそうに笑みを浮かべた。

「…………」
「…………」
「…………」
 いつもの昼とおぼしき時間にもかかわらず、それぞれの表情はいかにもというほど違っていた。
 ずっと食べたかったと言っていた冷やし中華を前にどこか疲れた顔をしている純也さんと、間違いなく葉月ちゃんの手作りだろう弁当の蓋を一度開けたもののものすごい勢いで閉じた孝之と、そして――俺と。
 とはいえ、こうしてふたりの表情を観察できているあたり、自身のモチベーションは正常だと思っているが。
 昨夜は、ことりと寝てしまった羽織をあとにもう一度風呂へ入り、見たかった洋画を最初から見ることもできただけでなく、エンディング付近で起きてきた彼女にもう一度手を出すことにも成功。
 『どうしたんですか、もぅ!』と言われたが、俺にしてみれば羽織のほうこそどうしたんだと言いたいが、言ってしまうといろんなことまでさらけださなければならず……割愛。
 だいたい、ほかにないからといって何も俺のTシャツを着て現れることはないだろうに。
 つい、と見えてしまいそうで裾を懸命に押さえながら出てこられたら、手を出さないほうがよっぽど失礼だと思う。
 ……と、思い返すのは危ないな。
 少なくとも、今ここは“公”に違いないんだから。
「瀬那先生ぇぇえええ!!!」
「うっわ!?」
 遠くから絶叫にも似た声が響いた瞬間、孝之が大げさに肩を震わせた。
 見ると、まるで教会へ新婦をさらいに来た主人公ばりに、両手を広げた山中先生が自動ドアを開け放っている。
 どういうことなんだ、あれは。
 いつからあそこは手動になったんだ。
 などと考える暇もなく、彼はものすごい勢いで一目散に走ってきた。
「瀬那先生っ! 先日は誠にありがとうございました!!」
「え、なっ……は!? 俺すか? つか、なんで先生……」
「先生とお呼びする以外に方法が見つかりません! おかげで僕は……僕はぁぁあああ!」
「うわ!? ちょ、なっ……」
 今にも泣きそうな勢いで、山中先生は孝之の両手をひっつかむとぶんぶん振り始めた。
 ああ、実際に涙ぐんではいた。
 周りの連中にしてみれば、ただでさえ噂になりうる孝之のこんな姿など格好のネタだろう。
 『え、瀬那さん?』『てか誰?』『写真撮ろうぜ』などとさまざまな声が聞こえ、学生だけでなく名札をさげた職員らもまじって見えた。
「とても夢のような時間を過ごすことができました。ありがとうございます!!」
「……あー、そーすか」
「はいっ! 今後は、教えていただいたサイトを活用したいと思います!」
 びしっ、と90度並に腰を曲げた山中先生は、顔を上げるととてもすこやかな笑顔を浮かべていた。
「……サイト?」
「優人がよこしたブツやら、ほかのグッズやらが買える海外サイトな」
「…………」
「ンな顔すんな。馬鹿か! 俺じゃねーっつの! 優人だっつってんだろ!」
「孝之君、ほんっとタフだね。そーやって、何も知らない葉月ちゃんを日に日に……」
「うっわ! ちがっ! だから、純也さんまでなんでそーなるんすか!」
 この場で晴れやかな顔をしているのは、山中先生ひとりだけ。
 純也さんは『あんな罪悪感を感じたのは初めてだ』とか『まるで俺が加虐心持ってるみたいじゃないか』とか言いながら頭を抱え始める。
 しかしながら、最後にぼそりと『あれは祐恭君の役なのに』と意味深なことが聞こえ、聞こうか聞くまいかひどく悩んだが。
「あっれ。山中先生じゃない」
「え」
「あ」
「うわ」
 相変わらず山中先生が孝之へ絡んでいることにほっとしながらも、1/3残っているかつ丼を減らそうと箸を持ったところで、聞き覚えどころかまるでデジャヴじゃないかと感じるような声が響いた。
「お前、なんでここに……!」
「だから言ったでしょ? レポート提出が今日までだって」
「いやいやいや、出したら帰れよ! 家で飯食え!」
「なんでよ。別にいいでしょ? だいたい、『うまいから学食の冷やし中華食ってみろ』って言ってたの、純也じゃない」
「いや、だからっ……あーもー!」
 まさに、『ぎょっとした』純也さんは、絵里ちゃんから視線を逸らすと冷やし中華をぐりぐり混ぜはじめた。
 なんか、こういう食べ物あったな。
 3色がきれいに麺となじんだのを見ながら、ふとそんなことを考える。
「たーくん、具合悪いの?」
「っ……なんで」
「だって……」
 葉月ちゃんが落とした視線の先には、蓋がされているわっぱの弁当箱。
 箸を握ってさえいないのを見れば、そうとらえてもおかしくないだろう。
「……食うけど」
「おいしくなかった?」
「だから、違うっつの」
 孝之はまだ、ひとくちも食べていない。
 蓋を開けた瞬間閉じたからな。あれはいったい、なんのデモンストレーションだ。
 心配そうな葉月ちゃんを、あえて見ないよう視線を逸らしたのに彼女も気づいたようで、いつも以上に困った顔を見せた。
 あーあ。お前、何してんだよ。
 そう言う代わりにため息をつくと、面倒くさそうな顔をしながらもようやく孝之が視線を上げた。
「……なんで昼も、うなぎなんだよ」
「だって、たくさん余っちゃったから……」
「はー……」
「今夜は、お茶漬けでひつまぶし食べる?」
「…………」
「え?」
「知らねーからな」
「えっと……なぁに? どういうこと?」
「ンでもねーよ」
 まっすぐ見つめたかと思いきや、謎の発言。
 葉月ちゃんもワケがわからないだろうが、まあ……いろいろあったんだな。お前も。
 意を決したように蓋を取り除いた弁当を見ると、錦糸卵の上にうなぎが鎮座ましましていた。
「…………」
「……え?」
「いや、別に」
 何も“別に”とは思ってないが、あえてそう言ってみたらどんな反応をするのかという単純な実験。
 だが、予想以上に反応した羽織は、まじまじ俺を見つめたまま頬を染めて視線を落とした。
 昨夜から同じ場所にある、首筋のあざ。
 髪で一瞬見えるか見えないかのそれを、果たしていつ気づくことやら。
 何も言わずかぶりを振ってカツを箸でつまむと、ついつい笑みが漏れた。
「……ん? それは?」
 ふと、羽織の右手に小さな茶色い箱が見えた。
 今朝どころか、家で見かけた覚えはなく、だからこそ目についたんだろう。
「あ。実はこれ、昨日優くんがくれたんです」
「え」
「な」
「は!?」
 にっこり笑って両手で持ち直した箱を、誰も何も言っていないのに3人で凝視。
 いや、正確には山中先生もいたから4人だが――って、そこじゃない。
 今、ものすごく聞き逃せない単語が混じっていなかったか。
「感動チョコレートって言うらしいですよ。すごくおいしそうじゃないですか。なので、せっかくだからみんなでって思ったんです」
 にこにこにこ。
 チョコレートを手にしている彼女の顔には、素直で純粋な気持ちしか表れていない。
 が、チョコレートという今もっともデジャヴを感じるシロモノを取り出された以上、取り上げてどこか違う場所へ移したくなるのは俺だけじゃないらしく、純也さんと孝之も目を見張っていた。
 確かに、パッケージにはそぐわない字体で“感動チョコレート”と書かれている。
 いわくつきすぎないか、これ。
 古びた土産物店に置いてありそうな、いかがわしい雰囲気をまといすぎていて恐ろしい。
「ッ……!」

 『Can-Do-Chocolate』

 でかでかと書かれている“感動チョコレート”の端に、きれいに英単語が並んでいた。
 ちょっと待て。
 それは、どう見ても“感動”じゃない。
「Can do……」
 ぼそりと単語を呟いたことで、やはり純也さんと孝之も揃って喉を鳴らしたのがわかった。
 いかがわしいどころじゃないシロモノだということは、よくわかった。
 だからあとは――どう処分するかのみ。
 こういうとき、目配せだけでそれぞれが動けるのは、付き合いが長いからだろうか。
 それとも、いろんな意味で団結できていたからか。
 どちらにしろ、二度目ましてはしたくないと踏んでか、それぞれがそれぞれの彼女対応を始めるのに数秒も要しなかった。


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