『愛してます』

 普段の呼称と違う、彼の名前を口にするだけでもどきどきしたけれど、続けた言葉に自分でもどきどきしてる。
 ああ、人を好きになるってすごいなぁ。
 自分が知らない自分がたくさん出てきて、戸惑うけれど、でも、嬉しい。
 ……あんなふうに微笑まれたら、どきどきするじゃ済まない。
 すごくすっごくしあわせで、ほかに何もいらないって思えるくらいの気持ちになった。
「……っは……ぁ」
 何度も繰り返される口づけは、いつもよりずっと深くて少しだけ苦しい。
 でも、すごく嬉しいの。
 まるで、態度でも『愛してる』を伝えてくれているみたいで、もっと欲しいと思う。
 こんなふうに思うのは、なんだかすごくえっちな気もするけれど、許してもらえるかな。
 キスをして欲しい、触れて欲しいって思うのは、彼だからこそ。
 私にとって特別な人
 大好きで大好きで、彼ならばどんなことをされてもいいって……思っちゃうほどの人なんだもん。
「ん、んっ……」
 ちゅ、と音がして離れた唇が、そのまま首筋から胸元へ降りる。
 くすぐったいのとは違う、ぞくぞくした感じに、背中が震えた。
 全部知らないこと。
 それを、ひとつひとつ彼に教わる。
 ……特別な時間なんだよね。
 すぐここにある彼の髪へ無意識のうちに触れると、目を合わせて『くすぐったい』と笑われてなんだか照れくさかった。
「……ぁ……」
 そっと両手で頬を包まれたあと、唇を塞がれた。
 舌が唇を舐め、深く吸われる。
 キスって、いろんな形があるんだって知ったのも、初めて。
 ただ唇を重ねるだけじゃなくて、それこそ、洋画で見るような熱っぽい口づけが、こんな気持ちになるのも知らなかった。
 どきどきするだけじゃなくて、欲しくなる、の。
 もっとキスしてほしい。
 もっと……触れて欲しい、って。
「ん……ぅ」
 もし、キスにうまいヘタがあるとしたら、どう考えても私は後者だと思う。
 けれど、祐恭先生とのキスは……いつも特別なの。
 もう一度って思うし、同じキスはない。
 何度でもたまらなく欲しくて。
 ……何もかもが、初めての人。
 ひとつひとつ教えてもらって、覚えていくこと。
 勉強とは違うけれど、彼に教わることはすべて私にとっての特別で。
 だからこそ、すべてが嬉しかった。
 自分の何もかもの初めてを、彼が満たしてくれることがたまらなく嬉しい。
「……ん……」
 全部、全部もらって欲しいって思う。
 これって変なことなのかな。
 さすがに絵里に聞くこともできず、ひとり悶々と考えてはいたんだけれど……でも、全部、祐恭先生だけでいいって思うんだもん。
 きっと、彼の初めてを私がもらうことはできないけれど、私の初めてを受け取ってもらうことはできる。
 かっこいいし、大人だし、今までに付き合った人もいたんだろうなぁ。
 連絡の取れない彼女のことは知っているけれど、ほかは知らないし……聞かない。
 彼が過去選んだ人のことを聞いても、私は絶対つらく思うだけだから。
 だから……今を見ていたいの。
 これから先、祐恭先生のそばにいられる時間が、どうか長いものでありますように。
 今の彼に選んでもらえたのは、今の私。
 ほかの誰でもないことは、大きな自信そのもの。
「……は……ふ」
 唇が離れて、ゆっくり目を開けるとすぐここに彼がいた。
 ああ、きっと情けない顔してるんだろうな。
 眉尻も下がってるだろうし、瞳だって潤んでるかもしれない。
 でも、全部彼に触れられているからの反応。
 眼鏡がないから、祐恭先生の瞳が近くて、その中に映る自分も見える。
 照れくさいというよりは、すごくどきどきするけど嬉しい。
 今だけは、私だけを見てくれている時間だもん。
「……ベッドに行こうか」
「あ……はい」
 目を見たまま囁かれた言葉で、ぞくりと身体が震えた。
 一緒に寝るのは、今日が2回目。
 でも……ただ一緒に寝るんじゃなくて、今日は、特別だよね。
 まっすぐ見つめたままでいるのが恥ずかしくて、視線を外してから立ち上が――れなかった。
 身体に力が入らなくて、上半身を起こしたら肘が折れた。
 痺れているのとは、違う感じ。
 なんだか、身体全体が言うことを聞かない。
「っわ!?」
「……軽いな」
「せ、せんせ、ダメですってば!」
「なんで?」
「だって私、重たっ……!」
「いや、全然。自分とこんなに違うんだなって、当たり前だけどすごいびっくりする」
 まさか、お姫様抱っこをされるとは思わず、自分の体重がバレてしまうほうが怖くて慌てたものの、彼はくすくす笑いながら寝室へと足を向けた。
 自分と違うのは、私も感じる。
 祐恭先生の腕って、こんなにたくましかったっけ。
 普段見ているようで見ていないからか、いかにも男の人っぽくてどきどきした。
「なんか……見える世界がいつもより高いです」
「それはよかった」
「先生って、お兄ちゃんよりも背が高いですよね?」
「そうだね。アイツが越えられなかった壁は超えたよ」
 おかげさまで。
 小さく笑った彼の言い方からして、きっと昔何か言い合いをしたんだろうなぁ。
 ……いいなぁ。
 私が知らない、もっと前から祐恭先生のことを知ってるなんて、すごく羨ましい。
 そう思うから、彼とお兄ちゃんの話を聞いているのは、結構楽しいんだよね。
 ときどき、そういえばって切り出される話から、彼の昔の姿を垣間見れるから。
「……あ……」
 そっとベッドへ降ろされたあと、祐恭先生がリビングの明かりをリモコンで消した。
 窓の外から入るわずかな光源だけで、お互いの顔がわかる程度。
「ん……っ」
 肩をそっと押されてベッドへ横になると、身体の上へ彼がきた。
 重たいわけじゃないのは、気を遣ってくれているからだろうとわかる。
 ……どきどきする。
 動けないわけじゃないのに、でも、適度に身体が拘束されている状態。
 口づけられながら片手が身体のラインを辿り、背中へ回る。
「……ぁ……っ」
 素肌に大きな手を感じて、どきりとした。
 背中を撫でて首筋に唇を這わされ、声が勝手に漏れる。
「は……ぁ、っ……ん」
 自分じゃないみたいな、甘い声。
 もっと欲しいと言ってるみたいで、すごく恥ずかしいけれど……やめてほしくないのも本音。
 キスをするようにあちこち唇が這わされてから、耳たぶを甘噛みされて感じたことのないせいか、らしからぬ声が漏れそうになった。
「ぁ……んっ……ん!」
 濡れたあたたかい感触で、思わず身体が震えた。
 ぞくりとした快感が、どんどんと身体に染み込んでくる。
 ――ほんの少しだけ、怖い。
 自分が知らない自分になってしまいそうで。
 ……でも、やめてほしくなんて、ない。
 むしろ、もっと……と、自分の知らない自分が彼を欲しがる。
 こんな声が出るのかと、自分でも驚いた。
 彼に口づけられ、彼を感じるたびに自然と喉から漏れる声。
 堪えようとしても、止めることができない。
 どこか、悦を感じさせるその声が、自分の物ではないような気がして艶っぽく感じた。
「っ! ……は、……んっ!」
 耳を優しくなぞった舌が、滑るようにして首筋から胸元へとおりてきた。
 と同時に背中に回されていたはずの手が、いつのまにかキャミソールをたくしあげる。
 器用に片手でまくられ、そのまま簡単に――……脱がされ、た。
「……っ」
 彼に見られる、下着だけの姿。
 明かりがないとはいえ、部屋でなる格好じゃないだけに、恥ずかしくて隠そうと腕が動く。
「は……ずかし……ぃ」
 小さく呟いてから肩を抱くように両手で包み、これより先を少しだけ拒む。
 けれど、あっさりとその手を上に追いやられた。
「あ……」
「きれいだよ。……すごく」
「っ……」
 薄い明かりの中で微笑まれ、思わず喉が鳴った。
 いつもの自分が知っている彼じゃない気がする。
 ゾクリとするような不思議な魅力があって、それはまさに“男”としての彼で。
 ……どうしよう。
 すごく、すごく……どきどきして、苦しい。
 などと考えていたら、鎖骨にかけてのラインを舌でなぞられ、こらえきれずに声が漏れた。
「や……あっ……!」
「……嫌?」
「ぅ……ちが……うけど、っ……んっ」
 どこか楽しそうに舌でなぞったまま彼が呟き、執拗に責めあげてくる。
 そんな彼に小さく首を振りながら手を伸ばすと、すぐそこに彼がいた。
「なんか……へん……なんですもん」
「変?」
「……うん」
 きっと、惚けたみたいな顔をしてるだろう。
 とろんとしたまま彼を見ると、いつもは見せないようないたずらっぽい笑みを浮かべた。
「気持ちいい?」
「……っ。……です」
 一瞬驚きから目が丸くなったものの、視線を逸らすと同時にうなずいていた。
「! ……んんっ!」
 途端、唇をふさがれた。
 まるで、(むさぼ)るような口づけ。
 溶けてしまいそうな熱いキスを繰り返しながら、舌が歯列をなぞって上顎を這う。
 ゆっくりと舌を吸ってから絡め、そのままで……彼は手を胸元へと運んだ。
「っ!」
 一瞬、びっくりして身体が跳ねた。
 だけど、唇で押さえ込まれるうちに、ゆっくりと身体から力が抜けていく。
 そのまま胸を揉みしだきながら、彼は首筋へとまた舌を動かした。
「ぁ、あっ……ん……は……ぁっ」
 手の動きに合わせて唇から漏れ、そのたびに恥ずかしくてたまらなくなる。
 ……恥ずかしい。
 だけど、すごく嬉しい。
 ……でも、やっぱり……。
 なんてことを考えながら、彼へ腕を伸ばしたとき。

 ――……♪

 いきなり、リビングに置いたままのスマフォが着信を知らせた。
「っわ!」
 びっくりして身体を起こそうとしたものの、彼はあっさりと阻む。
「……先生……」
「出なくてもいいよね?」
「でも、音が……」
「平気。……それより今は、俺でいっぱいになってほしいんだけど」
「っ……」
 ほんの少しだけいつもと違う声音で囁かれ、目が丸くなる。
 顎をとって口づけられ、もちろんだけど抵抗なんてできなかった。
「んっ……はぁっ」
「今は、ダメ」
「……せんせ……ぇ」
 “教師”の口調で呟かれると、言葉がしぼんでしまう。
 こういうときの彼には、何となく逆らえないオーラがあった。
 なだめるような優しい口調なのに、うんと言わされる不思議な力。
 何も言えずそのままでいると、微笑んだ彼が再び口づけた。
 その顔は、ちょっぴり満足そうなものにも見えて、いつもと違う雰囲気にどきどきする。
「……ぁ」
 ――ものの。
「…………」
「…………」
 一度鳴り止んだスマフォが、また着信を知らせた。
 ……うぅ、サイレントにしておくんだった。
 今ばかりは、準備の足りなかった自分を責めたかった。

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