「あーー! 羽織ぃーっ」
「え? あ、和哉君! いらっしゃいー」
 ……は!?
 電話の向こうからではない、リアルの声。
 それが背後から聞こえて、弾かれるようにそちらへ顔が向いた。
「な……っ!」
 ぎゅうっと和哉が抱きついている人物。
 それは、確かに紛れもなく――……彼女自身だった。
 いつもと違う点を挙げるとすれば、ただひとつ。
 見慣れない、巫女装束を身に着けている点だろう。
 それ以外は、いつもの彼女と一緒だった。
 さらりと揺れる髪も、屈託無く笑う顔も――……甘い声も。
 だからこそ、余計に疑問が多く持ち上がる。
 昨日彼女をケーキ屋で見つけたときも、確かに疑問といえば疑問があった。
 とはいえ、まぁ学校の近くにあることと彼女が甘いものを好きだということを照合すれば、納得はできる。
 だが、ここに彼女がいるというのは、まずありえない。
 どう考えても、イコールで結び付けられる点がないのだ。
「ちょっ……! な……んで、ここに!?」
「え? ……っ!! せ……っ……先生!?」
 スマフォを切りながら彼女へ駆け寄ると、昨日よりも驚いた顔を見せた。
「な……っ、なんでここに先生がいるんですか!?」
「それはこっちのセリフ! どうして、ここに羽織ちゃんがいるんだよ!?」
 和哉に抱きつかれたままでこちらを見上げ、何度かまばたきを見せた彼女。
 ……が。
 その視線を、俺から泰兄へと向けた。
「せっかく、羽織ちゃんがかわいい格好してるんだしねー。コイツも見たいんじゃないかなー、と思って」
「ってことはなんだよ、泰兄は知ってたのか!?」
「もちろん。だから、わざわざこの神社まで来たんじゃないか」
 そ……そんな理由かよ!!
 呆れて物も言えない。――……が、まぁ、確かに悪い気はしないのも正直なところだ。
「…………」
 よく見かける巫女装束なんだが、こうしていざ自分の彼女が着ているのを見ると、印象が全然違う。
 白の着物と、緋の袴。
 この装束に身を包んで立っていると、普段の彼女もそうではあるが、清廉さが漂っているわけで。
 ……非常に手を出しにくい。
 …………いや、だから、そうじゃなくて。
「ウチの学校、バイト禁止だって知ってるよな?」
 瞳を細めて呟くと、それはそれは困ったように眉を寄せた。
「しかも、今週の生活指導は俺が担当だってことも」
「……それは……その……」
 気まずそうにこちらを見上げてから、再び視線を落とした彼女。
 だが、そう簡単に見逃してやれるほど――……。
「あてっ!」
「こら! 羽織をいじめるなよー!!」
 いきなり、和哉に叩かれた。
 まぁ、痛くも痒くもないんが、思わず面食らう。
「なぁ、羽織ぃ。祐恭なんてほっといて、向こう行こうぜー」
「え? あ、でも――」
「いーんだってば。それに、今日の主役は俺だろ?」
「そーそー。祐恭はほっといて、行こうか」
「あ、あのっ」
「おいっ! ちょっと待て!!」
 相変わらず、この親子は息がぴったりで困る。
 どうして、こうも彼女を俺から引き離そうとするんだよ!
 聞きたいことは山のようにあるんだから、今連れて行かれたら困――……って、だから!
「こらっ! だから、ちょっと待てって!」
 人の主張も聞かず、彼女を取り囲んだまま連れ去っていく親子。
 張本人である羽織ちゃんも、時おりこちらを振り返りはするが、足は止めなかった。
 正確にはまぁ、止められなかったってほうが正しいとは思うが。
「……たく」
 3人が向かった先には、何やら事務所っぽい建物があった。
 いかにも歴史を感じさせられる――……古いとかそういうのではなくて、まるで明治期にでも作られたような、そんな感じのする洋館っぽい建物。
 ここが恐らく、社務所とやらなんだろう。
 開いたままのドアから中に入り、泰兄のあとに続く。
 すると、暖房が若干入っているらしく、あたたかな空気が漂っていた。
 カウンターを挟んだ向かいに彼女が入り、何やら作業をしているのが見える。
 ……つーか、なんでこんなところでバイトしてるんだ。
 彼女が言っていた『用事』とやらは、恐らくこのことなんだろうが、規則を破ってまでやることなのか?
 なんて、当然といえば当然の疑問が頭に浮かんだ。
「では、こちらにご記入願えますか?」
「あ、はい」
 紙の擦れる音と、丁寧な営業口調。
 だが、その声に感じるのは――……違和感。
 壁にかかっていた写真から視線を外して振り返ると、やっぱりそこにはいるべきはずのない者がいた。
「……なんでお前までここにいるんだ」
「あ? お前、何してんの?」
 ため息混じりに呟くと、俺に気づいたらしく声が変わった。
 休日の、だらーっとしているときとは大違いの、彼。
 ……そう。
 妹とともに泰兄の対応をしていたのは、紛れもなく孝之本人だった。
 仕事に行くときと同様に、スーツを着込んでの接客。
 とはいえ、さすがに上着は着ていないが。
 ……しかし、コイツは本当にサービス業が向いてるよな。
 愛想だけはピカイチ。
「お前、何してんだよ。こんなところで」
 カウンターに手をついて眉を寄せると、泰兄から書類を受け取って確認しながら声だけを返した。
「俺だって、せっかくの休みに好きこのんでここにいるわけじゃねぇんだよ」
「……それはそうだろうけど。だから、なんで兄妹揃って神社にいるんだ?」
「…………話せば長くなる」
「は?」
 普段と違う雰囲気で思わず聞き返すと、深いため息を漏らしてこちらを向いた。
 瞳には、いつも見えない諦めの色。
 それが、少し気になった。
「それでは、あちらの社殿にお回りください。係の者が案内いたします」
「よろしくね」
「はい」
 係の者も何も、孝之が手で示したのはもちろん羽織ちゃんで。
 にっこりと泰兄が彼女に微笑むと、彼女もかわいらしく笑みを浮かべた。
 ……くそ。
 なんか、気分よくないんだよな。しかも、無性に。
 1度俺を見てから泰兄と和哉に声をかけ、社殿へと向かう彼女。
 せめて、ひとことふたこと俺に何かくれてもいいようなものを……。
「まぁ、座れって」
「……ああ」
 視線を戻して相槌をうつと、孝之がいたずらっぽく笑ってからソファを指した。
 はっきり言って、すること皆無な現状。
 かなりの、手持ち無沙汰ってやつだ。
 ……しかし。
「……で? どうしてここにふたり揃ってるんだよ」
「あ?」
 書類の整理をしているらしく、バインダーを開いて何やら作業しながら、また声だけで答える。
 そんな孝之をしばらく見ていると、仕事を終えたのかカウンターからこちらに歩いてきた。
「1日バイト」
「……だから、なんでふたり揃ってなんだ?」
 バイトなのは、だいたいわかる。
 が、何も兄妹揃ってやる仕事でもないんじゃないのか。
「ここさー、親父の実家なんだよ」
「…………は?」
「だから、ウチの親父の実家なんだって。ここが」
「……いや、ちょっと待て。そんな話は聞いたことないぞ」
「そうか? ま、そう言われても困るんだけど」
 唐突に沸いて出た、事実と思しきこと。
 いや、まぁ、息子のこいつが言うんだから嘘じゃないとは思うけど。
 しかし………神社が実家なんて、初耳。
 先生にそんなこと言われた覚えはな――……。
「あ、そうだ。ほら、あそこって、なんで真ん中歩いちゃいけないんだっけ?」
「は? どこだよ」
「だから、あれだよ。参道」
 窓から見える石畳の参道を指差して孝之に訊ねると、頭の後ろに両手を組んでソファにもたれてからこちらに視線を戻した。
 昔、瀬那先生に言われた言葉だ、こいつなら知ってるだろう。
「あそこは、神様が通る道だからだろ? なんだっけな……あー、そうそう。確か、正中(せいちゅう)つったか」
「ほー。さすが」
「まぁな」
 案の定、孝之がやけに誇らしい顔でソファに座り直した。
 そうするだろうとは思ったけど。
「でも、お前こそなんで七五三にくっついてきてんだよ」
「俺に聞くな。しょーがないだろ? 誘われたんだから」
「……お前、暇なの?」
「暇になっちゃったんだよ」
 怪訝そうな顔をした孝之に眉を寄せると、自然にため息が漏れた。
 だって、そうだろ?
 今日、彼女がこのバイトをしたりしなければ、俺が暇になることだってなかったし、きっと七五三だって断ってたはずだ。
 まさか、この神社が知り合いの家とは思いもしなかったが、それでもバイトに変わりない。
 そのへんを口実に、いろいろ聞くつもりだ。
 公私混同とか言われるかもしれないけど、彼女は別。
 ……どーせ、ワガママだよ。ちくしょう。
「ま、15分くらいでアイツ戻ってくるし。ここで待ってればいいんじゃねぇ?」
「でも、それで連れて帰るのはマズいだろ?」
「んー。ぶっちゃけ、もういいんじゃねーの? じーちゃんも、羽織の顔が見たいだけだったっぽいし」
「……あ、そう」
 やけにあっさりとした言葉に、少し拍子抜けする。
 まぁ、コイツがそう言うならいいか。
 そう考え直してから、彼女が再び顔を見せるまでここで待つことにした。

 しばらくして戻ってきた彼女は、相変わらずの巫女姿。
 そして、そんな彼女にくっついたままなのは、やっぱり和哉。
 ……こいつは。
「こちらが、御札と御守りになります。それから、お神酒が入ってるんですが……」
「わかりました。もちろん、子どもには飲ませませんから」
「あはは、お願いします」
 相変わらず、人付き合いがうまいと言うかなんと言うか。
 孝之は、初対面の人間でもまったく違和感なく溶け込む。
 羨ましいっちゃ羨ましいが、まぁ、これも一種の能力だよな。
「さ、和哉。帰るぞ」
「えー? じゃあ、羽織も一緒に帰ろうぜ」
「ダメだ」
 黙っていれば『あ、それじゃあ……』と了承の返事をしてしまいそうな彼女に代わって言葉を返すと、和哉が不服そうに唇を尖らせた。
「なんでだよー。いいだろ? 一緒に、七五三のお祝いしてもらう」
「十分してもらっただろうが! 彼女は、俺と帰るんだよ」
「えー!? 祐恭はひとりで帰ればいいだろ!」
「お前こそ、みんなと一緒に帰れ!」
 彼女が割り込む隙を作らずに、そんなやり取りを繰り返す。
 ――……だから、知らなかった。
「祐恭、いつもああなんすか?」
「ん? うん。羽織ちゃんのこととなると、目の色変わるからねー。普段は違うの?」
「んー……。まぁ、似たようなモンかもしれないっすけど」
 なんていう会話を、孝之と泰兄がしていたなどとは、まったく。
 ちなみにこのことは、のちに彼女の口から聞くことになった。


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