「だから、これは絶対『1』だって」
「違うっつの。この前、俺テレビで見たぜ?」
「そうか? でも、俺は『1』で聞いたけどな……」
「祐恭は聞いたんだろ? 俺は見たの。この目で」
 場所は変わって、瀬那家のリビング。
 クイズ番組でバトルを繰り広げるのを苦笑交じりに親父さんである瀬那先生が見ている中、俺は孝之とひたすら争っていた。
 そんな俺たちをやはり同じように笑いながら見ている、羽織ちゃんとお袋さん。
 テーブルにはうまそうなおかずが次々に運ばれてきていて、ついつまみ食いをしたくなる。
「ずいぶん賑やかねぇ」
「……あ、うるさいですよね。すみません」
「いいえ、いいのよ。デキのいい息子ができて嬉しいわ」
「あはは、そう言っていただけると嬉しいです」
「ちょっと待て」
 孝之のつっこみはスルーし、お袋さんに笑って頭を下げる。
 すると、羽織ちゃんが小皿を手にしてテーブルへ来た。
 さすがにこのときばかりは制服ではなく、私服姿。
 ……やっぱり、いい。
「あ、ほら。やっぱり、『1』だろ」
「あれ? ……っかしーな。『3』って見たんだぜ?」
「じゃ、お前のから揚げ1個没収な」
「な!? きったねぇ。ンでだよ! んな賭けしてねぇだろ」
「いいだろ、別に。散々違うって言ってたの、どこのどいつだよ」
「うわ。教師が賭けごとなんかしていいのか?」
 ぶちぶちと文句を言いながらも、から揚げを移動させるあたりの律儀さは、やっぱり彼女の兄なんだなと実感する。
 彼女も、なんだかんだ言って結局言う通りにしてくれるし。
「さあさあ、ごはんにしましょ」
「あ、はい」
「あー……腹減った」
 テーブルに戻ると、お袋さんが温かい味噌汁を渡してくれた。
 やっぱ、こういう食事はいいよな。
 などと考えていると、左斜めに座った羽織ちゃんが茶碗をくれる。
「はい、どうぞ」
「ん、ありがとう」
 それを受け取って、早速箸を――……あれ?
 置かれていたのは、普通の塗り箸。
 いつもは割り箸を使っていたので、手を伸ばす前に確認する。
「この箸、使っちゃっていいんですか?」
「ええ、もちろん。この子が、祐恭君のために買ってきたのよ」
「……え、そうなんですか?」
「お、お母さんっ!」
 驚いて彼女を見ると、少し照れながら小さくうなずいた。
 ……そっか。
 箸、ね。
 わずかな違いではあるが、それこそが大きな違い。
 自然と嬉しさから笑みが浮かぶ。
「それじゃ、いただきます」
「どうぞ、召しあがれ」
 早速、から揚げをひとくち。
「……相変わらず、うまいっすね」
「あら、良かったわー」
 やはり彼女の料理はおいしくて……でも、どこかで食べた味のような気もする。
「それ、羽織が作ったのよ」
「……あー、どうりで」
「マズいんだろ」
「違うって。……なんか、懐かしい味だなと思って」
 ニヤっと笑った孝之をさらりと否定してから彼女を見ると、嬉しそうに笑ってくれた。
 ……そっか。
 これ、彼女が作ったんだ。
 それだけで、なんだか嬉しくなる。
 ……やっぱり、男って単純なんだな。
「………あ」
「あっ! 先生、シミになっちゃいますよっ」
「あー……まぁ、大丈夫――」
「じゃないですっ! もぅっ!」
 考えごとをしていたら、ソースがワイシャツに跳ねた。
 それを見た彼女が慌てて立ち上がり、俺の手を引く。
「……え?」
「え、じゃないですよ! シミになっちゃうからっ!」
「そうね、早いほうがいいと思うわ」
 お袋さんにもうなずかれ、立ち上がると同時に洗面所へ向かうことになった。
「……もぅっ」
 眉を寄せてタオルを濡らし、乾いたタオルを手にして――……。
「脱いでください」
「……え」
「え、じゃなくてっ! シミになったら落ちませんよ? それ」
「……ふぅん。それじゃ、脱がせて」
「…………」
「…………」
「……怒りますよ?」
「ごめん」
 いたずらっぽく笑うと、案の定怒られた。
 まぁ、今こんなことをして機嫌損ねてもしょうがないか。
 ネクタイを外して彼女の首にかけてからボタンを外し、彼女にそれを渡す。
 すると、乾いたタオルを下に敷いた上から濡れタオルでトントンと叩き始めた。
「……おー」
「あ、落ちましたね。早いからよかったのかも」
 しばらくすると乾いたタオルにシミが移り、ワイシャツはきれいに白くなった。
「すげー」
「そんなことないですよー。一般的な染み抜きですから」
「いや、でも俺は自分でやったりしないし」
「あはは、そうかもしれないですね」
 おかしそうに笑ってドライヤーを手にした彼女が、今度はワイシャツを乾かし始めた。
 ……マメだな。
 壁にもたれながらそんな姿を見ていたのだが、ついつい手が伸びる。
 仕方ない。これは当然の行為だ。
「っ先生……」
「あー、落ち着く」
「……もぅ。くすぐったいですよ」
 後ろから抱きしめるようにすると、くすぐったそうに身をよじった。
 それでも、本気での拒否じゃないのが心底嬉しい。
「……違うシャンプーの匂いって……なんか、切ないな」
「え?」
「今までは一緒だったろ? ……だから、なんかね」
 彼女の髪から匂うのが、自分とは違う匂いで。
 それがなんとなく寂しい。
 ……ああ、今は違う場所で暮らしてるんだな、と実感するせいか。
 もしかしたら俺は、とことん我侭なのかもしれない。
「でも、またすぐに……」
「もちろん。また洗ってあげるから」
「っ……ひとりでできます!」
「そんな、遠慮しなくてもいいのに」
 くすくす笑ってドライヤーを戻した彼女の手をすくいあげるように掴み、こちらを向かせてからそっと唇に運ぶ。
 ……?
 鼻先に香る、甘い匂い。
「……桃?」
「あ、よくわかりましたね」
「すげー甘い匂いがする」
 ちゅ、と唇を当ててから、今度は彼女の唇へ指で触れる。
「桃、食べた?」
「さっき、ちょこっと……」
「……ふぅん」
「っん……!」
 指を頬に滑らせてから手のひらで包み、そのまま唇を合わせる。
 すると、胸元に寄せられた手が切なそうに握られた。
 彼女の腰を抱くように腕を回し、舌を絡め取ってから――……歯列をなぞって再び深く。
 そのたびに小さく漏れる彼女の声が、心地いい。
「……うん。うまい」
「もぅ……っ!」
 頬を染めた彼女からワイシャツを受け取り、ボタンを留めてネクタイを締めていただく。
 ……これだよ、これ。
 やっぱり、これは俺がするべきじゃない。
「……なんかさ」
「え?」
「こう、自分でネクタイ締めるのって結構寂しくて」
「……もぅ」
「愛情込めて締めてもらうと、気合の入り方が違うんだよね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
 彼女を見つめると、くすっと小さく笑ってからうなずいた。
 だが、これは事実。
 どうも、これまでの自分の習慣が、ものすごく切ないんだよな。
 すべて自分でするのが当たり前だったはずなのに。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 にっと笑って再び彼女に手を伸ばしかけたそのとき、ちょうどチャイムが鳴った。
 続いて、インターフォンに出るお袋さんの声。
「……? 誰だろ……」
 ぽつりと呟いて廊下を覗き込んだ彼女に続いて玄関を見ると――……わず喉が鳴った。
「っ……篠崎先生!?」
「え!? なん、で……?」
 頭を下げて上がろうとしているのは、間違いなく彼だった。
 喉を鳴らした自分と同じタイミングで、きゅっと彼女がワイシャツを掴む。
「……どうして先生が……」
「さぁ……俺も知らないけど」
 ……しかしながら。
 この状況って非常にまずいんじゃないだろうか、と今になって思った。
 仮にも、生徒の家。
 しかも、ご飯まだ食べかけだし……うわ、非常に気まずい。
 思わず焦りながらそんなことを考えていると、事情を知らないのか、はたまた知ってて敢えてそうしているのかわからないが、能天気な孝之の声が響いた。
「おい、祐恭ー。お前の後輩だぞー」
 知ってるって!
 ていうか、そんなデカい声だすなよ!!
 思い切り名前を呼ばれ、今さらいないフリを続けられるはずもなく。
 ……あーもー。
 めんどくさいことになりそうで、ため息が漏れる。
「…………」
「……はぁ」
 彼女を見ると、やはり困ったように眉を寄せていた。
 あー。孝之の口を何かで塞いでおくんだった……と、久々にかなり強く思った。


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