「あの、これ……実は、朝ごはん作ってきたんですけれど……」
 そう言って彼女は、持ってきたバッグからかわいい包みを取り出した。
「ごはん、もう食べました?」
「あ、いや。まだ」
「……よかったぁ……」
 ほんの少し上目遣いで俺を見た彼女に首を振ると、ほっとしたような笑みとともに小さく小さく呟いた言葉。
 そのはにかんだ表情に、思わず口元が緩む。
 ラップされた皿や、小さなタッパー。
 いったいどうやって入っていたのかと気になるほど、あとからあとからそれらが出てくる。
 例えるならば、まるで、手品のように。
 気付くといつの間にかテーブルの上はいろとりどりのおかずでいっぱいになった。
「どうしたんですか?」
「え?」
 その様子を黙ったまま見つめていたら、少しだけ彼女がおかしそうに笑う。
「いや……なんか、ずいぶん豪勢な朝メシになったなと思って」
「そうですか? ……えへへ。よかった」
 これは事実。
 本気でそう思った。
 ……ホント、昨日の朝メシとは大違いだ。
 朝イチから彼女に会えただけじゃなくて……こんなふうに手作りのモノを食べれるなんて。
 このぶんならば――……昨日のあの夢も『夢だったんだから仕方がない』と諦めてやってもいいかもしれない。
「……うまそう」
「いっぱい食べてくださいね」
「ありがと」
 にっこり笑って箸を差し出してくれた彼女にうなずき、改めてテーブルへ向き直る。
 ひとつひとつが、いかにも『手作り』な雰囲気漂うこれら。
 ……なんだか、ものすごく嬉しいというか……贅沢というか。
 でも、考えるまでもなく『贅沢』である以外にはないんだよな。
 なんせ、わざわざ俺のために持って来てくれたんだから。
「……え?」
「ありがとう」
「……もぉ……先生」
 手近にあったスープに手を伸ばしかけてからもう1度彼女に手を伸ばすと、それはそれは嬉しそうな笑みとともに緩く首を振った。

「……え? スマフォが、ですか……?」
「そうなんだよ」
 ものすごく豪勢な手作りデリバリー朝メシを終え、彼女がわざわざ緑茶を俺に淹れてくれているとき。
 話題は、先日のあの衝撃的な出来事へ。
「じゃあ、もう……使えないんですか?」
「……どうだろ。まだ中に水が残ってそうで、電源入れてないんだけど」
 テーブルからチェストの上に移動したスマフォ。
 当然ながらあれ以来1度も弄ってないので、液晶には何も映っていない。
 ……が、しかし。
 画面の隅に少しだけ水みたいなモノが見えて、やっぱり改めてヘコむ。
 バックアップ、なんてマメなことをやっておけばよかった。
 転ばぬ先の杖。
 後悔先に立たず。
 どれもこれも、昨日の朝の俺に聞かせておいてやりたい言葉だ。
「しかし、昨日はホントに……スマフォといい、財布といい、鍵といい……。……散々だったな」
 腹が膨れたお陰か、そうは言いながらも少しだけ気持ちに余裕がある。
 これもすべては、うまくて温かいメシと――……そして、隣にいてくれる彼女のお陰か。
「鍵はあったんですか?」
「……いや、それがさ……」
 まばたきをした彼女に見せる、情けない顔。
 だが、思い出すだけでもヘコむ上に、ワケがわからない。
 だからこそ、こんな顔になるのも仕方ないと思う。
「普段は物を入れることのない、スーツの内ポケットから出てきたんだよ……」
 そう。
 あれは、昨日の夜のこと。
 突然の雨でびっちょびちょになったスーツを、捨てるようにして脱いだとき、床に落ちたスーツからいかにも“金属”という感じの音がしたのだ。
 とはいえ、これでも全部のポケットとか鞄の中とか、本当にありとあらゆる所を見たつもりだった。
 だからこそ、見逃しなんてないと思ってたし、ましてや、1度見たポケットにあるなどとは……夢にも思わなくて。
「なんだよそれ……!」
 ころん、と音もなく鍵が出て来たときは、怒りよりも先に脱力感が襲った。
 いったい、俺のあの気苦労はなんだったんだ、と。
 そして、同時に彼女に対して申し訳ない気持ちも浮かんだ。
「……もっとちゃんと探してれば、羽織ちゃんに迷惑かけることもなかったのに……」
「いいんですよ、そんな! ……それに、こんなときでないとお役に立てませんから」

「それは違う」

「っ……え?」
「それは、違うよ」
 苦笑を浮かべて、目の前で首を振る。
 そんな彼女に、さらりと否定の言葉が出た。
 苦笑なんて、とんでもない。
 いたって冷静でいたって真面目な顔で、彼女を真正面から見つめる。
「羽織ちゃんは、いつだって俺のことを想ってくれていて、だからこそ必要不可欠なことしかしてくれてない」
 少し驚いたように丸くなった瞳。
 まっすぐに見つめながら手を伸ばし、そっと長い髪に触れる。
 ……そして、それから頭を撫でるように手のひらを移す。
「いつだって、俺のためになってくれてる」
「……先生……」
 わずかに、彼女の喉元が動いたのが見えた。
 夢のせいもあったのかもしれない。
 だが、それ以上に願っていたことがこうも早くから実現したから。
 ……いや、それよりもずっと上か。
 なんせ、願っていた以上のことも起きてくれたんだから。
「俺にとって、羽織ちゃんは必要不可欠なんだよ? もっと自信っていうか……当たり前だけど、胸を張ってほしい」
 俺が今あるのは、間違いなく彼女のお陰なんだから。
 それはもちろん、比喩なんかじゃない。
「……ありがとうございます」
 そんな意味を込めて瞳を細めると、少しだけ恥ずかしそうにしながらも、彼女が嬉しそうな笑みを浮かべた。


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