「忘れ物はないよね?」
 まとめた荷物を玄関に運び、ブーツを履いている彼女に声をかける。
 …………あー、やっぱり見送るのは寂しいな。
 当然ながら、これから彼女を自宅まで送って行かなければならなくて。
 靴を履きながら、ため息が漏れた。
「大丈夫……です」
「ん」
 返してくれた笑みは、普段と同じ――……に見えるのだが、やはり心なしか寂しそうで。
 ……想うことは同じ、か。
 たまらず、手が伸びる。
「……え?」
「すぐ、週末だから」
「……あ……」
 隣へ腰を下ろし、ぽんと頭に手を置く。
 ……この、温もり。
 そうか。
 今度ここに戻ってくるときは――……もう、隣に彼女がいないんだよな。
「……先生……?」
「え?」
 顔を覗きこまれて視線を上げると、先ほどよりも寂しそうな顔の彼女がいた。
 ……あー。
 これじゃ、どっちが元気づけてるのかわからないな。
 先ほど彼女へ向けた言葉は、実は自分への励ましだったのかもしれない。
「すぐ……週末ですよね」
「……そうだな」
 また、ここで彼女と過ごす日はきっと近い。
 恐らく、自分たちが考えている以上に早く時間は過ぎるだろう。
「それじゃ、行こうか」
「はい……っ」
 彼女を立ち上がらせ、荷物を持って――……玄関に向かう。
 ……と。
 そのとき、やはりまた彼女が後ろを振り返った。
 何をするかはわかってる。
 ……だけど、これこそが彼女らしいモノで。

「行ってきます」

 囁くように小さく聞えた言葉で、彼女の肩を引き寄せていた。

「……そういえば……知ってた?」
「え?」
 ハンドルを握ったまま彼女へ訊ねると、不思議そうな顔を見せた。
 ……あどけないような、普段の彼女と同じモノ。
 それはやっぱり、愛してるときと大きなギャップがあって、なんともいえないほどの愛しさが込み上げる。
「……先生?」
「あ。……えー……と」
 無意識の内に彼女の家のそばまできたことに気付いてしまい、そっと……スピードを落とす。
 ……もう、すぐ。
 それはわかってる。
 だけど――……もう少し。
 あと少しだけ、彼女とのこの愛しい時間を味わっていたい。

「男が服をプレゼントするのは、自分の手でそれを脱がすためだ、って」

 くしくも見えてきた彼女の自宅の車庫。
 それを見つめたまま呟くと、最後に笑いが出た。
「そ……」
「……そ?」
「……そう……なんですか……?」
「うん」
 のろのろとしたスピードで、見慣れた車庫の前に停める。
 ……着いたか。
 どうせなら、遠回りとかすればよかったかな。
 サイドブレーキを引きながら、小さくため息が漏れる。
「…………」
「……ん?」
 ふと彼女を見ると、なにやら思い詰めたかのように視線を落として1点を見つめたままで。
 …………。
 …………。
 ……あー……。
「……まぁ、なんだ」
「…………」
「……そういうワケだから、今後もソレ穿いて?」
「もぉ……」
 車内が暗いためにはっきりとはわからないが、この彼女の表情から推測すれば、恐らく頬は染まっているだろう。
 ……イイ顔。
 彼女らしくて、甘くて……ついついからかってやりたくなる。
「…………」
 だ、が。
 今それをしてしまえば、絶対に離せなくなる。
 それはよくわかってるから、あえて何も言わないことにした。
 ……寂しいのは、彼女だって同じ。
 でも、また――……明日明後日と時を経れば、ふたりで過ごせる時間はくるから。
「……それじゃ……また」
「ん。遅刻しないようにね?」
「だいじょうぶです」
「期待してる」
 小さく切り出した彼女へと、シートに肘を乗せて身体を向ける。
 くすくす笑いながらできる、この近距離でのやり取り。
 ……コレはやっぱり、格別だよな。
 手に取るように彼女の表情はもちろん、息遣いまでわかって……。
「……先生」
「ん?」
「……もぉ……どこ見てるんですか……」
「ああ、ごめん」
 ふと視線が落ちたままでいたのを、目ざとく彼女に見つけられた。
 ……ち。
 せっかく、あえて短いスカートをプレゼントしたのに、こういうときに限って鋭いな。
「失礼しました」
「……えっち」
「悪かったよ」
 きゅっと両手でスカートの裾を押さえるように車を降りた彼女に、苦笑が浮かんだ。
「……名残惜しくて……」
「え?」
「ドアの前で離せなくなるのが目に見えてるから、大人しく帰るよ」
「……ん……。わかりました」
 少しだけ期待してくれていたような彼女の表情が、一瞬曇った。
 ……ごめん。
 そんな顔させるつもりはなかったんだが、あとのことを考えるとやっぱりツラくて。
 だったらまだ、このまま離れたほうがいいかなと思ったから。
 …………エゴだな。俺の。
 しゅんと気落ちしてしまった彼女に、自然と眉が寄る。
「……それじゃ、気をつけてくださいね?」
「ん。わかってる」
 ……。
 ……どうしたって、そこからは会話なんて続かなくて。
 手放したくない。
 いっそ、このまま――……またあの場所へ彼女と戻れたら、どれほどいいだろうか。
 でも、どちらにしろそれは俺の我侭でしかなくて。
 …………。
 ……でも。
「……え……?」
 荷物を足元へ置いた彼女へ手を伸ばし、そっと……手招いてみる。
 相変わらず、素直に聞いてくれるね。
 不思議そうな顔ながらも、窓の縁へ手を当てて顔を覗きこんでくれる彼女に、嬉しさから笑みが浮かんだ。

「……がんばれるように、キスして」

「っ……先生……」
 そのときの彼女は、少しだけ驚いたように瞳を丸くして。
 ――……だけど。
 一瞬視線を逸らしたあとには、ちゃんとした笑顔でうなずいてくれた。
「……俺が寂しくないようにね」
「…………私も寂しいですよ……?」
「じゃ、してあげる」
「……えへへ。……嬉しい」
 ごくごく顔を近づけたままで交わす囁きは、秘密めいていて、嬉しくて。
 ……かわいい子。
 はにかんだように笑ってくれる姿を見ていると、心底癒される。
 だけど――……。
「ん……っ……」
 軽く押し当てられた唇が離れてしまわないように、こちらからキスを求めていた。
 しっかりと、深くまで交わせるように。
 この息遣いも、すべて持ち帰れるように。
 そんな欲からか、当然深い口づけはしばらくやめることができなかった。
「……ふ……ぁ……」
「イイ顔……」
「っ……えっち」
「まぁね」
 頬に手を当てたまま離れると、少しだけ惚けたような彼女の表情がすぐココにあった。
 ……味わえば、もっと欲しくなる。
 果ても底も、見えないほどに。
「……それじゃ。また週末に」
「ん……楽しみにしてます」
「勉強漬けだろうけど」
「……わ……かってますよ?」
「そう? 今、『ぅ』とか言わなかった?」
「言ってません。…………多分」
 互いに浮かぶのは、先ほどまでの寂しさからくるモノじゃなくて、ちゃんとした笑顔。
 ……よかった。
 別れ際にこの笑顔を見れないんじゃ、家に帰ってからヘコむのが目に見えてるからな。
「ちゃんと布団かぶって寝るんだよ?」
「……もぅ。それは私のセリフですよ」
「そう? ……いつだってこう、乱れ――」
「っ……ち、違うのっ! あれはっ……違うもん」
 顎に手を当てて呟くと、慌てたように首と手を振ってから、彼女が眉を寄せた。
 ……あー。
 きっと明るいところで見れば、顔赤くしてるんだろうな。
 それがわかって、再び笑みが浮かんだ。
「……それじゃ」
「はい……っ」
 大きく息をついてから、ハンドルに手を添えて彼女を見上げる。
 ……また、すぐだから。
 寂しくないって言ったら嘘になるけれど――……充填はできた。
「また明日ね」
「はい」
 にっこり笑って、うなずいた彼女。
 こんな子を、どこに平気で手放せるヤツがいるだろうか。
「…………」
「……? 先生?」
 まっすぐ前を見つめたままでいたら、彼女が顔を覗きこんでくれた。
 ……ありがと。
 そうしてくれるだろうと思って、こうしてた。
「……え…?」
「最後にもう1度」
 小さく笑ってから人差し指を立て、そっと……彼女の頬に手を伸ばす。
 ……その顔。
 『しょうがないなぁ』なんて思いながらも、俺を許してくれる優しい顔。
 コレを見たかった――……というのを口実に、何度目かの『最後』と誓ったキスを再びねだった。


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