「……私は……」
「ん?」
 ようやく笑いが収まったころ、彼女がおもむろに口を開いた。
 落ちていた視線が再び彼女へと向う。
 わずかな光を、しっかりと掴まえて輝く瞳。
 ……やっぱり、俺にとってのシリウスだな。
 などと、彼女を見ていたら口には出せないようなことが浮かんだ。
「……私は、やっぱり織姫と同じように……その日を楽しみにすごすと思います」
「そう?」
「もちろん! ……だって……すごく、好きな人だもん」
 小さな言葉だったが、しっかり目を見たままでというのは……効力が全然違う。
 つい、何も言えずに彼女を見たままでいると、照れくさそうに彼女が視線を先に落とした。
「……あ……」
「たとえ、数時間しか会うことができなくても……?」
 頬に手を当て、再び顔を上げさせる。
 ほとんど暗闇というこの空間で見える、彼女という確かな存在。
 それを何よりも現している彼女の瞳が見れないのは、若干心細く感じる。
「……それでも、会えないよりは……ずっとずっと幸せだから」
 いつしか、彼女の手がシャツを掴んでいた。
 しっかりと見つめられた瞳と、その手は……まるで『どこにも行かないで』と言われているような気になる。
 ……だから。
「先生……?」
「……そんな顔しない」
 気付くと両手で彼女の頬を包み、顔を近づけていた。
 彼女には、泣いてほしくない。
 ……きっとこう思う男は、多いと思うぞ?
 会えない日々を堪え忍んで、独り涙するなんて……してほしくないって。
「俺はそばにいるから」
 囁くようにした言葉で、彼女が小さくうなずいたように見えた。
「……ん……」
 口づけとともに、漏れた声。
 それはきっと、彼女の意図ではどうにもならないものだろう。
 それがわかっているからこそ、どうしてももっと欲しくなる。
 ……だから、ついついキスの時間を長くしたがるんだ。俺は。
「っ!? ……せんせっ……ダメ……っ」
 ちゅ、と離れた唇をそのまま首筋へ運ぶと、慌てたように彼女が首を振った。
 そのたびに柔らかく髪が当たり、くすぐったくなる。
「……なんで?」
「やっ……いじわる……」
 わざと吐息をかけながら囁くと、やっぱり怒られた。
 ……言われると思った。
 …………でも、やりたい。
 そーゆーモンだろ?
 まぁ、確信犯だから仕方ないと諦めてもらおう。
「だ、だって! ここ、人がたくさん――」
「大丈夫。見えないから」
「なっ……! そんなわけないじゃないですか!」
 小声で怒られても、やっぱり迫力なんてないワケで。
 ついつい、彼女が困っているのはわかるのだが、手は伸びる。
 ……仕方ないだろ?
 首を振りながらも、触れればとろけそうな顔見せるんだから。
「見えないらしいよ? この席は」
「……は……はい!?」
「いや、だから。ここの席は、大丈夫なんだってさ」
 にっこり笑みを見せてやると、瞳を丸くしてから眉を寄せた。
 確かに、彼女がそういう顔をするのも無理はない。
 なぜなら、俺だって最初にその話を聞いたとき、同じような顔をしたから。
「そ……そんなわけないじゃないですか……」
「いや、そんなワケあるんだってさ。事実、体験者がいるんだから間違いない」
「えぇ……!? っ……まさか」
「まさかも、まさか。なんせ、君がよーく知ってる人物が教えてくれたんだから」
 ぴっと人差し指を立てたまま彼女に顔を近づけると、不思議そうな顔から――……徐々に何か思い浮かんだのか、眉を思い切り寄せていた。
 ぴんぽん、大正解。
 彼女が答えを言う前に、とりあえず言っておこう。
「ひょっとして……優くん……!?」
「アタリ」
 さすがは、彼と従兄妹だけある。
 つーか、すんなり優人の名前が出てくるあたり、彼女も彼に対して思い当たるフシがあるということか。
 ……まぁ、敢えて突っ込まないでおくが。
「な、なっ……!? それじゃ、この前ここに来たって言うのは……!」
「……さぁ。さすがに、優人もそれが目的じゃなかったと思うよ?」
「けどっ!」
「いーじゃない。まぁ、ほら。あんまり深く考えないで」
「考えますっ!」
 ちょうどよく倒れてくれているままの背もたれだからこそ、こうして上から顔を覗き込めるわけで。
 ……イコール、組み敷くことができるなんともオイシイ格好。
 いや、俺は優人と違って、あくまでもプラネタリウムの優先順位のほうが高かったんだぞ?
 だけど、やっぱりこう……かわいい彼女を見ていたら、手だけじゃなくて、あれこれ欲が出てくるじゃないか。
 ……しかも、静かで暗い場所となれば余計に……ね。
「ちょ、ちょっ……! ダメですってば!」
「大丈夫だって。ほら、みんな違うほうに夢中だし」
「当たり前じゃないですか! ここ、プラネタリウムですよ……!?」
「いーから。……ほら。あんまり騒ぐと、周りにバレるよ?」
「っ……せんせ……!」
 しぃっと言ってから人差し指を彼女の唇に当ててやると、大人しく口をつぐんでから、一層小さな声で彼女が眉を寄せた。
 ……うん。
 この程度の躊躇ならば、拒否のうちに入らない。
 そういう都合のいい考えを進めながら、背もたれに身体を預ける彼女の肩へ手を置く。
 もちろん、すんなりと彼女が許してくれるだなんて、思ってない。
 思ってないが……せっかく巡ってきた、俺にとっての好機。
 だからこそ、逃す手はない。
「ねぇ……先生。……お願いだから、ちょっと……」
「待てないよ? 俺は」
「……だ、だから!」
「いいから、少し大人しくして?」
「っ……だ……ダメぇ……」
「……いいから」
 唇をなぞりながら囁くと、案の定俺の身体を押していた腕の力が緩んだ。
 ……これならば、大丈夫。
 きっと彼女は――……許してくれる。
 だけど、やっぱりこの顔はまだまだ文句を言うであろう顔。
 ……だから。
「っ…!」
 とりあえず、彼女の唇は先に塞いでおくことにしよう。


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