「んなっ……んじゃこりゃぁああ!!!?」

 朝1番 怒声とともに 起こされる。

 思わず一句詠みたくなるような声が嫌でも耳に入って、眉間に皺を寄せながらもう1度寝返りを打つ。
 ……うるさいなぁ、もう。
 もぞもぞと布団をかぶり直してから手探りでスマフォを探し出し、表示されてる時間を見つめる。
 何よ、まだ7時前じゃない。
 今日は普通に学校があるけど、だからって何もこんな時間に起きる必要はないわけで。
 そりゃ、純也は純也で仕事があるから、とっとと出なきゃいけないだろうけど。
 でも私は、普通に2度寝する。
 朝ごはん食べるより、どっちかっていうと寝てるほうがいいし。
 …………。
 ……こういうとこ、羽織に似てるかもしれない。
 普段、彼女に遅刻がどうの言っても、さすがは幼馴染。
 やっぱ、似てるトコあるわ。
「おい! 起きろ!!」
「……むー……」
 ドアへ足を向けて何かの虫みたいにごろごろ転がっていると、突然ものすごく大きな音とともに揺り動かされた。
 ……まぁ、まだ耳を引っ張られないだけマシか。
 ゆっさゆっさと動かされるだけなので、とりあえずまだ目を閉じたままいられる。
 ――……と思いきや。
「だからッ、起きろって!!」
「うあ!?」
 いきなり、がばしょっと世界が一変した。
「は…………はぁっ!?」
「ったく……いつまで経っても起きる気ないのか、お前は」
 無理矢理起こされた人間の気持ち、わかってもらえるかしら。
 今の今まで、寝てたのよ?
 頭は完全に睡眠モードだったのに、がばぁっと身体を無理矢理引き起こされて、頭に血が回らない状況。
 だから、目が覚めない。
 それどころか、頭がくらくらする。
……うっわ、最悪。
 なんだかしらないけど、無理矢理人を起こしてまで怒っていやがる彼に対して、ふつふつとした静かな――……どころか、がっつんとしたものすごく衝撃的な怒りが言うまでもなくこみ上げた。
「こら!!」
「う、わ!?」
 形勢逆転とは、まさにこのこと。
 ぐいっと胸倉を掴みかかって、そのまま押し倒す。
 片や、すでに身支度を整えていたらしく、ワイシャツ姿でベッドに仰向けの純也。
 そして、未だパジャマ姿ながらも、まるで今起きたてには見えない勢いと行動力で、彼に乗っかってる私。
 ……滑稽、よね。
 でも、お蔭さまで眠気はどこかへ飛んでった。
 だって、一気に頭へ血が巡ったんだから。
「人の眠りを妨げておいて、何よ急に! っていうか、怒鳴りたいのはこっちなんだから!!」
 がつん、ともう少しで頭突きを食らわせるところだった。
 すんでで止まったのは、まさに“運”としか言いようがない。
 ……ち。
 直前で逃れられ、結局力で敵わないことを思い知った。
「そりゃあ、悪かった……かもしれん。でもな! お前はだって、謝ることがあるだろうが!!」
「……はぁ?」
 びしっと指差されて、思いっきり間抜けに聞き返してた。
 だって、思い当たることなんてこれっぽっちもないんだもん。
 ……まぁそもそも寝起きの人間に聞くなっつー話なんだけど。
「コレだよ、コレ! お前っ、コレ洗濯したろ!!」
 テレビとか漫画とかだと、『じゃんっ』なんて効果音を背負うんじゃないかしら。
 そんな場面を目の当たりにすると、なぜか冷静に思い浮かぶ。
「……そりゃ、したけど。だって洗濯物でしょ?」
 どこから取り出したのか、目の前に現れたのは1本のジーパン。
 濃い紺色というよりはずっと水色に近くて、当たり前だけど、洗い晒し感がたっぷり。
 ……あれ……? おかしいわね。
 割と多めに柔軟剤入れたはずなんだけど。
 くどくどと何か純也が言ってるけど、私はそんなことより硬そうなジーパンのほうがずっと気になってた。
「俺がいつ、コレを洗ってくれなんて頼んだんだよ!」
「……別に言われてないけど」
 欠伸を噛み殺しながらベッドを降り、ぺたぺたと裸足でリビングへ向かう。
 その道中もご丁寧に純也はジーパンを引っ掴んだまま怒り続けてて、なんだかそこに『生真面目人間』を見た気がした。
 ……ていうか、ホントにさぁ……怒られる理由がわからないんだけど。
 だってあのジーパン、洗濯機へかけてあったのよ?
 それに、いつだって純也は自分で手洗いするときは必ず『あれは触るな』とか言うし、ちゃんと畳んで棚の上に置いてある。
 だけど、今回はそうじゃなかった。
 濡れたタオルと一緒に洗濯機へ引っかけてあったから、てっきり洗うもんだと思ったのに。
 ……ったく。
 せっかく、人が気を利かせて洗濯してやったっていうのに。
 まぁ、ひとりでじゃぶじゃぶ服とか洗ってる後ろ姿は、なんか楽しそうではあるけどね。
 みんなにも見せてやりたいわ。
 ていうか、写メとかでばら撒いたら、割と予想外の反応を得られるかもしれない。
「つーか、俺がアレをすげー大事にしてたってことくらい、お前も知ってるだろ!?」
「そりゃまぁ、知ってるわよ。うんちゃらかんちゃらのジーパンなんでしょ? それ」
「ヴィンテージだよ、ヴィンテージ!! 知ってたなら、どうして洗った!!」
「……だからー……。あーもー、しつこいわね。知ってたけど、純也が洗濯機に置いてたんじゃない。だから、てっきり洗っていいもんだと思ったのよ」
 くどくどとキッチンにまで付いて来て、説教を続ける純也に鬱陶しさを感じつつも、牛乳をコップへ注いでしっかり飲む。
 ……うま。
 やっぱり、ちょっとお高い牛乳は味わいが違う。
 コクがあって、まろやかで……んんー……おかわり! って感じよね。
 瓶のキャップをしっかり閉めてから元へ戻す。
 ――……と、相変わらず両手できっちりとジーパンを持ったまま怒ってる純也が目の前にいた。
 飽きもせず、ホントよくやるわ。
 気質なのか性格なのか知らないけど、鬱陶しさからため息が出る。
「……あーもー、うるっさいわね。ええ、ええ、洗ったわよ。洗いましたよ。で、何? それが、何か問題?」
「何、って……おまっ……! お前なぁ!!」
 袋小路じゃないけれど、行く手を阻まれたら身動きが取れない。
 だから、腕を組んで冷蔵庫にもたれる。
 どーせ、この調子じゃ何を言っても聞く耳なっしんだろうしね。
 しょーがないから、怒りが収まるまでここにいましょ。
「何じゃねぇよ! お前ッ、これッ……コレを洗濯機で洗う馬鹿がどこにいる!!」
「……馬鹿、だァ……?」
 『ここにいるわよ』と叫んでやるよりも先に、まずそこでこめかみがひくついた。
 ――……途端。
 何かを察したのか、純也が一瞬息を呑む。
 ほーほーほー。
 さすがね、と一応褒めておいてあげる。
 私がどう反応したか、この先どういう行動をするのか、ちゃーんとわかってるんだ。
 ……へぇー。
「……馬鹿、ね。ふぅん? 馬鹿。あ、そう。……言うにこと欠いて、それ言っちゃうんだ」
「いや……だから、あのな? 俺は別に、そういう意味じゃなくて――」
「へぇ? それじゃあいったいどんな意味で言ったのかしら」
「ちょ……待て。な? 待てよ、絵里。カルピスの瓶を、トントンしながらこっちへ来るのはよせ」
「あら、気づかなかったわ? いつの間にあったのかしら、コレ」
 無意識の内に掴んだのは、いつかもらったカルピスの……っていうか、今はもう空っぽなんだから『元』をつけるべきかしら。
 茶色のあの瓶を掴んだ右手と、下からじろりと見上げるようにした視線。
 びったりとその矛先を目の前の純也に定めたまま、にじり寄るように一歩一歩を着実に進めていく。
 ……遅いわよ。
 今さら、『ヤバイ』みたいな顔して、両手のひらをこちらへ見せても。
 寝起きが悪かった上に、しつこくグチグチと付きまとったこと。
 さらには、『馬鹿』呼ばわり。
 ……人の親切省みず、そんなこと口走りやがって……!
「許さん!!」
「うわ!? いや、だから待てって! つーか、ンなモン振り回すな!!」
「何よ! アンタが悪いんでしょ!?」
 ぶぅん、と空気を切る音が近くで聞こえ、身軽に逃げ回る純也を見定めながら部屋の中をばたばたと駆け回る。
 別に、本気で殴ろうなんて思っちゃいない。
 だけど、若干目にモノ見せてやろうって思ってるのは事実。
 ……だったり、する。
「バカ、よせ!!」
「っていうか! だから、誰がバカだっつーのよ!!」
「だっ、ちがっ……! 違うって! お前じゃねぇよ! これは――……なんだ、ほら! 物の弾みだ!」
「はぁ!?」
 相変わらず『瓶はよせ』みたいなことを口とジェスチャーで言われたので、仕方なくそれはテーブルへ置いてやる。
 すると、若干ながらも純也の顔に安堵の色が見えた。
 ……むか。
 そんなモンでいちいち反応してんじゃないわよ。
 私はちっとも『ほっ』なんてしてないんだから!
「だいたいねぇ!!」
「ぐっ……ぇ」
 手近にあったネクタイを取り上げ、こちらに背を向けた純也の首へと巻く。
 ほんの少しばかり、きゅっと音がしたような気がしたけど、気にはしない。
 こんなところで手を抜いたら最後、きっと絶対彼はひょいひょいと逃げ出すに決まってるから。
「くだらないのよ! ほかにはまったく頓着ないくせに、そういうトコだけ、しつこいくらい頓着するってのが!!」
 そう。
 純也は、いつだってそうだ。
 お気に入りだか大事なんだか知らないけれど、Tシャツとかジーパンとか、そういうのばっかり気にかけて。
 人の一張羅とか、“手洗い”表示のキャミなんかは、平気でがらんごろん洗っちゃうくせに。
 ……あーー、思い出したらなんか腹立ってきた。
 この前洗われたあのキャミだって、すんごい気に入ってたのに……!
 今ではもう縮んで元の風合いがすっかり失われた無残な姿が脳裏に浮かんで、いつしか彼の首を絞めている手に力がこもっていた。
「煩わしいのよ、そういう1部限定!!」
「ぐ……ぇっ……馬鹿ッ……くる、しっ」
「出てってやる……! 絶対ぜーったい、出てってやるから!!」
 怒りに我を忘れることは、割と良くある。
 でも、今回は特に頭にきた。
 さわやかな寝起きをもぎ取られ、その挙句に馬鹿呼ばわりよ?
 誰が許せるって言うのよ。
 お釈迦様だって、お天道様だって許しちゃくれないわ。

「こんな家、こっちから出てってやるわよ!!」

 今回で、いったい何度目の『家出宣言』になるだろうか。
 最後のひと締めとばかりにネクタイを絞ると、それまでバシバシ壁を叩いていた純也が、ほんのすこーし静かになったような気がした。
 ……はたして。
 それはもしかすると、“オチた”状態に含まれたんだろうか。
 手を離すと同時に崩れるみたいに座り込んだ純也を見て、ちょっぴり反省の2文字が頭をよぎった。


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