「…………」
 朝からなんとなく、ずっとぼうっとした時間が過ぎていた。
 確かに、まだ、起きてからさほど時間が経ってないっていうこともあるんだけど……そんなことが原因じゃないっていうのは自分でもわかってる。
 ……なんとなく、変なんだよね。
 今朝見た、あの……夢のせいで。
「…………」
 温かい湯気の立つ紅茶を飲みながら、隣で新聞を読んでいる彼を覗き見てみる。
 ……いつもと、一緒。
 そう。
 先生は、少なくともいつもと同じように見えた。
 ……私なんかと違って、全然どきどきしてなくって……落ち着いてて。
 いつもと、何にも変わったところなんてない。
「…………はぁ」
 彼に気付かれないように……と考えたからか、小さなため息が漏れた。
 やっぱり、こんなふうにひとりでどきどきしてるのは私だけなんだ。
 お正月だっていうのに。
 それなのに――……朝から、あんなえっちな夢を見た私だけが変なんだ。
「…………」
 今でも、もちろん覚えてる。
 ひとつひとつがあまりにもリアルで、とても……どきどきした。
 まさか、自分がえっちな夢を見るなんて、全然考えたこともなくて。
 だからこそ、実際に体験してみると……正直区別が付かなくなるほどのものだった。
 リアル。
 まさに、その言葉がぴったり。
 ぎゅって抱きしめられて、キスをしてくれて、そして――……。
「……っ……」
 情けなくも、身体がわずかに反応を見せた。
 胸の奥からなんともいえない感じが湧いてきて、身体が震える。
 ……まるで、先生に本当に……されているときみたいな。
 それくらい、リアルだった。
 唇の感触も、優しくて少し意地悪な声も。
 ……大きな手のひらも、きれいな指も………濡れた……舌も。
 まっすぐにあの深い瞳で見つめて、いつもみたいにくすっと笑って。
 そんな先生と、さっきまで、本当に……して、いたみたいな。
「………………」
 相変わらず、隣では彼がいつもと同じように、いつもと同じ顔で新聞を読んでいる。
 読み進めるに従って響く紙の擦れる音と、ニュースを読んでいるアナウンサーの声だけが響く部屋。
 ……静か。
 だからこそ、自分のこのどきどきした鼓動の音が、先生にも聞こえてしまいそうで少し怖い。
 だって、そうでしょ?
 『どうしてそんなにドキドキしてる?』なんて聞かれたら……私はなんて答えればいい?
 正直に『えっちな夢を見たから』なんて言ったら、先生が許してくれるとでも?
 ……そんなこと絶対にないっていうのは、私だって簡単に想像ができる。
 先生は、『そうなんだ』なんて笑って許してくれるような人じゃないもん。
 ……って言ったら、先生に怒られちゃいそうだけど。
「何がそんな気になる?」
「……え……?」
「人の顔チラチラ見て。……何か付いてる?」
 こちらを見ずに新聞を畳んだ彼が、くすっと笑ってから瞳を細めた。
 ……その顔。
 先生らしい、独特のもの。

 『どうせ、えっちなことでも考えてたんだろ』

 そんなふうに言いたげで、だけど、実際に口にしたりはしない。
 ……そんな、彼らしい意地悪な笑みがそこにはあった。
「……別に……そういうわけじゃ……」
「そう? ……ならいいけど」
 しどろもどろ言葉に詰まりながら緩く首を振るものの――……あ……れ?
「え……?」
「ん?」
「……あの……えっと……え? それで……おしまいですか?」
「何が?」
 今、彼は普通に『あ、そう』とだけ呟いた。
 ……おかしい。
 ここでようやく、“いつもと違う彼”の姿に気づく。
 いつもの先生だったら、こんなふうにあっさりうなずいてそれ以上詮索しないなんてこと……ほとんどない。
 たとえ口では『そう』と言っても、態度や表情はそんなこと微塵も思ってないって感じなのに……。
 それなのに、今の彼は違った。
 畳んだ新聞をテーブルに置きながら『そう』と言って、こちらから視線を外したのだ。
 いつもみたいに……意地悪な笑顔で顔を近づけるでもなく、手を出すでも……なく。
「……どうした? そんな顔して」
「あ……う、ううん。……なんでもないです」
 思わず唇に触れたまま見ていたら、彼が不思議そうな顔を見せた。
 ……ヘンなの。
 あ。ううん、むしろこのほうが……きっと普通なんだとは思う。
 だけど……。
「…………」
 ソファにもたれるようにしながらテレビを見始めた彼に、また、視線が向いた。
 ……いつもと同じ顔……なのに。
 それなのに、どうしてこんなに不思議な感じがするんだろう。
 ただ、いつもと違って、彼が“すんなりと引いた”だけなのに。
 ……私が、意地悪な先生に慣れすぎちゃったのかな。
 なんて、彼が聞いたら絶対に何か言うであろうことが、ふと頭に浮かんだ。


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