「いい!? あんたたち、今年は絶対に優勝するわよ!!」
「はいっ!!」
 朝。
 3年2組の教室には、日永京子の気合のこもった声が響いた。
 本日は、1日を使っての毎年恒例冬女スポーツ大会が開催されようとしていた。
 やたらと生徒たちが気合を入れるのは、もちろんのこと。
 なぜならば、勝った暁にはそのクラスに景品が出ることになっているためだ。
 ……といっても大した物ではなく、図書券が限度であるが。
 しかし、今年の日永は違っていた。

「優勝したら、全員焼肉連れてってあげるわ!!」

 生徒たちの前で、そう断言したのである。
 なぜならば……そう。
 今年、彼女にはどうしても負けたくない人物がいたからだ。
 それは、3年5組担任の伊藤敦子(いとう あつこ)
 彼女は体育科の教師であり、ライバル心が強くて有名。
 それだけならば、いつもの日永は気にもしない。
 だが、今年ばかりはどうしても彼女に勝ちたい理由ができてしまったのだから、仕方がない。
 ――……あれは、先日の中間テストでのことだ。
 毎回、クラス平均と学年平均を出すのだが、僅差で今回5組に2組が負けたのである。
 それでも、気にしない……それが、日永のやり方。
 しかぁーし。
「残念でしたねー、2組は。でもまぁ、うちのクラスの子たちはみんな、がんばってましたから」
 せせら笑うように隣で呟かれ、たまらず彼女を見返したものの、体格では彼女の方が上。
 ……体力では勝てない。
 そう思ったその日から、日永は変わった。
 といっても、これまで何かと目の敵にしていたのは変わっていないが。
「いい!? 気合入れていきなさい! 特に、バスケとサッカー!! 相手を弾き飛ばすくらいの勢いでね! ファウル取られなければいいんだから!!」
「……先生、無茶だよぉ」
「無茶じゃないッ! あんたたちならできる!!」
 げんなりといった顔を見せたバスケ選択の子を集めては、ばしばしと肩を叩いて教師らしからぬ危うい発言を繰り返す。
 だが、それはバスケだけには留まらなかった。
 バスケが終わったら、次はバレー、その次は……といった具合に、結局すべてのチームに気合を入れ始めた。
「……っとに気合入ってるわね、先生」
「うん」
 そんな姿を遠くから見守っているのは、羽織と絵里。
 彼女らは、バドミントンを選択していた。
 今回、2組のバドミントン代表は4名。
 第1及び第2体育館がそれぞれバレーとバスケで使用されるため、バドミントンは外での試合になっている。
 だが、校庭も半分はサッカーがハーフコートで試合を行うので、バドミントンで使えるコートは4つ。
 クラスは全部で8クラスあるため、試合をしている時間よりもほかの競技の応援や休憩に回っているほうがどうしても多くなるだろう。
「でもま、出るからには勝ちたいわよね」
「だねー」
 頬杖をつきながら不敵な笑みを見せた絵里に羽織も笑みを浮かべると、その机に日永が姿を現した。
「いい? ふたりとも! バドは頼んだわよ!」
「あ、はい」
「がんばります」
「えぇい、気合が足りない!! 相手を眼でヤるくらいの勢いでやるのよ!!」
「……は、はぁ」
「あはは」
 両手でガッツポーズを見せられ、思わず苦笑が浮かぶ。
 だが、なんだかんだいって日永も楽しそうなので、まぁいいとしよう。
「先生もがんばってくださいね」
「もちろんよ!! みんな、しっかり応援してちょうだいね!」
「はぁーい」
 教卓に戻った日永に委員長が声をかけると、にっこりとした満面の笑みを見せた。
 ――……そう。
 このスポーツ大会では、すべての試合が終わったあとで担任対抗のスポーツが行われるのだ。
 そして、それにはクラス全員で応援に駆けつけるという、いわば昔からの伝統のような物があった。
 ……まぁ、それ自体も少し変わっているといえば変わっているのだが、それはまたのちほど。
「よしっ! それじゃあ、起立!!」
 チャイムが響いたところで日永が声をあげると、一斉に椅子を鳴らして生徒たちが立ち上がる。
 すると、全員が起立したのを見てから、ふと思い出したように彼女が顔を上げた。
「今回、瀬尋先生は敵だからね! どのスポーツで当たっても、容赦せずにぶちのめすこと!! いい!?」
「わかりましたー」
「がんばりまーす」
 日永の声で絵里が羽織のわき腹をつつくと、彼女も苦笑を浮かべていた。
 彼女の言うとおり、毎年副担任はクラスとは別に行動している。
 教師側でもチームを組み、それぞれのスポーツに最終メンバーとして参加してくるからだ。
 ……これが、結構クセモノなのである。
「よしっ! それじゃあ、行くわよーー!!」
「おー!!」
 日永が片手を天井に向けて突き上げると、それに習うように生徒たちも声と腕を張りあげた。
 いよいよ始まった、冬女スポーツ大会。
 天気も良好で、言うことないスタートをそれぞれが切ったのだった。

「あ、しーちゃん。おはよー」
「あー、羽織ちゃんっ。それに絵里ちゃんも。おはよう」
「詩織もバドなの?」
「うんっ」
 相変わらずほわほわとした笑顔でうなずいた詩織が、頭に当てた黄色のハチマキを結び始める。
 それを見て、羽織と絵里もまだハチマキをしていなかったことに気付き、互いに見合わせてから巻き始めた。
 スポーツ大会では、それぞれのクラスが色別になっており、それは学年を通じて同じだった。
 今回、2組の色は白。
 そのハチマキを、絵里と羽織は首にくるくるとチョーカーのように巻いて済ませた。
「でも、詩織。大丈夫なのー?」
「え?」
 いたずらっぽい絵里の笑みに瞳を丸くした詩織が、口元に手を当てる。
 この仕草を見たら、昭はどれほど緩んだ顔を見せるだろう。
「転んだりしないでね?」
「あはは。大丈夫だよー。もー、絵里ちゃんってば」
 ないない、とばかりに手を振って否定してから苦笑を浮かべると、離れた場所から彼女と同じ5組の子が声をかけてきた。
 いつもは友人でも、この日ばかりはライバル。
 いつまでも仲良くおしゃべりしてはいられないのが、つらいところか。
「それじゃあ、がんばろうねっ」
「うん! またねー」
「気をつけなさいよー」
 にっこり笑って手を振る彼女に絵里と羽織も同じく手を振ってから……ふと、顔を見合わせる。
「山中先生、あの姿見たら襲うわね」
「……絵里。言いすぎ」
 だが、絵里の言葉は羽織とて少しわかる気がしていた。
 冬女でも、ブルマはとうに廃止になっている。
 だが、変わりに導入されたのは結構短めのショートパンツで。
 だからこそ、角度によると、若干……。
「詩織、真面目に腰で履いてるもんね」
「それが、しーちゃんのいいところでしょ?」
「まぁそうなんだけどさ」
 絵里が言うように、きっちりと腰でそれを履くと、かなり短い。
 そのためほとんどの生徒は若干腰よりも下で履いて難を逃れているのだ。
 体育の授業担当教師が女性ならばいいものの、男性だとやはり気分はよくない。
 ……特に、不人気をダントツで集めている男性教師、内山の場合は特に。
「さて。んじゃま、行きますか」
「はーい。がんばろうね」
「もちろん! 焼肉奢ってもらわなくちゃ」
「あはは。私はあの焼肉屋のプリンだけでも満足だけど」
「……あのね。焼肉食べに行って肉食べないでどうするのよ」
「やっぱり?」
 そんなやり取りをしながらコートに向かうと、黒板に大きく張り出されたトーナメント表が目に入った。
 今回、バドミントンはふたつのコートでそれぞれ優勝者が決まる。
 クラスの2チームをA・Bとし、競っていくトーナメント式。
 詩織はBチームのほうに名前があり、羽織と絵里のチームはAチームに属されているため対戦する機会はなさそうだった。
 それを見て、羽織は小さく安堵のため息を漏らす。
 やはり、いくら詩織がライバルである5組と言っても、悲しい顔を見ないで済むならそれがいい。
 ……というのもあったが、実は理由はそれだけじゃなかった。
 今回、バドミントンの審判に当たっているのが、明だから、である。
 パイプ椅子に座ってほかの教師と話し込んでいる彼がすぐそこにいるが、視線の先には詩織がいて。
 ほかの男性教師が彼女に話しかけようものなら、『先生バレます!』と思えるほどのキツい視線を送っている。
 ……よかった。
 もし詩織と対戦してこちらが勝とうものならば、えらい勢いで怒られるかもしれない。
 ある意味知人になってしまった現在の立場を考えると、それは少々キツかった。
 明のただならぬ雰囲気を絵里も感じ取ったらしく、羽織と目が合うと苦笑を浮かべてみせた。
「んじゃ、ほかの子たちでも見に行きましょ」
「うん」
 コートが4面しかないので、3年の試合が行われるのは後半。
 トーナメント表を確認し、ほかのスポーツへの応援及び観戦へとすんなり足を向けた。

 広い空間に響き渡る、笛の音。
 体育教師が使う、あの銀のホイッスルの高い音だ。
 第1体育館は、様々な式典で使われるために広く大きく……そして若干古さが目立つ。
 だが、この第2体育館は規模こそ小さいものの、できたばかりで床も壁も新しい。
 そんな、この体育館では今、コートを半分ずつに仕切ってバレーの試合が行われていた。
「線、踏んでたよな? 今」
「えぇー!? 先生、厳しいよー」
「厳しくないって。ほら、2組ー」
 笛をくるくる回しながら純也が声をかけると、生徒がひとり彼へと歩み寄ってきた。
「じゃ、サーブ」
「はーい」
 渋々彼の判定にうなずいた生徒が、位置につく。
 そして、先ほどとは違う小さく短い笛の音でボールが相手コートへ入ると、生徒たちの声とともに高く上がった。
「……瀬尋先生。点入ってますよ」
「え」
 ぴしり、と指摘したのはいつの間にきていたのか、絵里だった。
 羽織はといえば、彼女の隣でくすくすと笑っている。
 指摘され、慌てて点数を変えると、呆れられるように絵里が小さくため息をついた。
 バレーは3年の試合から始まっており、現在こちらのコートでは1組と2組が競っている。
 主審を純也が務め、ラインズマンには3組の生徒がついているのだが……。
「バレーって、よくわかんないんだよな」
「ちょっと、先生。もっと真剣にやってよ。自分のクラスでしょ!」
「……いや、そうなんだけどさ」
 点数盤へもたれるように祐恭が呟くと、同じく点数を担当している3組の生徒が絵里の言葉に苦笑を漏らした。
 正直言って、バレーはときどきテレビで見る程度。
 高校のときも体育の選択種目はバスケだったことが多いせいか、どうもしっくりこない。
 そのため、ルールをよくわからないままで点数係をやっているのだが、むしろ生徒らに言われて点を入れる……というスタイルがすでに定着しつつあった。


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