「……マズい」
「っ……ひどい……そんな……純也ってば、ひどいぃ……!!」
 ずずっとスープを飲んだ純也に渋い顔で目を逸らされ、握った両手のコブシを顎に当てる。
「ひどいっ……! そんなぁっ……純也なら、そんなこと言わないって思ったのに……!」
「……オイ、絵里」
「ふぇ……! うぅ……ひどい……ッ……!」
 よろよろっと後ずさって、わざとらしく首を振ってみる。
 だけどやっぱり、何か“異物”でも見るような目をした冷たい純也は、微動だにすることなく私にため息をついた。
「うわーん! 羽織ぃ!」
「……よしよし、泣かないの。……もー、ひどい――……わよ、田代先生ってば」
 べたぁっとすぐ後ろに待機していた羽織へ抱きつくと、困ったように私を見つめてから、視線を宙へ飛ばしてうんうんとうなずいた。
 ……よし。その意気よ。
 ここまで来たんだから、くじけちゃだめ。……いいわね?
 ほんの少し『どうしよう』なんてふうに眉を寄せた羽織へ瞳を細めると、1度瞳を閉じてから、ため息を漏らした。
「でしょでしょ!? ひどいよね! 純也、鬼よね!」
「鬼っ!? え……えっと…………こほん。……うん、鬼」
「ッ……! ごほっ!?」
「んなっ……!」
 『鬼』という言葉でさすがに素へ戻りかけたけれど、やっぱり羽織はやればできる子だった。
 ……うん。
 私の目に狂いはない。
 それと――……まぁ、この準備室へ入る前にかけた“呪文”のせいかもしれないけれどね。
 でも、どうやら純也と祐恭先生もこんな羽織の姿に驚いたらしく、ただただ目を見張って私たちを見つめた。
「うわーい! 羽織大好きー」
「っ……もー、絵里ってばしょうがないわねー」
「えへー」
 首に腕を絡めてにんまりと笑うと、いつしか自然に『毒づいた笑み』へと変わっていた。
 背後というか、背中にこうひしひしと感じるふたりの視線。
 いいのいいの。なんとでも言って。
 だけど私たちは、当分この“取り替えっこ”やめたりしないから。
 そう、誓ったんだもん。
「……ねぇ、絵里」
「何よ」
「あの……さ。……いつまでこんなことするの?」
「馬鹿ね。今日1日はずっとだって言ってるでしょ?」
「……ぅー……でも……」
「何よ、忘れたの? 祐恭先生が『行動力のある、物事をずばずば言う子がタイプだ』って言ったこと」
「っ……それは……そうだけど」
「なら、やめちゃだめ」
「……うぅ……でも、やっぱりその……なんか違うっていうか、あの……」
「いーから! とにかく、もう少しそのままでいなさい!」
 ぎゅっと抱きしめたままでぼそぼそと呟き、最後にもう1度念を押しておく。
 すると、渋々といった感じこそいなめなかったものの、小さな声で『わかった』とうなずいた。
「……こほん。絵里の作ったスープ、おいしいわよね? ふたりともひどすぎ」
 ふ。
 まぁ、なかなか……いいんじゃない?
 ある意味、サマになってるわよ。その口調。
 今の私たちが繰り返しているコレは、きっとほかの人にしてみれば確かに滑稽でしかないとは思う。
 だけど、重要っちゃあ重要なのよ。
 だってこの前、ふたりがこそこそと“萌えバトン”とかいうモノについて話しているの聞いちゃったんだから。
 それによると、どうやら純也の好きなタイプは“大人しい子”で祐恭先生の好きなタイプは“行動力のあるしっかりした子”だとか。
 ……でね?
 思ったわけよ。

 あ、もしかして私と羽織を取り替えっこしたら、ちょうどいい具合になるんじゃないの?

 ……ってね。
 それでまぁ、1度は収まりかけた芝居染みたことだったんだけど、またふたりでやることにしたのだ。
 羽織もやっぱり、祐恭先生がそんなこと言ってたって聞いたら気になったらしくて。
「でしょ!? ひどいよねー。せっかく私が苦労して、葉月ちゃんに飲ませてもらったヤツを復元したっていうのに……」
「え。……あれ、葉月のスープのつもりだったの……?」
「そうよ? ……あら、何よ。羽織までケチつけるつもり?」
「……いや、あの……そういうわけじゃないけど……」
「じゃあどういうつもりよ」

「「すとーっぷ」」

「っわ!?」
「きゃ!?」
 大きな声で演じていたら、いきなり横から出てきた手に引き離された。
 今は昼休みの半ばなので、ほかの先生方の姿はない。
 ……だからまぁ、私たちもこんなことしてられるんだけど。
「……あのな。お前は、なんでそーやって羽織ちゃんを巻き込むんだよ」
「あら。別に巻き込んでなくてよ? ねぇ、羽織?」
「うん」
「……え。そうなの?」
「…………です」
 ぐいっと首に腕を巻いた純也を下から睨むと、目の前の羽織が小さくうなずいた。
 そんな羽織を見て驚いたのは、もちろん彼女の肩を抱いている祐恭先生も同じ。
 途端、彼は顔を覗き込むように正面を向かせる。
「……なんで?」
「っ……だって……あの……」
 そこで羽織は、困ったように私を見つめてきた。
 ……んー……どうしよっかな。
 ホントのこと言ってあげてもいいけど、なんか――……それってつまんないじゃない?
「っわ!」
「いじょー、羽織と絵里のぷち劇場でしたー」
 だから、祐恭先生に捕まっていた彼女の手を引いて、ふたりでここから逃亡を図ってしまうことにした。
「なっ……」
「……え!?」
「ばははーい」
 あっけに取られて一瞬動けなかったふたりを残し、そのままの勢いで準備室のドアをくぐる。
 そのときにふと振り返ってみると、ようやく事態を把握したらしく、ふたりが慌てた様子で入り口まで走ってきた。
「っ……おい! 絵里!!」
「羽織ちゃんっ!?」
「まったねー」
「あ、あっ、絵里! 待ってってば!」
「ほらー! 走る走る!」
「絵里ぃっ!?」
 誰もいない廊下に響く、私たちの駆ける足音と後ろから聞こえるそれぞれの彼氏の声。
 ……うん。
 これって、状況を知らない人にしてみれば『?』なんだろうけど、張本人にしてみればとってもとってもオイシイ状況なんじゃないだろうか。
 ……なんてね。
 ちょっとだけ、おかしくて笑いが浮かんだ。
「まっ、所詮はその程度ってことー」
「な……にがっ……?」
「だから! 必ずしも、“好み”イコール“惚れる”にはならないってことよ!」
 勢いを緩めないまま大きな声で叫び、ぎゅっと繋いだ手を握る。
 すると、しばらくしてから羽織らしい大きな声が聞こえた。

「うんっ!」

 きっと、このときの羽織はすごくすごくかわいい笑顔だっただろう。
 それは容易に想像がつく。
 ……だからね、わかったの。
 純也がいくら羽織のことを『かわいい』って言っても、どんなに褒め称えたとしても、彼は絶対に羽織を好きにはならないって。
 …………いや、悪い意味じゃなくてね?
 そうじゃなくて、あくまでも“恋愛対象としては”ってことよ?
 ことあるごとにきっとこれからも『羽織ちゃんなら……』って引き合いに出すだろうし、純也自身が羽織のことをよく思ってるってこともちゃんとわかってるから。
 それに――……まぁ、祐恭センセイもなんだかんだ言って私のこと嫌ってるわけじゃないみたいだし?
「……っ…わ!」
 きゅっと一瞬足を止めて、渡り廊下へ曲がるときに準備室を振り返ってみる。
 すると、案の定そこには腕を組んだままこちらを見つめている、ふたりの白衣を着た教師が居た。
「ねっ!」
 ふっと浮かんだ笑みのまま、タンッと軽くジャンプして渡り廊下へ飛び込む。
 すると、羽織も慌てて同じようにジャンプして隣へ並んだ。
 ……馬鹿だなぁ。
 どうして、この子に嫉妬なんてしたんだろう。
 羽織は羽織で、私は私で。
 それぞれの彼氏は、それを承知の上でそばにいるっていうのに。
「ごめんっ」
「……え?」
「なんでもなーい」
「えー? どうしたの?」
「んーん。ナイショです」
「……もぅ。絵里ってば!」
 足を止めてからくるっと羽織に身体ごと向き直り、ぺこっと頭を下げる。
 すると、当然のようにワケがわかってない羽織は瞳を丸くした。
 ……いいの。なんでもないんだから。
 ただちょっとだけ、自分に自信が持ててなかっただけだから。
 でも――……。
「っわ!?」
「かわいいヤツめ」
「もぅ。どうしたの? 絵里ってばー」
「だから、なんでもないってばー!」
「あはは。……もぉー」
 羽織を見ていて、わかった気がしたの。
 いつも私に相談してくる、『彼に対する不安な気持ち』っていうモノが、ほんの少しだけ。
 それで、ちょっとだけ自分に安心することができた。
 ああ、私もなんてことない彼氏のことで一喜一憂するただの女子高生でしかないんだなーって。
 周りからなんて言われても、そのことで“自分”が変わることはない。
 だけど、多かれ少なかれそのことに対する反応は出てくる。
 ……でも、それでいいんだって。
 それが普通なんだって思ったら……安心できた。
 余計な力が、身体から抜けた気がした。
「ほーらー。行くわよ!」
「あっ! ……もー。待ってってば!」
「待ちません!」
「もぅ! 絵里ってばぁ!」
「早く来なさいよ!」
 けらけら笑ってすごせる時間は、多いほうがいいに決まってる。
 悩んだって始まらない。
 悩んでるなら、確かめたい。
 そういう性分だから――……仕方ないわよね。
「ねっ!」
 なんのことへかも、誰に対するモノなのかさえもわからない。
 だけど、そういって念を押した私の顔には、はっきりと笑みが浮かんでいた。


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