「たとえばもし、今から別の仕事をするとしたら何を選ぶと思う?」
 ふいに聞こえたセリフに、自分だったらの“If”を思う。
 小さいころなりたかったのは、どんな夢だったか。
 テレビで活躍を目にするような、警察官や消防士といった人命に尽くす仕事だったか。
 それとも、命の最前線で自己研鑽を常とする医師をはじめとする、医療関係者だったか。
 もっとも身近な職業そのものであった、先生だったか。
 ケーキ屋さん、お花屋さん、八百屋さん、肉屋さん、魚屋さんといった生活に根差す人々だったか。
 はたまた、宇宙飛行士のように、幼いころでさえ“特別な人がなる”と無意識のうちに刷り込まれるような仕事だったか。
「…………」
 仕事っていろいろあるな。
 何気なく手にしたのは、たまたま立ち寄ったカフェに置かれていた無料の求人雑誌。
 人の数だけ仕事はあって、自分が知らない職種のほうがよほど世の中多く存在しているだろう。
 そういえばこの間は、鷹匠や伝統工芸士の特番もあった。
 人がいるから、仕事が生まれるのか。はたまたその逆なのか。
 なんにせよ、自分一人でできることなど限られていて、誰かのおかげで今の時間が賄えているのだから、日々当たり前と思うのではなくどんなことにも感謝しろと言っていた親の言葉もあながち間違ってないんだろうな。
「お仕事をお探しですか?」
 自ら手に取ったのは、どうしてだったか。
 仕事を探しているわけでもないのに、街角でよくみかけるような、求人雑誌を開いたところで、いるはずのない対面の席から声が聞こえた。
 今日ここには、連れ合いときてはいない。
 なんせ、たまたま立ち寄っただけの場所で、日常とは大きくかけ離れているんだから。
「……え」
「今の仕事に満足してないわけじゃない。でも、ほんの数日体験できるなら、それも味わってみたい。そんなところ?」
 まるで女子高生のようないでたち。
 彼女はにこりと笑うと、こちらが手にしていた雑誌の一か所を指さす。
 そこにあったのは、なんの仕事だったか。
 確かめようとしたわけじゃないものの、きれいな形の爪に視線が落ちるのと同時に、印字されている無機質な文字へ視線が落ちた。

「たとえば世界がひとつの町だったとして。自分はどんな仕事をしてると思う?」

 聞こえたのは、柔らかな声。
 初めて聞くはずなのに、なぜか懐かしい気がした。
 ……ってこれ、どこかの歌詞にあったっけ。


「貸出期間は2週間になります」
 にこやかに本を差し出すと、学生は“はあ”とも“ええ”ともいえない返事で本を手にした。
 いつもと変わらない景色。
 ただしそれは、自分がいつも“あちら側”で見ている世界と冠をつければの話。
 まさか自分が“こちら側”になるとは思わなかった。
 ああ、小学生のときはあったな。
 たいして本なんて読まなかったくせに、人気があるとか、なりたくてもなれないと聞いて、勝ち心がうずいたせいで立候補した図書委員を経験したときに。
 普段足を踏み入れない場所だけに、正直意外な世界だった。
 誰もかれもが本を開いて、ある者はひとりで、ある者は友人と1冊の本を眺める。
 もちろん、隣同士で座っているのに違う本を読んでいる者もいて、ああここはみんなそれぞれが自由に好きな時間を自分のペースで過ごせるんだな、とカウンターの内側から眺めて初めて気づいた気がする。
 休み時間は、どんなに短くても校庭へダッシュで向かったし、雨が降れば文句をたれた。
 だから、自分にとって図書室は縁がない場所だったからこそ、図書室で過ごす面々を間近で見たのも初めてなら、ああ意外と悪くないんじゃんなんて子ども心に気づいた、いい機会を得られたのは間違いない場所。
 そのせいか。
 こんなふうにカウンターのこっち側から、あちら側の世界を眺めていたら、なんか普段とは違う時間を過ごしてるなと感じられて楽しい。
「いや、仕事しろよ」
「ん?」
「お前なんのためにここ来たんだ」
 まじまじとすぐそこを行きかう学生を眺めていたら、軽い音とともに頭の上へ書類の束が置かれた。
「体験学習?」
「いや、それは子どもの話だろ。お前は仕事」
「俺のことお前とか呼んだら、子どもはびっくりすんぜ?」
「んじゃ、ちゃんと見てない場所でやってるから問題ねぇな」
 紙を受け取ると、“図書館のお仕事”が書かれていた。
 猫とウサギの、なんともかわいらしいイラスト付き。
「お前……こんな才能」
「さすがにねぇよ」
 ある種の弱みを握った気がしてほくほくしたものの、案の定なひとことがきた。
 印刷用には向かねぇし。
 ぽつりと聞こえたひと言で、今後改めてほじってみようとは思ったが。
「鷹塚せんせー」
「お」
 うちのクラスのふたりの子どもたちが、嬉しそうなだけでなくどこか誇らしげな顔つきで戻ってきた。
 普段とは違い、エプロンをつけ大事そうに本を抱えている。
「ふたりとも、とっても賢いんですよ。一度お願いしたこと、すぐにしてもらえてとても助かりました」
「それは、教え方がうまいからだと思いますよ。ありがとうございます」
 今回担当してくださる司書の野上さんを見ると、まんざらでもなさげな笑みを浮かべていた。
 素直な人だなーと孝之に言ったら、なんともいえない顔してたっけな。
 あれはなんだ。ひょっとして元カノかなんかか?
 それこそ、現彼女とはまるでタイプが違うが、さっきやり取りしていた様子を見ると、まあまあ仲良さそうでもあるし。
 ……あ、待った。どっちかっつーとあれ、彼氏彼女じゃなくて俺とこいつみてーなやりとりだわ。
 てことは、彼女ってセンはナシだな。
 危うくヘタこいて舌打ちされるとこだった。
「先生、図書館やばいよ。すごい楽しい」
「学校にもある本があったの! 大学生も絵本読むんだってー」
「へえ。十分にメモも取れてるみたいだし、帰ったら新聞楽しみにしてるよ」
 きらきらした顔で報告を受け、改めて“先生”って楽しいなと思った。
 が、こうして窓口対応するのも楽しい。
 てことはあれか。俺、単に人と接するのが楽しいってことなのかも。
 そして、意外ってほどでもないが、対人スキルが高い自負あるからこそ、ある意味どんな職場でも突然バイト体験しつつ生計立てろって言われてもなんとなく生きられそうだなと、ちょっとだけ安心もした。

「生まれ変わったら、どんな仕事をしていたい?」

 ふいに、朝方見た夢を思い出す。
 ああそうか、俺はやっぱり人が好きなんだ。
 昨日遅くまでかかった緊急会議のせいで、人を嫌いになった。
 もちろん、相手が悪いわけじゃない。もちろん俺が悪いわけでもない。
 ただ、ど正論言ってりゃ物事が進むと思っているアイツが癪に触っただけ。
 正しいことをするのも、法律を守るのも、人のためになることを選ぶことも、子どもの最善の利益をとることももちろん当たり前だろう。
 でも。
 どうにもならないこともあるし、人が人と接するからこそ、そううまくいかないものもある。
 道理はわかってる。でも、ほしいのはそれじゃない。
 鈴付ける必要あるのは誰にだってわかってるし、会議するまでもないんだよ。
 でも、大事なのは“誰が”するかじゃん。
 教員だけじゃない、保護者だけじゃない、いろんな多職種の人間だけじゃない。
 家族だって、親族だって、貴重なリソースなのに。
 そしてもちろん、主体は子どもであるべきで。
 その子にとってどうか、じゃないのか。
 散々の文句を飲み込んだ結果か、会議が終わって談笑する面々を見ることもできず、改めて自分の弱さと力のなさにがっかりした。
 そう。がっかりしたんだ。俺は、俺に。
 なんにもできなくて、ちっぽけで、ええかっこしいで。
 ……教員向いてないのかも、なんて思ったことはこれまでも何度もある。
 だが、ここで歯を食いしばって生きる以外の道を選んでこなかったということは、きっとそういうことなんだろう。
 責任を取ることは、その現場から“いちぬけた”をすることじゃない。
 頭下げて、文句言われ続けても、その人たちから逃げずに一緒に進むこと。
「……どうした? 急に真面目な顔して」
「失礼だな。俺はいつだって真面目なんだよ」
「知らなかった」
「奇遇だな。俺も同じことをお前に思った」
 昨日の場面が頭に浮かんでいてか、孝之相手にうっかり仕事の顔をしていたらしい。
 うるせえよと言いながら舌打ちが聞こえ、今朝までは出せなかった、いつもの俺らしく、へらりと笑う。
 やるしかねぇんだわ、人生。
 俺は俺に期待しながら、もう少し俺のために生きるしかないんだから。
 後悔しないために今、生きてる。
 自分を納得させるために、毎回自分で選択を繰り返しながら。
 

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