「すごい車の数ですね」
「まったくだ」
 どこまでも広がっている錯覚に陥りそうな平面の駐車場には、他県ナンバーの車がずらりと並んでいた。
 そこに並ぶ、“湘南”ナンバーの白のシルビア。
 天気がよかったこともあって、日の光を受けた白が眩しい。
「どうした?」
「あ、いえ。……きれいだな、と思って」
 フロントに回って彼を待っていたら、すぐ隣に並んでから私と同じように車を見つめた。
 ここ数日は天気もいい。
 それもあってか、曇りのないボンネットが、空を映している。
「場違いな感じするよな」
「え?」
「このごっついシルビアが、テーマパークだぜ? 不釣合いな感じするだろ」
 小さく笑って私の手を引いた彼が、歩き始めた。
 不釣合い……なんてことはないと思うけれど、でも、意外な感じはたしかにするかもしれない。
「じゃあ、2台で来ればよかったですね」
「2台?」
 手を握り返し、彼のすぐ隣へ並びなおす。
 すると、気づいてくれた彼がまた笑った。
「たしかにな。黒エボとシルビアが並んでたら、結構……いや、かなりの迫力じゃねーか? どこ走りに行くんだっつー話で」
「ですよね」
 楽しそうに笑う彼を見ながら、私も同じように笑う。
 一緒にいられる時間は、やっぱり大好き。
 楽しくてたまらない、貴重なものだ。
「瑞穂の場合はそれが半分以上冗談だってわかるけど、知り合いにひとり、本気なんだか冗談なんだかわかんねー人間がいるんだよ」
「お知り合いに、ですか?」
「そーそ。今はだいぶわかるようになったんだが、昔はな……それこそ、ガキのころなんて全部本気で言ってるんじゃないかと思うくらい、妙な迫力と説得力があった」
 無駄に。
 懐かしむように宙へ視線を飛ばした彼の横顔を見ながら、つい笑みが漏れた。
 だって、壮士さんの顔、まるで小さい男の子みたいなんだもん。
 本当に懐かしんでいる顔。
 きっと、その人のことが好きなんだろうなと思う。
 だから……どうか、男の人でありますように。
 心の中で、小さくそんな付け足しをしてしまう自分は、やっぱりいまいち自信が持てていないんだなとわかった。
「俺のハトコなんだけどな」
「ハトコさんですか?」
「そーそ。なんか、ウチの家系ってやたら親族仲いいんだよな」
 壮士さんのご両親は知っているけれど、さすがにご親戚の方までは知らない。
 私はまだまだ知らないことが多いけれど、きっと、自分で考えている以上に彼のことを知らないんだろうな。
 だから、ひとつずつ知りたいと思う。
 どうかそれが、我侭だと思われてしまいませんように。
「でも、すごいですね。ここのチケット、取れないって有名なのに」
「いや……まぁなんだ。そうだな、あー……と、ほら。共済関係? とかでさ、コネがあんだよ」
 もしかして、聞いてはいけないことに触れてしまったのかもしれない。
 一瞬、繋いでいた彼の手がぴくりと反応し、声が上ずって聞こえた。
 ふ、と彼の顔を見上げてみると、やはり視線をあちらこちらへ飛ばしていて。
 小さな咳払いのあと目が合い、『まぁ、貰いモンなんだけどな』と言葉を濁した。
「っと……さすがに空いてんな」
 入場ゲートまでやってくると、そこは大きな鍵穴つきの扉になっていた。
 赤と金で装飾されたドアを見ていると、まるでおとぎ話の中に入り込んでしまったかのような錯覚に陥る。
 ……こんなふうになってるんだ。
 このテーマパークは、ほとんど情報を公開しないままオープンしたため、情報誌などに載っているのはどれもこれも同じようなことばかり。
 実際、公開されている園内の写真などもごく僅か、  だからこそ、人の興味をかきたてる。
 いわゆる“人の心理”をくすぐる上手な経営だなぁ、と素直に思った。
「どーぞ?」
「あ。ありがとうございます」
 まじまじと扉を見つめていたら、彼がチケットを渡してくれた。
 赤と白を基調としたデザインのチケット。
 紙自体もこだわりがあるようで、つるつるしたいわゆる一般的なチケットとは少し違っていた。
「いらっしゃいませ。アリスの国へようこそ」
 受け付けの女性が着ているのは、先日花山先生に見せてもらった情報誌に載っていた服と同じもの。
 まるでメイド服のようなゴシック調のワンピースは、素直にかわいいと思う。
「どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「……あ」
「入り口は男女別、か」
 開かれた大きな扉の先には、小さな扉がふたつ並んでいた。
 立っていたスタッフが扉を開けてくれるものの、どうやら……ここでしばらくのお別れとなるらしい。
 ……中はどうなってるんだろう。
 真っ白い絨毯がまっすぐ伸びている先は、少しいくと折れ曲がっており、直接は見えないようになっていた。
「じゃあ、またあとでな」
「はい」
 繋いでいた手が離れる。
 でも、どうしてもそれが名残惜しくて、つい指先だけが最後まで残った。
「……すぐ会えるだろ?」
「です、ね」
 どうやらよほど情けない顔でもしていたらしく、彼が離した手で頭を撫でてくれた。
 まるで子どもだ。
 ……うん。もっと、しっかりしなくちゃいけない。
 だって私はもう、昔――彼の教え子だったころとは違って、“彼女”なんだから。
「またあとで」
「じゃあな」
 笑ってから頷き、スタッフに案内されるままに扉の奥へと向かう。
 この先に何があるんだろう。
 どきどきと、わくわくと……ちょっぴりの不安と。
 いろんな感情が混じりあって、壁にあった鏡を見ると、なんとも情けない自分が映っていた。
「っ……」
 角を曲がったところには、ずらりと幾つものドアが並んでいた。
 不思議な光景。
 ……ああ、そういえば学生のころ、音楽棟にあったピアノ練習室はこんな感じに幾つも部屋があったっけ。
「では、こちらにどうぞ」
「あ。ありがとうございます」
 そのうちの、ひとつ。
 右手から3番目の木のドアを開いてくれた彼女に従う。
 ……と。
 そこには色違いのチェストがふたつと、姿見、ハンガー掛けなどがあり、さながら更衣室のようになっていた。
「こちらに本日のお召し物が入っておりますので、どうぞそちらにお召し替えください」
「え?」
「当テーマパークは、不思議の国のアリスに出てくる登場人物のコスプレをして入園していただくことになっております。似たような格好をしている人がたくさんいらっしゃいますので、恥ずかしくないですよ」
 にっこり微笑みながら、片手で示されたチェストと、手渡された鍵。
 かくも当然のことを申しあげております、とばかりの顔で見られ、ぱちぱちとまばたきをしながら同じようについ首を傾げてしまった。
「……え、ええと、あの。コスプレ、ですか?」
「さようでございます」
 にこにっこり。
 またもや邪気のない笑みを返され、思わず喉が鳴る。
「何かわからないことがありましたら、扉の前で控えておりますのでいつでもお声かけください」
「は……は、い」
「では失礼いたします」
 人間、やはりまったくブレない態度をとっている人の前では弱いものなんだと思う。
 ……どうしよう。
 え、ええと、着替えなきゃいけないんだよね? とりあえず。
 …………コスプレ。
 まさか、そんな仕様があっただなんて、まったく知らなかった。
「……っ」
 と、いうことは。
 もしかして、あの……ええと、これって……男女問わず、なのかな?
 だとしたら今ごろ、壮士さんも同じような説明を受けているのだろうか。
「………………」
 壮士さんも、コスプレ。
 だとしたら、一体どんな衣装をあてがわれているんだろう。
 思わず、あれこれと想像を馳せてしまい、ひとりでに頬が緩んでしまう。
 不思議の国のアリスは、幼いころから何度か映画を見たことがある。
 だから、登場人物は把握しているけれど……はたして。
 彼にあてがわれるのは、一体どのキャラクターなんだろう。
 と、その前に自分が着るべき衣装の確認をしていなかったことに気づいた。
 靴を脱いで上がり、両開きのチェストの扉をゆっくり開く。
「っ……」
 思わず目が丸くなった。
 ふわり、と広がるスカート。
 この……衣装は。
 かわいすぎて、私が着るには忍びない気がするんですが、そういう場合もスタッフさんを呼んでもいいのかな。
 思わず、ぱたり、と扉を閉めてしまいながら、どきどきしたせいで顔が少し赤くなった自分がまたもや鏡に映っていた。


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