「もしかして、来るときに話してくれた“ハトコ”って、佐倉さんのことですか?」
「そーそ。まさか、こんな場所で会うなんて思わなかったから、すげぇびっくりした」
 鷹兄とその彼女、岩永さんと別れて巡るパーク内。
 どこもかしこも“不思議の国のアリス”の登場人物の格好をしている人間で溢れかえっていて、今さら、うさぎの耳だろうが猫の耳だろうがなんだろうが、あたかも普通のモノのように見えてくるから恐ろしい。
 そんな光景を見た瑞穂が『集団心理は怖いですね』と言ったのが印象的だった。
 まぁ、たしかに。
 こんだけの人間がコスプレしているのが“当然”だと、かえって普段着でいる人間がいたら、逆に浮くもんな。
「佐倉さんって、すごく優しそうな方ですね」
「あー……なるほど」
 鷹兄に瑞穂を紹介したときに彼が見せた笑顔は、完璧。
 にっこりと微笑まれれば、どこからどう見ても柔らかい物腰のデキた好青年にしか見えない。
 いや、実際はそのとおりなんだが、まぁ……なんだ。
 幼いころからいろいろ見てきた人間としては、それだけじゃないことをよく知っているワケで。
 別に瑞穂が騙されているとは思わないし、鷹兄がどういう人間かということもわかっているから、否定したりしない。
 面倒見もいいし、優しいし、嘘はつかない。
 そういう人間だから、俺だってなんだかんだ言いながらも、彼に懐いているんだから。
 ……1歳差なんだけどな。ぶっちゃけ。
 だがまぁ、俺にとってその“1歳”はそれこそ10歳にも匹敵する歳の差で。
 越せない壁だ。
 俺にとっての永遠が、そこにある。
「ひめさんは、すごくかわいくて……まるで、お姫様と王子様みたいですね」
「ぶ!」
 唐突な発言に、思わず噴きだす。
 まぁたしかに、名前も見た目もかわいい彼女は、まさしく姫君に違いない。
 鷹兄の彼女に対する態度とかを見ていても、かなり大事な女性だというのは十分に伝わってくる。
 なんせ、“婚約者”だからな。
 つーか、まさかあの鷹兄が『お嫁さんになる人です』なんてにっこり笑って言いだすとは。
 うちの親が知ったら、『んまぁ! たーくんったら、立派になっちゃって!』とか言い出すに違いない。
 ……だな。間違いない。
 そういえば以前、うっかり『たーくん』と呼んでしまい、『うん。何かな、ほかに言い方あるだろうけど、あえてそれを選ぶんだったら、僕はそれでも構わないよ』とものすごく笑顔で言われ、硬直したのを思い出した。
 あのときのアレは、間違いなく恐怖。
 ……俺も若かった。
 しかし、だ。
 あの鷹兄が王子様とか……ちょっと待ってくれ。
 いや、盛大にここで笑い始めたら瑞穂もかわいそうだが、何よりも、自分の身がもっとも危険にさらされるだろうことは容易に想像がつく。
 こらえろ。俺。
 堪えるべき場面だ、今は。
 すーはーすーはーと何度か静かに呼吸をし、気持ちを静める。
 ……鷹兄は王子。それはオーケー。
 自分をまず納得させてから瑞穂を見ると、不思議そうなというよりは、まずいことを言いましたか? みたいな顔をしていたので、思わずその頭に手が伸びた。
「王子に見えたか?」
「とても優しそうで、紳士的で……という、外見から得た情報からですけれど」
 まぁ、そうだろう。
 鷹兄とふたりきりで話したワケでもないし、交わした会話なんて自己紹介プラスアルファ。
 あそこからがっつり俺も知りえないような情報を引き出していたら、それはそれで“すぺしゃりすとか?” とある種の不安を抱くからな。
「今度鷹兄に会ったら、言っとく」
「えっ」
「へーきだって。鷹兄、多分喜ぶから」
 多分な。
 心の中でもう一度付けたし、彼女の手を取る。
 10月のよく晴れた本日。
 突き抜けるような青空だからこそ暖かい空気が逃げてしまい、肌寒い陽気。
 人肌が恋しくなると年だという噂をどこかで聞いたが、別にそれはそれでいいだろう。
 俺が欲しいのは、彼女の肌。
 柔らかくて、滑らかで、いつもあたたかくて。
 俺とは違う、心地よいモノ。
「寒くないか?」
「大丈夫です」
 俺は寒い。
 そう言いかけ、握った彼女の手を引いて身体を寄せてしまう。
「……まぁ、鷹兄にはなれねーけど、俺は俺で瑞穂のことちゃんと考えてるんだぜ?」
 あれ。なんかヘンなこと口走ってンな。
 別に、鷹兄に嫉妬してるワケじゃない。
 瑞穂の口から鷹兄を褒める言葉が出たことは素直に喜ぶべきだし、俺だって……嬉しい、のに。
 …………。
 あー、こんなこと知ったら、鷹兄は腹を抱えて笑うんだろうな。
 壮士は本当に小さいころと何も変わってないね、とかっつって。
「瑞穂だって十分、姫だろ」
「っ……」
 ほらみろ。妙なこと口走った。
 まぁな、否定はしねーぞ。
 十分、姫っぽい。
 今の格好は“不思議の国のアリス”そのもので、メイド服と似てるっちゃ似てるが、どっちかといえばそのフリフリ具合は姫君っぽくて。
 ……だから。
 俺は何をしたいんだ。いったい。
 思わず頭を掻こうとしてぶつかったうさぎの耳が、もふっと指先を飲み込んで、盛大なため息が漏れた。
 ――が、しかし。
 繋いだ手が少しだけ力強く握り返されて彼女を見ると、うっすら頬を染めながらも、まっすぐに俺を見つめていた。
「壮士さんだって……カッコいいですよ?」
「っ……」
 内心、“王子様みたいです”なんて言われたらたまんねぇなとか思っていたが、そこはさすが俺の彼女。
 ちゃんと俺の好き嫌いを把握してくれているようで、言葉をうまく置き換えてくれた。
 ……カッコいい、か。
 その言葉、どうやら俺はたまらなく好きらしい。
 もちろん、発言者が彼女のときのみ、だが。
「うさぎの耳付いてるんだぜ?」
「そこは、とってもかわいいですよ?」
「……そーか? だったら俺は、瑞穂が付けてるのを見たい」
「っ……それはダメですよ」
「なんで」
「だ、だって! 壮士さんが付けるから、かわいいんじゃないですか」
「普通、逆だろ? こーゆーのは、かわいい子が付けてナンボじゃねーか」
「でも……っ……だって、壮士さんが付けてると、すごくかわいいんですもん」
「あんま、かわいいかわいい言われてもな」
「っ……すみません」
「いや。そこ、謝るとこじゃねーから」
 素直に謝罪を口にした彼女に笑い、いつものように髪を撫でようと頭へ置いた手が止まる。
 普段とは違って、カチューシャ代わりに結ばれているリボン。
 これを解いたら彼女は困るだろうが、ついつい結ばれているモノを解きたくなる性分。
 ……ま、男はみんなそうなのかもな。
 彼女が身に着けているモノを剥ぎ取りたくなるのは、恐らく誰もが持ち合わせている欲求なんだろうから。
「ま、今日はこの耳がある以上、俺は瑞穂の従者だからな」
「っえ、なんでそうなるんですか!」
「ほら。三月うさぎって、アリスに嘘ばっかついてワケわかんなくするヤツだろ?」
「えっと……そう、とは言い切れないような……」

「いーって。そんなワケだから、あんま――俺に惑わされんなよ?」

「っ……」
 ぐい、と彼女の肩を引き寄せ、耳元でささやく。
 と同時に一瞬だけ頬へ口づけ、彼女の手を引いて歩き始める。
 目的地は、決まっちゃいない。
 ふたりいるんだから、ふたりで決めればいい。
 ……が、しかし。
 我ながら恥ずかしいことをした自覚はあるので、情けない顔を見られぬべく、少しばかり早足になった。


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