俺は、俺の力で頑張ってきたんだ。

だから、俺がなにをしようと勝手だと思う。

これは俺の「城」だから。

医療器具が揃ってる真っ白な「城」は、俺という「獣」に似つかわしくない平和な地域に建っていた。

それは、俺自身が自分の中に渦巻いている「狂気」を戒めるために、ここに建つことを決めたような気さえする。───狂喜する匂いから隔離するために。

 

「───稔先生、一人、予約ないお客様がいるんですけど…」

 

デスクからぼーっと外を眺めていた俺に、申し訳なさそうな顔で声を掛けてきたのは三河さゆ。ここの看護師。優しいのが表情に現れるし、男である俺に気を遣っているのか、彼女はいつも穏やかに、俺を慕ってくれていた。

歳は俺よりも若いと言う。

でも、「狩り」はしない。

仕事の最中に「狩り」を始めると、止まらなくなるからな。

 

「良いよ、お通しして」

「でも…」

「三河さん、俺、今暇してるんだけど?」

 

診察するべく眼鏡をかけ、眼鏡越しににっこり笑ってやると、三河さゆは嬉しそうに、

 

「じゃ、お仕事してください!」

 

と、きっぱり問診票を渡し、いそいそと受付に戻っていった。

元気が良いなぁ、などと思いながら問診票に視線を落とす。

 

「……へぇ、珍しいな」

 

うちの医院は、平和な場所に建ってる分、若い子はあまり来ない。

内科と小児科を併設しているので、どうしても多いのはお年寄りや小さな子供達。しかし、男性である俺が医師をやってる事もあってか、割と若い男性の患者さんは多いな。

いや、もちろん女性も来るんだが、なかなか来ない。

 

「どうぞ」

 

少し、遠慮がちなノックの音に返事を返してやると、ゆっくりと診察室のドアが開かれる。

まさかその格好で来るのか?と、内心驚いていたが時間も時間だし、今日は平日、加えてうちの医院は割と遅い時間までやっている、という良心的な医院だから、別にそれでもいいと言えば良いわけで。

 

…まさか、制服で来るとはなぁ…。

 

と、思わず自分も体験したであろう高校生活を頭に思い浮かべながら、まじまじどこぞのおっさんのように眺めてしまった。

 

「…あの?」

 

怪訝そうにこちらを見つめる彼女、彼女もまた俺を見て口を結んだように見えたがとりあえず見なかったことにしておこう。

 

「ああ、すみません。どうぞこちらに」

 

少し気の強い瞳にどきりとさせられたが、そんなことはどうでも良い。

制服姿の彼女は丁寧な仕草で俺の前の椅子に座ると、こちらを見つめてきた。

俺も仕事をしてる振りをしながら彼女を見つめた。

まるで挑戦状を叩き付けてくるような視線に、ほんの少し心が揺らぐ。

しかし、18歳に手を出すことはありえない。

そもそも自分の弟よりも下の彼女っていうのは、なんとなく家の中で居心地が悪いからだ。

それにしても、18歳の高校生という存在に禁断の蜜の香りを感じるのは俺だけだろうか…?

いや、そうじゃない。

とりあえず仕事だ仕事。

久しぶりの若い子を見て、興奮する気持ちも解るが、初対面の子を物色するのはやめなければ。

思わず自分を滅しながら、姿勢の良い女子高生に問診を始めた。

 

「……松本…、真姫、さん?」

「はい」

「今日は、どうされました?」

「……扁桃腺が痛くて…」

 

うん。

扁桃腺ね。

医療用語、良く知ってる人間は健康マニアなら解るが、…まだ女子高生だぞ?

まぁしかし、女子高生といえども案外侮れないかもしれないな。今の世の中至る所で医療用語が飛び出してくる健康番組もあるぐらいだし。

 

「…ちょっと、失礼」

 

一度、痛い、と言っていた喉元を触診するために両腕を彼女に伸ばした。

真っ白な喉元は、十代の肌のきめ細やかな肌そのもので、その首筋に「自分の印」をつけるとどうなるかふと考えてしまった。ほんの少しの優越感と、熱い衝動を押さえ込みながらひんやりとした喉元に手を当てると、確かにある一部分だけが炎症を起こしているように腫れている。

 

「うん、扁桃腺、腫れてるね」

 

デスクに置いたカルテに、記入。

それからもう一度彼女の方に向き直ると、彼女はYシャツを脱ぎだしていた。

一瞬、罪悪感にどきり、と心臓が高鳴ったが、すぐに自分と彼女が医者と患者だということを思い出した。

ブレザーを脱ぎ、するりYシャツを肩から肘ぐらいまで滑り落ちると、真っ白な肌が首から続いていた。

聴診器のイアピースを耳に当て、心臓の音を聞くべくチェストピースを手にした。

 

「……先生」

 

小さく呟く彼女に、下から見上げるように「ん?」と返事をしてやると同時に、チェストピースが彼女の肌にぴた、とつく。

しかし彼女は話の続きをしようとせず、黙り込んでしまった。

もしかして、慣れてる?

こちらを見ている彼女に、目配せして話の続きは?と促してみても、喋らない。

見た目健康そう(美味しそう)に見えるのに、「病院慣れでもしてるのかな程度」に、頭の隅に放りこんだ。聴診器から伝ってくる彼女の心音は穏やかで、心地良く軽快にリズムを刻んでいた。

 

「はい、背中…」

 

背中もやはり白かった。

いや、当たり前なんだろうけれど、そんな事実に改めて驚かされてしまうぐらい、彼女の体が綺麗だった。

 

「…うん…、肺も、気管支も異常がないから、やっぱり扁桃腺の腫れだけみたいだね」

 

もう一度カルテに書き込んでいると、服を整えながら彼女がこちらに向き直る。

 

「はい、じゃぁ、喉見ようか」

「……順序、逆じゃないですか…?」

「え?」

「…いえ、良いんです」

 

そう言うと、彼女がくすくす笑い出した。

なにがおかしかったんだろうか。

 

「…はい、口開けて」

 

───おかしい。

百戦錬磨の俺が、こんな小娘にいつもの調子が出ない。

いくら「狂気」を隠してるからって、女という生物にいつもの調子が出ないのなんて初めてだ。

内心小首を傾げながら彼女の診察を終えると、なんとなくその意味が解った。

 

「じゃ、抗生剤出しておきますね」

「…はい」

「………」

「…あの」

「んー?」

 

相変わらずカルテに向かって、書き込んでいると遠慮がちな声が耳に届く。

 

 

 

「───私じゃ、駄目ですか?」

 

 

 

ガタンッ。

言うにことかいて、真っ昼間からなにを言い出すんだこの女子高校生は…!!

いきなりの発言に、大きな音を立てて立ち上がってしまっていた。

 

「…せ、先生…?」

「いや、別になんでもないけど…、えーっと、…その、それはどういう意味?」

 

動揺を抑えるように、目元にある眼鏡を一度指でなおして、デスクに寄りかかるようにして彼女を見つめる。

 

「…あの、スタッフ募集の張り紙…」

「あー、あれ。……って、でもキミ高校生でしょ? 学校はどうするの、学校は」

「あ、あの。……スタッフじゃなくても、良いんです…」

「ちょい待て。話が掴めないから、ちゃんと話してごらん」

 

冷静に落ち着いた頭で、椅子に座り直す俺を見届けてから、彼女はゆっくりと意志の強い瞳でこちらを見つめた。

 

「私、看護学生なんです」

「……と、いうことは、准看(准看護師)の試験はもう受けて…?」

「はい。准看護師資格も持ってます。春から、看護短期大学に進学することも決まってます」

「へぇ。…それで?」

「それで…、実習とかいろいろ受けてみて、自分にあった仕事なのかどうか今更ながら気になり始めてるんです。だから、……その…」

「短期間、うちで働きたい、と?」

「……はい」

 

准看護師は医師や正看(一般に言われる、看護師)の指示の元に医療行為が出きることは知ってるが…、果たして自分だけの判断で決められるだろうか?

なんてったって、18歳。

まだまだ精神的にも肉体的にも発展途上の、未成年者。

返答に困る。

 

「…あ、それじゃ、医療行為はしないので見学させてください! 研修ってことで、一週間ほどで良いんですけど」

 

まぁね、それぐらいなら、良いかもな。

社会科見学っぽいし、あいにくと見られて困るような診察は今までしたことがないわけだし、暴れる子供を宥めてもらったり、いろいろ雑用をお願いすれば良いか。

 

「……」

 

心配そうにこちらを見上げてくる女子高生に、背を向けて、一筆したためることにした。

 

「ここの責任者には俺から言っておくから、キミは…」

「あの、真姫で良いです」

「……じゃぁ、真姫ちゃん。真姫ちゃんは、俺担当の雑用掛かりってことで」

「…それじゃ…」

「うん、明日からおいで」

 

くるりと振り返って、一筆したためた「雇用契約書」と、俺の名刺を彼女に渡すと、花が咲いたような笑顔になった。

 

「暁稔。…これ、俺の名前。ついでに、連絡先は、ここ」

 

と、名刺の裏の電話番号とメールアドレスを指し示す。

 

「……ありがとうございます!」

「でもその前に。ちゃんと、風邪治してからおいで」

「い、一日で治します!」

「医者の不養生って言葉知ってるか?」

「…知ってますけど、私…」

「看護師だから関係ないとかって言ったら、怒るぞ」

「…え」

「同じ医療に携わる人間には、必要な言葉だ。医師だからってやたら偉そうにする人居るけど、あれは間違ってる。医師なんてのはな、結局一人で全てをまかなえる訳じゃないんだよ。何より、看護師が居てくれる上で仕事が成り立つ仕事なんだ」

「……は、はい…」

「それじゃ、抗生物質処方しておくから、お大事に」

「……明日これるように、頑張ります…」

「はい、お待ちしてます」

 

そう言うと、彼女は嬉しそうに椅子から立ち上がりぺこりと頭を垂れた。

その姿を見て「可愛い」なんて思ったのは、今時いない純粋さを持ち合わせている彼女の真摯な態度を見て、感じたことであって、決して女性に対する「可愛い」とは違う言葉だ、……と、思いたい。

 

嬉しそうに出ていった彼女と入れ違いに、三河さゆが診察室に入ってきたので、事の顛末を話しておいた。が、それは無用だったらしい。

 

「稔先生、あの子、気に入ったでしょ」

 

と、明らかに盗み聞きしていた口調で、三河さゆが俺に耳打ちしてきたからだ。

「壁に耳あり、障子に目あり」とはこのことだな、などと思いながら花が咲き乱れたような彼女の可愛い笑顔が、脳裏に浮かんだ。

 

 

───獲物を、見つけた。

 

 

血走る瞳、暴れ狂う狂気に不安を感じながらも、次の患者がノックしたドアに向き直ることにした。



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