「でかくね?」
「んー……一般的な大きさだと思うよ?」
「……てことは、このへん全部この規模か。……すっげ」
 一番近いトラムの停留所から、歩いて数分。
 両側に広がる芝生は、公園ではなくそれぞれお家のお庭。
 ……と説明したときも、たーくんは驚いていたっけ。
 『規模が違うな』と、それこそ何度目かわからない言葉とともに。
「恭介さん……はまだ帰ってきてないのか」
「そうだね。ガレージにも車はないから」
 赤茶がかった外壁は、このあたりではウチくらい。
 でも、この色が気に入って決めたとお父さんに聞いたとき、私も好きだと思ったから嬉しかった。
「……ふふ。なんだか、どきどきするね」
「なんで」
「だって、たーくんをお招きするなんて思いもしなかったんだもん」
 私は昨日も過ごしていたけれど、たーくんはこれが初めて。
 しかも、家族以外の男の人を私が招きいれるなんて、まずありえなかったことだ。
 鍵を開けて二重ドアに手をかけ、強く引く。
 昨日と同じ、我が家の匂い。
 だけどたーくんは、中を覗くとまた『すげぇ』と声をあげた。
「ちょ……待て。なんだここ。つか、なんだコレ!」
 すぐそこにある大きな窓からは、明るい日差しが床へ延びている。
 天井が高いから、空間としても広く感じるんだよね。
 話だけはしてきたけれど、すぐここのリビングにあるソファとテーブルは、まさにお父さんと一緒に過ごす“日常”の場所だ。
「今さらだけど、土足でいいのか?」
「えっと、お客様には強要してないんだけど……お父さんも私も、やっぱり抵抗があって。だから、ここで外履きと内履きに履き替えるよ」
 日本でいう“玄関”はないけれど、マットを敷くことで視覚的に区別はしている。
 普段、私もお父さんもここで履き替え。
 ちなみに、すっかり慣れてくれたシェインさんは、我が家専用のサンダルが用意してある。
「んじゃ……お邪魔します」
「ふふ。どうぞ」
 私と同じように靴から室内履きへ替えた彼が、あたりを見回しながらソファへ座った。
 日本の……それこそ、湯河原の本宅ともたーくんの家とも違って、部屋ごとの仕切りが少ないから余計に広く感じるのかもしれないね。
 アイラウンドキッチンなこともあり、向こうまで遮られるものはない。
 でも、だからこそお料理の匂いが広がっちゃう欠点はあるけれど。
「たーくん、お腹すいたでしょう? 少し休んでから、外で食べる?」
「あ? いや……そんなに腹減ってないっつーか、まだいい。お前食えるか?」
「……まだいらないかな」
「だよな」
 さっき食べたアイスクリームで予想以上に満たされたらしく、珍しくたーくんも首を振った。
 それじゃあ、せめて何か飲み物かな。
 冷茶は作ってないけれど、煮出した麦茶は冷やしてある。
 少し大きめのグラスへ注いでコースターとともに運ぶと、普段お父さんがするのと同じようにテーブルにある新聞へ手を伸ばした。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
 テーブルへコースターと一緒に置き、ひとり用のソファへ。
 自分用のグラスを手に彼を見ていたら、ひとくち飲んだあと――いつもお父さんがするみたいに、ソファへごろりと横になった。
「……あ?」
「だって、たーくんったら……お父さんとおんなじ格好してるんだもん」
「何?」
「お父さん、いつもここでテレビ見るとき、そうやって横になるんだよ」
「あー……言ってたな。ンなこと」
 もちろん、たーくんだって普段はあまり横になっていることを見ることはない。
 ソファに座っていても、足を組んではいるけれど横にまではならないもんね。
 でも、お父さんといいシェインさんといい、みんなその大きなソファへ座るといつのまにか横になってるんだよね。
 ひょっとして、寝心地としてはいいのかな。
 普段は座らないから、私はよくわからないけれど。
「でも……初めてなの」
「何が?」
「私の知り合いでこの家に入った男の人、たーくんが初めて」
 だからきっと、家の鍵を開けるときにどきどきしたんだと思う。
 普段、友達と遊ぶことはあってもこうして家で過ごすことはせず、お店や公園なんかの外で過ごすばかり。
 付き合っている同士でもなければ、みんな別々に帰路を取る。
 それに、たとえ付き合っているとしても、家の中で過ごすなんてまずありえないことだ。
 ……叱られるじゃ済まないこと。
 家族同然の存在になればリビングで過ごすことも、食事を一緒に摂ることもないわけではないけれど、ふたりきりは考えられない。
 それだけ、距離感はある意味大切にされている国なんだと思う。
「お父さんの仕事の人とかは別だけどね。プライベートでっていうか……私と年齢の近い人は、女の子以外立ち入り禁止だったの」
「うわ。恭介さん徹底してんな」
「でも、これはどの家庭でもきっとそうだよ? えっと……少なくとも、自分の部屋に異性を入れることは、まずないから」
「……へぇ」
 同性の友達とは互いの家を行き来したり、泊まりあったりもした。
 けれど、友達ではない……好きな人。
 その人をこうして家に招いただけでなく、自室までとなるとやっぱり考えただけで少し気恥ずかしい。
 今週、こちらへ渡ってからはずっと部屋の片付けをしていて、室内はかなり散らかっている。
 でも、おかげでだいぶ荷物の整理はできたから、私自身のタスクは終えられそうだ。
「じゃ、そっちももらうか」
「え?」
「お前の部屋。見せてくれんだろ?」
 新聞を置いたたーくんが、麦茶を飲み切ってから立ち上がった。
 平然とした顔で見下ろされ、ぱちぱちとまばたきが出る。
「え、だって……あの……きれいじゃないから、先に片付けてきてもいい?」
「お前のそれは謙遜だろ? 平気だ。俺の部屋よか、よっぽど片付いてンから」
 ちらりと2階を見上げたのがいけなかったのか、たーくんはさっさと階段を上がり始めた。
 え、え、待って!
 だって、本当にあのね? きれいじゃないの。
 お世辞でも謙遜でもない。
 荷物を詰めたダンボールがたくさんあって、本当に乱雑なんだから!
「たーくん、待って!」
「……へぇ。階段の途中に本棚あるとか、いいな」
「え? あ……うん。あの、ね? 私、ときどきここに座ったまま本を読む癖があって……お父さんには笑われてたんだけど、いつだったか、備え付けてくれたの」
 階段を中ほどまで上がった彼が、すぐここにある棚に置いてある新書を手にした。
 なんていうのかな。
 ソファで読むのがきっと一番いいんだけれど、階段の高さがちょうどいいんだよね。
 小さいころからよく腰掛けていたから、そのクセが抜けてないのはあるんだけど。
 でも、こうして本棚を作ってもらってからは、一層ソファではなくこのあたりに座って読んでしまう時間は増えた。
「で?」
「え?」
「お前の部屋、どこだ?」
「あっ、待って! たーくん!」
 本を戻した彼が、さらに階段を上がる。
 廊下よりも広い空間の両隣には、それぞれ白いドアが。
 そして、奥にも同じく2つほどドアがある。
 だから……黙っていたら、すぐは気づかれないだろうけれど。
 でも、そういうわけにはいかないらしい。
 躊躇なくドアノブを掴んだのを見て、小さく声が上がる。
「そこはバスルームなの」
「2階にあんの?」
「えっと……下にもあるんだけど、でも割と一般的だよ? もっと広いお家になると、3か所とか……中には4か所あるお家もあるから」
「マジか。豪邸だな」
 それこそ、まさにプライベートな空間。
 2階は基本的に私やお父さんの部屋があり、ゲストルームも備えてはある。
 といっても泊まるのはシェインさんか、お父さんが仕事でどうしても帰ってこられないときにシェリーが使う程度。
 でも今は……ふふ。
 今週はずっと、お母さんが使っている。
「……笑わないでくれる?」
「なんで」
「だって……あのね? 本当に、片づいてないの」
 バスルームの反対側にある、もっとも階段に近いドアノブをつかみながら彼を見ると、肩をすくめただけで何も言わなかった。
 ……ちょっと恥ずかしいな。
 普段、たーくんの部屋に出入りさせてもらってるのに、自分のこの言い訳はあまりにもチープだとは思うけれど、でも、初めてのことだから正直ドキドキしていたんだとは思う。
「すっげ……広いな」
「そうかな?」
「つか、全然散らかってねぇじゃん」
「そんなことないでしょう? 段ボールばかりじゃない」
「けど、ちゃんと置かれてンだろ」
 部屋の隅に置いたままの段ボール箱には、もうすでに今こちらでは必要のない季節物の服と、バッグなどが詰めてある。
 選りすぐりはしたけれど、やっぱり本が一番多くなってしまったから、向こうに戻ったら整理できる棚を探さなければいけないかもしれない。
「お前、頭のいい子だろ」
「え?」
「机見りゃわかる。すげぇちゃんとしてんじゃん」
 壁際に置いている木のベッドと同じく、真っ白い木の机。
 小さいころからずっと使ってきた、大切で……お気に入りの場所。
 先日湯河原へ連れて行った“おばけ”が机にいるのを見て、たーくんが手を伸ばした。
「そうかな……」
「羽織を見てみろ。アイツどこに何があンのかわかんねぇぞ」
 もふもふ、と握るように弄ったあと同じ場所へ置きなおした彼は、すぐそこにあるベッドへ腰掛けた。
 ぅ。
 普段、自分が寝起きしているところ。
 昨日の朝、家を出るときにさっと整えはしたけれど、なんだかやっぱり恥ずかしい気がする。
 ……もう。
 まさか、こんなにもプライベートな場所へ入ってこられるとは思わなかった。
 望まれれば嫌ではないし、見せることは可能だけど……なんだか、どきどきする。
 ああ、だからなんだね。
 こんなふうに思うから、自分の部屋で好きな人とふたりきりになっちゃいけないんだ。
「正直、意外だ」
「え?」
「部屋。もっとシンプルなんだと思った」
 後ろへ両手をつきながら、たーくんが私を見上げた。
 少しだけ距離を開けたものの同じくベッドへ座り、向けられた目線を辿る。
 棚にある、いくつもの小物。
 本。
 そして……ああ、もしかしたらぬいぐるみかな。
 向こうへは持って行ってないけれど、かなりの数の子たちが棚へ座っている。
 いくつかは寄付する予定だけど、思い入れのある子たちは……連れて行きたいなと思っている。
 なんて言ったら、たーくんには笑われちゃうかもしれないけれど。
「これまでずっと、過ごしてきた部屋だから。なんていうか……小さいころのまま、なのかもしれない」
「そうか?」
「ん。今でも街でかわいいぬいぐるみを見ると、手が伸びそうになるの」
 それはここだけではなく、日本でも同じ。
 このあいだたーくんと出かけた雑貨屋さんで見かけたものには、つい反応してしまった。
「荷物の整理、終わったのか?」
「うん。だいたいね」
「このベッドは?」
「え?」
「持ってこねぇの?」
 ぽんぽん、とベッドを叩かれて改めて眺めてみる。
 小さいころからずっと使っている、真っ白い木のベッド。
 それこそ、おとぎ話のお姫様が使っているような形で、当時はとても強く憧れた。
 本当は、天蓋付だったんだよね。これ。
 大きくなるにつれてさすがに気恥ずかしくなって、途中からは外してもらったけれど。
「んー……思い出もあるから持って行きたい気持ちもあるけれど……私、お布団も好きだよ?」
「モノはいいやつだろ? どうせなら持ってくりゃいいのに」
 悩んではいるけれど、でも、それじゃあこのベッドをどこへ運んでもらうのが適切かというと素直に思い浮かばないんだよね。
 たーくんのあのお家へ運んでもらっていいのか、それとも湯河原のお家にしたらいいのか。
 そういえばそのあたりの話を、もう一度お父さんとすることになっていたのにまだ詰められていなかった。
「あー……手触りはいいな。寝れる」
「もう。つぶさないであげてね?」
 ベッドへ置いたままだったサメの抱き枕を手にしたたーくんが、両手で握ったあと抱きしめた。
 小さいころは、とっても大きく感じたものの、自分が年を経るごとに小さくなったように思えるのが少しだけおかしい。
 でも、普段ならまず見ない姿で、ついかわいらしから笑みが浮かぶ。
 ああ、珍しいというか……まず向こうでは見られない姿だから、写真撮っておきたいな。
 ふとそう思ってバッグに手を伸ばすと、何かを察したのか彼がそのままの格好で私を見つめた。

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