「……またがっつり積もったな」
「すごいね。こんなに雪が降るなんて……年末はすぐ溶けちゃったから、嬉しい」
「いや、嬉しいの前に帰れねぇだろ」
 翌朝。つっても、7時台。
 普段の日曜の起床時間よりも数時間単位で早いにもかかわらず、朝から竹ぼうきを手にまず働くことになったのがそもそも解せない。
 発端は、ついさっき。
 布団の中でまどろんでいたら、先に起きていたらしい葉月が『わぁ』と小さく声を上げ、結局起きるハメになった。
 室内は暖かいが、窓際はだいぶ冷気が及ぶ。
 にもかかわらず、葉月はあの薄い浴衣だけでガラス越しに景色を眺めていた。
 雨が雪に変わり、すっかり積もったらしい。
 空には薄日が差しているが、窓を開ければ冷凍庫状態だろうよ。
 民家の屋根も、道も、庭も、すべてが銀世界。
 だが、すでにスタッフは動き出していて、数人がスコップやほうきを手に駐車場やエントランス付近の雪かきを行っているのも小さく見えた。
 美月さんに言われた朝飯の時間までには葉月を送らねばならず、どういうシチュエーションだったら納得させられるかを考えたものの、一番“らしい”のは、葉月と玄関でばったり会ったっつーのが適当かなってことで、人も少ないこの時間帯に本宅へ送ることにはした……ものの。
 すでに起きて雪かきをしていた女将と鉢合わせ、じろじろ見られた揚げ句、にやりと意味ありげに笑われるハメになった俺の気持ちも考えてもらいたい。
「たーくん、寒くない?」
「寒い」
 浴衣姿の葉月は当然のように拉致られ、改めて着替えたうえにがっつり着込まされた上でここにいるが、俺は普段と同じ格好。
 つか、軍手でいいから貸してくれてもよくね?
 真冬の早朝に素手で掃除とか、鬼畜モードじゃん。
「つか、石畳まででいいんだろ? やっとくからお前は中に入ってろ」
「でも……手伝えることないかな?」
「ほうきがコレしかねーからな。それに、どうせこれで終わりだし。熱いお茶でも淹れて待っててくれりゃそれでいい」
 10センチほど積もった雪は、スコップを使うまでもなく竹ぼうきで両サイドへかきわけられた。
 女将が言うには国道沿いは除雪されているらしく、じきに目の前の道にも町の手が入るだろうとのこと。
 ならばまぁ、たまにはこういう雪もいいんじゃねーの。
 泊まってた子どもは無条件で喜ぶだろうし、雪に縁遠い大人なんかは案外嬉しいかもしれないしな。
「はー……さっぶ」
「ありがとう」
「おー」
 最後はやっつけ感が多少残ったが、まぁいいだろ。終わり終わり。
 肩を震わせつつ、さっさと玄関へ戻る。
 つか、このほうきどこへ片せばいいか聞かなかったな。……まぁいいか。
 立てかけておきゃ、魔よけの一種にも見えるだろ。
「っ……」
「わ、冷たい」
「……なんで一緒に外にいたのに、お前はこんなあったけーんだよ」
 玄関の扉を引いたところで、葉月が躊躇なく手を握った。
 温かいというよりは、少し熱く感じるからこそ……つい昨日の夜を思い出す。
「名前呼んでみ?」
「え?」
「孝之、って」
「っ……」
 目を見たままぼそりとつぶやくと、案の定葉月は目を丸くした。
 かと思いきや視線を逸らし、俺の真意でもはかるかのようにおずおずを視線を合わせる。
 表情は当然変えない。
 お前がなんて言うか、気になるんだから当然な。
「えっと……」
「ンだよ。同じだろ?」
 後ろ手で玄関の扉を閉めると、案の定中はかなり暖かく感じた。
 玄関でこれなんだから、部屋はもっと暖かいだろうよ。
 温度差はある意味すごいだろうが、心地よさのほうが大事だな。今日は。
「もう……違うでしょう?」
「なんで」
「だって……初めてがあのときだから、思い出しちゃうっていうか……」
「……へぇ」
「っ……もう。たーくん、そんな顔しないで」
 思った以上の表情が見れ、つい口角は上がった。
 ここが人ンちでよかったぜ。
 部屋だったら確実に、また手を出してた。
「そうやって一生覚えとけ」
「……ふふ。そうだね」
 靴を脱ぎながら笑うと、意図とは違う意味で取られたらしく、葉月がどこか嬉しそうに笑った。
 一生、ね。
 まぁ……きっとコイツがそうなら、俺もそうなんだけど。
 廊下を先に進むと、中庭の低木もすべて雪で覆われていて、これはこれで風情があるなと改めて感じはした。
「生涯忘れられないなんて、とっても嬉しい」
「…………」
「え?」
「別に」
 ひとりごとのように、だけど俺には聞こえたセリフ。
 振り返ると顎へ指先を当てたまま、葉月は嬉しそうに笑っていた。
 ……お前ほんと素直だな。
 もーちっと俺を疑うとかすればいいのに。
「そういやお前、俺が起きるよりだいぶ前に起きてた?」
 ふと、今朝のことを思い出して葉月を見ると、今見せていた笑顔から一転して、言おうか言うまいかのような困った表情を浮かべた。
「えっと……ちょっとだけね? あの……」
「なんだよ」
 まどろんじゃいたが、意識はそこそこ前からあった。
 身体を起こしたのは葉月が窓に行ってからだが、その前にも何かしてたような気はする。
 そういやあンとき、タオル手にしてたな。
 何してたのか聞かなかったが、ひょっとして掃除でもしてたのか?
「……ちょっとだけ、シーツに血がついてて……できれば落としたいな、って思って……」
「血?」
 困ったようなというよりも、かなり口ごもった印象。
 だが、あからさまに聞き返したことで、葉月は口を結んだ。
 なんだその顔。
 てか、なんで…………あー。
「お前……そういやそうか」
「え?」
「いや別に」
 知ってるのか、知らないのか定かじゃない。
 から、これ以上言わないでおく。
 どこに血が付いてたかってあたりから、十分コイツなら推測するだろうし。
 まぁ……それも含めて覚えてたらいいんじゃねぇか。
 ある意味、“初めて”そのものなんだから。
「え?」
「いや……なんとなく」
 そうだった。コイツ初めてだったな。
 これまでヤってきたのは、それこそ“初めて”じゃない相手ばかり。
 だから互いに欲求不満の解消という形で、身体を重ねてきた。
 が、葉月は違う。
 わかっちゃいたが、忘れてた……ってわけでもねぇんだけど。
 もちっと優しくしてやってもよかったのかも。
 今さらながら思いはするが、昨日は……いや今週はマジで死ぬかと思ってたから、心の中だけで詫びておくか。
「…………」
 きっとこの時間はもう、恭介さんは起きてるだろう。
 しょっぱな出会ったのが女将で安心したが、実はきっとこれから先が本番なんだろうな。
 女将は躊躇なく弄ってくるだろうし、美月さんは美月さんでひょっとしたら無自覚に何かかもし出すかもしれない。
 そんな中、何も知らないのは……恭介さんのみ。
 どうか雰囲気を何も察してくれませんように。
 いつもと同じ和室のふすまへ手をかけながら、もしくはできることならまだ起きてませんようにと祈るしかなかった。

ひとつ戻る  目次へ