「……お前ってさー」
「ん?」
「なんか、得だよな」
「……は?」
怪訝そうな顔でメシを食うのは、高校から一緒の孝之。
大学の学食で今日のランチをやたらウマそうに食う姿を見ながら、ついそんな言葉が漏れた。
今日は、午後の憲法の講義が休講になったので、その時間に教習所へ行くことにしていた。
で。
いつもより少し早めの昼なんだが……。
「得って……何が?」
「いや、いろいろ」
「……ワケわかんねぇ」
「まぁ、お前はわからないだろうけど」
こいつは、昔からそうだった。
高校1年のとき同じクラスになってから、ずっと腐れ縁的に付き合ってきたが……。
なんつーか、世渡りがうまい。
人懐っこいところがあるからだとは思うが、やたら人に優遇される。
今だってそうだ。
いつの間に仲良くなったのか知らないが、学食のおばちゃんからあれこれ貰ってたし。
同じBランチのはずなのに、なぜか孝之のほうがおかずがイイ。
……いや、まぁ、別に食い物に限った話じゃないんだけど。
「お前って、第一印象いいだろ」
「俺が? ……あんま、気にしねーけど」
「でも、少なくとも俺にとっての第一印象は、最悪だったぞ」
「……その話は、もう何回も聞いたって」
瞳を細めて呟くと、苦笑を浮かべながら首を縦に振った。
そう。
俺にとっての孝之の第一印象は、最悪そのもの。
これまで会った人間の中で1、2を争うんじゃないかとすら思える。
あれは――……忘れもしない。高校1年の入学式の翌日。
そのときの孝之は、今、目の前で悠長にメシを食っている姿など想像もできないような男だった。
入学式から1日経っただけの教室。
すぐに他校出身の友人ができるはずもなく、どうしたって同じ中学の連中同士で固まってしまう。
とはいえ、俺の場合はうちの中学からこの学校に来た人間が元々少なかったというのもあって、同じクラスに同中の人間はいなかった。
まぁ、女じゃあるまいし、固まる必要なんてないと思ってたから、気楽でいいっちゃいいんだけど。
窓から2列目の席でそんなことを考えながらザワつく教室を見ていると、自分と同じように椅子に座ってヒマそうにしている人間が……目の前にいた。
……うわ。
ガラ悪いなー、こいつ。
見るからにガラが悪い匂いが立ち昇っている、ひとりの男。
俺と同い年、だとは思う。
だが、明らかに異色だと言えた。
つーか、こいつと比べると、ほかの連中がまだまだ『中学生』のガキに思える。
顔立ちもそうだけど、雰囲気がまず違っていた。
他人を寄せ付けないような、そんな印象すらある。
……関わりたくないな。
「ほらー。級長、号令!」
不機嫌そうな彼から視線を外すと、ほどなくして教師が姿を現した。
と同時に教室内が物音で溢れ、しばらくしてから全員が席に着く。
本日最初の授業である、現代文。
担当教師は少し厳つい感じのする男性教師で、ややインテリっぽい。
見た感じは体育教師と言ってもいいだろう。
入ってくるなり授業を始める号令をかけさせ、着席と同時にプリントを配り始める。
……いかにも『授業してやってる』って感じがして、好きじゃない。
高校の教師ってのは、みんなこんなヤツばかりなのか?
「……?」
配り終えると同時に何か話し出したが、くぐもってよく聞き取れなかった。
そのため、クラスの連中も聞いているようで聞いていない感じだ。
当然、俺も話半分に聞きながらプリントを見ていた。
……ふと顔を上げると、目の前のヤツも自分と同じようにかったるそうにしていた。
なんつったっけ、こいつ。
昨日ひと通り自己紹介をしたが、はっきりいって人の名前を覚えるのは苦手。
そのため、すんなりと名前が出てはこなかった。
真新しい教科書を開いて正面に向き直ると、出席簿を開いて眺めている教師の姿。
高校に入って最初の授業。
どういうふうに進められていくのかもわからないし、教師によって当て方も異なると言う。
……今日、何日だっけ。
ふとそんなことが頭に浮かんだとき、先に教師の声が響いた。
「8番、瀬那孝之」
8番?
ってことは、目の前に座っているこいつだ。
……瀬那、ね。ふぅん。
教師に呼ばれてかったるそうに立ち上がると、教科書を読むように指示された。
意外にも、普通の声。
っていうか、普通につかえることなく読んでいく。
……もっとドスの効いた声かと思っていただけに、少し拍子抜け。
途中でストップの声がかかり、コイツが座ろうとした……ものの。
教師が、それを阻んだ。
「瀬那先生の息子さんってのは、キミのことか」
「……だから?」
面倒臭そうにぽつりと呟いた言葉。
どうやら教師には聞こえていなかったらしく、何やら意味ありげな視線をコイツに向けた。
「お父さんに迷惑かからないようにしないといけないよなぁ? ま、がんばることだ」
終始無言を貫いて……まぁ、ブツブツ文句言ってたけど。
教師に対して歯向かったりすることなく、瀬那は普通に着席した。
……もっといろいろ言うんだとばかり思ってた。
コイツ、意外に普通なのかも。
って、我ながら結構失礼なことばっかり言ってるな。
まぁ、見た目が見た目だけに仕方ないとは思うが。
「次。瀬尋」
「……はい」
頬杖をついて彼を見ていると、次に呼ばれたのは自分の名前。
立ち上がって続きを読もうとすると――……その前に、なぜか彼が制した。
……なんだよ。
思わず瞳を細めると、それを目ざとく見つけて教師も瞳を細める。
そして、あからさまにため息をついてから、口を開いた。
「瀬尋。お前、入学早々態度が悪いな。え?」
「……そんなことないと思いますけど」
しれっと答えてやると、それが癇に障ったらしい。
……ったく。俺にどう答えろっつーんだよ。
「お前の家が、デカい会社だかなんだか知らないがな……。いいか? お前はもう高校生なんだぞ? 入学早々、なんだ? その態度は」
「……家と俺は関係ないんじゃないですか? それに、高校生って自覚は十分あります」
教科書を閉じて机に置き、見返すようにそちらに向き直る。
……どいつもこいつも、家、家って。
俺は関係ねぇっつーの。
それに、アレはじーちゃんの会社なんだぞ?
瀬尋って名前だけでどこへ行っても判断される。
それが、心底イヤだった。
……世の中にこういう人間が多いから、だが。
「ほう。高校生って自覚があるのか。どういう自覚だ? 言ってみろ」
……あーもー。
ホント、なんなんだよコイツは。
心底頭にくる。
んなことで時間割いてないで、さっさと授業進めろよ。
「だから――……」
「どーでもいいっすけど、授業進めないんすか?」
ため息をついて口を開こうとした、そのとき。
遮るように声が飛んだ。
途端、教師の矛先が変わる。
対象は、俺の前に座る……瀬那。
「……なんだ。瀬那も何か言いたいことがあるのか?」
「自覚自覚って言いますけど。先生は教師としての自覚、ホントにあるんすか?」
「……なんだと……?」
「自覚がある人間は、ンなくだらねぇことに時間割いてないで、とっとと授業進めると思いますけど。特に、ウチの学校は進学校だし。こんなことしてる時間の余裕なんて、ないんじゃないっすか?」
座ったまま、教師に対して投げかける冷めた言葉。
だが、言っていることはコイツが正しい。
こんなことに時間使ってるなら、とっとと授業進めるべきだろうし。
「そーだよー。先生、どんどん続けてくださいよ」
「時間もったいなくね?」
「てかさ、高校ってこんなレベルなの?」
どうやら、同じことを考えていたらしいほかの生徒も、同意の声をあげだした。
それらで若干教師がひるみ出し、咳払いをわざとしてみせてから教卓へと戻る。
その姿は、今までの威勢のよかった彼とは違い、ひどく滑稽だった。
「……授業を続ける。まだ6分しか経ってないしな。まず――」
「6分も、経ってますけど」
頬杖をついたままの、瀬那の指摘。
途端、顔を赤くした教師に対してクラス内に嘲笑が広まった。
それと同時に、椅子へ腕をかけた孝之の『してやったり』というような笑みもわずかに見えて。
――……それからだ。
この教師が授業中、余計なことを言わなくなったのは。
……あとは、瀬那の指摘を恐れるかのように授業をやたら慎重に進めてもいった。
普段……というか、初めて見たときは他人にひどく無関心なヤツのように思えた。
何を考えているのかうまく掴めないし、何より愛想の『あ』の字もないし。
……だが、一瞬見せたこのときの笑顔がやたらガキっぽくて印象に残ったのを覚えている。
あー、こいつはこんな顔するのか。
そう思ったとき、ものすごい勘違いをしていたようで、我ながら少しおかしかった。
その件があってからというもの、孝之はみるみるクラスに溶け込んでいった。
まるで人でも変わったかのようにえらく愛想もよく、饒舌。
……少し、うるさい。
せめて、もう少し静かにしていてくれると、非常に助かる。
そう思ったくらいだった。
――……しかも。
「瀬尋。お前さー、もう少し愛想よくできないわけ?」
「……は?」
いきなり話しかけられたかと思えば、これだ。
体育の授業で、同じバスケのチームになったとき。
何を言い出すのかと思いきや、そんなこと。
つーか、失礼だろ。それは。
いきなり話しかけてきて、『お前愛想ないよな』って。
イラっとして瞳を細めて見返すと、いきなり――……。
「最初は、ぐー! じゃんけん、ぽん!」
「っ……!」
「いよっし!」
いきなり始まった、じゃんけん。
……しかも、負けたし。
つい反射的にグーを出すと、孝之に負けた。
……ワケわからん。
ぷいっとそっぽを向いて行こうとする……も、肩を掴まれた。
あーもー……。
「なんだよ」
「だからー。もう少し笑えって。ほら。そーやってぶすっとしてんから、アイツってさー……とか言われんだぜ?」
「……うるせぇな。別にいいだろ?」
「よくねーだろ。人間、笑ってないと福が逃げてくぞ?」
「……余……計なお世話ッ」
「そう言うなっ……てッ!」
ぎりぎりと腕を離そうとするものの、なかなかいい勝負。
……って、そうじゃねぇ。
こいつは……!
「いいから、離せってば!」
「よくねーだろ! お前、愛想ねぇぞ!?」
「ほっとけよ!」
「お前だけだろ!? ひとりでメシ食ってんの! 寂しくねぇのかよ!」
「だーかーらッ! お前に関係ねぇだろうが!」
「そうはいかねぇんだよ! 室長だぞ!?」
……あ、忘れてた。
そういえば、こいつクラス代表になったんだったな。
まぁ、なったというよりは、押し付けられたんだけど。
「っ……しつこい!!」
「素直になれって! な!?」
「お前に関係ないだろ!」
「関係あるっつーの!」
睨み返して言い返せば、同じように孝之も続ける。
堂々巡りとは、まさにこのこと。
いい加減こんな茶番を終わらせようと、孝之の胸倉を掴ん――……だとき。
「「って!?」」
いきなり頭を叩かれた。
「っ……てぇ……」
「な、にをっ……!」
「お前らふたりとも、いつまでやってんだ! うるせぇぞ! 女じゃあるまいし、ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー」
見上げると、そこには恰幅のいい体育教師が立っていた。
ふと周りを見ると、いつの間に集まったのかほかの生徒たち。
……しかも、やたらおかしそうだし。
ちくしょう。
俺は見世物パンダじゃないのに。
「ち……っ」
孝之を軽く睨んでから違う方向へ歩き出そうとすると、いきなり首根っこをつかまれた。
「瀬那、瀬尋。お前たち、ふたりでちょっと校庭走ってこい」
「「えぇ!?」」
「いーから。3周回ったら、帰ってきていいぞ」
そ……んな提案聞いてない。
つーか、今どき校庭走れって……!
「しょーがねーなぁ。ほら、行くぞ」
「おい! 俺はまだ――」
「いーから。んじゃ、行ってきまーす」
ひらひらと愛想よく体育教師に手を振ってから、孝之が俺を引きずるように袖を引っ張った。
「ちょっと待て! 俺は別に――」
「いーんだよ。ほら、いつまでも女々しく言うなって」
「ッ! だから! お前が悪いんだろ!?」
「なんでだよ! お前だろ!? お前が愛想よくないから――」
「それがお前にどう関係あるんだよ! ほっとけ!」
「だからッ! 俺は室長なんだっつってんだろ!?」
「ンなこと、俺に関係ない!!」
「なんだと!?」
体育館の出口で再びそんな言い合いをしていると、遠くから教師の怒声が聞こえてきた。
――……が。
「「今はそれどころじゃねぇ!!」」
…………あ。
反射的にキレた声が、きれいにハモった。
しぃん……と静まり返る、体育館内。
こういうときに限って、級友たちは知らぬ存ぜぬよろしく、誰も俺たちと目をあわそうとしなかった。
「お前たち……この時間はもう帰ってこなくていい。ずーっと走ってろ!!」
「っ……やべ……」
「……く……」
「ほらみろ。お前が素直に――」
「だから、俺だけのせいじゃないだろ!? だいたい――」
「いいから走ってこい!!」
再び始まりかけた口喧嘩を教師に止められ、そのまま外へと追い出される形になった。
……ちくしょう。
俺が何したっつーんだよ。
大きくため息をつくと、同じように浮かない顔をしている孝之。
つーか、こいつが諸悪の根源なんだぞ。
ほっとけ、っての。
「……しょーがねーな。行くぞ」
「…………お前のせいだからな」
「お互いさまじゃね?」
「く……っ」
校庭を走る間も、結局足を止めては互いにまくし立てるという喧嘩が収まらなかったのは、言うまでもなく。
無論、この授業のあとはふたり揃って職員室へと呼び出された。
「俺、一度でいいからS字クランクバックでやりたいんだよな」
俺の教本をめくりながら、やたら楽しそうに話すのは、張本人。
……俺、こいつと付き合わなかったらもっと真っ当な人生だったような気がする。
ふとそんなことが思い浮かぶが、まぁ今さらどうしようもないわけで。
それに……まぁ確かに、いろいろと面白いこともあったからいいんだけど。
「……なんだよ。俺、何かしたか?」
「いや、別に」
ふと目が合って訝しげな顔をした孝之に首を振ると、再び教本をめくる。
S字クランクをバックでやりたい、ね。
……コイツのことだから、いつか教官を丸め込んでやりそうだ。
「でも、お前二輪の免許あるだろ? 車取らなくてもいいんじゃないのか?」
「ばぁか。車のほうがいいだろ? 暑くないし寒くないし」
「……そんな理由?」
「は? なんで?」
「……いや、聞いた俺が馬鹿だった」
「…………なんだよ」
寒いとか寒くないとか、そういう問題じゃないんじゃ……。
まぁ、いいけど。
「あ。そろそろバス来るよな。今日は俺、大井出さんなんだー」
「へぇ。あの人、調子よくて面白いよな」
「そーそー。でさー、この間ウマいカキ氷の店聞いたんだぜ」
「……お前、相変わらず甘い物好きだな」
「まぁな。俺の動力源」
「あ、そ」
コイツの場合、ホントにそんな気がしてくる。
無口で、クールで、人との付き合いが嫌いで……なんて見えた第一印象は、やっぱりアテにならなかった。
……俺、人を見る目ないのかも。
「おい、祐恭行くぞー?」
「あ? ああ、今行く」
紙コップに残っていた緑茶を飲み干してから立ち上がり、孝之のあとを追う。
追いつくと、学食のおばちゃんと仲良く話しながら食器を返しているところだった。
「ご馳走さまでした」
「いいえー」
「んじゃ、また」
「ふたりとも、気をつけてねー」
元気のいい声に送られながら、ともにバスターミナルを目指す。
「明日のランチ、から揚げらしいぜ」
「……お前、相変わらず誰にでも愛想いいよな」
「まぁな。笑う角には福きたるって言うだろ?」
「……まぁ、そうだけど……」
「大井出さんに、今度はイイ居酒屋教えてもらうからさ。そしたら、みんなで行こうぜ」
「わかったよ」
やたら楽しそうに話す姿に、思わず笑いが出る。
「……なんだよ」
「別に」
「あ、そ」
孝之は、今まで俺の周りにいなかったタイプだ。
もし、あのとき会ってなかったら……今の俺はなかったろう。
コイツのお陰で、いろいろやらかしたり巻き込まれもしたが、それでもいいこともあった。
そして――……数年後。
心底、コイツとの出会いを感謝することになるなんて、大学時代の俺はまだ知る由もなかったが。
2004/12/26
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