「先生って、お祭りとか行かないの?」
「……また、唐突だな」
放課後の化学室。
いつもと何も変わらないはずの時間ながらも、やはりいつもとは少し雰囲気が異なっていた。
というのは、本日はD日課といういわゆる『午前授業』で、午後は一斉下校になっていたから。
時間はすでに、13時すぎ。
クラスの子たちもすでに帰宅していたし、各部活動も本日は行われないことから、学内に残っている生徒の数は多くない。
……だから。
目の前で普通に部活動をこなしている彼女を見ているのは、なんだかものすごく複雑だ。
いや、『部活』って言っても彼女ひとりだから……なんだ。
自主活ってヤツになるんだろうか。
まぁ、彼女が今やっているのは来月末に行なわれる『化学グランプリ』の過去問題だから、一応『自主練』になるのかもしれないが。
「……つーか、俺まだ仕事あるんだけど」
「いいわよ? 行っても。別に私、好きでやってるだけだから」
「そーゆーワケにはいかないんだよ。劇物扱ってるんだから……」
絵里ちゃんは、多分俺がそう言うことをわかってて言ってるんだろう。
一瞬見せた『大変ね、教師って』みたいな表情が、すべてを物語ってる。
本来ならば、彼女だってとっくに帰宅していていい時間。
だが、あえてそれをしていないというのには……まぁ、一応理由めいたものはあった。
それは、午後から純也さんが出張だということ。
午後と言っても、まぁ、横浜への出張だということもあって、昼前に出かけて行ったんだけど。
だから、その帰りを待つというのを名目に、こうしてひたすらひとりで実験に励んでいるらしい。
……絵里ちゃんって、俺より研究馬鹿になりそうだよな。
ものすごく楽しそうに試験管を振っている姿を見て、ついそんなことが浮かんだ。
「で?」
「……は?」
「だから。羽織連れて行かないの? お祭りに。先生だったら、地元の七夕祭りとかいろいろあるじゃない」
「……なんでわざわざ、そんなリスクの高いことをしなきゃならないんだよ」
頬杖を付いて、正面から見つめる。
――……と。
なぜだか知らないが、ものすごく大げさな顔つきで『えー?』と言った。
「先生、見たくないの? 羽織の浴衣姿」
「…………」
「……どーよ。どーなの?」
「それは……まぁ……悪くない、というか……」
「ほらみなさい」
「……なんで、そこで絵里ちゃんが偉そうになるんだ」
「いいじゃない。なんとなくよ、なんとなく」
核心を突かれたと言っても、過言じゃない。
奇しくも今日は、七夕。
朝、家を出るときに見たニュースでも、新聞でも……そして学校での会話でも、七夕に関することばかりだった。
俺の実家は、県内でも有名な七夕祭りを行う街。
だから……まぁ、行こうと思えば行けないワケじゃない。
それでもやっぱり、仮にも俺と彼女は『教師と生徒』であって。
ふたり仲よく祭りを満喫できるほど、拘束のない自由な身ではないワケで。
「……仕方ないだろ。それは」
「行けばいいのに」
「それは俺だってわかってる」
ときとして、彼女は鋭い視線を俺に向けてくる。
口調とか内容は至って冗談100%という感じなのに、たまに……ごくたまにというか、しょっちゅうというか……。
羽織ちゃん関係となると、まるで俺を見定めてでもいるかのように、目だけは笑わなくなる。
親友、だもんな。
彼女に変なことでも吹き込まれたら、たまらん。
ましてや、せっかく……そう。
もう、本当につい先日ようやく『彼女』になったばかりの関係なのに。
「…………」
そう思うと、自然に顔がにやけてしまうのは……やっぱり仕方ないよな。
……いや、ホント。
キス……ね。
しかもここで、だ。
この場所で自分からするなんて思いもしなかったが、でもまぁ……やっぱりイイもんだよな。
……かわいかったし。
「…………」
思わずあのときの光景が目に浮かんで、ついつい頬がにやけた。
「ちょっと」
「……ん?」
「ん、じゃないわよ。人の目の前で、ふけんないでくれる? ……やらしー顔しちゃって」
「……うるさいな」
「いったい何を考えてたのかしらー?」
「別に。……ほら、手が止まってる」
「はいはーい」
……忘れてた。
目の前に彼女がいたことを。
……あー……。
多分、あとで間違いなくこの子は吹き込むんだろうな。
『気をつけなさいよ? 羽織。……祐恭先生、なんかヘンなこと考えてたわよ? 身の危機よ、貞操の危機よ!?』……とかなんとか。
なぜだか容易に光景が頭に浮かんで、同時に……ものすごくどっと疲れが出た。
「……先生ってさぁ。羽織のどこに惚れたわけ?」
「全部」
「……全部、ね。ふぅーん」
やたらと意味ありげな言い回しの彼女を軽く睨む……が、やっぱりこちらは見ていなかった。
なんか、言い方にトゲがあるっていうか、なんていうか。
まぁ、別にいいけど。
「……何か?」
「んー、別にー? ……ただ、珍しく今回は羽織が自分の気持ちに素直になったなーと思って」
「素直?」
「うん。今までは、好きになった人に好きな人がいたりとか、自分の知ってる子が好きになったりすると、譲っちゃってたから」
それは、正直初耳だった。
だが……まぁ、確かに彼女の性格を考えれば、わからないでもない。
彼女は、自分をあと回しにして他人の幸せを願う。
そんなことが、容易に思いつくから。
「まぁ……それだけ、俺がいい男だったってことだろ」
「先生、そういうの自意識過剰って言うのよ」
「ほっといてくれ」
眉を寄せて苦笑を浮べた彼女を軽くあしらうと、小さなため息が漏れた。
改めて目の前にいる彼女を見てみると、まぁ……なんつーか、これまでまじまじとこうして見る機会なんてなかったし、そもそもふたりきりになることもなかったからわからなかったんだが……。
羽織ちゃんとは違って、キレイという言葉が似合うタイプ。
短い髪と同じく、さっぱりとした性格。
時として、まぁ……人のことをつついてくるときもあるが、大概はほとんどの人間に好かれるリーダータイプ……というよりは、姉御肌って感じか。
現に、部活動でも部長として学年を問わず慕われているし、クラスでも、委員長じゃないにも関わらず頼りにされているのは知っている。
行動力もあるし、文武両道まさにソレ。
教師にも恐れられている部分があるらしいし、どうしたって一目置かれる存在なことは確かだ。
……でもまぁ。
この子とはどんなことがあろうとも、間違いには至らない自信がある。
純也さんの彼女であり、自分の彼女の親友。
――……というのももちろんあるが、なんつーかこう……戦友? みたいな、そんな感じがするんだよな。
女の子っていうよりは、同じ男みたいな……いや、確かに女の子だとは思うぞ?
なんだけど……。
「……絵里ちゃんってさぁ」
「何?」
「俺と似てるよな」
「うん。それは、私も思う」
……やっぱり。
こちらを見ようともせずに、あっさりとうなずかれた。
「なんて言うのかしらね。先生と私って、同じ匂いがするのよね」
「……あー、それはあるな」
つい、普通に彼女の言葉にうなずいていた。
……そう、そうだよ。
それだ。
すっきりした。
これまでもやもやとして出てこなかったぴったりの言葉が、今、かちっと音を立ててはまったような気分だ。
「先生って、羽織いじめるの好きでしょ」
「……別に、俺はいじめてない」
「そう? じゃあ、言い方変えようか。……羽織の反応、見るの好きでしょ?」
「それはね」
うなずきながらきっぱりと言ってのけると、予想済みとでもいわんばかりの表情で、彼女がやっぱり、と苦笑を浮べた。
「昔からの付き合いだから、わかるんだけどね。あの子って、ホントいじめられっ子の典型って感じなのよね」
「だろうな。見てると、こう……いじめたくなる」
「やっぱ、いじめるの好きなんじゃない」
「まぁね」
もちろん、否定はしない。
実際……『違う』とは言えないようなときもあるわけで。
……反応がかわいいっていうか、楽しいっていうか……。
ホント、イイんだよ。あの子。
「幼稚園もそうだし、小学生のときも……あー、中学まではいじられてたわね」
「へぇ」
ふいに懐かしむような表情を見せた彼女と同じように、ふと思いを馳せてみる。
中学生のころ。
今よりもう少し幼い感じか?
そんな彼女が、ことあるごとにいろいろとつつかれて……あー、なんか女の子にもいじられてそうだな。あの子は。
つい、頬杖を付いたままで考え込んでいると、目の前の彼女がにやっとした笑みを見せた。
「だから、女子校にしたのかもね」
「……そんな理由で?」
「あら、羽織にとっては結構重要よ? ……ま、女子校に来たら来たで結局、彼氏にいじめられるようになったけど」
「……だから、俺は別にいじめてなんか――」
「私が夏までに彼氏作れなんて言ったせいかしら……」
眉を寄せて一応の抗議をしようとしたら、はぁ、と小さくため息をつくと同時に、再びノートへ視線を落としてしまった。
……うん、間違いない。
彼女が羽織ちゃんに対する態度は、恐らく俺と変わらないはず。
むしろ、俺より厳しいかも。
頬杖をつきながらそんなことを考えていたのだが、ふと気になったことを口にしていた。
「……中学のときまでいじられてたってことは……やっぱ、男にだよな」
「もちろん。……でも、女子にもいじられてたわよ?」
「女子はいいんだよ、別に。問題は男だろ」
「…………先生、ヤキモチ?」
「うるさいな。いいだろ、別に」
にやにやと笑われてつい瞳を細めると、ふぅんと小さく呟いてから楽しそうに笑った。
……その顔。
同じ匂いがする者としても、やっぱりなんだか複雑な気分だ。
でも普段は、俺もこういう顔してるんだもんな。
そりゃ、しょっちゅう『楽しそう』とか『意地悪』とか言われるワケだ。
「もちろん、男子によ。結構あの子自覚ないだけで結構陰では人気あったのよ?」
「……ふぅん」
「あー、気になるんでしょ。教えてあげようか? 今度写真持ってきて、どの子がそうだって」
「いらない」
あえて、気にしないように務めたのに。
……大人気ないだろ?
別に、彼女が昔付き合ってた男の話じゃないんだ。
それなのに、今さらそんなヤツの話を聞いたところで、どうにかなるわけでもないんだし。
…………なのに。
「いーのかなー? 確か、冬瀬に通ってる子の中にもいるわよ? 羽織のこと好きだった男の子」
「……何?」
どうして彼女は、こうも人のことをつついてくれるんだ。
予想しなかった言葉に、思わず眉が上がる。
「名前教えてあげようか?」
「いや、いい。……冬瀬第一中学だろ? ンなもん、調べればわかる」
「調べてどうするつもりよ……」
「いろいろと」
……まさか、今でも好きとか言い出したりしないだろうな。
トントンと指で机を叩きながらいろいろ考えていると、彼女がおかしそうに笑った。
「先生って、羽織のこととなると変わるよねー」
「……そう?」
「うん。ほかの人の話だといつも『関係ない』って顔してるのに、羽織がちょっとでも話題になった途端、全然違うんだもん」
そんな自覚がまったくなかっただけに、正直驚いた。
……俺、そんな顔してたかな。
そりゃ、人の噂話とかっていうのは元々好きじゃないんだが、だからと言って……彼女が絡むと、そこまで変わるなんて思ってもなかった。
「……あ、そうだ。先生にイイこと教えてあげようか」
「イイこと?」
「うん。特別サービス」
くすくす笑って立てた、人差し指。
まるで『ちょっと耳貸して』とでも言わんばかりの仕草に釣られて身を乗り出すと、ごにょごにょ小さな言葉でひとつひふたつ教えられた。
…………。
「……そんなこと?」
「あら、そんなこと扱いするわけ? やってみなさいよ。反応楽しいから」
シャーペンを握って小さく笑った彼女は、そう言うとまたノートに続きを書き出した。
……そんなことが、ホントに?
彼女に教えられたのは、当然羽織ちゃんに関すること。
だが、正直言って信憑性は薄い。
内容は、なんてことない。ただの、指一本でできること。
それで、絵里ちゃんが言うような反応を得られるとは……正直思えないんだが。
「…………」
相変わらず自分の用がないときはこちらを見ようとしない彼女に不信の眼差しを向けながら考えてみるものの、答えは当然出ないワケで。
……まぁ、長年の幼馴染が言うんだから間違いないとは思うけど。
今度、試す機会があったらやってみよう。
「でもさぁ。せっかくお祭りがあるんだし……一緒に行けばいいのに」
「……またその話か」
「だって、せっかくの夏なのよ? いろんな意味で弾けられる夏!」
「……どんなだ」
急に力説されても、どう反応していいものか困ってしまう。
そりゃ、俺だって……なぁ?
見たいには見たいんだ。彼女の浴衣姿とか、水着とか……いろいろ。
こればっかりは男のサガってヤツだから、仕方ないと思う。
「そうしたいのは、俺だってそうだけど。……でも、仕方ないだろ? こういう関係じゃ」
「んー……まぁそうなんだけどね。でも、羽織の浴衣も見れるし、イイこともできるし、一石二鳥じゃない」
さらり、と。
ノートに考察を書きながら、彼女はそんなことを俺に言ってのけた。
「…………」
「……ん?」
「今、なんか……ひとこと付け加えたろ」
「あら。何か聞こえた?」
「ばっちり」
……この顔は、もしかしたら純也さん譲りなんだろうか。
いとも容易に表情を変え、『さぁ?』なんて大げさな反応を見せて。
普段からこういうやり取りをしているとしか、考えられない。
慣れてるもんなぁ……いろいろと。
「……あんまり教師をからかわないように」
「あら。私は、大事な幼馴染の彼氏へ助言してるだけだけど?」
「…………」
「……何よ」
「別に……」
ああ言えばこう言う。
そういうわけじゃないんだが、でも、本当に負ける。俺も。
……こえーな、この子。
ひと筋縄じゃいかないなんてことは以前から百も承知だったが、どうやら本当に本当に気をつけなければ、丸め込まれてしまいそうだ。
……こと、羽織ちゃんに関しては。
目の前のこの子とは180度違う雰囲気のあの子が俺の彼女で、本当によかった。
もしも絵里ちゃんが彼女だったら、身が持たないだろうな……いろんな意味で。
いや、別に深い意味はないけど。
純也さんは、ホントすごいと思う。
「それに、先生だって買ってあげたいでしょ?」
「何を?」
「りんご飴とか、チョコバナナとか」
「……なんでまた」
つーか、こちらをまったく見ずに喋られるのって、なんかやっぱ……苦手だ。
何を考えてるのか、本当にわからない。
視線は当然ノートに落ちたままだし、手だって止まってないし。
……何を言うんだ、この子。
まだ付き合いの浅い彼女ながらも、やっぱり侮れないと本気で思う。
「何?」
「先生だって、見たいでしょ?」
かと思ったら、今度は急に手を止めてにやっとした笑みを浮かべた。
シャーペンをくるくると回しながら、瞳を細めて口角を上げる。
……何を?
次に彼女が何を言うのかまったく想像がつかなくて、思わず喉が鳴った。
「あのかわいい羽織が、恥ずかしそうにチョコバナナをほおば――」
「いやー暑いなー、外はー」
ばたーん。
これまで音がほとんどなかった部屋に突然響いた、大きな音。
それで入り口を見ると、そこにはものすごくひきつった笑顔の純也さんがいた。
「……あ。お疲れさまです」
「子守ありがとう、祐恭君」
「え? あ、いえ」
大股でずかずかとこちらへまっすぐに進んで来るものの、やっぱり目は笑ってない。
……あ?
これ、さっきの絵里ちゃんと似たような顔だな。
違う点と言えば、まぁ、純也さんからは内心怒りを感じるってところか。
「早かったっすね」
「うん、まぁね」
「……ち」
そんな純也さんがおもむろにテーブルまでやってくると、なぜか張本人であるはずの絵里ちゃんは、嬉しそうな顔どころか……舌打ちをしたわけで。
「……お前は何吹き込んでるんだよ」
「別に何も? ただ、私はあくまで助言者って立場なだけ」
「うそつけ!」
目の前で繰り広げられている光景は、他人事……とは思えなかった。
…………。
はー……。
絵里ちゃんが何を言いかけたのかもわかってるし、だからこそこの純也さんの反応も……もちろん。
つーか多分……。
「……純也さん」
「え?」
「どこから聞いてました?」
「……ははは。まぁ……いろいろと」
「やっぱり」
あのタイミングのよさは、そうとしか考えられない。
ある意味、やっぱり彼が俺にとっての救世主だと言ってもいいんじゃないか。
……絵里ちゃんに歯止めをかけてるのって、やっぱり……この人だけなんだろうな。
「…………浴衣、ね」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ絵里ちゃんと、そんな彼女に負けじと大声で抗議する純也さん。
そんなふたりを目の前にしている状況で少し申し訳ないんだが、やっぱり、想いは彼女へと馳せる。
……本当は俺だって見たい。
無理矢理にでもいいから、手を繋いで混雑する中を歩きたい。
……それができればな……。
「…………はー」
頬杖を付いたまま窓の外を見ると、先ほどよりも日が翳っているのが見えた。
どうせだったら、真夜中に抜け出して……どこかふたりきりでってのも、アリかも。
もちろん、彼女には浴衣を着てもらって。
「だから! お前は黙ってコレ食っとけよ!」
「っ……だから! 何回言ったら覚えるわけ!? マーロウのプリンは、チーズじゃなきゃ嫌だって言ったじゃない!!」
「どれでも一緒だろうが!」
「違うわよ! 全っ然違う!!」
…………。
暑い室内が、さらに熱を上げそうだ。
「…………早く戻ってきてほしい……」
昼メシを買いに行くと言って部屋を抜け出した彼女が、今、ものすごく恋しくなった。
……なんせ、このふたりを落ち着かせることができるのは……やっぱ、あの子だけだもんな。
なんだかんだ言いながら、もしかしたら彼女が最強なんじゃないかと思うあたり、俺も……いろいろわかってきたのかもしれない。
2006/7/8 2004/8/13にアップした『#15:星降る夜に騒ごう』を加筆修正したものになります。 ……って、覚えてる方いるかしら(笑
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