目の前にあるのは、普段から見慣れてるいつもと同じモノ。
細くて、白くて、そんで――……。
……今、何言いかけた。
危うくガラにもないことを思い浮かべそうになって目を逸らすと、張本人がまるで俺の視線でも感じ取ったかのように振り返った。
「なぁに?」
「お前、髪型変えた?」
「うん。変えたっていうほどでもないけど……」
「けど、少し前までバレッタだったろ?」
「そうだね」
きょとんとした顔だけをこちらに向けたのは、毎日毎日もうそれはそれは見慣れるほど見てきた、葉月。
そりゃ、再会したのはついこの間と言っても過言じゃない。
だが、数年も会っていなかった割に何も違和感なくすんなり打ち解けたせいか、あまり離れていたという気がしない。
……イコール、今となっては別に物珍しいモンでもないわけで。
「……? なんだよ」
夕刊に手を伸ばそうかどうしようか迷ってソファから身を乗り出した途端、葉月がくすくすとおかしそうに笑った。
だが、その意味がわからずに眉が寄る。
「これ、たーくんがくれたんでしょう?」
「は――……あー、そういやそうだな」
思わず『はァ?』と言いそうになった言葉を飲み込んで記憶を手繰り寄せると、確かに、そんなことが思い出された。
あれは、先日。
たまたま仕事中、近くにあるモールの本屋に用事があって出向いたときだ。
本屋のすぐ近くにあった雑貨屋の通り沿いに置いてあった、この時期に出た新しいデザインの髪飾り群。
俺にとっちゃひとつひとつの名前なんて知りもしないが、たまたま目を引いたのがコレ。
今、葉月がまとめた髪に挿している、珍しい色とデザインの“かんざし”だ。
……なんとなく、だぞ? ホントに、なんとなく。
別に他意なんて何もなく、見た瞬間『あぁ、葉月っぽいな』って思った。
ただそれだけだ。
なんつーか、コイツは日本に住んでなかった割に、やたら日本染みた雰囲気が漂ってて。
見た目からしても、『和風』そのもの。
誰がどっからどー見ても、トライリンガルな帰国子女だとは思わないだろう。
道に迷って困ってる外国人に、コイツが話しかけたら多分驚かれるはず。
それどころか、途端に『ゲイシャ・ガール』とか言われそうな感じだし。
……いや、それはどーでもいいんだが。
ともかく、そんな経緯で手に入れたモノ。
ほかにもいろいろと凝ったデザインのコームとかピンとかいろいろあったんだが、なんの迷いもなく手に取っていたのはコレだった。
「最近の日本って、なんていうのかな……昔のいいところを取り戻してるっていうか……。すごく、日本の文化を大切にしてる感じがしていいね」
「……そうか?」
「うん。最近流行ってるんでしょう? 華道とか茶道とかっていう、昔からの文化」
はらり、とわずかに纏め髪からこぼれた、ひと房の毛。
クセのないまっすな髪なのに、なぜかそれは緩やかな弧を描くようにして葉月の首筋へ纏わりついた。
葉月が、延々と何か話してるのは聞こえる。
聞こえはするんだが……ついつい視線がそこに向かったまま、離れようとしない。
「……ねぇ、聞いてる?」
「は? ……あー、あぁ。なんだ?」
「もう。聞いてなかったでしょう」
「ワリ。ちょっと考えごと」
とんとん、と腕を叩かれて真正面から葉月を見ると、少しだけ呆れたように笑ってから『しょうがないなぁ』と俺に背を向ける形で身体ごと正面に戻った。
テレビに流れているのは、夕方のニュース番組。
どこぞの公園で外来種の生き物がどうのとか、そんなことをやっている。
……でも、俺にとっちゃどーでもいいことに変わりないんだよな。
むしろ、目の前の『外来種』のほうがよっぽど気になるワケで。
「あっ!?」
「うわ。すげ……何? お前、コレ1本で髪纏めてたの?」
キレイに纏められた髪に挿してあった、俺があげたかんざし。
和なのにいくつもジルコニアがあしらわれていると、和なのか洋なのかわからなくなる。
別に不釣合いとか似合ってないとかそういう意味じゃないんだが……そうだな。
言うなれば、持ち主である葉月に似てるとでも言うか。
ミスマッチな気がするのに、実はそうでもなくて。
……面白いかもな。
新しいといえば、確かに新しいかもしれない。
「もう……どうして外しちゃうの?」
「いや、フツーにどうなってんのか気になった」
キレイに纏められていた髪だからこそ、てっきりほかにもピンとかいろいろ使ってんのかと思ってた。
だから、コレ1本取ったところでどうってことはないだろう、と。
そう思ったからこそ、何も言わずにすっと抜いた。
別に、たかがかんざし1本で、どうにかなるでもねぇだろ……と思ったんだが、どうだこれ。
さらりと落ちた髪が目の前で揺れ、ほのかに甘い香りが漂うというオマケ付き。
……すげ。
もしかしてコイツ、ものすごく器用なんじゃ。
「すげー……お前、コレ1本で纏めてたワケ?」
「……え? 普通だよ?」
「そうなのか?」
「うん」
へぇ。
俺はてっきり、かんざしってのは纏めた髪にあとから挿すもんだと思ってた。
時代劇とかああいう類でも、ただ髪に挿してあるだけ。
飾りでしかないんだ、ってな。
だから、『髪を纏めるためのもの』なんて発想はこれっぽっちもなかったんだが……。
「……ん?」
意外に活用法があるんだな、なんてあげた身ながらも人任せなことを考えつつ細い柄の部分を弄っていると、下りた髪をふたたびハーフアップに纏め上げてから、葉月がこちらへ手のひらを差し出した。
「ちょうだい?」
「…………あ? ……ああ、コレか」
真顔というか、まっすぐに俺を見つめたまま言われた言葉で、情けなくも一瞬動揺しかかった。
……あぶね。
危うく、違う意味の返事をするところだった。
「…………」
俺から指先でかんざしを受け取って、ものの数秒。
1分というには時間があまりすぎる時間の中で、目の前の葉月は器用にかんざし1本で髪を纏め上げた。
……あれ?
俺、コイツにコレやってから……そんなに日にち経ってないよな。
それにしては、やけに慣れた手つきなのか気になる。
が、なんとなく……違和感というよりも『あぁ、コイツならそんなモンか』なんて思えたりするのもあったりして。
「…………」
「…………」
「…………」
「……なぁに?」
「あ? ……別に?」
「そう? なんだか、顔がそう言ってないけれど」
「……るせーな。ンなことねーよ」
いつの間にそうしていたのか、思わず頬杖をついてまじまじと見つめたままでいた。
怪訝そうと言うよりは、まるで何かを楽しんでいるみたいに。
葉月はくすっと笑って、ほつれた髪を丁寧に纏め直す。
……なんつーか……。
「え?」
「……別に」
さっきから、コレばっかりしか言えなくなった感じだ。
……でも、しょーがねーだろ。
細くて白くて……キレイで。
そんな、思わず見入っちまうようなうなじを、惜し気もなく目の前にさらされて――しかも、少なからず好意を抱いている相手だぞ?
かつ、無防備な表情と仕草でヤられたら……なぁ。
誰だって、いろいろ考えるんだよ。
俺じゃなくたって……いや。
俺だからこんなモンで済んでるんだぞ?
どっかのアイツだったら、こんなモンじゃ済まねーだろ。
……場と時をわきまえず無節操に手を出さないだけ、表彰モンだ。
「色の白いは……」
「え?」
「……いや、別に」
ぽつりと口から出かかった諺を続けることなく飲み込み、頭を振って今度こそ夕刊に手を伸ばす。
敢えて、視界に葉月を入れないように。
そう、細心の注意を払いながら。
……七つどころか、難がねーから厄介なんだよ。
白くてついつい手とかいろいろ出そうになる首筋から無理矢理モノクロの紙面へと視線を移すと、気疲れからかため息が漏れた。
|