「それ、もらってもいーすか?」
自分でも、らしくないななんてのはわかってる。
それでも……つい。なんとなく。思わず。
見ていたら、口が開いた。
「えぇえええっ……! せっ……瀬那さんがですか!?」
「……なんだよ」
まるで悲鳴の如き声をあげた野上さんに眉を寄せ、カウンターにもたれる。
すると、しばらくすごい顔で固まっていたものの、何かが閃きでもしたかのように、にやぁっとヤらしい笑みを見せた。
「もしかしてぇ……アレですか? 従妹ちゃんっ!」
「は?」
「だって、それしか考えられないんですもぉーん。……あ、新しい彼女なんてことはないですよね?」
「……何を勝手に盛り上がってんだ」
くねくねと身体をねじりながら、心底楽しそうに擦り寄ってくる野上さんを片手で制する。
相変わらず、彼女はこの手の話が好きだ。大好きだ。
そりゃもー、これでもかってくらい。
「相変わらず人の恋愛話好きだよな、野上さんって」
「ええ、もう大好きですよ!」
自分で言っちゃったよ、この人は。
まぁ、それならそれで世話ないが。
「はー……」
まさか、ここまで騒がれるなんて思いもしなかった。
誰が持ち帰るかで困ってたから、手を挙げただけ。
だからこそ、すんなり『どうぞどうぞ』ってな具合にバトンを渡されると思ってたのに。
あー……めんどくせ。
ひときわタチの悪い人に襟首を掴まれて、思わず後悔のため息が漏れる。
「ふっふっふ。それじゃ、まぁ……あげてもいいですよ? ねー?」
「……いや、そこまで言うならむしろ欲しくねーけど」
「なんてこと言うんですか! もー……罰当たりなっ」
「なんで」
この時間まで残っていたほかの司書に声をかけてから俺を見た彼女に、きっぱり告げてみる。
すると、まるでものすごくショックを受けたみたいな顔をした。
「ダメです! いいですか? 瀬那さんには、これを持ち帰って、そんでもって明日かわいい従妹ちゃんとどうなったかってことをきっちり私たちに報告する義務があります!」
「……どんな義務だ」
「とにかくっ! 言いだしっぺなんですから、持って帰ってください!」
「うわ!」
びしっと指差しながら熱弁をふるわれ、反比例よろしくテンションが下降。
……しかし。
押し付けるようにデカいそれを渡され、思わずよろめいた。
つーか、なんつー力だ。
別に重さがどうこうじゃないんだが、今、彼女が俺に与えた衝撃は結構なモンだった。
「いいですか? 絶対ですよ!」
「あー、はいはい。わーったよ」
くるりと背中を押して回れ右され、そのままどんどんと出口へ追いやられる。
まるで、お使い頼まれた子どもみてーだな。
……つってもまぁ、この状況じゃ……俺の私用に違いないけど。
「それじゃ、もらって帰ります」
「はいはーい。……ふふ。お幸せに」
「……なんだそりゃ」
やたら意味ありげに含み笑いをされ、思わず眉が寄る。
――とはいえ。
受け取ったブツを片手に重たいガラスのドアを開けると、自然に笑みが浮かんだ。
……アイツなら。
間違いなく、アイツがコレを見たら喜ぶだろうと思ったから。
「…………」
ガラにもなくデカい花束を手にしたまま車に向かうと、どうしたってあの笑顔が容易に想像ついて、少しだけ嬉しくもあった。
コレを見たら、間違いなく喜ぶだろうな。
きっと、ふたこと目には『ありがとう』なんて言うに違いない。
……そう、思った。
だから、こんなガラにもない展開を望んだ。
つーかそもそも、この車に乗って以来こんなふうに花束を助手席に乗せたことなんてあったか。
……普通はそうそうねーよな。
映画かっつーの。
大抵の人間は恐らく、こんなふうにデカい花束を隣に乗せて運転しねーはず。
少なくとも、俺の周りにはいない。
…………。
……いや、前言撤回。
ひとりだけいたな、そーいや。
アイツならば、平気な顔してやってのけそうだ。
それでも、恐らく花から1番縁遠い俺がこんなふうに帰宅してるってだけで、十分天変地異を招きそうなほどの確率だが。
……ありえねぇ。
少し前の俺なら、間違いなくもらって帰るなんて選択肢はなかった。
恥ずかしいってのもあっただろうが、それ以前に、まず花を喜ぶような相手がいないってのもある。
そりゃ、羽織とかお袋がいるんだから、渡せばそれなりに喜びはするだろう。
だが――『だから?』という思いもあって。
別に、そこまで大げさに喜んでくれとは言わないが、少なくとも俺は、そんなにお人よしでもない。
そこそこ喜ばれるだけの相手に、なんでイチイチ職場の同僚から恥ずかしい思いしてまで持って帰らにゃならん。
リスクとメリット。
そのふたつを比較したとき、間違いなくリスクが飛び抜けるってのに。
「…………」
だが、今回ばかりは話が違う。
いつもと同じように仕事をして、いつもと同じように帰り支度をしていたとき、ふいに館長が現れて。
それだけでも珍しいのに、その手には目を見張るほど大きくて色鮮やかな花束があったんだから、驚きはなおさら。
そして次の瞬間、さらに目が丸くなった。
「誰か、これ欲しい人いないかな?」
少しだけ困ったように、そんなことを言い出したんだから。
「…………」
いつもと同じ。
それどころか、何ひとつ変わっていない見慣れた我が家。
ガレージ前にハザードを焚いて停まり、シャッターを開けてから運転席に戻る。
そのとき、ふと顔を上げると明かりが灯っている我が家が見えて。
……アイツ、喜ぶだろうな。
また葉月の反応が目に浮かんで、笑いが漏れた。
いつものように車を停めてから、上がる階段。
だが、今日は何か特別な日でもなければ、イベントがあったワケでもない。
なのに、俺の左手には大きな花束。
……ガラじゃねーって言われたら、激しくうなずく。
それでも。……それでも俺は、気付いたら手を挙げていて。
アイツが花を好きなことは知ってたから、まず喜ぶだろうな、って。
……いや。
正確には、花を見た途端無意識の内に葉月を考えたんだろうな。
気付いたときには、ガラにもねーことを口走ってたんだから。
「…………」
正直、花の名前はよくわからない。
それでも、立派というか……やたら高そうな花だな、ってのはわかる。
そしてコレがチューリップではないことも。
「ただいま」
ドアを半分だけ開け、左手が陰になって見えないようにする。
これをアイツが見た瞬間の顔が見たいと思うあたり、俺もヤキがまわったような気がしないでもないが、つい、そうしていた。
ドアへもたれるようにしたまま声をかけたものの、気持ち上ずって聞こえたのがおかしい。
それだけ、どこか期待していたのかもしれない。
真っ先に俺を迎えてコレを見たときの、葉月の反応を。
「おかえりなさい」
「……っ!」
リビングから出てきたのは、確かに葉月に違いなかった。
……だが、問題なのはその手。
あろうことかその手には、大き目の花瓶が収まっていた。
「……? たーくん?」
「それ……」
不思議そうな顔をした葉月を見れず、ただただ花瓶を食い入るように見つめる。
そこには、色とりどりの花が幾つも刺さっていて。
見るからに、数分前まで『花束』だったことを連想させた。
「あ。これね、伯父さんが持って来てくれたんだよ」
「……親父が?」
「うん。なんかね、ほかの先生にもらったんだって」
両手で花瓶を抱えている葉月は、始終にこやかな笑みを浮かべていた。
そりゃそうだろう。
なんせ、コイツは花が好きだから。
葉月が家にいるようになってから、食卓だけでなく、庭に咲く花が増えたのが何よりの証拠。
ときどき『こんな花が咲いたんだよ』と言って土にまみれた手のまま、庭から俺を呼ぶこともあった。
……だから。
別に、葉月が花を好きだということを、俺以外の誰が知っていても不思議じゃない。
家族ならば、もちろん。
「……珍しいな」
「そうだね」
ひと呼吸置いてから出た言葉は、やけに落ち着いていた。
それどころか、口元には笑みまで浮かぶ。
……だが。
「…………」
そっか、なんて言いながらも、頭のどこかでは納得してなくて。
嬉しそうに話してくれる葉月を見たままなのに、言葉はまったく耳に入って来ない。
パサ
代わりに――さほど重たくないものが玄関の壁にぶつかった音だけが、少しだけ痛々しく聞こえた。
無意識、じゃない。
そうじゃないが……確かにそのとき、俺は手を離した。
別に、捨てたつもりはない。
ただ、自然に滑り落ちただけ。
……いや、自然じゃねーよな。
少なくともそこには、『もう要らないな』って意識があったんだから。
「親父も喜んだろ」
「ん? うん……そう、かな?」
「そんだけ嬉しそうに言われたら悪い気しねーって」
いつもと同じ声のトーン。
靴を脱いで玄関に上がり、そのまま階段を目指す。
そのとき、ふとリビングから親父とお袋の声が聞こえてきたが、足が向くことはなかった。
拒否、ってワケじゃない。
そうじゃないが……なんだろうな。
今だけは、正直誰とヘラヘラ雑談をするような気分にもならなくて。
「……たーくん?」
「着替えてくる」
結局、葉月にさえ振り返ることをせず、そのまま部屋へすぐ上がっていた。
「……あ?」
その日の、夜。
俺が風呂から出て階段を上がったとき、葉月の後ろ姿を見かけた。
……珍しい。
てっきりこの時間にはすでに寝てると思ってたから、正直意外だ。
アイツ、それこそ健康優良児並に早寝早起きのクセして……意外だな、ホントに。
パジャマ姿で活動してるところなんて、久しぶりに見た気がする。
「まだ起きてたのか?」
「え?」
髪をタオルで拭きながら、2階の洗面所にいた背中へ声をかけてみる。
――……と。
「っな……」
身体ごと振り返られた瞬間、思わず瞳が丸くなった。
その、手。
小さくて白くて……だけど、しっかりとモノを収めている両手。
そこには、先ほど自分が間違いなく手離した花束が、花瓶に収められた状態で確かにあった。
「……なんで……」
意外なモノを見たから、意外な声が出る。
だが、心なしか上ずった言葉に、葉月は小さく笑っただけだった。
「玄関に咲いてたの」
「ッ……」
「きれいでしょう?」
にっこり笑った葉月は、わずかに首をかしげてから俺と花とを見比べた。
「ふふ。とっても嬉しい」
視線を花へ落とした葉月は、心底そう思っているように微笑んで独りごちた。
恐らく……どころか、絶対に気付いてるはずなんだ。コイツは。
なのに、どうして、なんて理由を問うワケでもなく、責めるでもなく、ただただ受け止めていた。
何も聞かず、まるで本当に玄関に咲いていた花を摘んできたという『当たり前』のように。
葉月は、大事そうに花瓶を抱えたまま、俺の横をすり抜けて部屋へ入って行った。
「…………」
自然と、あとを追うようにドアまで足を運び、放たれたままのそこへもたれるようにしてから見る。
相変わらず、壊れ物でも扱っているかのように、丁寧な動作。
チェストの上に花瓶を置いてからイチイチ花の向きを調整してやってるのを見たら、相変わらず律儀だなとため息が漏れる。
……それでも。
心の中では、ほんの少しとはいえほっとしてる自分もいた。
「ふふ」
白いバラが数多く目立つ、この花々。
ピンクの蘭もあるから、かなりいい花束だと思う。
……でも、この花言葉なんて……たーくんは知らないんだろうな。
『私はあなたに、ふさわしい』
「…………」
まず彼の口から出ることはないだろう。
『俺はお前にふさわしいんだぞ。わーってんのか』
ふと、彼の口調に変換してしまい、言いそうにないなぁと苦笑が浮かんだ。
「……何笑ってんだよ」
「え?」
少しだけ不機嫌そうな声で振り返ると、ドアにもたれて腕を組んだまま、たーくんが少しだけ居心地悪そうな顔をしていた。
だけど、そんな姿を見たら一層おかしくなってしまう。
「……オイ」
「あはは、ごめんね。なんか……」
止めなくちゃと思えば思うほど、くすくすと笑いが漏れてしまう。
いったい、どんな顔をしてこの花束をもらってきてくれたんだろう。
残念ながら、『たーくんが買って来てくれた』という想像はできなかった。
そういうガラじゃないというのもわかっているけれど、恐らく、彼も気付いてないだろう。
この花束に、メッセージ付きのカードが添えられていたことを。
「だって、本当に嬉しいんだもん。……この花、私のこと待っててくれたみたいで」
「っ……」
「ん?」
「……別に」
ひと息ついてから首を横に振り、笑みを浮かべたまま改めて花と彼とを見つめる。
……どうりで、たーくんがあんな顔したはずだよね。
きっと、私をびっくりさせようと思って、もらってきてくれたんだろうな。
なのに――……私が違う花を持っているのを見て、驚いたのは彼のほうになってしまった。
あのときの、たーくんの顔。
……もしかしたら、これからしばらく頭から離れてくれないかもしれない。
「…………ふふ」
そのたびに笑いそうになって、怒られるんだろうな。
もちろん、そこにいる不機嫌な彼に。
2007/6/5
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