食卓に並べられている、色とりどりの朝食。
 毎朝欠かさず並ぶスープは、今日はコンソメ。
 たまねぎとコーンが入っていて、美味しい。
「……ん?」
 そんな、いつもと同じ朝ごはんを前に、葉月お手製のフレンチトーストをいつも通りに食べていたとき。
 ふと、何か感じるものがあって、顔が上がった。
「……なぁに?」
「あ……えっと……あはは、なんでもないの。ごめんね」
「……?」
 顔を上げた途端、すぐに目が合った。
 まるで予感していなかったみたいに、慌てた様子で葉月が手を振る。
 ……むぅ。
 怪しい……とは言わないけれど、なんだか、いつもと違う。
 しきりにこっちを気にしているようなのに、何を気にしているかは言ってくれないし。
 …………。
 もしかして、シャツのボタンでも外れてるのかな。
 ふとそんなことを思って制服のブラウスを確かめてみるけれど、そんなことはなく。
 …………うーん。
 となると、いったいなんだろう?
 謎が謎を呼んで、自然に首がかたむく。
「ごっさん」
「あ。はぁい」
 ……いったい何があったんだろう。
 そんなことを考えながらもぐもぐ続きを食べていたら、隣に座っていたお兄ちゃんが席を立った。
 食べ終わった食器を片付けてから、洗面所へと消えていく。
「羽織っ……」
「え?」
「……ちょっと……あの……いいかな?」
「え? なぁに?」
 まるで、お兄ちゃんの存在が問題だったかのように、彼がいなくなった途端に葉月が身を乗り出してきた。
 真剣な眼差しで、口に入れたプチトマトを噛まずにそのまま飲みそうになる。
 ……な……なんだろう。
 まばたきをしながら動向を見守っていると、あたりを注意深く確認してから、小さく咳払いをしてみせた。
「……あのね?」
 少しだけ、話しにくそうに切り出した葉月。
 その口から出てきたのは――……私自身、まったく気づいていないようなことだった。

「失礼します……っ!」
 早朝1番。
 教室に荷物を置くだけ置いてすぐに、私は化学準備室へ向かっていた。
 バタン、と少しだけいつもより勢いよくドアを開けちゃった気がするけれど、しょうがない……と思う。
 だって、ことがことだけに、ちょっとだけテンションが上がってしまっていたから。
「先生っ!」
「あ。おはよう」
「おはよ、じゃないですよ! もぅっ……!」
 まるで、今来たところといわんばかりの格好。
 机の上に鞄を置いて、コートを羽織ったまま中から書類のようなものを出している。
 今日は、月曜日。
 ある意味では、きっととっても忙しい朝。
 ……だけど。
「先生っ! もぉ……っ……どういうことですか!」
「……何が?」
「何が、じゃないですよっ!」
 今日はこれから、当然のように朝礼がある。
 だから、本当はすぐに体育館へ入らなきゃいけないんだけど……でも、その前に。
 どうしても、しておかなきゃいけないと思ったから。
 ……だから、ここに慌てて来たんだけど……。
「……ぅー……」
 彼の態度は、まったく気づいていないというか、どうして私がこうも慌てているのかという理由がわかっていないというか。
 まったく、いつもと一緒だった。
「…………」
「……ん?」
 コートを脱いだ彼に、眉を寄せて――……襟元を手で押さえてみる。
 すると、不思議そうな顔をしてから、自分の襟元に手をやった。
「そうじゃなくて……っ」
「……違うの? 何? それじゃ」
 彼は、本当にわかっていないんだろうか。
 ……本当に?
 でも、まさか無意識で――……なんてことはないと思うんだけど。
 だ……だって。
 その、やっぱり……あの、内容が内容だけに、っていうか……。
 もぅっ!
 そ、そりゃあ私も、葉月に言われるまで気づかなかったけれど……けれど、でも……!
「……ここっ……! どういうことですか……!」
 顔が赤くなるのがわかった。
 小さく小さく、搾り出すように呟いた声。
 いつしか、ぎゅうっと襟元に当てていた手を握ってしまっていた。
「…………あぁ」
「っ……!」
「何? 今ごろ気づいた?」
「せ……っ……先生っ!」
 しばらく、彼はまじまじと私を見つめていた。
 いったい、どれくらい経ってからだろう。
 表情が急激に変化を見せたのは。
「今さら、時効だよ。時効」
「なっ……ななっ……!?」
「だってほら、2日も経ってるし」
「そんな!!」
 どうして、こんなにもしれっと言えるんだろう。
 ……う……うぅ。
 まるで悪びれた様子がないというか、反省してないというか……。
 でも、これで確信した。
 彼はやっぱり、意図的にコレをココに付けたんだ、と。
「もぅ! 先生っ! どうするんですか、これ……っ」
「大丈夫だって。ほら。今、冬だし」
「理由になってません!」
「十分なってるだろ? 厚着してるから、そうバレないって」
 ひらひらと手を振りながら、いたずらっぽい笑みを十分すぎるほど浮かべる。
 確かに、鏡で確認したら本当に襟ギリギリのところにあるから、ぱっと見はわからないかもしれない。
 ……でも、この時期……冬だよ?
 蚊がいないから、虫刺されなんて理由は通らないし。
 …………うぅ。
 それに、すでにひとりにはもうバレてしまっているのに。
 それで私もわかったからいいけど、指摘されなかったら、絵里にとんでもなく追及されているに違いなかった。
 ……もぅ。
 簡単に『バレないから平気』なんて言ってくれるけれど、実際は、すでにバレちゃってるんだけどなぁ……。
 にこにこにんまりしている彼を見ていたら、小さくため息が漏れた。
「……なんなら――」
「え?」
 しょんぼりと俯いたのが、彼には違った意味に見えたんだろうか。
 しばらくしてから、なぜかとても楽しそうな顔で――……嬉しそうに口角を上げた。

「もう少し、濃くしておこうか?」

「……なっ……!?」
 言われた意味が、一瞬理解できなかった。
「ほら、ちょうど今なら……絶好っていうか」
「なっ……なな、なななっ……何がですか……!?」
「ん? ちょうどいいなぁ、って」
「ちょうどよくないです!!」
 じりじりと追い詰められ、ひきつった笑いが漏れる。
 ……こ……困る。
 っていうか、怖い。
 というか……そのっ……なんだか、すごく墓穴を掘ってしまったような。
 じわじわと……だけど確かに、そんな後悔が今さら溢れ出してくる。
「さ。おいで?」
「いやっ……! い、いいです! 遠慮します!」
「まぁ、そう言わずに。ほら、隣の部屋空いてるしね」
「えぇええっ!?」
 ぶんぶん首を振りながら、背を向けないよう慎重に後ずさる――……けれど。
 すぐに、両肩を掴まれた。
 しかも、がっしりというやけに力強い音とともに。
「……おいで」
「っ……!」
 顔を思いきり近づけられたとき、目の前で瞳が細くなった。

 本気だよ? 俺。

「……っ……!!」
 冗談めいた雰囲気じゃないけれど、でも、本当に本気かどうかはわからない。
 でも、そんな眼差しでニヤリと笑われて、思わず喉が小さく鳴った。


2007/8/10


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