「――……以上、この構造を…………って、だから」
 黒板に構造式を書いてから振り返ると同時に、眉が寄った。
「下敷きで扇ぐなって、言われただろ?」
 テーブルに教科書を掴んだまま立て、ため息をつく。
 すると、幾人もの生徒が友人らと顔を見合わせた。
「だって、暑いんだもんー」
「……それはわかるけど、日永先生に言われただろ? そうやるな、って」
「だってぇー」
「ねぇ?」
「そーそー」
「……ったく」
 下敷きを団扇代わりに扇ぎたくなる気持ちは、わからないではない。
 ……俺自身、昔やったし。
 だが、今朝方この3年2組の担任である日永先生が彼女らに言い渡したのだ。

『授業中、仰いだりしない』

 ……と。
 ことの発端は、先日の彼女の授業。
 そのときに、扇いでいた生徒のひとりが下敷きを割って怪我をしたのだ。
 ……だからまぁ、やるなって言われたんだけど。
「だってもーー! 暑いんだもん!」
「そうだよ! 先生、そう言うならなんとかして!」
「クーラーつけてよーー」
「駄目」
「えぇー!? 意地悪!」
「意地悪じゃないだろ? いたって普通の返事」
「ひどーい」
「……ひどくない」
 ジト目とともに絵里ちゃんに呟かれ、一瞬言葉に詰まった。
 そりゃ、あるものは活用したいと思う。
 したいとは思うが……。
 ……下っ端の教師の立場もわかってくれ。
 そんな、彼女らにはまったく関係のないことが頭に浮かんだ。
 ――……それにしても、だ。
「……もう少し、恥じらいってモンはないのか」
「えー? だって、暑いじゃん」
「そうそう」
「……ったく」
 ブラウスをつまんでバサバサと振りながら涼む彼女らを見たら、ため息が漏れた。
 ……ああ。
 つくづく俺は、女子校の先生ってヤツなんだなと思う。
 先日、ウチの学校に来た他校の先生。
 その人たちは、彼女らのそういう姿を見て、かなり戸惑っていた。
 ……まあ、気持ちはわからないでもない。
 なんせ、俺だって赴任当初はかなりのギャップに悩んだからだ。
 やっぱ、男子校から女子校への赴任っつーのは、極端だよな。
 ……まぁ、こういう光景を見て動じなくなったあたり、俺も慣れたもんだということだが。
「あ。もしかして、先生照れちゃってる?」
「それはない」
「えー!? 嘘でもそうだって言ってよー」
「悪いけど、そんなつもりないから」
 なぜか残念がる彼女らに苦笑しながら首を振ると、あちこちからもブーイングが上がった。
 ……しかし、な。
 今さら、彼女らの格好を見たところで何も――……。
「っ……!」
 ふと目に入った姿で思わず視線が反れ、俯く。
 ……ちょうど、視線が向かったのは……絵里ちゃんの隣に座る彼女。
 その彼女の透けた下着と腹部の肌が目に入った途端、思わず目を逸らしていた。

 彼女は、別。

 なんだかんだ言っても、やはり今の俺にとって彼女のアレなモノだけは、ほかの生徒とはまったく違うわけで。
 ……ヤバい。
 まったく集中できないじゃないか。
「……暑いな」
 いつの間に掻いたのかわからない汗を手の甲で拭ってから、ネクタイを緩める。
 すると、すぐに生徒から声が飛んできた。
「ほらー。先生も暑いんじゃん!」
「ねぇ、クーラー入れようよー」
「……そうするか」
「やったー!」
 今回ばかりは、すんなりとそんな言葉が出てきた。
 ……上の連中には、うまく誤魔化しておこう。
 何よりも――……真っ当な授業を送るのが、俺の義務だし。
 …………これで、彼女の肌を見なくて済むだろう。
 なんつーか、アレだよな。
 エアコンの操作パネルを弄りながら、ふと思う。
 女子校云々っていうか、自分の彼女を目の前に授業するっていうのは、よっぽど苦行なんじゃ……。
「……参ったな」
 ようやく流れてきた冷たい風を感じながら、小さくため息が漏れた。

「先生、羽織見てたでしょ」
 その日の放課後、いつものように教員用実験台にいたら、絵里ちゃんがにやにやと笑いながら歩いてきた。
「……別に」
「うそつき。別にー、って顔してないわよ?」
「……うるさいな。いいだろ? 自分の彼女なんだから」
「あら。でも、学校じゃあ教師と生徒でしょ? 不純よ? 不純ー」
「…………」
 いかにも『悪い教師』みたいな目で見られつつも、何も言い返すことができない。
 ……くそ。
 無性に悔しいのは、なぜだ。
「……そもそも」
「え?」
「君が悪い」
「……私……ですか?」
「そう」
 ため息をついてから、視線を絵里ちゃんの隣にいた彼女へと移す。
 すると、瞳を丸くしてから身の周りを確かめた。
 ……そんなことしなくても、今はもうここには君らふたりしかいないんだけど。
 まぁ、彼女らしいっちゃらしいけどな。
「だいたい、男の教師目の前にして、服をぱたぱたさせるんじゃない」
「あら。それはこっちのセリフよ。イチイチ、教え子の肌見えたくらいで動揺しないでほしいわ」
「……してない」
「したじゃない。現に、クーラー付けてからの先生ってば、書き損じ多かったわよ?」
「だから、それは――」
「……私……ですか?」
「よくわかってるじゃないか」
「…………う……」
 そんな、かわいく恨めしそうな顔したって駄目なもんは駄目。
 俺の身にもなってくれ。本当に。
 ただでさえシャツに透けた下着が目に入るのに、何もわざわざ見せるようなことしなくてもいいのに。
 どーしたって生徒を見ながら話をするんだから、見えるだろうが。
 ……そりゃまぁ、彼女のが見えるのはなんとなく得した気にもなるが、やっぱりそうなると同じことをほかの男性教師も実感してる可能性があるわけで。
 …………腹立つ。
 俺以外の男が、あんなモノ見るなんて。
「っ!」
「……下着を着てこい。下着を」
「き……きてまふ」
「着てない。その、明らかな形が透けないようなシャツを着てきてくれ」
「ひぇんひぇえ……いひゃい」
「わかったなら、離してあげる」
「わかってまふよぉ」
 むに、と頬をつまんで瞳を細めると、うんうんうなずいて瞳を合わせた。
 ……苛めたくなるタイプだな、まさに。
 危うく笑ってしまいそうになりながら手を離すと、両手で頬をさすりながらため息をついた。
「……え?」
 そんな彼女を、指で呼び寄せてやる。
 すると、やっぱり素直に顔を近づけてきた。
 ……人を疑わないってのも、ときと場合に寄るんだが……まぁいいか。
「っ……な……!!」
「わかった? それが嫌なら、ちゃんとしておいで」
「し、してきますっ!! ……もぅっ……先生のえっち!」
「失礼だな。俺は正直なだけ」
「違います!」
 こっそり彼女の耳元で囁くと、すぐさま顔色を変えた。
 だが、コレが事実。
 俺だって本気でそんなこと思ってるわけじゃないが、ときと場合によっては――……わからないわけで。

『学校で押し倒されてもイイなら、いいけど』

 男ってのは、突然本能に突き動かされる生き物にだってなる。
 ……彼女といるときとか、ね。
 絵里ちゃんに問い詰められて赤い顔をしている彼女を見ながら、小さく苦笑が漏れた。
 ……我ながら、困ったもんだ。
 本当に。


2005/7/2


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