「お前は、わかりやすいんだよ」
 久しぶりに入ったのは、孝之の家からほど近い場所にあり、昔からよく通っていた洋食屋『胡桃亭』。
 そこで、孝之が小さく笑ってから煙草に火をつけた。
「でも、まさかお前が本当にアイツと付き合うとは思わなかったけどな」
 頬杖を付いてから煙を吐いた彼は、なぜかものすごく楽しそうで。
 ……こいつは。
 そんな顔されると非常に――……居心地が悪い。
 確かに、こいつの言うことは別に間違ってないだろう。
 だが、何も今さらそんなこと言い出さなくてもいいと思わないか?
 そもそも、どうしてこのタイミングでそんなことを言い出したのかがわからなくて、居心地の悪さは続く。
「羽織がお前を好きだっつーのは、すぐわかった。……でも、まさかお前も本気だったとはね」
「待て。俺は別に、最初からそうだったわけじゃ……」
「嘘つけ。明らかにお前、目が違ったぞ?」
「…………なんだそれ」
「だから、お前はハナっからアイツを“生徒”として見てなかったっつーこった」
 違う。
 それはお前、違うぞ?
 けらけら笑ってからアイスココアを飲み、灰皿に灰を落とした孝之を見ながら眉が寄る。
 なぜなら、コイツが言う通りのことを俺が思っていたとしたら、あんなふうに苦しんだりしなかったはずだからだ。
 俺は、彼女が教え子だからということもあって、かなり悩んだ。
 ……だからこそ、最初からそんなふうに見ていたはずがない。
 そこだけは、絶対に間違いないと断言できる。
「俺は違う。そんなことしない」
「へぇー、ほぉー」
「……んだよ」
「どーだか? つーか、俺はお前がああいう顔してたから、コンパに誘ったんだぜ?」
「は?」
「お前のことくらい、見てりゃわかるっつーの」
 やたらおかしそうに笑って再びココアのグラスに手を伸ばしたの見たまま、激しく眉が寄る。
 ……そんなはずはない。
 というか、こいつと会ったときに俺は彼女の話なんてしなかったし。
 どうしてそこまで断言できるんだか知らないが、無性に腹が立つのはなぜだ。
 …………。
 ……なんか、やっぱ腹立つな。
 理由がわからないから、余計にイライラ――……あ。
「……? ンだよ」
「お前、俺のことは散々好き勝手言うじゃないか」
「は?」
 怪訝そうな顔を見せた彼に小さく笑うと、心底嫌そうに口を歪めた。
 ……ふ。
 わかったんだよ、どうしてお前に腹が立ってるか。
 そりゃ、腹も立つよな。
 なんせ自分のことは棚に上げて、他人のことばかり批判してやがるんだから。
「人のこと言える立場じゃないだろ? お前は」
「……はぁ? 何が」
「だから、お前自身のことだよ」
「俺?」
 紅茶を飲みながら顎で指すと、何やら不思議そうな顔をしてから考え始めた。
 ……ま、わからないと思うけどな。
 コイツみたいに他人を批判するのがうまいヤツは、自分のことが1番わかってないっていうパターンが多いから。
「1番鈍いクセに、よく言うよ」
「だから、何が?」
「お前自身だって」
「……なんだそれ。サッパリわかんねぇ」
 …………やっぱり。
 首をかしげてからココアのグラスに戻った孝之を見ながら、苦笑が浮かんだ。
 どうやら、コイツはやっぱり何もわかっていないらしい。
 ……しょーがないな。
 もしかしてコイツは『あのこと』をすでに覚えてないのか?
 あんだけ悩んで苦しんだからこそ、そう簡単に忘れられるわけないと思うんだが……。
 まぁ、コイツならあり得なくもない。
 なんてったって、昔からかなり『自分に鈍感』なヤツだから。

「じゃーな」
「おー」
 家から近いこともあって胡桃亭で祐恭と別れ、玄関までの外階段を上がる。
 すると、鍵を開けようと構えた俺よりも先に、勝手にドアが開いた。
「おかえりなさい」
「……お前か」
「ん? なぁに?」
「いや、別に」
 ある意味自動ドアだなとか思いながら中に入ると、外を覗いてから鍵をかけた葉月がこちらを向いた。
「瀬尋先生、帰られたの?」
「あ? ああ。……なんだよ。アイツに用でもあったのか?」
「んー……。まぁ、そんなところかな」
「……あ、そ」
 視線をわずかに外してからうなずいた姿が、妙に気に入らない。
 ……お前、別に祐恭が好きとかじゃねぇんだろ?
 そうは思うが、情けなくも未だにあのことを引きずっているらしく、コイツからアイツの名前が出るたびに自分がおかしくなった。
 ――……あ。
 もしかして、コレか?
 祐恭がさっき言ってた、『鈍い』を連呼してた原因ってヤツは。
「なぁに?」
「……別に」
「ん?」
「なんでもねぇって」
 まじまじと葉月を見すぎていたらしく、気付いたらすぐ目の前に顔があった。
 ……って、しつけーな。
 こういうとき、葉月は妙にしつこい。
 普段はそんなことしないくせに、こういうときばかりやたらとツッコんできやがって……。
 お前は、人の気持ちでもわかる力があんのか。
 それこそ、透視能力とでもいえるようなモンが。
「なぁに? ねぇ、気になるよ?」
「いーんだよ、お前は。しつこいぞ」
「だって、たーくんが途中で言うのやめるから……」
「……だから、なんでもねぇんだっつの」
 階段を上がりながらあれこれ言われるが、振り返らずに部屋まで向かう。
 こーゆーときは、こうするのが1番。
 葉月の顔を見てしまえば、すんなりと言ってしまいそうになるから。
「ねぇ、たーくんってば」
「……なんだよ」
「気になるの。ねぇ、何? 教えてくれても、減らないでしょう?」
「っ……だから」
 部屋に入るなり腕を取られ、結局正面から葉月を見るハメになった。
 ……ほらみろ。
 これまでがんばって言うまいとしていた気持ちが、あっさり曲がっちまったじゃねぇか。
「ほらよ」
「え?」
 葉月にジャケットを脱いで渡すと、それと俺とを見比べてから丁寧にハンガーへとかけてくれた。
 これはこれは、相変わらず気が利く――……じゃなくて。
 ……はぁ。
 椅子に座ると同時に、目の前へと戻ってきた葉月。
 顔には相変わらず『教えてほしいけれど、言いたくないなら別にいい』と言っているようで、小さくため息が漏れる。
「知らねぇよ」
「……え?」
「だから! 知らんモンは知らん! 以上! おしまい!!」
「あっ! たーくん!?」
「いーんだよ! 深くつっこむな!!」
 瞳を合わせてからキッパリと告げ、とっとと部屋を後にする。
 が、すぐ慌てたように葉月があとをついてきた。
 しかし、今度こそ振り返りはしない。
 ……こんなところで、あれこれ言うわけにはいかねぇんだよ。


 ――……気付いたら、いつしか目が離せなくなってた。


 自分でも知らない間に、好きになってしまっていた。
 そして……そんな自分の気持ちを知るのが、周りにいた誰よりも遅かった、なんて。
 カッコ悪いこと、この上ない。
 それが自分で十分わかっているからこそ、敢えて口にしたくない。
 …………いいんだよ、別に。
 どーせ、葉月だってそのことは俺がわざわざ言わなくたって、知ってるはずなんだから。
 だから俺は言わない。
 敢えて『知らない』を通し続ける。
 葉月を好きになって、どうしてもコイツじゃなきゃダメで。
 どうやら、コイツこそが心底惚れて溺れるほどの女になってきたらしい、ということに関しては。
 これを、世間では『恋』と言うんだろうが、俺にとっては違う。
 …………と、思いたい。
 葉月に宣言した、あのときのあの詩に詠われていたことと同じように。

 『それでも 恋とは違います』

 あの詩を詠った彼は、やっぱり偉大だ。
 そして、心底俺にとってはありがたい。
 ほかの男に取られそうになってる女に対して、自分の真剣な本音を吐き出してるくせに、『それでも恋じゃないし、自分は知らない』と断言しているんだから。
 ……俺も、それを今回ばかりは拝借させてもらう。
「ねぇ、たーくん。知らないってどういうこと」
「だから、しつこいなお前は……知らねぇっつってんだろ」
「……もう」
 階段を降りながら、後ろを振り向かずに首を振っていたのだが――……ふと、葉月へ顔が向いた。
「ん?」
「…………」
「なぁに?」
「……別に」
 いつもと同じ顔で、わずかに首をかしげる。
 そんな葉月を見てから、視線が前へと戻った。
 ……ったく。
 鋭いんなら、今俺が思ったこともしっかり受け取れよ。
 俺が口に出すことなんて、この先あるかわからねぇような言葉なんだから。
「…………」
 もう少し、その辺を読んでくれると助かるんだけどな。
 女ってのは、やっぱりどーも厄介だ。
 我ながらムシのいいことが浮かんで、小さく苦笑が漏れた。


2006/9/1


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