「……?」
 冷蔵庫からペットボトルを持って、リビングへ入ったとき。
 夜だというのに、外を眺めているヤツがいた。
 ……外は、雨降ってんだぞ?
 何が見えるんだか。
「何してんだ? お前」
「ん?」
 隣に立って、同じように窓の外を見てみる。
 しかしながら、当然部屋の明かりが反射して外なんぞ見えるワケはなく。
 ガラスに手を当ててから顔を近づけるも、かろうじて庭の様子が少しだけ見て取れただけ。
「何もねーだろ? つーか、そんな物珍しいモンでもあんのか?」
 そのままの格好で、まじまじと見てみる。
 …………。
「って、おい」
「ん?」
 てっきり何かしらレスポンスがあると思ったのに、まったくなかった。
 ……こいつは。
 とことんマイペースな葉月に思わず眉を寄せながら見るも、やっぱり普通の顔でこちらを見上げるだけ。
 お前は……あのな。
 常に俺の予想の斜め上をひた走りすぎだ。
「だから。何がそんな面白ぇんだって聞いてんだろ?」
「別に……夜なのに雨降ってるんだ、って思って」
「……は?」
「え? なぁに?」
 雨が降ってる……だァ?
 つーか、改めて見るほどのもんか?
 きょとんとした顔でまばたきを見せた葉月に、開いた口が塞がらなかった。
「…………」
「もう。なぁに? 変な顔して」
「……お前、暇なの?」
 じーっと見てたら、出た言葉。
 だが、葉月はそれを聞いた途端眉を寄せた。
 それこそ、さも『心外』とばかりの顔をして。
「暇じゃないよ? ……ひどいなぁ」
「いや。暇人以外に、こんなことしてるヤツいねぇって」
「そうかな? 結構居ると思うけれど。明日の天気が気になる人とか」
「……あ、そ」
 真面目な顔して出された答えに、ため息が漏れた。
 何をしてんのかと思いきや、そんなことかよ。
 …………っと。
 華の金曜だというのに、こんなところで時間食ってる場合じゃない。
 明日の休みのために、今日中に済ませておくことが俺には多いからな。
「たーくん?」
 カーテンを閉めて伸びをしている葉月の頭に手をやってから、階段へ向かう。
 すると、すぐ背中へ声がかかった。
「俺は、暇じゃねーからな」
「私も暇じゃないよ?」
「暇だろ? お前は」
「……もう。そうじゃないったら」
 ドアのところで1度振り返ってから、そのまま階段へ。
 ……雨だな。
 廊下に出ると、部屋にいたときよりもずっと大きく雨の音が聞こえてきた。
 朝から降り続いていることもあってか、空気もひんやりと冷たい。
 この分じゃ、明日も雨かもな。
 平日雨なのはこれといって構わないが、休日に雨となると結構ヘコむ。
 限られた貴重な自由時間だけに、せめてカラッと晴れてもらいたいもんだ。
 最近割と当たるようになってきた天気予報を見ることなく部屋へ上がると、あとから来た葉月がすぐそこの窓を閉めてため息をついた。
 さも、『雨だなぁ』とでも言わんばかりの顔で。
「……そんなに、雨だと都合悪いのか?」
「え?」
 自室の入り口にもたれて葉月を見ると、1度俺を見てからぺたぺたとスリッパを響かせて歩いてきた。
 温かくなってきた時期だというのに、割と厚手のパジャマ。
 袖を持って両腕を抱えている姿は、どー見ても時期外れな気がするんだが……。
「雨って寒いでしょう?」
「……寒い? この時期に?」
「え? 変かな」
「いや、変っつーか……」
 眉を寄せたまま見るのは――……自分の格好。
 で。再び葉月へ。
 すると、どうやら葉月も気付いたらしく、口元に手を当ててから苦笑を浮かべた。
「……変だね。やっぱり」
「まぁな」
 片や、長袖の冬パジャマ。
 片や、バリバリTシャツ姿の薄着。
 ……どー見たって、同じ季節を過ごしている者同士とは思えない。
 汗が出るとは言わないが、半袖でもちょうどいい気温なわけで。
 だからこそ、葉月の格好が信じられないのが、正直なところ。
 ……なのに、これで『寒い』とか言うんだからな。
 ホント、わからん。
「でも、寒いでしょう? 雨が降ると」
「寒いっつーよりは、『涼しい』だな。俺に言わせれば」
「……そっか」
「そーだぞ」
 くすっと小さく笑った葉月に笑ってから部屋へ入り、パソコンの電源をつける。
 この時間はちょうど、総合格闘技のクライマックスあたりが放送されてるはず。
 見たかった部分はそこだけなので、タイミングよく見れるはずだ。
「……ねぇ、たーくん」
「んぁ?」
「どうして、男の人ってそういう番組好きなの?」
 チャンネルを合わせてから椅子にもたれると、ベッドへもたれながら膝を抱えた葉月が嫌そうな声を漏らした。
 頬杖を付いたまま振り返るものの、やっぱり声と同じく嫌そうな顔をしているわけで。
「……どうしてって……。血?」
「なぁに? それ」
「いや、なんとなく」
 画面を見たまま考えていたら、ちょうど思い浮かんで口に出ただけ。
 だから、『何?』と聞かれても、正直言いようがない。
 ……あ。でも待てよ。
 口から出任せではなく、割といい線いってるかもしれない。
「ほら。縄文時代とか……あのころって男は狩りに出てただろ?」
「……え? うん。まぁ……そうみたいだけど」
 CMに切り替わったところで椅子ごとそちらへ向き直ると、小さくうなずいてから俺を見上げた。
 うん。我ながら、なかなかいい発言をした。
 あれこれ考えがまとまって、それなりに形を成していく。
「だからだな。要は、そのころの感情が残ってるっつーか……」
「……感情?」
「そ。……って、おい! 決まったろ!!」
 ひときわ大きくあがった歓声で画面へ向き直ると、締め上げられている姿が映った。
 そこで、当然ながら思考は一時中断。
 今は狩りがどうのとか言ってる場合じゃねーし、意識はとっくに移行した。
「うお。すっげぇ……よく耐えれンな」
 腕を組んで椅子にもたれ、小さく笑う。
 確かに、こういうのを見てどうのこうの言うのは、男のほうが割合としては多い。
 まぁ、最近じゃ女も多くなったとは思うけどな。
 だが、俺の周りにいる女はやっぱり、葉月のようにいい顔をしない。
 女で楽しそうにあれこれ言うのは、俺の記憶にある中じゃ……アキくれーだな。
 アイツは、多分俺より激しい……と思う。
「……あれって、痛くないのかな」
 画面に食い入ったままでいると、不意に小さな声が聞こえた。
 無論、俺が喋ってないんだから、当然葉月。
 ……しかし。
「ん?」
 微妙な展開が続いている試合を見ながら椅子を立ち、葉月の隣へ座る。
 すると、不思議そうな顔で俺を見上げるように首をかしげた。
「ここ座ってみ?」
「……なぁに?」
「いーから」
 訝しげな顔を見せた葉月に、足の間のフローリングを叩き、うながす。
 ……なかなかガードが固いな。
 まぁ、いきなり『座れ』とか言われたら、誰だってこうするだろうが。
「ねぇ。なぁに?」
「ほら。前向いてろ」
 相変わらず俺を見たままでいる葉月をなだめながら、前を向くように指で示す。
 ……お前、相変わらず素直だな。
 こちらを気にはしながらもすんなり応じた葉月を小さく笑ってから画面に向き直り、そのまま――……。
「っ……!」
 もたれるように、抱きしめることにした。
「え、ちょっ……た……くん……!?」
 ……こんなモンか。
 慌てて腕へ手を当ててきた葉月に何も答えず、そのまま腕の位置を少しずらす。
 すっぽりと腕に収まった感触がなんとも言えないが、まぁいい。
 最初に言っておくが、俺が悪いんじゃないからな?
 あくまでも、俺じゃなくて、言いだしっぺのコイツが悪い。
「ねぇ……たーくん……なぁに?」
 熱い手のひらを当てながらも、しっかり前を向いている葉月。
 その顎へ左腕をかけ、もう片方の腕で――……。
「きゃぅあ!? いたたたた!?」
 ぐいっと左手首を右腕に引っかけて引き寄せると、案の定葉月が腕を叩いた。
「った……たーくん!! いきなり何するの!? ひどい!!」
「ヒドかねーよ。だいたい、力なんて全然入ってねーし」
「うそ! とっても痛かったよ!?」
「ホントだって。5%未満」
 がばっと振り返って怒った葉月に手を振り、ベッドにもたれて身体を支える。
 だが、よっぽど頭に来たのか、いつもと違って葉月は許してくれそうになかった。
「もう! どうして急にあんなことするの?」
「いや、お前が『痛くないのかな』とか言うから」
「とっても痛かった!」
「だろ? だから、アレは痛いんだぞ」
 食ってかかってくる葉月に肩をすくめてから画面へ視線を向けると、大きく……それはそれは大きくため息をついてから、こちらに背を向けた。
「……だからって、何も実践してくれなくてもいいのに……」
 私、お願いしてないよ?
 ため息混じりに呟かれた言葉で、小さく苦笑が漏れる。
 ……いや、まさかあれほどの反応をするとは思わなかったんだから、しょーがねーだろ。
 力こそ当然入っていないが、一瞬締まったからこそ、多分……痛かっただろうな。
 葉月に仕掛けたのは、昔からお馴染み『チョークスリーパー』。
 基本中の基本ともいうべきワザだからこそ、まさか葉月からンな言葉が出るとは思わなかった。
 ……恭介さんも、この手の番組好きだと思ったんだけどな。
 まぁ、だからっつってあの人が葉月へ技をいちいち教え込む姿は、まったく想像できないが。
「本当に、もう……」
 腕をベッドへ乗せてから、軽く肘をつく。
 ちょうど、目の前の葉月を避けて画面を見る形。
 だからこそ、コイツが今どういう顔をしているのかもばっちりわかっているんだが……。
「怒ってんの?」
「え? 怒ってるよ?」
「……そういう感じじゃねぇな」
 とてもそうは思えない顔でこちらを見た葉月に苦笑すると、眉を寄せてから顎を撫でた。
 まぁ……痛いよな。普通は。
 痛いっつーか、割れるっつーか。
 そうやって痛がってる様子を見ると、多少は罪悪感てヤツも湧く。
「だって痛かったんだよ? とっても」
「悪かったよ」
 どうやら、相当痛かったらしい。
 力なんて、入れた覚えねーけどな……。
 まぁ、散々な目に遭ったと言わんばかりの顔を見せた葉月に、反論なんて当然ねーけど。
「っ……!」
「……で? なんで部屋に来た?」
「え? ただ、ちょっと……」
 空いていた左腕で抱き寄せると、しどろもどろになりながら小さく呟いた。
 ……相変わらず、わかりやすいヤツ。
 なんだかんだ言って、こうして近づくとすぐに葉月は表情を変える。
 かわいいと思うし、素直でいいとは思うが――……な。
「っ……!」
「……ンな顔してんじゃねぇよ」
 正直、だからこそこっちだって困るわけで。
 聖人君子でもなければ、女に興味がない変わった男でもない。
 ましてや、相手が好きな女で、こうして……ふたりきりという絶好の夜ともなれば、余計にいろいろ期待もする。
「で? なんで、部屋に来た? いっつも、用事でもなけりゃ部屋にこねぇクセして」
「……だって…………雨が降ってたから」
「雨?」
「うん。だから……寒いでしょう? ……独りだと……」
 正面を向いたまま、葉月が呟いた。
 ……その顔。
 心なしかほんのりと頬が染まっているかのように見え、小さく笑みが漏れる。
「正直なヤツ」
「っ……! だって、それはっ……たーくんが……」
「ったく。しょーがねーな」
「……ん」
 小さく笑ってから頬に口づけると、予想以上に濡れた音が響いた。
 そのまま、両腕を回して引き寄せ、ベッドへもたれる。
 背中が胸に当たって、俺を見上げるようにした葉月と目が合った。
「あったけーだろ?」
「……ん」
 心底嬉しそうな顔をした葉月を、ばっちり見てしまった。
 あー。ガラじゃねぇ。
 つーか、この番組見ながら言うセリフじゃねぇよな。
 葉月に気付かれないように小さく息をつくものの――……すぐここで、やたら嬉しそうな顔をしているわけで。
 まあ、この顔をさせているのが俺だと自覚すると、正直嬉しくはある。
 かわいいとも思う。
 …………はー。
 まさか、こんなふうにコイツを想って、まったく違う目で見るような日が来るとはな。
「……寝んなよ?」
 温かさからか、さっきより静かにしている葉月の髪を撫でる。
 ……。
 ……って、おい。
「葉月?」
「…………ぅん?」
「お前、今寝てたろ」
「んー……寝てない……」
「嘘つけ! 今反応なかったじゃねーか」
「……だって……温かいんだも、ん……」
 へにょん、と顔を緩ませてもたれる姿を見ていると、まぁ確かに、強くは言えない――……って、だから。
 このままじゃいろいろマズいだろ。
 ……いろいろ。
 困るのも俺なら、ヤバいのも俺。
 コイツはまったく問題ない……だろうな。
 別に、俺のベッドで寝ようと自分の布団で寝ようと、“寝れる”ことに大差はねぇんだから。
 ……あーったくよ。
 こんだけべったりくっ付かれてる俺は、そうそう単純に“寝れる”はずねーのに。
「寝るな」
「ん……だって……」
「勝手に寝たら、勝手に食われても文句言うなよ」
「…………ん?」
「……なんでもねーよ」
「なぁに?」
「っ……しつこい」
 ……あーもー。
 目を閉じてこくこくうなずくだけだった葉月が、ふいに俺を見上げた。
 それも、眠たげな顔にもかかわらず、やたらと…………色っぽい眼差しで。
 眠たいから潤んでる。それはわかる。
 ……でも、な。
 そーゆー顔はお前、反則だろ。
「葉月」
「え……?」
「もっと、あったかくしてやろーか?」
 腕に少しだけ力を込めて、肩口で囁く。
 今大事なのは、コイツの返事じゃない。
 どっちかっつーと――……コイツ“自身”の反応。
「…………」
 ――よし、わーった。
 ぴくり、とわずかながらも身体を震わせたのを感じ、両手をパジャマのボタンへ伸ばす。
 身体は正直、ってな。
 コイツの意識はかなり低下してるらしいが、どうやらまだまだ身体は起きてくれてるらしい。
 好都合だ。いろいろと。
「ん……っ……たーく……!」
「……いいぞ、寝てて」
「や……っ……寝れない、でしょう……?」
 首筋を撫でてからボタンを外し始めると、弱々しく俺の手を掴みはしたがまったく問題ない。
 とりあえず、今何をされてるかは頭でわかっててくれりゃいい。
 ……あとはお前の身体に聞くから。
「っ……!」
 首筋へ口づけながらそんなことを思うと、勝手なモンでひとりでに笑みが漏れた。


2005/7/4


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