「ゲンコツ塩チャーシュー、温玉乗せ、辛さ2倍」

 右手で『チョキ』の形を作ってびしっと相手に向けると、一瞬嫌そうな顔をしながらも、『いいだろう』と大きくうなずいた。
 よし。
 今、うなずいたな? お前。
 ……ふ。
 わりーけど、今回俺結構自信あんだよ。
 なんせ、久方ぶりに現役のヤツの教科書見たしな。
 あーあー、まぁ、みなまで言わずとも、コイツは現役“高校教師”なんつー役職に就いているワケで。
 ってことは、当然俺なんかよりも教科書を見る機会は多いだろうし、何よりも、テメェは教える側なんだしな。
 現役を遥昔に退いた俺に言わせてもらえば、お前が勝って当たり前の勝負。
 だが、そこを敢えて受けるのがオイシイ役回りで。
 ……これで勝ったら、コイツ俺にしばらく頭上がんねぇんだろうな。
 鋭く睨んだまま新聞を手にした祐恭に、にやっとした勝者の余裕的な笑みが浮かんだ。

 そもそもキッカケっつーか、最初はいつだったっけな。
 多分、まぁ……普通に高3のセンターだったと思うけど。
 あのとき、すでに俺たちは推薦での合格を貰ってたから、当然センターなんて受ける必要はなかった。
 だが、クラスの連中……ほぼ大半がセンターを受けることになってて。
 ほかにも合格が決まってるヤツはいたが、そんなヤツらとともにある賭けをすることになった。
 不謹慎かもしれないが、『センターの4教科合計点で1番高かったヤツが勝ち』っていう単純なもの。
 まぁ、いわゆる『王様ゲーム』みてーなモンだ。
 そのとき俺と祐恭含めた5人でやったんだが、結果は――……あー思い出して腹立ったな。
 僅差で、アイツに負けたんだっけ。
 どーしても化学でわかんねぇ問題があって、確かそれのせいで。
 そんでまぁ、第1回目はアイツに持ってかれたわけだが……以来始まった勝負という名のゲームは、今もこうして回を重ねていた。
 つっても、さすがにほかの連中とはやってねーけど。
「去年と違うな……」
「ったりめーだろ」
「……別にお前に言ってない」
「知ってるっつーの」
 音のない部屋に響くのは、サラサラというボールペンの音だけ。
 ……ああ、付け加えるなら、新聞をめくる音も含まれるかもな。
 誰もいない、ウチのリビング。
 祐恭はそのこたつの上に新聞を広げながら。
 一方の俺は、ラグに寝そべりながら。
 お互い、当然視線なんぞ合わせないまま、声だけやり取りする。
「…………」
 ふと壁にかかっている時計を見ると、15時を過ぎていた。
 今日は、センター2日目の日曜日。
 ……ってことは今ごろ、アイツはアイツで化学の問題でもやってんだろ。
 再び『日本史』の問題に目を落としながら、ふとそんなことが浮かんだ。
 今回の戦利品は、隣町にあるラーメン屋の平日限定ラーメン。
 雑誌でも取り上げられたせいで、最近ほとんどありつくことができなくなった。
 でも、だからこそ『お宝』って名前にはふさわしいんだよ。
 敗者が、勝者のためにわざわざ終業後すぐ車を飛ばして、順番を取りに行く。
 ほかでもない『王様』に、尽くすため。
 ……ふ。
 目に浮かぶな。
 祐恭が真っ赤なRX-8をかっ飛ばして、『名探亭』に順番取りに行く様が。
 …………ざまぁねぇ。
 それを想像するだけでも、おかしくて笑えてくるからたまんねーな。
「……あ。ついでに、ぼんじりひと皿とビールも追加な」
「は? お前、ラーメン食ってさらに焼き鳥も食うの?」
「いーだろ、別に。俺が勝ったらの話なんだから」
「……どこからその自信が来るんだか」
「ほっとけ」
 ふと頭をよぎったメニューを、ペンを動かしたままで追加しておく。
 あぶねーあぶねー。
 採点中じゃ、ぜってーコイツ『うん』って言わないだろうからな。
 思い出しておいてよかった。
 ちなみに、教科は昨日行われた『国語』『地歴』『英語』そしてお互い現役時代は取っちゃなかったが、『現社』を含めた4教科。
 ……ま、あくまでも『現社』は博打を兼ねた帳尻あわせみてーなモンだな。
 俺と祐恭は『地歴』で取ってた教科が違うし。
 ――……で。
 時間があったら、今日行なわれてる『理科2』と『数学』もやる予定。
 なんつーかこれは……アレなんだよ。
 別に、祐恭と張り合うためとかそーゆーんじゃなくて。
 単なる……まぁ、言うなれば『頭の体操』みたいな。
 祐恭と違って、俺は基本的に普段は『勉強』って2文字からかけ離れてるワケで。
 たまに羽織に聞かれることはあっても、それ以外じゃ、図書館に返却される教科書を見る程度。
 ……まぁ、見るっつったって、落書きがないかパラパラめくるだけだから、実質的には見てねぇけど。
 だから、どうしてもこうして新聞に掲載されるテスト関係はやってしまうフシがあった。
 それがたとえ、高校受験の問題だとしても。
 …………。
 俺、昔から『テスト』って名前の付くモノ、好きだったんだよな。
 多分、理由はそんだけ。
 だが――……どんな理由だろうと、祐恭に負けるのだけは納得いかない。
 なんか、すげー腹立つ。
 ちなみに、これまでの戦歴は『3勝3敗』。
 勝ったのも負けたのも、本当に僅差で。
 だからこそ、今回の勝負は負けられない。
 ……ぜってー勝って、『負けました』って言わせてやる。
 ちらっと首だけを動かして祐恭を見ると、相変わらずクソ真面目な顔でボールペンを動かしていた。
「…………」
「…………」
「……何してるの?」
「うを!?」
 これまで普通の声量での会話なんてなかっただけに、すぐ近くで聞えた葉月の声で思わず大げさな反応が出た。
「なっ……お、お前な。もーちっと静かにしろよ!」
「どうして?」
「どうしてっ……て、だから……おま……」
 どうしてこうもお前は呑気に首をかしげるんだ。
 ぱっと見りゃわかんだろ?
 揃いも揃って、新聞片手に何かしてんだから。
 ……まぁ、こんだけあからさまに『何が?』なんて顔してるようじゃ、本気でわかってねーんだろうけど。
「試験中につき、立ち入り禁止」
「試験? ……何の?」
「だァら、センターだよ! センター!!」
 顎に指先を当ててさらに不思議そうな顔をした葉月へ、ばさっと大げさに音を立てて新聞を見せてやる。
 すると、同じように苦笑を浮かべていた祐恭と俺とを見比べてから、小さく笑った。
 ……あ。
 お前、今何気に『しょうがないなぁ』とか『子どもみたい』とか思っただろ。
 ちっせーため息が聞えたのは、間違いじゃねーからな。
「……ん。それじゃ、邪魔しません」
「ほー。物わかりイイじゃねーか」
「そう?」
「おー」
 視線を新聞へ戻しながら呟くと、いつの間にかドアのそばにいたらしく、ほどなくして小さな音とともにドアが閉まった。
 ……っし。再開。
 1度途切れた集中力を高めるように深呼吸してから、ふたたび問題文の最初に目を落とす。
 ……うん。
 なんか、割とイイ感じに力が抜けたらしく、つらつら頭に文が入ってきた。
 やっぱ今回は、間違いなく俺の勝ちだな。
 ……ご愁傷サマ、だな。瀬尋センセ。

「……ふ」
「ッ……く。いや、ちょっと待て。まだお前が勝ったって決まったワケじゃ――」
「いや、もうすでに明らかだろ?」
 開始から、3時間弱経った今。
 受験生にとっては恐怖でも、俺たちにとっては“過程”のひとつ。
 そんな自己採点を終えた俺たちは、明らかに表情が異なっていた。
 ……クソ。
 ぜってー今回はイケると思ったのに。
 …………あーもーちくしょー!
 この問題、実はミスとかってオチねぇかな。
 わからなかった現社の問題が見事に外れて、祐恭にまたもや僅差で苦汁を舐めさせられた。
 あー。
 ちくしょう、すげぇ悔しい。
 すぐそこで勝ち誇るかのように眼鏡を直す様子が目に入って、思わずギリッと奥歯を軋ませる。
 だいたい、なんだよその顔。
 僅差で勝ったクセして、やけに偉そうなんだよ!
 ンな顔すんなら、もっと圧倒的勝利を納めろっつーの。
 フフンと感じ悪く笑われ、ヘドが出そうだ。
「……あ、終わったの?」
「お陰さまで」
「……フン」
 ダイニングのドアから入ったらしく、葉月がひょっこり顔を覗かせた。
 その手にはいつの間に用意したのか、温かな湯気の立つカップが載ったトレイがある。
「どうぞ」
「あ。ありがとう」
「はい、たーくんも」
「……ごっさん」
 片や、ソファに背を預ける形でコタツに入っている者。
 そして、片や……コタツに顎を乗せて新聞をもう1度最初から見直す者。
 まぁ、どっちがどっちかなんて言うまでもないが、やっぱりまだ信じられなかった。
 いや、信じられないっつーか、なんつーか……悔しいんだよ。とにかく。
 俺だって祐恭以上に、負けず嫌いだからな。
「ねぇ、たーくん」
「……なんだ」
 テレビを付けたのか、音に交じって葉月の声が聞こえた。
 それは、少しだけ遠慮しているときのような――……そう。
 コイツ独特の、何か『お願い』があるときのアレ。
「なんだ?」
 別に機嫌悪いワケじゃないんだが、返事がなかったからもう1度そちらを見てやる。
 すると、両手でマグカップを口付けていた葉月が、おずおずとそれを離して――……何やら意味ありげに笑みを浮かべた。
 ……こんな顔、珍しいな。
 このときの俺は、葉月の次の言動を予測できていなかったから、わからなかったんだ。
 なんせ、それさえわかってれば、なんでコイツがこんな顔したかってのは明らかだったんだから。

「このゲーム、私も交ぜてもらえる?」

 にっこり笑って葉月が背後から取り出したのは――……プリントアウトされたモノだとひと目でわかる、数枚の白い紙だった。

「ねぇ、羽織。ラーメン食べに行かない?」
「……え? ラーメン?」
「うん」
 学校から帰ってきてすぐ、リビングへ顔を出した……そんなとき。
 葉月から、珍しい単語を聞かされた。
 ……ラーメン。
 なんか、あまりにも『日本語』みたいな印象を受けて、思わずすぐに反応ができない。
「え……っと。どうして? ラーメンって……え? お店に?」
「うん。なんかね、おいしいお店があるんだって」
「へぇー」
 顎に指先を当てながら、何かを考えているような……はたまた思い出しているような。
 そんな葉月を見つめていたら、なんだかその姿が珍しくてか笑みが浮かぶ。
「いいよ」
「ホント?」
「うん! あ、でも……場所って、どの辺? あまり遠くだと、私たちだけじゃ……」
 ふたつ返事でうなずいたのはよかったけれど、でも、実際問題私たちが使える交通手段っていうのは、やっぱり公共のものしかない。
 確かに、まぁ……お父さんとかお兄ちゃんとか……先生、とか。
 免許と車を持っている近しい人にお願いすれば、もしかしたら、聞いてもらえるかもしれないけれど。
 でも、それはやっぱり――……。
「大丈夫よ」
「……え?」
「たーくんと、瀬尋先生が連れてってくれるって」
「ふたりが?」
「うん」
 まるで私の不安を察したかのように、葉月はくすくす笑いながら首を横に振った。
 そっか。
 ふたりがいてくれるならば、安心――……って。
「……え? でもどうして、なんで……ふたりで?」
 生まれた、ものすごく大きな疑問。
 だって、連れてってくれるならばお兄ちゃんだけでも十分なのに。
 別に、あの車に乗れない人数でもないし……。
 それに、これから行くとなると……当然、夜で。
 ……先生だって仕事終わったばかりのはずなのに。
「んー……。そのあたりは、ふたりに直接聞いてもらえる?」
「え? そう、なの?」
「うん。ほら、もう迎えに来てくれたみたいだしね」
「……あ」
 ――……確かに。
 耳を澄ませば、聞きなれたエンジン音が少し離れたところから聞こえてきていた。
「っ、あ……葉月?」
「さ、行きましょ」
「え!? あ、で、でもっ! 私まだ、制服――」
「大丈夫よ。ラーメン食べに行くだけなんだから」
「えぇ!? え、あ、でも、でもっ……!」
「ね? 行きましょ?」
「葉月!?」
 ぐいっと手を引かれて、つまづきそうになりながら玄関へ向かう。
 なんか……ご、強引……?
 いつもの葉月とはちょっぴり違って、だけど――……ふと目に入った彼女の横顔は、なんだかとっても楽しそうだった。

「ゲンコツ塩チャーシュー、温玉乗せ、辛さ2倍」

「……え?」
「おいしいんだって。……それが」
 くすっと笑って私を振り返った葉月は、なんだか……少しだけ困ったみたいな顔だったけれど、でもやっぱり、嬉しそうにうなずいた。
 それが何を意味するのかは、私にはわからない。
 でも……まぁ、いっか。
 おいしいラーメンが食べれるなら、文句なんてないしね。

 ――……だけど。
 そのラーメン屋さんに着いてからのお兄ちゃんと先生はと言うと、なぜか葉月に対して……ちょっとだけ1歩下がったような言動を取っていた。
 それは私にとって『?』ばかりだったけれど――……改めて、『葉月ってすごいのかも』って思ったことに変わりはないから、まぁ……いい、のかな。
 ね。


2006/7/23


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