「……あれ? 祐恭君、ケータイ変えた?」
「あ。わかります?」
「うん。キレイになってるから」
「あはは」
授業のない、授業中。
……って言ったら、語弊があるか。
まぁ……でも実際、今は立派なお仕事中で。
単に、担当授業がない空き時間というだけで、れっきとした職務中。
にもかかわらず、ぽちぽちと携帯を弄ってるのはやっぱり問題だろうか。
…………。
間違いなく、ここに主任の斎藤先生がいたら大問題だろう。
「よかったね、隣が授業中で」
「……ですね」
「っていうか、最初からわかっててやってるだろ」
「……まぁ……」
はははと笑いで誤魔化してみるものの、やっぱり純也さんは鋭かった。
いきなり入ってこられたら1発でダメな場所にある、自分の席。
それでも尚……というか、やっぱり手が伸びてしまった。
……子どもと一緒だな。
純也さん曰く、新しいおもちゃを手に入れて、わくわくしてるように見えるらしい。
あながちそれは、外れじゃない。
「あー。そういやこの前、携帯ダメにしちゃったんだっけ」
「そうなんですよ」
コーヒーを片手に席へ戻った彼が、机越しに話しかけてきた。
……そう。
あれはまだ記憶に浅い、つい先日のことだ。
これまでの数年間、まったく機種変更をせずに慣れ親しんできた携帯をぽっちゃり水に浸けてしまったのは……。
お陰で、電池パックからだばだばと水が入り、電源すら入らない最低な状態に陥った。
だが、その後冷風で乾燥させたあとに充電してみたら、奇跡的に電源が入ったのだ。
それを見て即アンテナショップへ向かい、メモリーが生きてるうちに……とバックアップをお願いした。
……たった数分の寿命。
とはいえ、アレはやっぱり奇跡だった。
少なくとも俺は、そう思っている。
そんなわけで、学生時代に機種変更してからずっと使っていた携帯電話から、先日新しいものに変わった。
昔から、孝之なんかにもよく言われていたのが、『物持ちがよすぎる』ということ。
だが、裏を返してみればそれは、単に頓着しないという意味でもある。
……まぁ、アイツが無駄に機種変更して変えすぎだってのもあったんだろうけどな。
それに、壊れる頻度もやたら高かった。
理由は、単純。
単に、酔って落としたり踏み潰したりするのが多かったから。
アイツはそそっかしいとか以前に、ちょっと馬鹿だと思うんだがどうだろう。
「…………」
そんな自分が手に入れた、最新機種と謳われているこの携帯。
何やら、聞くところによるとテレビ電話が可能でかつ、写真も取れて音楽も聴けて、ラジオも聞けて、さらにテレビまで見れる上に、小さなパソコン並みの機能があるという優れものらしい。
なんか……時代はものすごくハイテクになってるんだな。
タッチパネルで動くというだけでも『すごいな』と思うのに、今じゃそれが当たり前で、さらにもっと多用な機能もあるというんだから相当驚いた。
……と同時に、少し物悲しい。
俺が知らない間に、随分と携帯電話ってのは『電話』だけじゃなくなったようだ。
昔は、それこそ同じ会社間でしかメールができず、電話以外の機能も微々たるものだったのに……。
今じゃ、これがあれば大抵のことが可能になってしまった。
……そりゃ、大学の教授連中が首からぶらぶら下げてるワケだよ。
邪魔なことこの上ないと思っていたが、どうやら彼らにとってはまさに『命の次に大事なもの』らしい。
まぁ、俺にとっては結局電話は電話でしかないんだけどな。
どんなに機能が充実したところで、要は使い手の問題。
立派な代物であったところで、俺にとってはイイとこメールと電話と……そうだな。
…………。
……ほかに何か使うかな、俺。
とか悩む時点で、本当に理科系の人間かとか、猫に小判だとか言われそうだが。
「で? 使いこなせてる?」
「……いや。それが、まったく」
「あー。やっぱり? ……実はさ、俺もなんだよね」
意外や意外、彼が苦笑を浮かべて首をひねった。
純也さんなんかは、それこそ携帯の機能をフルで使いこなしていそうなのに。
……ってなると、身内でフルで使いこなせてそうなのは、孝之くらいか。
アイツ、こういうのもマメだからな。
なんでか知らないが、他社の携帯の使い方まで知ってるし。
……。
……どうせなら、めんどくさいし俺もヤツに使い方を教えてもらうか。
なんて、早速俺の悪いクセが顔を覗かせた。
「羽織ちゃんに教えてもらったら?」
「……え?」
設定を適当にしつづけていたら、いきなりロックがかかってしまった。
……これは面倒くさいぞ。
なんて、眉を寄せたときに聞えた彼の言葉。
「彼女に、ですか?」
「うん。羽織ちゃん、結構機械に強いんだよね。……俺もさ、この前キーロックかかっちゃって困ったんだけど、羽織ちゃんに見てもらったら、すぐ直してくれたよ」
「……へぇ」
まったくもって、同じ状況。
……うーん。
もしかしたら、そこって結構鬼門なのかもな。
相変わらず、画面に出つづけている『ロックナンバー入力』の文字と睨めっこを続けてみるものの、適当に打ち込んでみたところで結果は変わらず。
「……じゃ、そうしてみます」
結局最後には、諦めて苦笑とともにうなずくのだった。
「はい、どうぞ」
「……え。もう?」
「え? はい」
その日の夜。
ウチに来てくれた彼女へ携帯を渡すと、ものの数秒で手元に戻ってきた。
しかも、まさに純也さんの言う通り。
まったく手こずる様子もなく、至極当然のような顔でやり遂げた。
……すげー。
なんか、神懸り的……?
普通の顔してにこにこ笑っている彼女の背後に、後光が見えた気がする。
……なるほど。
さすがは、兄妹。
どうやら彼女も、まずは説明書から入るタイプらしい。
「どうですか? 今日1日使ってみて。使いこなせ――……て、ません?」
「まったく」
俺の顔を見れば、結果はおのずとわかるはず。
というかそもそも、ロックの解除方法すら知らない人間が使いこなせてるワケがない。
言いかけて気づいたんだろう。
彼女の笑みが、苦笑に変わった。
性格柄、たとえ使い勝手がわからなくても、まず説明書からということにはならない。
孝之なんかは、間違いなくふんふんと読みふけるタチ。
だが、俺はまず弄くり倒して、ダメになったら仕方なく取り説を読むというタイプ。
……説明書をじっくり読むなんて、俺には合わない。
習うより慣れろ。
まさに、その通りだ。
「最近の携帯は、よくわからないんだよな……」
と言いながらも、実はそもそもこれまでの古い携帯の機能ですら、これでもかというほど使いこなせていなかった。
メールと、電話。
電卓とメモ帳。
あとは、アラームとカレンダーと……着うたの変更ってところか。
……ま、それくらい使えてれば十分かなとも思うんだが、その程度じゃ彼女の足元にも及ばなそうだ。
「でも、よかったですよね。無事にデータが移せて」
「だね」
先日。
彼女が来てくれたその日の内に、機種変更をすべくショップまで向かった。
機種も選ばず一目散にカウンターへ向かい、事情を話す。
すると、慌てた様子ながらも、店員がデータを拾ってくれた。
――……とまぁ、ここまではよかった。
しかし、問題はその次。
なんとまぁ、現在店頭に置かれている機種のほとんどが、取り寄せになってしまうという。
……冗談じゃない。
そもそも、ヘタしたらこのデータの吸出し作業中ですら、突然電源が落ちてしまうかもしれない状況なのに、たとえ1日であろうと待てるはずがない。
ということを精一杯言ってみたのだが、それは向こうもわかってくれていたらしく、取り寄せになっている状況は店側に非があると言ってくれて、パソコン内にデータを保存しておいてくれたのだ。
アレには久しぶりに、人情というか、応用が利く人間と巡り会ったというか、本当にありがたかった。
その甲斐あって、昨日の月曜。
仕事が終わって向かってみたら、すでに新しい機種へ変更手続きが済んでいたワケだ。
……ホント、九死に一生と言ったら大げさかもしれないが、それでも、俺にとってあの携帯に入っているデータは心底重要。
これまで知り合った研究者や他県の教授のデータなんかもすべて入っているから、どんなに金を払っても『もう一度』は手に入れられないモノで。
「……よかった」
それがまた、うっかり自分の不手際で使えなくなったりしたら、もう……それこそ、誰を恨むこともできない。
ついつい、無事にロックが解けた画面を見ていたら、安堵のため息が漏れた。
「…………」
しかし、だ。
無事に機能が使えるようになったとはいえ、なんとも殺風景な現在の待ち受け画面。
せっかく、これまでの携帯にはカメラやら何やらの機能やソフトがあるのに、今のところ、受け取った写真はおろか、撮った写真も皆無。
…………。
これは、もったいないよな。
なぜなら――……。
「羽織ちゃん」
「はい?」
かしゃ
「っ……え……?」
絶好の被写体が、目の前にいるんだから。
「…………ほー。キレイに写るモンだな」
「ッせ……せんせ……!?」
なんともいえない、まさに無防備な表情。
イイ具合に、振りかえりざまの自然な顔を収めることができた。
……しっかし、ホントに画素数高いな。
どうしても普段、ふつーに携帯を被写体に向けている姿を見ると違和感があったんだが、この解像度を見たら、それもうなずける。
ヘタなデジカメよりも、ひょっとしたらキレイなんじゃないのか?
「……よし、と」
「何が、よしなんですか!」
「え? いや。……ほら」
「ッ……!」
ようやく、だいたいの操作が飲みこめてきた。
……なんてったって、今撮ったばかりの彼女の写真をしっかり待ち受けに設定できたんだから。
うん、これは上出来。
そして大満足。
「まっ……待ってください!」
「なんで?」
「だって、こんな……っ……こんなの、困ります……」
だが。
満面の笑みで彼女にそれを見せてやると、小さく息を呑んでから、眉尻を下げて首を振った。
……なんで、そんなに不満げかな。
とはいえ、ものすごく俺好みのイイ顔をしてくれてるんだけど。
あー、ホントにからかい甲斐のある子だな。
まさに、天性と言わずしてなんと言う。
「俺は、これが1番イイんだけど」
「っ……だ、だって! 誰かに見られたらどうするんですか!」
「人の携帯を誰が見るんだよ」
「……う。そ、それは……その……たとえば、拾った人とか……」
「ほー。それは何か。俺が簡単に携帯を落とすような馬鹿なヤツだと?」
「っ……! ち、違いますよ! たとえば、の話です!」
瞳を細めて彼女を見ると、ぶんぶん首を振ってから、携帯に手を伸ばしてきた。
……なかなかイイ度胸してるじゃないか。
俺の許可も得ず勝手に携帯を弄って、画像を変える気か?
まぁ、貸してやらないこともないけど。
「消したりしたら、俺に見られても恥ずかしいときの顔撮るから」
「……ッ……」
こちらを伺いながら、カチカチと操作していた彼女。
だが、ソファに頬杖をついて見守っていたら、音が聞こえるほど鮮やかに動きを止めた。
「そうだな……たとえば、あんなときのとか」
「……ど、んなですか……」
「言ってほしい?」
にっこり。
無言の圧力とは、まさにこのこと。
……彼女の苦手なモノは、わかりやすくて助かる。
「すごく気持ちよさそうで、すごくかわいくて、すごくえっちな顔してるときの写真」
「っ……な……ななっ……!?」
さらさらと言葉を繋げると、みるみるうちに顔が赤く染まった。
単純というか、素直というか……とにかく、かわいい子。
ここまで思った通りの反応を見せてくれる子は、そうそういない。
「……ま、どんなときかは好きに想像してもらって構わないけど」
視線を逸らしながら呟くと、しばらくしてから携帯が差し出された。
……しかも、両手で。
その顔はまさに、『降伏』を表していた。
「なんだ。イイの? 弄らなくて」
「……いいです」
「あ、そう」
心なしか切なそうなのは……気のせいじゃないか。
別に脅したつもりは微塵もないんだけどな。
……ある意味、プレッシャーはかけたけど。
「で?」
「え?」
「……いったい、“どのとき”を想像したのかな」
いたずらっぽく呟いてから、携帯をシャツのポケットにしまう。
そのとき、彼女はほんの少しだけ名残惜しそうに携帯を見つめていた。
「俺がしてるのは、あくまでも服を着てるときの話だけどね」
「……え」
一応、付け足し。
今さらだと言われても、元々そのつもりだった。
あくまでも、俺は公序良俗に反することをやろうなんて考えていたワケじゃない。
……ま、そっちに取るだろうなとは思ったけど。
「失敬だな、君は」
「っ……! だ、だって! 先生が……意味ありげに、言うから……」
「俺はそこまでヘンな趣味持ってないけど」
「……ぅ」
途端に瞳を丸くした彼女へ、心外だとばかりに肩をすくめてみせる。
……あー、反省してる反省してる。
まぁ別に、責めるつもりなんてまったくないけど。
…………けど。
これはこれで、しばらく責め甲斐がありそうだ。
「…………」
なんていうふうに笑みが浮かぶから、誤解を招くんだろうけど。
――……それしても。
やっぱり、今の携帯って結構なんでもできるんだな。
改めて待ちうけの写真を見ていると、ホントにそう思う。
これまでは、パソコンだからできたようなことでも、今ではこんな小さな携帯でもできるようになった。
サイトを普通に見れるだけじゃなくて、自分で作ることだってできる。
……まぁ、さすがにプログラミング的なことからはできないようだが。
それでも、進化してる。
まさに、日進月歩。
技術のすごさを、改めて実感。
「……先生」
「ん?」
しばらく顔を伏せていた彼女が、おもむろに顔を上げた。
そこには、これまでと違って、なぜかとても嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。
……何を考えたんだか。
ついつい、さっきまでの落ち込んだ表情とのギャップに、笑みが浮かぶ。
「それじゃあ、私も先生の写――」
「却下」
恐らく、『写真にしていいですよね?』とでも言いかけたんだろう。
モノの見事に否定してやると、言葉を詰まらせて、うらめしそうに上目遣いで見つめてきた。
……うん。なかなかかわいい。
ついつい、口角が上がる。
「誰かに見られたらどうするんだよ」
「えぇ……? だってそれは、先生も同じ……!」
「でも、俺は普段、仕事中携帯は弄らないからね」
それは暗に、『君は授業中でも弄るだろ?』ということを指す。
……俺が知らないとでも思ってた?
この前俺の授業中、こそこそ携帯弄ってたろ。
何をしてたんだか知らないが、そんなモン丸見えなんだよ。
少しだけ瞳を細めてから『反論は?』とばかりに見つめてみるが、やっぱり彼女は何も言ってこなかった。
懸命だな。
……まぁもっとも、俺に隠しごとしようなんて思った時点で、それこそが間違いなんだけど。
「…………でも、私も欲しいです」
「焼いてあげるよ」
「っ……携帯ですぐ見れるのが、いいんですよ」
「まぁ気持ちはわからないでもないけど」
確かに、携帯の手軽さや便利さはわかる。
昔のように、写真を焼いて持つなんてことをしなくても、今ではデータとしてそれこそ何枚でも持っていられる時代。
……けど、だからこそ実際に手にする楽しみってのもあると思うんだけどな。
なんて、それは俺が古い型の人間だからかもしれないが。
「んー……それじゃあ、ひとつ交換条件だそうか」
「え?」
携帯から視線を逸らすと、さっき閃いた考えが戻った。
もしかしたら、無理かもしれない。
だけど、敢えて口にしてみたい。
……そんな、俺らしい難題を。
「大丈夫だよ。そこまで無謀なことは言わないから」
戦々恐々という感じの顔が見えて、思わず小さく笑いが出た。
首を横に振って、とりあえず彼女が考えていそうなことを否定する。
でも、まぁ……どっちが無謀かって言ったら、それは難しいかもしれないけれど。
「羽織ちゃんの声、着ボイスに設定して?」
何気ない、普通の顔。
そのまま『ね?』と続けると、どうやら予想外の言葉だったらしく、彼女が瞳を丸くした。
「電話の着信とメールの着信。あとは毎朝のアラーム。……それをしてくれたら、喜んでデータあげる」
「な……ななっ……な……!?」
我ながら、なんて交換条件を持ち出したんだろうと思う。
だが、実はそれが1番欲しいモノだったりして。
正直、それが可能かどうかなんてことまではわからない。
だけど、彼女ならば……やってくれるんじゃないだろうか。
心底拝み倒してみたら、あながちできないこともないんじゃないじゃ。
……そう思ったら、口にしていた。
無理かもしれない。
難題かもしれない。
それでも――……素直に、あったらイイなと思ったから。
「……どう?」
瞳を丸くして俺を見つめている彼女に訊ねると、うっすら唇を開いてから、きゅっとまた結んだ。
返事が聞けるのは、もう少しあとかもしれない。
それでも――……。
「イイ返事期待してるよ? 羽織センセ」
「っ……!」
にっと笑って首をかしげると、なんとも言えない微妙な表情で、『もぅ』とひとことだけ呟いた。
その後の結果は――……言うまでもない。
2007/5/22
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