「お兄ちゃんが悪いんだからね!」
「ンだと!?」
こんなモノ、俺たちにとっては『喧嘩』のうちに入らない。
――……が、しかし。
ここ最近になってからは、若干その色が変わって来つつあった。
「もう。今度はどうしたの?」
その口調は、まるで幼い兄妹をなだめる母親さながら。
だが、リビングからひょっこり顔を出した声の主は、俺よりも羽織よりもちっこいヤツ。
迫力に欠けるし、説得力もなさげに感じる……のが、普通。
だが、俺たちはやっぱりコイツに口答えなんてできない。
普通だったら、上目遣いで叱られた途端『うるせー!』と一喝できそうなモンなんだがな。
「葉月ぁー! ねぇ、聞いてよ!」
「なぁに? どうしたの?」
まるで、自分だけの味方がやって来たような表情で、羽織がそそくさと葉月の腕を取った。
……ち。
また、そうやって自分を正当化する気か。
ったく。どこで覚えたんだかしんねーけど、随分狡くなったよな。
やっぱ、アレか?
てめーの男に丸々染まったってことか?
……ま、それはそれでうなずけるから、黙っておくが。
「お兄ちゃんが、私の今川焼き取ったの!!」
「今川焼き……?」
「そう! ほら、冷凍のヤツで、レンジで温めるだけのあれ!」
信じられないでしょ、なんて丸め込む気満々。
バリバリ被害者ヅラと声色で擦り寄るように葉月の顔を覗き込み、してやったりみてーな顔で俺を見やがる。
……うわ。
コイツ、やっぱそーとーヤられてんな。
頭ン中いっぺん開いて見てやりてぇ。
さぞや、わんさかちっこい祐恭がいるんだろう。
…………。
……つーか。
「オイコラ」
「……え?」
「え、じゃねーよ。お前な。さっきっから黙って聞いてりゃなんだと? あァ?」
腕を組んだままで羽織を睨むと、一瞬眉を寄せ――……って、きったねー。
葉月の後ろに逃げやがった。
……コイツ。
ぜってー、俺が相手だからってナメてんな。
いーか、お前。
俺だってな、別に葉月がお前だけの味方しようと何しようと、手加減はしねェんだよ。
むしろ、ンな態度取るなら結構。
俺は俺で、ぜってー非がないことを証明してやる。
「えっと……どういうこと?」
冷蔵庫にもたれたまま羽織から視線を逸らすと、すぐに葉月がぽやんとした口調で訊ねてきた。
相変わらず、緊張感がねーっつーか……なんつーか。
まぁいいけど。
「あのな。お前のその後ろにいる嘘つき娘が、最後の今川焼きを勝手に食いやがったんだよ」
びしっと人差し指をむけ、ふんっと鼻で笑ってやる。
だが、そうした途端ものすごい勢いで首を振りながら羽織が葉月の前にしゃしゃり出た。
「ちがっ……! お兄ちゃんひどい!」
「はァ!? 何言ってんだ!! ひどいのはお前だろうが! 勝手に3つも食いやがって!」
「違うってば!! だって、私が最初に封開けたんだよ!? 5個もあったのに、今見たらひとつしかなかったんだもん! 私、ひとつしか食べてない!!」
「馬鹿か!! 俺だってひとつしか食ってねーっつーの! お前が寝ぼけて間違えたんじゃねェのか!?」
「なっ……!! 違うってば!! そんなことない!!」
「はーぁー? ンなら証明してみろよ! えぇ!? だいたい、そこまで言いきんなら俺が食ったっつー証拠でもあんのかよ、証拠でも!! 日付ついでに、何時何分何秒だか言ってみろ!!」
「っ……何それ……。いまどき小学生だって言わないよ? そんなの」
「うるせーな!」
やいのやいのと繰り返す怒声に罵声。
いつの間にか、数メートルあったはずの距離が数センチにまで縮まっていた。
……コイツも、結局は俺の妹ってことか。
口も悪けりゃタチも悪い。
付け足すなら、その上顔も……としとくか。
「え?」
「つーワケだ」
睨み合うままじゃ、ラチがあかない。
ひと呼吸置いてから、羽織の肩越しに視線が合った葉月へ告げると、ぱちぱち瞬きをしてからこちらに歩み寄ってきた。
「……えっと……」
まるで、さながら主審みてーな持ちあげの仕方。
俺も羽織も、なぜだか知らないが葉月の返事を待つ格好。
……いったい、いつごろからだったっけな。
こんなふうにまた、葉月に喧嘩の仲買いを頼むようになったのは。
小さいころ――それこそ、まだ葉月と一緒に住んでたころは、いつだってそうだったんだけどな。
アレは今からもう、十数年以上前の話。
だが、はっきりと今でも幾つかのシーンを覚えている。
ただでさえ昔のことなんぞ気に留めない俺がそうなんだから、もしかしたら葉月はもちろん、羽織もそうかもしれない。
「……あの。ひとつだけ質問してもいい?」
「ああ」
「うん。いいよ」
ちょこんと右手を挙げた葉月を目の前に、俺たち兄妹は肩を並べる。
……なんだかな。
ガキの反省会じゃねーんだが。
「え……っと」
こほん、と小さく咳払いをした葉月が挙げていた手を口元に当ててから、俺たちをそれぞれゆっくりと見つめた。
次の瞬間。
「あの……『イマガワヤキ』ってなぁに?」
かこーん。
「…………」
「…………」
「え?」
まるで、水を打ったどころか、世の中が真空にでもなったかのように音が瞬時に消え去った。
「……そこかよ!!」
ぐんにゃりと力が抜けて、冷蔵庫へもたれる。
羽織はというと、びっくりでもしたのかその場に立ち尽くしたまま。
……まさか、そんな審判が下るとは。
正直、思ってもない結果だ。
まさに、予想外。
人間、思い込みってのはある意味恐ろしいな。
ンな言葉、いったい誰が想像するよ。
「えっと、私……何か変なこと言ったかな?」
「……そーじゃねーけどよ……」
口元を押さえ、ワケがわかってないらしく、ただただ俺と羽織とを見比べる葉月。
……ンな顔されてもな。
俺だって、どー言ったらいいモンかと若干悩むワケだが。
「……え?」
そんなとき。
それまで俯いて黙っていた羽織が、がばっと葉月の両肩に手を置いた。
「っ……ふ……」
「羽織?」
「……あはっ……あははは! や……くるし……!」
笑ってるよコイツ。
ぷるぷる震えてた原因はソレか。
……まぁ、わからんでもないが。
「あはははは! はっ……は……ぁ、はぁっ……あー。苦しかったぁ」
「……そんなに笑わなくても……」
「だってー。葉月ってば、かわいいんだもん」
こういう、いかにも女同士のやり取りっつーのは、正直苦手。
ウソくせーっつーか、メンドくせーっつか。
なんか、俺には合わない。
『ごめん』とか言いながら葉月の頭を撫でる羽織を見ても、やっぱり『馬鹿か』とかって感情しか湧かないし。
…………。
……あー。
もしかしたら、こういう光景を見て祐恭は『かわいいヤツめ』とかって思うんだろーな。
すげー怪しい眼つきで。
「たーくん?」
「あ?」
ふと俺を呼ぶ声が聞こえ、意識が一瞬飛んでたのに気づいた。
……すげー客観視してた。
コレもまぁ、ある意味俺のクセっちゃクセかもしれない。
「なんだよ」
「ねぇ。羽織と仲直りしよう?」
「…………は……ァ?」
思わず、眉を寄せたままでぽかーんと口が開いた。
……何言い出すんだ? コイツ。
だが、どうやら葉月は本気で言っていたらしく、きょとんとしたまま不思議そうに俺を見た。
ンな顔してぇのは、こっちなんだが。
「ちょっと待て」
「え?」
「……は? オイ。なんで俺が、コイツなんかに謝ンなきゃなんねーんだよ」
「ぁいたっ!?」
葉月を見ながら、拳でコンコンと羽織の頭を小突く。
途端に不服そうな顔をされたが、ま、仕方ねーよな。
恨むなら、自分の低身長を恨め。
ちょうどイイ高さに頭があるほうが悪い。
「いーか? そもそも、俺はコレをひとつしか食ってねーんだぞ? なのに、なんで余計に食ってるコイツに謝らなきゃなんねーんだ」
「確かに、羽織がひとつ多く食べたかもしれないよ? でも、だからって……何も喧嘩することはないでしょう?」
「なんで」
「……もう。また買ってあげるから、仲直りしよう?」
「な……!」
……お……。
お前はいつから俺のお袋になった……!
そう思うほどぴったりと、葉月の口調と仕草がお袋にカブった。
…………うわ。
なんか、将来のコイツのビジョンが若干見えた気がする。
「……? たーくん?」
「……いや別に。つーか……もういい」
ごくりと何かを飲み込んでから首を振り、仕方なくリビングから階段へと向かう。
「……え? あっ……たーくんっ!」
「いーって。俺が引きゃいーんだろ」
当然のように背中へ声が飛んできたが、この際知らんフリ。
……ったく。
結局は、いつもいつも『お兄ちゃんなんだから』とか『大人なんだから』とか『年上なんだから』とかっていう同一の理由で却下されるんだよな。
……あー。俺ってつくづく可哀相な立場だと思うぜ?
このせいで、どんだけ損してることか……。
だいたい、毎度毎度喧嘩するたびにたとえ非が向こうにあったって、全部俺のせい。
たまんねーよな。
これだから、年下とか女とかってのは、ホント優遇されてる生き物だと思う。
年上の男ってのは、大変だっつーのに。
……ちったァその辺わかれっつーの。
せめて――普段、俺をそんなふうに一緒くたに扱ったりしない、お前だけは。
「…………」
小さく舌打ちしてから、階段を1段ずつ上がる。
若干、踏む音がいつもよりも大きかったのは、気のせい――……じゃねーだろな。
そりゃ、俺だって毎回毎回大人しくすっこんでるワケじゃねーんだ。
さすがに、そこまで人間できてねーし。
……だけど。
それでもやっぱり、葉月に間に入られると……勢いが50%減。
つい、あの瞳を見ると無意識の内に『ダメでしょ?』とか言われてるような気がして、結構……クるんだよな。マジで。
「…………」
トン、と一段上に片足を置きながら、動きが止まった。
もしかしたら――……ある種の『刷り込み』がされてたりして。
……いや、あり得なくはねーんだよ。
昔から、今回と同じように、羽織と喧嘩してるところへ葉月が入って来て、仲裁する。
小さいころ、それこそまだ幼稚園児だったアイツにそうされると、当然強くは言えなくて。
泣かせたらマズいってのもあったとは思うんだが、なぜか、アイツには強く出れない雰囲気があった。
昔から。
…………。
……なんか俺、前世で弱みでも握られてたのか……?
例えば、上司と部下とか。
はたまた、実は――……親子だったとか。
あ。それならありえるかもな。
ほら、さっきも葉月に『お袋っぽさ』を見出したし。
……うわ。
そう考えると、それはそれでなんか……ナンだな。
「…………」
ごくり、と喉が鳴り、しなけりゃいいのにまた勝手に頭が動き出した。
……母親。
そりゃ、弱み握られてて当然だ。
つーか、そう仮定すると――……。
「……たーくん?」
「うを!?」
階段にある窓へ手をついたまま考え込んでいたら、階下から間の抜けた声が聞こえた。
情けなくもびくっと思いきり反応したせいで、そのまま落っこちそうになる。
……ぶね……。
両手で手すりを取ったお陰で難を逃れたが、1歩遅かったら真っ逆さま。
さすがに、この時期に病院暮らしは御免こうむりたい。
「……大丈夫?」
「ああ」
そうは言いながらも、未だにばくばくと高鳴ったままの鼓動。
だが、どうやら葉月にはそこまで伝わってないらしい。
……ほ。
情けねートコ見られたら困るとかってワケじゃねーけど、とりあえず、そういう部分は少ないほうがいい。
「で? なんだ?」
結局、上ってこようとしない葉月がいる1階まで降りてから、壁にもたれるようにして見下ろす。
――……が。
「…………なんだよ」
葉月は、まじまじと俺を見つめたまま何も言わなかった。
まるで、何かを考えているかのように。
もしくは、単にぼーっとしてるだけ……ってそれはそれで、ナンだが。
「…………」
「…………」
眉を寄せたまま黙ってたら、不意に、葉月が視線を外した。
……なんだそれ。
一瞬、『いいこと思いついた』みたいな顔をしたのが見えて、当然のように眉が寄る。
ぜってー、俺にとってはいいことじゃないはず。
大抵、この場合はそういう結末だ。
「よくできました」
「っ……」
階段に1段上がって俺と同じ目線の高さにしてから、葉月が頭を撫でた。
「………………は?」
「え?」
どのくらい口を開けっぱなしにしてただろうか。
満足げな葉月を見たままぽかんと口を開けていたら、俺とはまったく逆に、葉月は俺の反応が不思議だったらしい。
「えっと……なぁに?」
「いや。それはこっちのセリフだろ」
おかしなこと言ったかな? とでも言いたげな葉月に眉を寄せ、緩く首を振る。
つーか『よくできました』なんて言葉は、それこそ俺じゃなくてガキっつーか、自分よりも下の人間に対して遣う言葉だろ?
しかも、まるで『偉かったね』なんて続けられそうな勢いだったし。
……それを、俺にだぜ?
「…………」
「ほら……羽織のこと、あれ以上責めなかったでしょう? だから……なんだけど……」
「…………」
「たーくんが折れてくれたから、羽織もあれ以上言わなかったし……ね? あ、買い物行くから、欲しいものあったら買ってくるよ?」
「…………」
「えっと……イマガワヤキ、だっけ? それ、見たらわかるかな?」
書いてあるのかな。
ぽつりと独りごちたのまで見てから、ため息ついでに瞳を細めるのも当然だろ。
「っ……た、く……!?」
だから、敢えてというか――……気づいたら、こうしていた。
普段とは少し違う、キスの仕方。
上からみてーな物言いをしたヤツに対する、ささやかな反抗とでも言えばいいか。
ぐいっと腰を引き寄せ、普段とは逆に顎を上げて口づける。
だが、数センチしか違わないのもあってか、大した違和感は残らなかった。
「たっ……たーくん……っ!」
ちゅ、と濡れた音とともに唇を離すと、眉を寄せて困ったような顔をした葉月が目の前にいた。
おもしれーヤツ。
これまでこんな反応をする女がいなかったせいか、ものすごくそう思った。
さっきまでと違って、大人っぽさなんてどこへやら。
……そういう顔すンから、何かしらしてやりたくなるんだよ。
「買い物、一緒に行ってやンから待ってろ」
「え……?」
「鍵取ってくる」
葉月の横を通って部屋に戻り、机に置きっぱなしだった携帯と鍵の束を掴んで、再度下へ。
そのとき、まだ階段でひとり立ち尽くしている葉月が見えて、小さく噴き出していた。
「今川焼き、食ったことねーだろ」
「たい焼きとは違うの?」
「あー、形が違うだけで味は同じかもな」
わずかに首を傾げたとき、すでに葉月の表情はいつもと同じに戻っていた。
おもしれーやつ。
さっきまで、俺でいっぱいいっぱいになってたクセに。
「ん?」
「別に?」
これまでになかった反応をするヤツ。
だからこそ、新鮮で――面白いと思った。
興味を、えらく惹かれた。
……もしかしたら。
俺がいつしか葉月を意識するようになったのは、そういう『ほかのヤツらとは違う部分』を見つけたからかもしれない。
「バッグ持って来いよ。行くぞ」
「あっ、待って!」
玄関へ向かってとっとと靴を履くと、慌てたように葉月が階段を上がっていくのが見えた。
2006/11/22
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