「お前ってさ、好みのタイプとかあった?」
「は?」
 昼どきとあって、雑多な混雑を見せるファミレスの一角。
 この間借りた本が延滞になってると言われ、休日だというのに孝之と過ごす羽目になった。
 休日は、愛しい彼女がそばにいることが多いので、たとえ血の繋がりがあろうとも、目の前にいるのがコイツではもろもろ半減。
 本を返してとっとと帰宅するつもりだったが、つい昼飯を食べていく気になってしまったあたり、ファミレスの魔力か。
「そーゆーお前こそあったのか? ンな中学生みてーな妄想」
「妄想じゃないだろ。ちょっと気になったっていうか……まあ、単なる好奇心」
 心底嫌そうというよりは馬鹿にした顔で見られ、当然眉は寄る。
 仕方ないだろ、柄じゃないとはいえ、つい隣のテーブルの話題が耳に入ったんだから。
 今はもういないが、おそらくは彼女と同年代の子と思しき数人。
 その子たちが『好きなタイプと彼氏が同じ』と話すのを聞いて、そういえばと思ってしまった。
「真面目そうで、真面目じゃない、実は真面目な子と見せかけて意外性のある子」
「……それ、優人だろ」
「よく覚えてんな、お前」
 ハンバーグを口へ運んだ孝之が、器用に人差し指を向けた。
 いつだったかまでは、定かじゃない。
 それでも、確か学生のときチャラチャラしてない彼女ができたと思ったら、そんなことを口走っていたことがあった。
「言うなよ」
「誰に?」
「誰にでもだっつの」
 こんなふうに前置する時点で珍しいものだが、コーンスープへスプーンを沈めながら、肩肘をついた。
「爪の先まで自分のこと気遣ってる女」
「………………」
「ンだよ」
「いや、なるほどなと思って」
 コイツ、やっぱり真面目なんだよな。根が。
 優人とツルんでるし、普段の言動もまったく真面目じゃないものの、見てるところはしっかり見てるとでもいうか。
 シニカルで、常にいろんなことを根拠を元に判断してるとでもいうか。
 そういうところは、まったくタイプも違うけれど、彼女と似てるんだろう。
「人が見てる見てないに限らず、見られてることを意識してるってのは緊張感持つって意味でもアリだろ? その点、羽織はまったくねーけどな。アイツ、寝癖ついたままでも平気で出かけるし、理解できねぇ」
「そういう素の部分があるからかわいいんだろ? 計算してないところが」
「計算してないんじゃなくて、できねぇんだろ? それに、俺は別に計算云々を言ってんじゃねーよ。男女問わず、人に対して一定の敬意はらってるかどうかってのが大事なんだろが」
「へぇ」
「待ち合わせでもなんでもな、ちょっとしたガラスに映った自分とか見て、さりげなく身だしなみ整えるっつーか……几帳面ともまた違うんだろーけど」
 頬杖をついたままスプーンを振る姿からは、とても想像できない。
 というか、お前そんな子がタイプだったのか。
 知ってるようで知らない、コイツの付き合ってきた“彼女”からは、まったくわからなかった部分。
 まあもっとも、来るもの拒まず去る者追わずなコイツが、よもやひとりの彼女に固執するようになるとは、きっと1年前のコイツ自身も思わなかっただろうに。
「なるほど。その点、葉月ちゃんは爪も綺麗にしてるもんな」
「……なんでお前、葉月の爪まで知ってんだよ」
「なんでって、この間お邪魔したとき、お茶出してくれたろ? そのとき見たから」
 葉月ちゃんのことを口にした瞬間、あからさまに態度が変わった。
 お前、実の妹に対するものとだいぶ違うぞ。
「爪っていうか、指先って結構目につくものなんだよな。お釣り受け取るときとか、ノート提出のときとか、結構人の指先って目につく」
「あっそ。で? お前はどーゆーヤツがタイプなんだ?」
 羽織そのものとか言うなよ、と俺のことをよくわかっていそうなことを指摘され、思わず苦笑が漏れる。
 お前、正直だよな。本当に。
 今度葉月ちゃんにあったら、このことを伝えておこう。
「俺は、行動力のあるしっかりした子かな」
 好きなタイプなんて、そもそも最初にいつ思ったのことがあるのかさっぱり覚えていない。
 孝之からふと視線を外して、いろいろ巡らせた結果出たセリフで、目の前のヤツは盛大に噴き出した。
「おま、全然ちげーじゃん! まじかよ! なんでアイツと付き合った?」
「失礼だぞお前。いくら兄貴でも、言っていいことと悪いことがある」
「いやいやいや、羽織に行動力なんてどこ見たら感じとれんだよ! 万年遅刻組で、テスト前だっつって部屋の掃除してるようなヤツだぜ? むしろ、それゆーなら絵里ちゃんのほうがよっぽど行動力あんじゃねーの」
 それは確かに、とうなずきそうになる。
 今ごろ、絵里ちゃんくしゃみのふたつみっつしてるかもな。
「自分の意見をきちんと持っていて、それをはっきり言えるっていう点では行動力があるしっかりした子だと思うよ」
 初めて会ったときは、コイツの妹だとは思わなかった。
 いかにも人がよさそうで、どんな相手のこともハナから信用してしまうような、いわゆる『いい子』。
 接するうちに、人に対して敵意をまったく抱かせないような、純粋さも感じた。
 だから、かもしれない。
 そんな、かわいくておっとりしているような彼女が、実は深いことを考えて行動していてーー何より、自分よりも誰かのために動こうとする子だとわかったとき、自分の中の価値観が変わった。
 見た目と違って、すごく芯のある子なんだなと思ったら、つい目が離せなくなっていた。
 いつだって誰に対しても優しくて、穏やかで、純粋で、疑うことをしなくて。
 誰かに頼まれたら、嫌とは決して言わず、自分の用を後回しにしてさえ誰かのために動こうとするであろう子。
「……お前さぁ」
「ん?」
「羽織のことしゃべるときの顔、普段と全然違うよな」
 頬杖をつきながら、孝之がカフェラテのマグを傾けた。
 嫌そうな顔されても、困る。
 しょうがないだろ、好きになったのがたまたまお前の妹だったんだから。
「そのセリフ、そっくりそのままお前に返す」
 肩をすくめてから口角を上げると、たちまち嫌そうな顔を見せた。

「ねぇ、羽織。あんたの好きなタイプって、今も変わらないの?」
 昼過ぎの……というのは、ちょっと正確じゃないかな。
 定例会になっている、うちの実家での女子会。
 始まったのはついさっきだと思ったのに、時計は15時を過ぎていて、ここにきて数時間経っていたことに驚く。
 テーブルにはまだないけれど、今日のおやつとおぼしきバターのいい香りが漂っていて、絵里は何度も『あと何分?』と葉月に聞いていた。
「好きなタイプって……どうしたの? 絵里ってば」
「まあ、ちょっとした好奇心よ、好奇心。で? 羽織の好きなタイプは?」
「うーん、そうだなぁ……」
 そういえば、いつくらいからこういう話をするようになったんだっけ。
 小学校の高学年だったか、はたまたもう少し前だったか。
 休み時間の教室、女の子数人で集まるときはそんなことを口にしていたような気もする。
「優しくて、人のことを悪く言わない人かな」
 うーん、と考えてみたものの、すんなり思いついたのはそれだった。
 言い切った途端、葉月が小さく笑う。
「瀬尋先生そのものね」
「まあ確かに。そんでもって、孝之さんと真逆な感じね」
「…………はっ! え、そういうこと?」
「や、知らないわよ。でも、なんかつい思っちゃったっていうか。じゃない?」
「え? たーくんも、人のことをあまり悪く言わないよ?」
「えぇ!? そんなことないよ! 私のことも祐恭さんのことも、すごく悪く言うし!」
 顎に人差し指を当てた葉月に、ぶんぶんと首を横に振ると、『近い人だから、なんでも許してもらえると思ってるんじゃないかな?』と予想外の言葉が聞こえた。
 えぇぇえええ……? そんな理由?
 いや、絶対違うと思う。
 お兄ちゃん、そんな理由で言ってるじゃないはず。
 とはいえ、葉月にどんなことを言っても納得はしてもらえない気がするうえに、ひょっとしたらうなずいてしまいかねないので、何も言えなかった。
「じゃあ、葉月ちゃんは?」
「え? 好きな人?」
「や、ちょっと違う。ごちそうさまです。孝之さんのどこが好きかじゃなくて、好きな男性のタイプね」
 首をわずかに傾げたのを見て、絵里が一瞬うなずきそうになったのを見た。
 絵里でさえ、葉月に対してはちょっと反応が変わる。
 そこを本人が気づいてるかどうかわからないけれど、ちょっぴりおもしろいと感じている。
「好きな男性のタイプ……」
 あ、私と一緒。
 ふいに視線を外し、右上へと馳せる。
 そういえば、考え事をするときに人によって右上と左上とでわかれるって言ってたっけ。
 ということは、私と葉月は近いタイプと言えるのかもしれない。
「ちゃんと、根拠を基に判断できる人かな」
 いつもと少しだけ言い方が違って、ぽつりと、まるで漏れるかのようなセリフに少しだけ目が丸くなった。
 もしかしたら、葉月はこんなふうに自分の好きなタイプがどんな人か、なんて考えたことがなかったのかもしれない。
 彼女は今、なんて奇特なんだろうと思うけれど、お兄ちゃんのそばにいてくれている。
 私にとっては、意地悪で、口が悪くて、性格もよくはないと思うような人だけど、葉月にとっては別。
 そんな人のことを、きっと私が恋を自覚するよりも前から自覚していただろうから、タイプというよりは、人そのものだったに違いない。
 だから、今日が初めてなのかな。もしかして。
 どんな人が好ましいのかを考えたのは。
「ガチ、孝之さんね」
「だね」
「そうかな?」
「うん。お兄ちゃん、すごく理屈っぽいし」
「理屈っぽいっていうか、現実的なんでしょ。それだけ。ふわふわしてないっていうか。地に足着きまくりっていうか」
「えー? そうかなぁ?」
「そーよ。あんたとはある意味真逆ね」
「う。確かに私、ふわふわしてるけど……」
「かわいいと思うよ?」
「うぅ……ありがとう、葉月」
 ぴしゃりと絵里に断言され、ちょっぴり胸が痛む。
 うぅ、確かにお兄ちゃんはよく『ツメが甘い』となじるんだよね。
 そう言われたって、どうしていいかわからないから困るのに。
 言うからには、もうすこし具体的な案をくれてもいいと思う。
「でも、私も理屈っぽいと思うよ?」
「えぇ!? 葉月が!?」
「うん。頑固ってよく言われるし」
「誰に?」
「え? たーくんと……お父さんかな」
 なるほど。
 ひょっとしたら絵里はわからないかもしれないけれど、思わず納得。
 そういえば、お兄ちゃんっていろんな意味で恭ちゃんに似てるんだよね。
 でも、葉月が頑固のイメージがないから、ちょっとだけ意外で……そうなんだぁってにんまりしそうになる。
「うーん、私、葉月の理屈はすんなり受け入れられる気がする」
「え? そうかな?」
「うん。理にかなってるのはわかるし、それに、お兄ちゃんと違ってちゃんと言葉で説明してくれるでしょ?」
 これまでも、何度か葉月に諭されたことはある。
 そう。諭される、んだよね。
 そこが、理屈を飛ばしてくるお兄ちゃんと大きな違い。
 そういえばいつだったか、『言葉は受け取り手のもの』って誰かが言ってたっけ。
「絵里ちゃんは?」
「え? 私?」
「あ、そうだよ。絵里はどんな人がタイプなの?」
 ぱちくりと大きな瞳をまばたいたかと思いきや、次の瞬間にやりと笑った。
 あ、ひょっとしてスイッチ入っちゃった?
 ココアのマグカップを置いたかと思いきや、両手を腰に当てる。
「お金持ちで、私のやりたいことをなんでも許してくれて、いつでも応援してくれる人よ!!」
 ふふん、ととても楽しそうに言い切った姿を見ながら、つい葉月と顔を見合わせていた。
「「それって、田代先生そのもの」」
「ぬぁんですってぇぇええ!?」
 『だね』と『ね』の語尾だけは違ったけれど、葉月と思い切り言葉がかぶった。
 たちまち絵里は嫌そうな声を上げたけれど、葉月とふたりくすくすと笑いが止まらない。
「どこがよ! 全然違うでしょ!? だいたい、純也は金持ちじゃないし!」
「そうかなぁ? 絵里のやりたいことは反対しないで応援してくれるでしょ?」
「いや、それはっーー」
「絵里ちゃんのこと、いつだって支えてくれてるものね」
「だから、そーー」
 葉月と一緒に指摘したら、いつもの勢いは削げ、最後には困ったように眉を寄せた。
 あーもう、絵里ってばかわいいなぁ。
 きっと、田代先生はこんな絵里の姿をもっとたくさん知ってるんだろう。
「絵里ってかわいいよね」
「ふふ。絵里ちゃん、素直なのね」
「えぇええーいいぃ! ちょっと! 話を話を聞きなさいってば!!」
 葉月と一緒ににっこりまとめると、頬を赤らめた絵里がテーブルに両手をついた。
 その瞬間、ガチャリと玄関の鍵の開く音がして、葉月がまっさきに立ち上がる。
「おかえりなさい」
「ただいま。つーか、やたらハイテンションだな」
 リビングへ姿を見せたのは、スーツ姿のお兄ちゃん。
 たちまち絵里が『たっきゅん! お帰りなさい!』と声をかけたけれど、お兄ちゃんは『さっきまでのテンションと違いすぎね?』とおかしそうに笑った。
「外階段の途中から、すげぇいい匂いすんぞ。何作ってんだ?」
「フィナンシェだよ。あ。ちょうど焼き上がり」
 まさにそのとおり、オーブンが焼き上がりを知らせる音を告げる。
 フィナンシェ、バターたっぷりの外はカリカリ中はしっとりのあれだよね。
 こうして3人で集まるようになって何回目かに食べたとき、おいしすぎてうっかりお兄ちゃんの分まで平らげてしまい、そういえば数日嫌味を言われた気がする。
 あー、なるほど。
 だから私にとってお兄ちゃんは、反面教師でしかないんだ。
「あ? なんだよ」
「何も言ってないでしょ?」
 じぃと見ていただけなのに、この難癖。
 祐恭さんはまず言い出すことがないセリフなだけに、思わず眉が寄る。
「え?」
 むぅ、と唇を尖らせそうになったとき、にんまり笑った絵里が立ち上がったかと思いきや、お兄ちゃんの隣へ並んだ。
 意外な顔をしたのはお兄ちゃんもそうで、絵里を見ながら不思議そうにまばたく。
「孝之さん、葉月ちゃんってばっちり好みの彼女ですよね?」
「は? どうした、絵里ちゃん」
「だってだって、葉月ちゃんってば爪の先までめっちゃキレイにしてますもん」
「ッ……な……」
 にんまり笑った絵里が言い切った瞬間、明らかにお兄ちゃんは目を丸くした。
 キッチンから戻ってきた葉月の手には、真っ白いお皿に乗せられたフィナンシェ。
 立ったままの絵里とお兄ちゃんを見て、不思議そうな顔をしている。
「うっふっふー。やだもぉ孝之さんってば、お目が高いですことよ!」
「絵里ちゃん。ちょっと俺の部屋来ねぇ?」
「えぇぇええ!? や、ちょ、なんですかそれ! ナンパどころか超絶口説き文句じゃないですか! やばい! 悶えます! てか、目がまじなんですけど!」
 ぽかんと開けていた口を真一文字に結んだかと思いきや、お兄ちゃんはまったく笑わずに絵里の肩へ手を置いた。
 かと思いきや、絵里の表情が凍りつく。
「ちょ……孝之さん? いやあのごめんなさ、ちょ、ちょお! 痛いんですけども!?」
「その出所、すげぇ気になるんだけど。どこ情報? まさか祐恭じゃねぇよな?」
「あいたたたた!? や、あの、孝之さっ……たっきゅんちょっと待って! ヘルプ! 葉月ちゃんヘルプぅぅう!!」
 思わず普段と違う様子にまじまじ見つめたままでいたものの、絵里の必死な声に慌てて葉月と同時に体が動いた。
 ていうか、全然目が笑ってないんだけど!
 葉月がお兄ちゃんの腕をつかんで何やら諭してくれたからよかったけれど、ようやく解放された絵里は『口は災いの元ってこれ!?』と何やら意味ありげなことを口走っていた。

「あ、おはよ。祐恭君、今日早いね」
 週明けの月曜日。
 教員用駐車場でばったり会った純也さんは、いつものごとく爽やかな笑みを浮かべていた。
「純也さん、朝からナンですけど、ひとつだけ教えてもらっていいですか?」
「なんだよそんな、改まっちゃって。何? 悪いけど、借金の受け入れはできないよ?」
 いたずらっぽい顔をした純也さんに笑ったつもりだったものの、もしかしたら引きつっていたのかもしれない。
 理由はきっと、正門で俺たちを見つけて、まっすぐこっちへ歩いてくるアイツが目に入ったから。
「純也さんの好きな子のタイプって、どんな子ですか?」
「へ? なんだよ朝から。藪から棒そのものだな」
 からから笑った彼は、ひらりと手を振って冗談めかした。
 だが、一瞬。
 ほんの一瞬だけ、表情が違ったのはわかった。
 明らかに今、俺の質問の意図が伝わったはずだから。
「俺の好きなタイプとか知って、どうする気? 今のところ、コンパとか誘ってくれなくていいよ?」
「いや、そうじゃなくてですね……」
「それとも何か? 絵里のやつになんか妙なこと口走られた?」
 いたずらっぽく笑った彼は、まだ気づいていない。
 その背後に、超絶笑顔の孝之がいることを。

「大人しくてかわいい、そばにいるだけで癒されるような子って、絵里ちゃんそのものじゃないすか?」

「ッうわ!? え、孝之君!? なんでここに!」
「いやー、知らなかったなー。純也さんがあンとき、同じファミレスにいたなんて」
「うぉお!? なっ……なんの話だ。俺は何もしてないぞ」
「ちっと聞きたいことがあンすけど、15分くらい時間作ってもらえます?」
「はははやだなー、孝之君。朝の15分がめちゃくちゃ貴重だってことは、君が一番知ってるだろ?」
「まあまあ、たまにはいいじゃないすか。男同士、コーヒーでも1杯」
「いやー残念だなー。俺、朝は家で豆から挽くコーヒー1杯だけって決めてるんだよ。それ以上飲むと、お腹痛くなっちゃう」
「じゃあ水で」
「あれ? ひょっとしてなんか、ご機嫌ナナメ?」
「まさか。すこぶる機嫌いいすよ? 昨日は、好きな球団も白星だったんで」
 あー、久しぶりに見たな。コイツのこの顔。
 目がまったく笑ってないけど、口元だけは笑顔。
 だから、胡散臭いんだけど。間違いなく。
 ともかく。
 引き継ぎを果たした以上、俺の役目はここまで。
 純也さん、あとはなんとかしてください。
「あれ!? ちょ、祐恭君!?」
「え?」
「いや、君も行くだろ? 学食という名の戦場!」
「行きませんよ?」
「は!? なんで!」
「いや……別に、自分はコイツに頼まれただけなんで」
「頼まれた!? 何を!」
 ああ、こういう純也さんも久しぶりに見たなぁ。
 いつだって余裕があって、俺たちの一段上から菩薩のようににこにこと見ているのが常だったのに、まさかこんな慌てた顔を見せるとは。
 すみません、純也さん。
 俺にとっての朝の15分は、ものすごく貴重なんです。
「まあいわゆる、面通しですかね」
 どういえばいいものか迷ったものの、ひょっとして言葉の選択ミスだったかもしれない。
 苦笑とともにつぶやくと、純也さんは真顔の孝之に腕を取られながら断末魔のような叫びを上げながら遠い方向へと消えていった。

2019/5/4



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