「救急救命士かな」
「救急きゅ……舌噛みそう」
「あはは」
思い出すように顎へ手を当てた彼を見て、思わずそんな情けない言葉が出た。
救急救命士というのは、救急車内で医療行為を行える人のこと。
……だけど、いろいろ面倒くさい制限があって、医者の中には彼らが医療行為をすること自体をよく思ってない人もいる。
医者も、看護師も、救急救命士も。
みんな『人を救う』という同じ立場にいる人間なのに。
でも、その辺を理解していない『俺様医者』がいるから、日本はまだまだダメなんだ。
いくら技術が進歩したって、扱う人間がそんなんじゃ……ね。
「……わ!?」
「どうしたの? そんな深刻そうな顔しちゃって」
「や……あの……。うん。いろいろあるのよ」
どうやら長いこと考え込んでいたらしく、いきなり彼が顔を覗いた。
情けなく早まる鼓動を抑えるように手を胸にあて、改めて息を整える。
……かっこ悪いなぁ。
くすくす笑われながら眉を寄せると、咳払いが出る。
「だけど、それだけじゃできないことがあるって知って、看護師の道を選んだんだよ」
「……そうなの?」
「うん」
緩く首を振って浮かべた笑みは、少し寂しそうで。
……嫌な国。
自分の彼氏がそんな顔をしたことがつらくて、思わず思う。
八つ当たりだってわかってる。
だけど、こういうヘンな制度を変えることは幾らでもできるはずだし、幾らでもしなきゃいけないはずなのに。
なのに、医師会は頑として動かない。
……結局、そんなんだから権力にまみれてる汚いイメージがつきまとうのよ。医者は。
同じ『医者』なのにヘンに偉ぶる人間を何人も知っているからこそ、何もできない自分が少し悔しかった。
「……え?」
「ほらほら。そういう顔しないの。……眉間に皺が残るよ?」
「ちょっと。それって私が歳だって、さりげなくアピールしてない?」
「してないってば。過剰ですって」
「そうかなぁー? なーんか、棘があるように聞こえたんですけど?」
「気のせいです」
「……あ、そう」
くすくす笑っている彼を見て、皺の寄ったままの眉が元に戻った。
そして、それは笑みへと変わっていく。
「看護師の資格取った今、救急救命士になるつもりは?」
「んー……そうだね。なりたいとは思うけれど、でも、今は俺のことを必要としてくれてる場所と、沢山の人がいるから」
彼がそう言ってくれたことを、素直に嬉しく思った。
そして……ほんの少しだけ申し訳なくも思う。
彼の夢。
その夢の壁になっているのが、自分なんじゃないか。
……無意識のうちに縛り付けてるんじゃないか。
そう思うと、やっぱり視線が上がらず――……。
「え?」
「だからー。そういうう顔しないの。皺になるよ?」
「……しつこいなぁ君は。皺、皺って言わないでくれる? 気になるお年頃なんだから」
「そうなの?」
「そーです」
案の定、頬を包んでくれた。
彼は、私が何を考えているかということを、鋭く見抜いてくれる。
……だから、少し悔しい。
気を遣わないでほしい思いがあるから。
だけど、彼がそうしてくれることで救われている自分もいるから。
……ああもう。
「え……?」
「……ありがと」
ぎゅっと抱きしめ、頭を撫でてやる。
……ここにいてくれて、ありがとう。
かわいい彼氏に、感謝感謝の毎日です。
「……だから。ヴァイオリニストだっつってんだろ」
「だから! ほかになりたいものを聞いてるの!」
鬱陶しそうに私を見た彼をみながら、思わず眉が寄った。
そりゃ、知ってるわよ!
小さいころから『ヴァイオリニスト』だけを目指してきたことは、誰よりも1番。
だーかーらー!
だから、聞いてるんじゃないの!
それ以外になりたかったものについて。
なのに、相変わらず不機嫌そのもので人のことを見てからに……。
腹立つわね!
「医者」
「医者?」
「ああ。親が医者だからな。それも考えたぞ」
「……へー」
「まぁ、俺が継がなくていいようになった時点で、それは消えたが」
「…………」
うわぁ。
思わず、あっさりと言い放った彼を見て、口が曲がる。
……感じ悪い。
っていうか、夢も希望もあったもんじゃない。
普通、将来なりたいものって言ったら、誰しも目をキラキラさせながら語るモンでしょ?
なのに、彼はまったくそんな感じがなかった。
皆無。
キラキラどころか、俗世間にまみれた……そう!
なんか、こうねぇ……教科書に載ってるような考え方しか感じ取れないのよ。
ほら、昔はあったじゃない?
『長男が家を継ぐ』ってヤツ。
だからねー、きっと彼はそれを考えていたから『医者』を考えたのよ。
別に医者になりたいとか憧れてるとかじゃなくって、『家の都合』ってヤツ。
うわ!
絶対そうだ!
間違いないよ、この人ってば!!
淡々と語っている彼を見て、私の思いは確信に変わる。
……可哀想。
ちょっと! すごいすごいかわいそうじゃない?
クールで冷たくて何を考えてるかわからないような人だけど、まさかここまでドライだったとは!
小さいころから『夢』とか『希望』とかっていう言葉から、こんなにもかけ離れていたなんて……!!
なんだか、今になってものすごく無性にかわいそうになってきた。
「くぁー! 可哀想!!」
「……は?」
「ああもう! なんて寂しい人生歩いてきたの!?」
「……誰が寂しい人生だ」
「いいから! もう、何も言わないで!!」
ぎゅうっと抱きしめて『よしよし』をしてやりながら、涙が浮かびそうになる。
もっと早く私が気付いてあげていれば、彼はこんなふうにならないですんだのかもしれないのに……!!
くぅ! 一生の不覚だわ!!
呆れたようにため息をついて再びニュースを見始めた彼に気付くことなく、私はしばらくこうして彼にくっついていた。
「超能力者」
「ごふ!!」
突拍子もない言葉に、飲んでいたコーヒーを吹き出してしまった。
「……おいおい。きったねーな」
「げほ、ごほっ!! ……だ……誰のせいよ、誰の!」
頬杖をついたまま眉を寄せた彼を睨みながら、おしぼりでコーヒーを拭う。
だけど、やっぱり服についたモノは取れなかった。
……あーもう。
いきなり何を言い出すのかと思えば、そんなことを……。
まぁ、確かに?
彼らしいと言えば、らしいんだけど。
……でもさ。
普通、『小さいころなりたかったもの』って聞かれたら、もっとマトモな答えが返ってくると思うじゃない?
あー、びっくりした。
「いや、ほら。昔さー、流行んなかったか? 糸に5円玉くくりつけて、『あなたは段々眠くなる』みたいヤツ」
「……そりゃまぁ、やったことあるけど」
「だろ?」
「……だけど、普通の子はそれを『職業』として挙げないわよ?」
「俺は、その『普通の子と一緒』ってヤツが死ぬほど嫌なガキなんだよ」
「……あー」
納得。
それは、激しくうなずける。
……確かに、素直なお子様じゃなさそうだもんね。
なんせ、医者のボンボンだし?
並大抵じゃない偏屈な子どもだったんだろう、きっと。
なんて思ったら、まるで見透かされたかのように『なんだよ』とか言われた。
それが、少し笑える。
「で? その超能力者になったら、何をしたかったの?」
「『アナタは鳥です』とかって催眠術を使ってみたかった」
「うわ。アブなー」
「危ない言うな」
にんまりと笑った彼に、顔が歪む。
……だってさ、それってちょっと犯罪ちっくじゃない?
催眠術って……。
「でも、好きそうね。そういうの」
「ああ。お陰で、いろいろできるようになったぞ」
……はた。
「……何?」
「いや、だから。いろいろできるようになったんだって、俺」
一瞬時間が止まった気がして訊ね直すと、やっぱり同じ答えが返って来た。
……あー……。
「コラ。人をカワイソウな目で見るな」
「いや、だってさ……なんか……ねぇ?」
「だから、同意を求めるなって」
真面目な顔で睨まれて、ついつい視線がそれる。
……あー。
ひょっとして、コイツはこの手で過去にいろいろやらかしちゃったんじゃないだろうか。
危ない感じがするとは思ってたけど、まさかそっちだったとは……。
……妙なヤツに掴まっちゃったなぁ。
コーヒーを改めて飲みながら、ため息が漏れた。
「なんなら、今夜試してやろうか?」
「嫌」
「……冷てぇな」
「悪いけど、まだマトモな人種でいたいの」
視線を合わせたら、きっと掴まる。
それがなんとなくピンときたので、ひたっすら視線を合わせずにテーブルを見つめたまま。
……悪いけど、これ以上ハマるのは御免なのよね。
たとえそれが彼の言う『能力』だろうと、そうじゃなかろうと。
「ったく。相変わらず、つれないねぇ」
「そう簡単に釣れる女ばかりじゃないってことを、教えてあげてるんじゃない」
「そりゃどーも」
「いーえ」
にっこり笑って彼を見ると、一瞬瞳を丸くしてからおかしそうに笑い出した。
……確かに、あながち嘘じゃないとは思ってる。
超能力者なんて大層なモンじゃないのは確かだけど、でも……不思議な力はある。
すんなりと人の心に入ってきて、いつの間にか『親しみ』っていうのを植えつけて。
……そういう点では、アイツにそっくり。
それが、なんとなく悔しい。
「……結局、こういうヤツじゃなきゃダメだってことなのかしら……」
「は? 何が?」
「別に」
頬杖をつきながら小さく漏らすと、それをやっぱり拾われた。
……まぁ、いいんだけどね。
別に今さら、バレて困るようなものは何もないから。
「……さて。それじゃ、超能力者サン? 時間が迫ってるけど、それもなんとかしてくれるのかしら?」
「まっかせなさい」
「あら、頼もしいコト」
得意げな顔をしてから胸に手を添えた彼に、ついつい吹き出してしまった。
……相変わらず、面白いヤツ。
――……こうして人を惹きつける能力も、確かに『超能力』の1種なのかもね。
2005/9/6
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