……でも、たーくんらしいなぁ。
彼は昔から、そうだった。
こうして誰かのために何かをして、そしてその人が嬉しそうな反応をするととっても嬉しそうな顔をする。
なんだかんだ言って、羽織とやっぱり兄妹なんだよね。
たーくんだって、人を喜ばせるのが得意だし、きっと好きなんだろうから。
「でも、どうして急にライトがついたの?」
「それがミソ。あのな、ここの桜は『夜桜メイン』の場所なんだよ」
そう言って得意げな顔をした彼が、19時半から21時までの1時間半だけライトアップされることを教えてくれた。
「どうして?」
「そうすることで、観光客を遠ざけるから……らしいぞ」
「……観光客を……?」
はらりと落ちてきた数枚の花びらで桜を見上げると、ピンクとは違って、まるで薄い紫のような色に見えた。
なんだか……普通の桜じゃないみたい。
彼の話通り、沢山の人に護られている“特別な桜”というのもわかる気がする。
「花見っつー名目で騒ぐヤツらは、桜なんてほとんど見もしねークセにガラは悪い。ゴミは持ち帰らねぇし、木に登るし、枝を折るし」
「……そうなの?」
「お前は知らねーだろーけどな。毎年この時期になると、ニュースで馬鹿な花見客の特集やってるぜ」
少しだけ歩いた彼が、低い桜の木の枝に手を伸ばした。
指先に触れる、いくつかの大振りな桜の花。
……あれ?
たーくんって、お花が好きな人だったかな?
まるで愛くしむかのように見つめ、ガラス細工にでも触れているかのような姿に、思わず瞳が丸くなる。
「……たーくん」
「あ?」
「たーくんって……お花、好きだった……?」
顎元に指先を当てて、首をかしげ――……わ。
「……お前な」
「え?」
途端、先ほどまでの優しそうな顔とは違って、ものすごく怖い顔を見せた。
「どーせお前も“花より団子”とか言うんだろ」
「え? そういうわけじゃないけれど……」
「顔が言ってんだよ、顔が! 悪かったな! 似合わなくて!!」
「もう。そんなつもりじゃないよ?」
すっ、と桜から手を引いたたーくんは、こちらに背を向け、さっさと細道を歩いて行ってしまった。
……もしかして、怒らせちゃった?
機嫌悪そうな背中に声をかけようかどうか迷ったものの、でも……やっぱり彼の元まで小走りで駆け寄ってから手を伸ばす。
「ねぇ、違うの。そんな意味じゃないよ? ただ、ちょっと……意外っていうか……あのね?」
「すっげぇ」
「え?」
「ぜんっぜんフォローになってねーぞお前」
「ぅ」
前を向いたままのたーくんにあれこれ話しかけたら、ため息をついた振り返りざまに、とってもキツいひとことを向けられた。
……そんなつもりじゃなかったのに……。
確かに、少しだけ……ちょっとだけ、思っちゃったけれど。
「ごめんね」
「……ったく。誰のためにここまで来たと思ってんだよ」
「え……?」
再びついた、ため息。
そして――聞こえた、言葉。
「……たーくん?」
「なんだよ」
「…………どうして怒ってるの?」
「怒ってねーって」
「だって……あ! ねえ、待って!」
……もう。やっぱり怒ってるじゃない。
あれから一度もこちらを振り返ってくれない上に、声だって低いまま。
それに、せっかく追いついたかと思いきや、またすぐに歩みを速めてしまって。
「……ごめんね?」
「…………本気で思ってねーだろ」
「もう。ちゃんと思ってるよ?」
相変わらず振り返ってくれようとしない彼の腕を取ると、ようやく私を見てくれた瞬間、ぺこりと頭を下げることができた。
「連れて来てくれて、ありがとうね」
「…………」
「とても嬉しかったの。本当に!」
「……あ、そ」
「もう。たーくんってば!」
足を止めて言葉を聞いていてくれたのかと思いきや、ふいっと顔をそむけると同時にまた歩き出してしまった。
……うー。
だから、そんなつもりじゃなかったのに。
「お前、花好きだろ?」
慌ててあとを追い、再び腕を――……掴むか掴めないかというとき。
足を止めずに、たーくんが桜を見上げた。
「……え……」
「だから。喜ぶんじゃねーかなとか気を回してやったっつーのに……お前は」
頭のすぐ上にあった桜の枝先に手を伸ばした彼が、ようやく足を止めて振り返ってくれた。
だけど、そんな彼とは反対に、私は近寄る前に足が止まる。
……その顔。
なんだか、すごくすごく昔に見たことのある笑顔と重なって見えて、顔が赤くなる。
こんなに優しい顔で見られたら、どきどきするじゃない。
「だから、もっと喜べ。それが礼儀だぞ」
「……ん。ありがとう……っ」
「ったく」
彼との距離は、ほんの数歩の差。
そこで足が止まったまま動けなかったけれど、でも、ようやく1歩が出た。
「ありがとう」
「わかりゃいい」
「ん」
アレだけ『礼を言え』とか『もっと喜べ』とか言ってたのに、改めてお礼を言うとちょっとだけ困ったような顔するんだから。
……だからやっぱり、たーくんは優しいと思う。
口と心は裏腹。
眉を寄せたまま『しっかり見ろ』なんてまた歩き出した彼に、思わず苦笑が浮かんだ。
「惜しげもなく散るその潔さ」
「……なんだよ急に」
「そんな言葉が入る俳句……なかった?」
「は?」
眉を寄せて足を止めた彼に近づき、首をかしげる。
昔。
アレは多分、今から4年くらい前だったと思う。
日本語の先生が、授業中に教えてくれたきれいな一句があった。
桜の花はきれいな花を咲かせているときに、惜しげもなく花びらを散らす。
その気高い潔さは見習いたいね、みたいな話と一緒に教えてくれたんだけど……。
「……たーくんも知らない?」
「あるような、ないような」
「そっか」
彼ならば知ってるだろうと思ったけれど……もしかしたら、その先生が考えた俳句だったのかもしれない。
でも、こうして見事という言葉がぴったり当てはまるような桜を見ていると、あの言葉を思い出す。
……だって、本当にまだまだこれからというときに、花を散らせてしまうなんて。
もったいないって思っちゃうのは――やっぱりいけないのかな。
「……え?」
「その言葉、もしかすると見つかるかもしんねーぞ」
「本当?」
「ああ」
小さく声をあげた彼に、今度は私が振り返る。
すると、ポケットに手を入れたまま車へと顎を向けた。
「帰る」
「え?」
「だから、帰るんだよ。家に行かなきゃわかんねーだろ」
突然言い渡された、とんでもない言葉。
だって、今来たばかりなんだよ?
それなのに、まさかこんなことになるなんて……。
「ほら、早く来いって」
「え! あ、ちょっ……! で、でも! だったら別にまだ……」
「いーから来い! またいつでも連れて来てやるから」
「いつでもって言っても……桜は今しか咲かないんだよ? 明日には散っちゃうかもしれないのに」
「いーじゃねーか。それが風流っつーモンだろ」
「……もう」
さっさと車へ引き返してしまった彼に、仕方なく小走りで駆け寄る。
……だって、この勢いじゃここへ置いて帰られちゃいそうなんだもん。
「気になるだろ。そーゆーこと言われンと」
「え?」
ぽつりと呟いた横顔を見上げると――……なぜか少しだけ悔しそうな顔をしていた。
……あれ。
もしかして、ひょっとすると……。
…………。
うん、間違いない。
たーくんはきっと、わからないことが悔しいんだ。
「……たーくんって、負けず嫌いだよね」
「悪かったな」
「やっぱり……」
「うるせー!」
ロックを解除してドアを開けた彼が、そのままの勢いで運転席に乗り込んだ。
かと思いきや、即、エンジンがかかる。
どうやら、よっぽどお気に召さなかったみたいだ。
「たーくんらしいんだから」
苦笑を浮かべ、助手席へ座る。
すると、フロントガラスにひらりと1枚桜の花びらが落ちてきた。
「……ねぇ、たーくん」
「なんだ。……まだ、なんか文句あんのか?」
ギアをバックに入れて、シートに手をかけた彼を見ずに笑うと、やっぱり機嫌の悪そうな声が返ってきた。
……もう。
何もそんなに怒らなくてもいいのに。
せっかくのお花見気分が、もったいないでしょう?
「今度は、明るいときにも連れて来てね?」
やっぱり、夜の神秘的な桜もいいけれど……お日さまの下で輝く花も見てみたいから。
そう言って彼に笑うと、一瞬だけ私を見てから、『そーだな』と同じように笑みを浮かべた。
……きっと、ずっと忘れたりしない。
淡いけれど、とても鮮烈な色の花。
沢山の枝から香ってくる、甘くて和やかな香り。
そんな――彼が私にくれた、春の夢じゃないちゃんとしたホンモノの時間を。
2006/2/28
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