「……めでたい」
 ぽつりと漏れた言葉で、にんまりと顔が緩んだ。
 そうよ、そうだよ!
 やっぱ、こういうことっていうのは大々的にお祝いしないとね!
 少女から女性に脱皮するみたいな! そんな感じと一緒よね。
「よしっ! そうと決まったら、小豆よ小豆! 小豆をもてー!」
 ぐっと拳を握って立ち上がり、キッチンではなくお財布を手に玄関へ向かう。
 だって、ウチに小豆なんてあるわけないもん。
 それと、もち米もね。
 …………。
 ええと……お赤飯って普通の炊飯器で炊けるのかしら。
 ふかすの? やっぱり。
 …………。
 うーん。
「…………」
 考え込むこと、数秒間。
 腕を組んだまま、おもむろにその場へ立ち尽くす。
 ていうか……わざわざ小豆を買いに走るなら、いっそのことできあいのお赤飯買って来たほうが早いんじゃ……。
「…………」
 ぽくぽくぽく、ちーん。
 そんな音が頭に響いた気がして、結論付けられた。
 そうよね。
 買物に行くなら、一緒じゃない。
「お赤飯買ってこよ」
 ぽりぽりと頭を軽くかいてから冷静に判断し、目的物を小豆からお赤飯へと変更したのだった。

「……なんだコレは」
「え?」
 その日の夕食。
 私は、それこそ『おおごちそう』をテーブルに並べられるだけ並べてから、ようやく腰を落ち着けた。
 本当は、キッチンにまだ幾つか残ってるお皿がある。
 だけどやっぱ、これ以上乗せるのは危険よね。
 お箸を伸ばした途端に、端からどんどん落っこちそうだし。
 心臓にも悪いし、実際危ないので、それはとりあえずやめておく。
「何って……ご馳走?」
「そういうことを聞いてるんじゃない。この量はなんだ、と言ってるんだ」
 う。何よその顔。
 もしかして、怒ってますか。怒り心頭ですか。
 思わずたじろぎながら観察するも、綜は冷たい表情を張り付かせたまま、小さくため息をついた。
「何よぉ……あのねぇ! 今日はめでたい日なのよ!? それこそ、人生で記念すべき日!!」
 眉を寄せて、必死に私なりに抵抗してみる。
 睨みつけるようにして、綜に負けないよう懸命に頭の中でいろいろ考えながら自分に喝を入れる。
 大丈夫大丈夫、怖くない怖くない。
 だって、私は母親なんだから。
 これから、お母さんになる人なんだから!
 こんなことくらいで、ヘコたれたりするワケにはいかない。
 母は強しって言葉がばっちり似会うような女に、なるってそう決めたんだから。
「何がめでたいんだ」
 まるで呆れたようにため息をついた綜が、腕を組んだ。
 呆れたっていうか……小馬鹿にしてるっていうか、怒ってるっていうか。
 でも、逃げたりしない。
 身じろぎせずに、真正面から受けて立つ。
 ……そうよ。
 私はもう、ひとりの身体じゃないんだから。
「ふふふふーん。それじゃあ、教えてあげましょう」
 にんまり、となぜか笑いが出た。
 でも、そりゃそうか。
 だってこれから私が言おうとしているのは、とびっきりの事実で。
 綜も、ほかの人も、まだ誰も知らないこと。
 まぁ……ホントにそうかどうかはわからないけど。
 でも、きっとそうに違いない。
 なんせ、張本人の私がそう言うんだから、間違いないはず!
 誰よりも1番、自分のことは自分がよくわかってる。
 ついでに女の勘ってヤツもあるんだから、絶対だわ。きっと。
 そんな思いが根底にあって、綜がどんな顔をしていても今の私にはまったく気にもならなかった。
「何を隠そう!! 実はワタクシ、佐伯優菜ちゃんはーっ!」
 えっへん、と胸を張って立ち上がり、にんまりと笑顔を浮かべる。
 綜、驚くだろうなー。
 さすがに、ことがことだからこそ、この『何にも動じない』人であろうと、今回ばかりは違うと思う。
 ……うひひ。
 凝り固まったその顔、むちゃんこ楽しみだわ。
 怪訝そうに見ている綜を見たまま、やっぱり含み笑いが出た。

「なんと!! 実は、めでたく――ったた……!?」

 びしっ、と綜を指差しながら口を開いた瞬間。
 いきなり、腹部に鈍い痛みを感じて、たまらず腰を折っていた。
「い……った……う……うぅ…………トイレっ」
 小さく小さく呻いてから、そのままの格好でよろよろとトイレに向かう。
 そのとき、ちらりと綜と目が合ったけれど、口を少しだけ開いてものすごく馬鹿にした顔をしていた。
 ……うー。くそぅ。こんなハズじゃなかったのに!
 せめて、もうちょっとあとで痛みが来てくれれば、それなりに格好もついたのに!
 ぎゅうっと両腕でお腹を押さえながら、身体を『く』の字に折り曲げた格好でトイレに入ると、やっぱりふつふつとした静かな怒りがあった。
 何に、って?
 そりゃ、もちろん私自身によ。

  「……りゃ?」

 そのとき瞳が丸くなった理由がなぜかは、お食事中の人もいるだろうから、今回は割愛という方向をとりたいと思う。

「…………」
 静かに戻って来たリビングでは、すでに綜はごはんを食べ始めていた。
 いや、まぁ一応は『いただきます』をとっくにしてたんだけどさ。
 でも、なんか…………まぁ……いいけど。
「で?」
「……え?」
 ため息をついてから腰を下ろした途端、綜が私を見ずに声をかけてきた。
「で、って?」
「だから。この飯の量だ」
 きょとん、とした顔のまま訊ねると、やっぱりものすごく呆れたような顔で続けられた。
 ……あぁ、それか。
「…………別に……」
「別に?」
「そうよ。何か文句ある?」
「別に」
 ……く。
 同じような口調で言わなくてもいいじゃない。
 とっとと私から目を逸らしてご飯を食べた綜に、なんだかぷちっと腹が立つ。
 だけど今さら、あのテンションを保てるはずもなく。
 そんでもってついでに、今さら声高に宣言できるはずもなかった。
 ……だって。
 だってだって、事実をこの目で確認しちゃったんだから。
「食べたかったから、よ! 食べたかったから!!」
 誰に何を聞かれたわけでもないのに、もう1度言っていた。
 言い訳。
 っていうか……うーー!
 ホントは、もっと全然違う宣言だったのに!
 だって、それこそアレよ!?
 ドラマとか漫画とか、世でいう『既成事実』ってヤツだったのに……なぁ……とほほ。
「ちぇ」
 何も知らないからできるのよ、そういう顔。
 呑気でいいわね。
 私は、今日1日ずーっとずーーっと振り回されっぱなしだったのに。
 箸で大きめにご飯をほおばってから眉を寄せるものの、やっぱり綜は気付きもしなかった。
「…………」
 とはいえ。
 まぁ、こういうタイプの悩みごとだったら、まだ歓迎って感じかしら。
 いつか、もしかしたら本当の本当になる日が来るかもしれない。
 ……ううん。
 そうなってほしい、な。

「……ね」

 誰に言ったわけでもないその言葉は、無意識の内にお腹に手を当てながら出た言葉だった。






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