……どんな顔するかな。
 ふっと笑いながらエレベーターで4階まで上がり、チャイムを鳴らさずに玄関を開ける。
「ただいまー」
 声をかけてから靴を脱いで上がろうとすると、パタパタと彼女が駆けてくるのが見えた。
「……転ぶよ」
「おかえりなさいっ!」
 苦笑を浮かべるものの、屈託のない笑みを見せた彼女が、ぱっと俺の腕を取った。
 その笑顔を見た途端、自然と頬が緩む。
「待ってくれてた?」
「当たり前じゃないですかっ。嬉しいです!」
 手を取られながら上がり、そのままリビングへと引っ張られるように進んでいくと、今日はこうだったとか、こんなことがあったとか、彼女が嬉しそうに話してくれた。
 その顔はどれも彼女らしくて、半日家を空けただけだというのに、もうずいぶんと見ていなかったような気さえする。
 ソファへ投げるようにして鞄を下ろすと、彼女がキッチンから声をかけてきた。
「紅茶でいいですか?」
「うん。よろしく」
 グラスにアイスティーを注いでリビングにくると、テーブルにそれを置きながら座る。
 そんな彼女を見てから自分もソファに腰かけ、ネクタイを外しながらアイスティーをひとくち含むと、ほっとする香りが広がった。
「……あー、生き返る」
「あはは。先生ってば、もぅ……大げさですよ」
「そんなことないよ。……すごい疲れた」
 苦笑を浮かべて首を振ると、ふっと眉尻を下げた彼女が改めて笑みを浮かべた。
「お疲れさまです」
「うん」
 シャツのボタンをひとつ外してから、彼女の腕を取って抱き寄せる。
 鼻先に香るのは、甘い彼女自身の香り。
 ……あー、たまらないね。
 我ながら、正直すぎる本能がすぐさま反応。
「っ、せ……んせ……っ」
「はぁ……落ち着く」
 抱きしめながら耳元で呟くと、彼女の身体から力が抜けた。
 相変わらず、敏感に反応を見せてくれる。
「……っと、汗臭いか」
「え? ううん、平気」
 ふっと離れてから彼女を見ると、首を振って笑みを浮かべた。
 そんな彼女に少し微笑んでから、頬に手を当てる。
「寂しかった?」
「……うん」
 頬を赤くして小さくうなずいた彼女が、きゅっと抱きついてきた。
 ……正直だな。
 思わずにやけそうになりながら、彼女を抱きしめる。
 が。
 あることを思い出して彼女の顎をとり、少しだけ上を向かせる。
「え?」
「ただいま」
 静かに唇を落とすと、彼女もしっかりと応えてくれた。
 しばらく舌で撫でてから顔を離してみると、そこには潤んだ瞳と上気した頬。
 ……いい顔するようになったね。
 まさに、俺の賜物。
「……もぅ」
 そう言うのは、彼女のくせだ。
 まんざらではないことくらい、反応を見ればわかる。
 だからこそ、ついつい手が出てしまうのだが。
「あ、そうそう。……はい、お土産」
「え?」
 鞄から小さな箱を取り出して彼女に渡すと、箱と俺とを何度か見てから嬉しそうに笑った。
「ホントに買ってきてくれたんですか? ありがとうございますっ」
「いいえ。開けてごらん」
 楽しそうに、包みを開いて箱を開ける彼女。
 そして、中から取り出した物を見た途端、ぱぁっと満面の笑みを浮かべた。
「うわぁ……! かわいいーっ!!」
 以前、京都へ遠足に行ったときに彼女へ買ったウサギと同じ顔をした、オルゴール。
 少し大きめのうさぎが、十二単を着ている物だ。
 人形の底に丸いコースター状のぜんまいがついていて、それを回すと音楽が鳴りながらゆっくり回転するというヤツ。
「かわいい……どうしよう、すごく嬉しいです」
「そんなに喜んでもらえれば、こっちも嬉しいよ」
「大事にしますね」
 嬉しそうに見つめながらテーブルに置き、早速ぜんまいを巻いてオルゴールを鳴らす。
 その姿は、ものすごく嬉しそうで。
 瞳もきらきらしていて、まるで小さな子どものようだった。
「……あっ」
 そんな姿を見ながら腕時計を外して――……そのウサギに、たすきがけ。
「もぅ、うさぎが重いって怒りますよ?」
「いいの。これは、このために買ってきたんだから」
「? ……どうして?」
「羽織ちゃん、ウサギ好きでしょ?」
「うん。……えっと、それが何か関係あるんですか?」
「羽織ちゃんは動物にたとえるとウサギだと思うんだよね」
「そう……かな?」
「うん。真っ白で柔らかくて純粋で……かわいいトコが」
「っ……そんなことないです」
 まじまじと瞳を見て言ってやると、頬を染めて困ったように俯いた。
 が、顔を覗きこむようにすれば、眉を寄せながら顔を上げる。
「ニンジン、食べられないけどね」
「……う」
 にやり、と笑ってから、改めてオルゴールを見る。
 ゆっくりと、音を奏でながら回るウサギ。
 俺がこれにした理由は、ひとつ。
「だからだよ」
「……え? だから、って……?」
「羽織ちゃんにウサギが似てるから、腕時計をかけるの」
「……えぇ? わかんない……」
「まぁ、気にしないで」
 相変わらず“?”がいっぱいな感じの彼女に、にっこりと笑みを浮かべて見せるも、やはり首を傾げてしまった。
 ……まぁ、わからないだろうな。
 俺の我侭みたいなモンだし。
 というか、自己顕示欲ともいうかもしれない。
 彼女がウサギということは、これが“彼女”ともいえる。
 だから、そのウサギに“俺”を示す腕時計を引っかけておくことで、自分の手中に収めておくというかなんというか。
 わからなくて、当然だな。
「……あ、まだ着替えてなかったな。今日の夕飯は?」
 そっと彼女を足の間に座らせるようにしながらソファに寄りかかると、胸に手を当てて彼女が笑みを浮かべた。
「今日はハンバーグ」
「へぇ。いいね。うまそう」
「えへへ。……あ、先生はパイナップル乗せます?」
「……パイナップル、だ?」
 思わず、眉をしかめてしまった。
 そんな自分に少し不思議そうな顔をしてから、彼女がうなずく。
「うん。だって、酢豚とかに入れる人もいるでしょ? だから――」
「俺は昔からフルーツサラダとか、そういう酢豚とかは嫌いなの。なんで、おかずに甘いモノを入れる必要がある?」
「でも、パイナップルとか、梨とかは消化酵素が入ってるから……お肉が柔らかくなるんですよ?」
「だから?」
「……だから、入れる……けど……」
 上目遣いに見ながら腕の中からするりと抜け出し、何かを察知したようにあとずさる彼女を、起き上がってしっかり確保。
 そして、ぐいっと引き寄せる。
「っ……」
 それこそ、すぐここまで。
 ごく近くで見つめてやると、こくん、とその喉が動いた。
「俺は、嫌だ。……そういうの作ったら、怒るから」
「つ、作ってませんよ! ただ、聞いただけで――」
「そう? ならいいけど」
 にっと笑って手を離してやると、苦笑を浮かべてから彼女が立ち上がった。
「じゃあ、目玉焼きはどうします? いらない?」
「食べる」
 続いて立ち上がりながら呟くと、一瞬目を丸くしてから少しおかしそうに笑うのが見えた。
 ……そこで笑うなんて、いい度胸じゃないか。
「何がおかしい?」
「だって! 先生ってば、かわいいんだもん」
「……かわいい? それは男に遣う言葉じゃないだろ」
「でもっ……」
「……ん? そういうこと言うのはこれ? この口だね」
「んっ! やぁっ!! も……ご、ごはんの支度っ……」
 頬を両手で挟んで顔を近づけると、困ったように眉を寄せた。
 もちろん、おかまいなしにワザとこうしてるんだけど。
「羽織ちゃんは聞かないの?」
「……? 何をですか?」
 ふっと笑みを浮かべてやると、きょとんとした表情を見せた。
 そんな彼女に、目線を合わせながら続けてやる。
「お風呂にするかごはんにするか、って」
「あ、そっか。……お風呂のほうがいいですか?」
「どっちよりも、まずは君」
「っ!?」
 言ってから、唇を塞ぐ。
 少し離してやってから、もう1度。
 それだけで、すんなりともたれかかってきた。
「……もぉ……ごはん……」
「いただきます」
「っ! ち、違うのっ! 今日は――」
「いいから」
「よくないのっ!」
 唇を寄せてつぶやくと、顔を背けて逃れようとした。
 もちろん、そんな簡単に逃げれるようなヤワな男じゃないことくらい、彼女もわかっているだろうけど。
 ……しっかし、楽しいな。
 反応がかわいくて、ついついあれこれ言いたくなる。
 こういうところが、確かに彼女と会って変わった点だなと素直に思う。
 どんどん彼女に対して意地が悪いというか……いたずらしてやりたくなるというか。
 小学生みたいだな、俺。
 そんなことを考えながら彼女をぎゅっと抱きしめると、今度は抵抗を見せなかった。
 かわりに、困ったように頬を染めて見上げてくる。
 ……まったく。
 この顔されたら余計離さなくなるっていうのを、いい加減覚えてもらわないといけない。
 ふっと瞳を細めて彼女を見ると、気付いたときにはそのままゆっくり口づけをしていた。
 ……夕飯は、もう少しあとでもいいや。
 とりあえず、今はどんなことよりも、彼女が先だから。


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