「ん? 何それ」
「あ、これですか? んー、絵里がくれたんですけれど……」
彼が不思議そうに言うのも、無理はない。
私が今手にしているのは、1枚のDVDだったから。
今日は、私の誕生日。
お昼すぎに絵里から電話があって、マンションの下にきてほしいと言われた。
で、取りに行ってみたら……これを渡されたのだ。
中身はどうやらドラマらしいんだけど、なんでも、タメになる物だとか。
……よくわからない。
でも、なぜか先生がいるかどうかを気にしてたんだよね。
「先生も、見ます? ドラマ」
「ドラマ? いい」
やっぱり。
ドラマと聞いた途端、彼は眉を寄せて首を振った。
彼ならばそうすると思ったけど。
普段からドラマは見ないし、恋愛ドラマに関しては文句を言い放題だから。
そんな彼の隣で見ているのは気が引けるので、最近は結構見ていない連続ドラマが多くなっていた。
……まぁ、受験生がテレビ見てる場合かって言われたら、そうなんだけどね。
彼にデッキを借りることを告げると、途中で口を出すからやめとく、と書斎に向かってしまった。
……そんなに嫌いなのかな。
ドアが閉まるのを見てから苦笑を浮かべ、早速それをセットする。
ドラマなんて久しぶり。
ちょっと楽しみだなぁ。
わくわくしながら画面を見ていると、知らないタイトルの物だった。
……似たようなタイトルで、かなり前にはやったドラマはあったけど。
「…………」
しばらく見ていくと、当時はやったドラマと同じように、男子生徒が女性教師に対して恋心を抱くという展開を見せた。
……んー。なんだっけ、こういうの。
オマージュ?
でも、出ているのは知らない女優さんと男の子。
誰だろ?
などと首をかしげて見ていたんだけど……なんだか急に雰囲気が怪しくなってきた。
「……え……?」
たまらず、眉が寄る。
……な……なんで?
なんか、ずいぶん絡みが激しいんだけど。
て、てててていうかっ。
思いっきり、押し倒してるよね? この子。
先生も嫌がってるし…………と、そのとき、ふと脳裏によぎった映像。
……アレに似てる。
…………あの、絵里と一緒に見た……AVと。
「っ!?」
途端、それが間違いなくAVであるという確信が湧いた。
だ、だだだ、だって!
モザイクが入るようなドラマなんて、ないでしょ!!?
「なっ……な、何っ……!?」
絵里がどういう意図でこれを渡してきたのか知らないけれど、今この状況で見ているのは、非常にまずい!!
だって、すぐそこには先生が――……。
「!!?」
と思った瞬間、書斎のドアが開いた。
慌ててDVDを取り出し、背中に隠すようにしてテレビの前に座る。
「……何してるの?」
「えぇ!? う、ううん。ちょっと、お掃除」
不思議そうな彼に苦笑され、ふるふるふるっと首を振る。
それはそうだろう。
だって、ビデオを見ると言っておきながら、テレビには普通の番組が流れているし……ましてや、私。
テレビ前で、正座してるんだから。
「……で? DVDは見ないの?」
「えぇ!?」
「……何?」
「あ、う、うんっ。ちょっと……あんまり、おもしろくなさそうだったから」
「……ふぅん?」
しどろもどろに返事をすると、怪訝な顔をしながらも彼は冷蔵庫からペットボトルを取り出して、書斎に戻って行った。
「……はあ」
ドアが閉まったのを見て、ほっと息を吐く。
「何か隠してない?」
「わぁっ!!?」
息をついた瞬間、彼がひょっこりと顔を出した。
び、びっくりした。
「何もっ! 何も隠してないですっ!」
「……まぁいいけど」
……相変わらず勘がいいなぁ。
危うくDVDを落としそうになった姿を、見られるところだった。
でも、これ……どうしよう。
どこに置いておけば……。
「……うぅ」
きょろきょろとあたりを見回してみるものの、これといった隠し場所はない。
変なところにあったら、すぐに疑われるだろうし。
となると……。
「……よし」
木を隠すなら森の中。
というわけで、DVDはDVDが並んでいるところの1番奥へと、こっそり隠しておくことにした。
「…………」
……でも、先生って……こういうDVDとか……持ってないのかな。
ふとそんな疑問が浮かび、こくり、と喉が動いた。
だって、男の人だし。
なんか、男の人にはこういうのが必要だとか聞くし。
…………。
……でもまぁ、たとえ持ってたとしても、こんな見つかりやすい場所に置いておくわけないか。
策略家だし。
……というより、計画的? 知能犯?
ともあれ。
と……とりあえず、このまま何事もなかったように過ごすしかない。
どきどきしながらテレビ台の扉を閉め、ソファに座ってテレビを見る。
……どうか。
どうか、先生にだけは見つかりませんように……っ!!
そう祈るしかできず、ぱんぱんと両手を叩いてラックを拝みながら、小さくため息が漏れた。
――……夕方。
あれからしばらくして、彼が書斎からリビングに戻ってきたんだけど……私の頭の中はもう、あのDVDが見つかるんじゃないかということ一色で。
……はああ。
絵里ってば、どういうつもりでアレをくれたんだろう。
あとで返さなくちゃ。
……だって、困るもん。
「あっ」
夕食の準備をしていると、唐突に私のスマフォが鳴った。
慌てて手を拭いてからそれを手に――……絵里!!
彼に背中を向けるようにしてキッチンへ戻り、壁際でこそこそと通話ボタンを押すと、すぐに元気な声が聞こえた。
「もしもし!?」
『あ、羽織? あのビデオ、見た?』
「途中まで見たけど……何? あれ」
『ほら、せっかくだから教師と生徒モノでも、と思って』
「せ!? せっかくって! どんな理由よ! もぅ!」
『あ、別に返してくれなくていいから』
「返す! ちゃんと持っていくからっ」
あっけらかんと話す彼女に小声で怒りながら抗議すると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
もぉー! 笑いごとじゃないんだよ!?
『でも、タメになったでしょ?』
「だからっ。途中までしか見てないの! そのあとは見れなかったし……」
『見れなかった? なんで? ……あ、先生が邪魔してきた?』
「んー……まぁ、似たような……じゃなくて! 見れないでしょ、あんなの! ……恥ずかしいしっ。……っとにかく、返すから! またね!」
かああ、と顔が赤くなるのを感じつつ、とりあえず早く電話を切ったほうがいいような気がして、とっとと決着をつける。
……はあ。
せっかくの誕生日なのに、なんか……切ない。
慌てたままパネルに触れると、通話が終わったとたん少しだけほっとした。
「っ!」
ものの。
スマフォを棚に置いてから振り返ると、ふいに祐恭先生と目が合った。
……もしかして。
ずっと、見てたんだろうか。
「……な……んですか?」
「いや、別に」
それだけ言ってテレビに視線を戻し、何事もなかったかのように肩をすくめる。
……何? なんですか……!?
ちゃんと話さないのを、もしかして怒ってる?
それとも、何かに気付いちゃったとか……!?
「……うぅ」
ばくばくと心臓がうるさいほど音を立て、眉が寄る。
……はー。やっぱり今日は、とんでもない日になってしまったらしい。
ため息をつきながら夕食の下準備を終わらせ、早速パスタを茹で始める。
今日は、カルボナーラと、ツナとイカのマリネ風サラダ。
好きな物を作っていいって言われたんだけど、これといってないっていうか。
折角、封を切ったパスタがあったから、それを使ってしまうことにした。
……先生がケーキ買ってくれたし。
えへへ。
実は、一緒に買い物に行った時に、彼が『お祝い』と言って買ってくれたのだ。
楽しみだなぁ。
だからもう、今日の夕食のメインはケーキに決まっているので、パスタはあくまで脇役。
私の中ではもうそんな位置づけになっていた。
「ねぇ、先生」
「ん?」
ソファで新聞を広げていた彼に声をかけると、顔だけでこちらを向いた。
そんな彼に、ふと思っていた事を聞いてみる。
「先生って……塩辛とか食べます?」
「……塩辛?」
「うん」
「また渋いところにいくね」
持っていた新聞を畳んだ彼が、苦笑を浮べながら立ち上がり、こちらまで歩いてきた。
作業台の上にある、まな板。
それと包丁とを見比べながら、不思議そうな顔をする。
「どうして?」
「えっと、あの……今日買ってきたイカがすごく新鮮だったんです。でも、サラダには2杯も使わないから……あまっちゃうし、だったら作ろうかなって」
「……塩辛を?」
「はい」
作る、と言った途端、彼が驚いた顔を見せた。
……やっぱり……変だよね。
妙なこと言っちゃったかな、と彼を見て思うものの、言ってしまった言葉は戻せない。
口元に手を当てながらおずおずと彼を見つめると、やっぱり意外そうな顔のまま『へぇ』と小さく呟いた。
「だめですか?」
「いや、ダメじゃないけど。……塩辛って、そんな簡単に作れるの?」
「え? うん。作れますよ」
思ってなかった質問でうなずくと、彼が再度『へぇ』と口にした。
「そうなんだ。塩辛って、普通の家じゃ作れないモンだと思ってた」
「んー……まぁ、なかなか作らないとは思いますよ。たまたま、うちは母が晩酌のおつまみで作るから……って言うだけですから」
「あぁ、なるほど」
買い物に行ったとき、新鮮なイカがあると必ずお母さんは嬉しそうに台所に立っていた。
何作るの?
ふふ。塩辛。
……またぁ……?
いいじゃないの、別に。おいしいのよ? 1番のおつまみだもの。
――……そんなやり取りを、これまでの人生の中で何度となく繰り返してきた自分。
お父さんもたまに横からつまんではいるけれど、もっぱらお兄ちゃんとお母さんとがメインで食べている。
まさに、嬉々として。
普段はちょっとしたことでも小競り合うふたりだけど、おいしいおつまみを食べながらお酒飲んでるときだけは言い合いしないんだよね。
それが、お酒の力なのかな。やっぱり。
私は、どうしても食べたいと思うことはないから。
でも、お酒を飲む人にとってはやっぱりおいしい物なのかなって思っていたから、つい彼にも聞いてみただけ。
……言ったあとで、いわゆる“珍味”に分類される物は、結構好き嫌いがあるんだったことに気付いたけれど。
「しかし、すごいな。羽織ちゃんって」
「……え?」
「いや、だってさ。ここまでフツーに家事できるだけでもすごいのに、塩辛までお手製って……すごいね。自宅で居酒屋開ける」
「そんなことないですよ」
「……まぁ、飲むのは主に俺だけど」
酒飲んだらダメだよ?
少しだけいたずらっぽい顔をした彼が、ニヤっと笑ってから髪を撫でた。
そのあとは何も言わず、ただ微笑みながら。
それが、ちょっぴり気恥ずかしい。
「先生?」
「……ん?」
「リビングで待っててくださいね」
「あ、ごめん。つい」
しばらくの間そうされていたものの、一向に彼があちらへ向かう気配がなかったので、つい苦笑が漏れた。
そんな私に、彼もまた『そうだった』と言いながら苦笑を見せる。
この何気ないやり取り。
手を伸ばせば、まさに届く距離。
……なんか、ホントに同棲してる感じがたっぷりして、いつだって笑みが浮かんでしまう。
無性に嬉しい。
とっても、とっても。
「じゃ、よろしく」
「うんっ」
小さく笑ってソファへ戻るときも、彼は嬉しそうだった。
実は、塩辛好きだったりするのかな?
って、違うとは思うけれど。
これまでの彼との会話で、そんな話を欠片も聞いたことはないから。
とりあえず、パスタが茹で上がるまでに塩辛を作ってしまうべくイカに手をかける。
……でも、冬瀬って海が近いから、結構普通に作られてる物なんだと思ってた。
って、先生は平塚だけど。
でも、平塚だって海は近いとは思うんだけど……。
「…………」
でも、やっぱりウチが普通じゃないんだよね。
そういえば、絵里の家でも『今日、うちのお母さんが塩辛作ってさぁ』なんて話は聞いた事ことがない。
……まぁいっか。
喜んでもらえれば、それで。
などと考えながら材料を混ぜ合わせるように菜ばしで和える。
でも、塩辛って……おかずっていうより、やっぱりおつまみだよね。
……てことは、先生もお酒飲むのかな?
「…………」
ふと、ソファへ戻った彼に視線を向ける。
でも、テレビのニュースを見つめたまま。
……あ。続き続き。
どうしても彼を見ていると、手が止まってしまいそうになる。
そんな自分を内心で急きたてながらも、なんとか作り終えた物を寝かすべく、冷蔵庫へと手が伸びた。
|