いよいよ本編が流れ始める。
 音も映像も、今までの広告とは当然だけど、まるで違っていた。
 やっぱり、映画の醍醐味は迫力と臨場感があってこそだよね。
 前作は、私もDVDを借りて見たことがあるので、普通に楽しめた。
 別に、アクションも嫌いじゃないし。
 ……それに、この俳優さんかっこいいんだよね。
 なんて、もちろん彼には内緒のことをちらりと思う。
「…………」
 そんな彼を少しだけ見ると、左手で頬杖をつきながら、まるで煙草を吸うように口元へ指を当てていた。
 これも、彼は気付いてないかもしれないけれど、癖だと思う。
 それも、こうして真剣に何かへ見入っているときの、だ。
 眼差しはしっかりとスクリーンに向かっている、私の好きな真剣な眼差し。
 18歳の彼とはいえ、やっぱりそれは変わらないんだ。
 改めてそう思うと、笑みが漏れた。
 彼と一緒のときは、大抵字幕を見ることになる。
 吹き替えだと、“そのもの”を味わうことができないから、らしい。
 ……だけど、英語を拾えない耳の私は、字幕を追ってしまうのでついつい半分程度しか映像を見れないんだよね。
 もちろん、嫌じゃないから何も言わないけれど、彼のように耳でしっかり理解することができたらどれだけ楽しいんだろう、とは素直に思う。
 それに――……あっ。
 ……うっかり違うことを考えていて、こんなふうに字幕を見逃すこともないし。
 いい場面だっただけに、ちょっとショック。
 でも、セリフはさすがに耳に残った。
 …………いつか、私もこんなセリフを言う日がくるだろうか。
 艶っぽいヒロインの囁きに、思わず頬が緩む。
「…………っ」
 などと浸っていたら、大きなスクリーンにキスシーンが流れた。
 う、わぁ……なんだかすごく絵になる。
 恥ずかしいという気持ちよりも、まずそちらが先に立った。
 ……いいなぁ。
 思わずため息が出るほど、ステキなシーンだった。
 …………ん、だけれど。
「………………」
 あれ。
 ……え……あの、っ……ち、ちょっと待って。
 なんか……雲行きが怪しくない…?
 あれよあれよという間に、BGMはもちろんだけど、映像自体がいわゆる、そういう雰囲気になってきた。
 テレビのロードショーでさえこういう場面は恥ずかしいのに、こんな大きなスクリーンで流されると……かなり抵抗がある。
 サイズが大きいということは、もちろん、音も大きいわけで。
「っ……」
 ちゅ、という明らかにキスの音が大きく響き、吐息ももちろん大音量。
 思わず俯くことしかできず、ぎゅっと膝に置いた手を握り締める。
 ……恥ずかしいって思っちゃうのは、私がまだ子どもだからなのかな。
 愛しげに見つめ合うふたりが交わす口づけ……までは、よかった。
 よかったんだけどぉ……。
「…………」
 ごくり。
 ちらりとスクリーンを見てすぐ喉が鳴り、慌てて視線を逸らす。
 今では、かなり大人なシーンというか……いわゆる濡れ場のシーンに突入中。
 ち、直視できないんですけれど。
「っ……」
 視線を落としたままでいたら、不意に斜め前のカップルがいちゃいちゃと姿勢を崩し始めた。
 こっ……こんなところで?
 そうは思ったものの、かなり慌てた私とは違い、ラブシートに座っている人たちはそういういい雰囲気になっているようで、あちらこちらから甘い声が聞こえ始めた。
 ……うぅ、気まずい。
 彼の顔を見ることもできず、耳を塞ぐこともできず、ただただうつむいて耐えるしかできない。
 もう少しで終わる……かなぁ。
 ……でもなんか、終わらなさそう。
 …………そういえば。あのふたりは平気なのかな。
 夏休みの最初までは、とってもシャイでまさに純愛一直線な感じだった、山中先生としーちゃん。
 彼らもこの映画を見ているのだから、相当気まずいに違いない。
 そう思って視線を向け――……たところで、驚いた。
 ……ちっ……ちうしてる。
 若干距離があるので表情までは見て取れないものの、なんか……あの、キスだけじゃ止まらない雰囲気なんですけれど。
 えええええ。うそっ、あのふたりが!?
「っ……」
 思わず彼を見上げると、私に気付いたらしく視線が『何?』と言っていた。
 そこで、山中先生たちへと視線を向け、促してみる。
 …………すると、私と同じように目を丸くしたのがわかった。
「……すごいね」
「ですよね」
 だけど。
 ごくごく小さい声で話していたら、彼がいきなり肩を引き寄せた。
「っ……」
 ただでさえ彼に寄りかかっているのに、こうなると……それこそしっかり密着するかたちで。
 困ったように彼を見あげるものの、意地悪っぽい笑みを浮かべた彼は、そっと唇だけ動かした。
「ッ!!」
 たまらず、首を横に振る。
 だって、だって……!

『俺たちも、する?』

 彼の唇が、そう動いたのだ。
 こんなところでキスなんかしたら、それこそ……ただじゃ済まなくなっちゃう。
 だって、声なんか漏れたら困るし。
 ちょっとだけ危機を感じて彼から視線を外し、スクリーンへ向き直る。
 ――……だけど、いきなり伸びてきた彼の手が顎をつかみ、すい、と視線を外すとともに口づけられた。
「っ……!?」
 なんの前触れもなくキスをされ、慌てて抵抗する。
 だけど、肩に回された彼の腕はそう簡単に私を離してくれるはずもなく、重なるキスに、身体から力が抜けた。
「……ん……」
 たまらず漏れる声。
 だけど、それ以上に映画の音が大きくて、心配することなく自分のか細い声はかき消される。
「……っ!!」
 ――……ものの、突然の感触に精一杯の力を振り絞って彼の胸を押す。
 すると、驚いたというよりは、とても怪訝そうに見据えられた。
「……何?」
「な……にじゃないっですよ……! そんなことっ……ここじゃ……やだ」
「気にしすぎだって」
「でもっ! ……声、出ちゃうもん」
「……大丈夫。塞いでいてあげるから」
「そうじゃ、な――」
 頬を染めてぶんぶんと首を横に振るものの、あっさりと唇を塞がれた。
 と同時に、ふたたび責められ始める胸元。
 ひくん、と身体が勝手に反応し、息が上がる。
 それでも彼は、むさぼるようなキスを続けた。
 ノースリーブのシャツの下から入った手が、そっと先端を撫で始める。
 そのたびにぞくぞくと快感が走り、身体から力が抜けた。
「んっ……は、ぁっ」
 優しく揉まれて、先端を指で撫でられると、たまらず声が漏れる。
 いくら口づけで塞がれていても、やっぱり出ちゃうものは出ちゃうわけで……。
 でも、キスをしながらの声って、なんとなく変に響いて余計いやらしく感じるんだよね。
 ……もぅ……えっち。
「…………は……ぁ……?」
 ちゅ、と音を立てて唇が離れたかと思いきや、彼の手も静かに抜き取られた。
 ……?
 熱のこもった吐息のままに彼を見上げると、顎でスクリーンを指される。
 ………急に………何?
 うまく働かない頭で彼に寄りかかってから、スクリーンを見る……と、どうやら濡れ場は終わったようで、すでに切り替わっていた。
 ……あぁ。
 いつの間に終わったのか、全然記憶にない。
 それどころか、急に訪れたシリアスな展開についていけず、しばらく頭の中は“?”でいっぱいだった。
 ……。
 …………あぁ、あれの続きかぁ。
 やっとの思いで頭をフル回転させ、登場人物と先ほどのシーンまでの繋がりを見出す。
 だけど、1度パニックのようになった私には、続きどころじゃなくて。
 平然とした顔で続きを見ている彼の横顔を盗み見ながら、大きなため息が漏れた。

「あー、やっぱ面白かったな」
 スタッフロールまで見終わってから立ち上がった彼が、大きく伸びを見せる。
「ん?どうした?」
「……別に」
 座ったままでいたので、少し気にかけてはくれたらしい。
 ……とはいえ。
 あんなことされて、後半部分はさっぱり。
 せっかくの映画だったのに、なんだか腑に落ちない気分だ。
「さ。帰ろう」
「……うん」
 ふと見ると、出入り口から山中先生たちが出て行くのが見えた。
 彼らは、誰かに見られたらマズい関係。
 でも、今の私たちは違う。
 自然と手を出してくれるし、当たり前のようにその手を握ることもできる。
 いつもなら、絶対にできないこと。
 それを満喫しているだけでなく、“当たり前”のように思える私は、とっても幸せでかなり我侭な人なのかもしれない。
 きっと、2度はない体験。
 貴重とも、奇跡とも呼べない経験を、今、してるんだから。
「……いつの間に降り出したんだろうな」
「すごい雨ですね」
 屋内駐車場から表に出てすぐ、叩きつけるかのように大きな雨粒が空から落ちてきた。
 ザアという音よりも大きな音が車内に響き、ライトに照らされた雨が白い線になって闇に浮かぶ。
 その勢いはショッピングモールを出たころからさらに増し、マンションに着くころには車内を満たしていた曲をかき消すほどの大きな音になっていた。
 エレベーターで上がってから彼の部屋に向かい、いつものように玄関を開ける――……と、真っ暗な室内に雨の激しい当たる音だけが響いている。
 ……なんだか不気味。
 ちょっとだけ不安になったせいか眉を寄せていたら、ぱっと廊下の明かりがついたお陰で、不安が小さくなった。
「怖かった?」
「ち、違いますよ」
「……ふぅん」
 にやにやと意地悪な顔で見られ、口を一文字に結んでからリビングに向かう――……ものの。
 明かりがついていないキッチンへ入るとき、かなり躊躇した。
 えーと……スイッチってどこだっけ。
「っきゃぁ!?」
 内心びくつきながらいつもの場所を手で探っていると、瞬間的に室内が真っ白に照らされた。
 光とともに鳴り響く轟音。
 雷……!
 思わずその場にしゃがみこんでしまった私の頭に、彼が手を当てた。
「……こんなとこで何してんの?」
「かっ……雷」
「雷?」
「っ……!」
 まただ。
 耳をつんざく音がふたたび部屋に響き、ぎゅうっと目をつぶったまま耳を両手で押さえる。
 ……うぅ、すごく近い。
 怖い、というひとつの感情しか存在しない今の私はもう、ここから動けません。
「……ずいぶん近いな。あー、パソコンだけでも抜いとくか」
 光も音もまったく気にしない様子で、彼はすたすたと離れていった。
 ……うぅ。よく平気だなぁ。
「おー、すごいすごい」
「……よく、見てられますね……」
「ん? 楽しいよ?」
「もぅっ! 楽しくない!!」
 コンセントを抜いてから窓に向かった彼は、楽しげに外を見ていた。
 真っ暗な室内で、彼とおぼしき人影が窓のそばに立っている。
 ……うぅ。
 ようやくたどり着いたソファで両足を抱え込むように縮こまっていると、彼が振り返って笑ったのが……ちょうど、稲光で見える。
「そんなに怖い?」
「……怖い」
「んー……。楽しいけどなぁ。音はすごいけど、稲光がキレイじゃない? ほら」
「っ!!」
 ほら、じゃないですってば……!!
 ……もぅ、半分泣きそう。
 耳に両手を当てて音が少しでも聞こえないように力を込めていると、いつの間に移動したのか、不意に彼が隣へ腰かけた。
「何がそんなに嫌なの?」
「全部――……っ!!」
 ピシャーン、と鋭い音が響き、ゴロゴロと嫌な響きが部屋を揺らす。
 ……うぅ、も、燃えそうで怖い。
「……明かりつけてくださいよぅ」
「停電」
「てっ……停電!?」
「うん。ビデオの時間、消えてるでしょ?」
「……っ……ホントだ」
 言われてみれば、確かに明かりらしい明かりが何もなかった。
 いつもならば、暗闇の中にもいくつか点のような光が浮かぶのに、今日はすべてない。
 当たり前のモノが、手に入らない。
 そう実感すると、不安がいっそう大きくなる。
「……貸してあげようか?」
「え? ……何をですか?」
「俺」
「っ……」
 ぼそり、と耳元で囁かれた言葉に、どくん、と鼓動が大きく鳴った。

「……貸してください」

 自分でもびっくりするくらい素直に、彼へ抱きついていた。
 暗闇は、人を正直にさせる効果があるって聞いたことがある。
 ……あれって、本当かも。
 相手の顔が見えないからこそ、余計に素直になれるのかもね。
 手紙だと素直に気持ちが書ける、みたいなものなのかな。
「しょうがないな。素直に言ったから、特別ね」
「……うんっ」
 ふわり、と彼の手が私の頭を撫でてから肩を抱き寄せてくれた。
 そのとき、また部屋の中が真っ白に照らされ、すぐ近くに落ちたのではないかと思うような大きな雷鳴が響いた。
 ――……んだけれど。
 今、1番大きく聞こえるのは、彼の鼓動。
 そのおかげか、先ほどよりは怖さが半分以下にまでなっているような気がした。
「まだ、怖い?」
「……ううん。平気」
 彼へ回した腕に力を込めると、さらに安心感が増す。
 でも、彼は少しだけ困ったように笑った。
「……でも、あんまりくっつかれると、困るんだけど」
「え? ――……っ」
 ぼそっと聞こえた呟きで彼のほうを向くと、唇が塞がれた。
 優しい……安心するキス。
 すぐに顔が離れると、外からの光でかろうじて彼が見えた。
 すごく優しい顔してる。
 ……っ……なんだか、ドキドキしてきた。
「おまじないしてあげようか」
「おまじない?」
「そ。……怖くなくなるおまじない」
「……もう、怖くないけど……」
「ひとりでも?」
「っ……! それは怖い」
「でしょ?」
「……うん」
 くすくす笑いながらのやり取りは、とても秘密めいていて、どきどきするにはこれ以上のシチュエーションはないんじゃないかってくらい。
 なんだか、さっき見た映画みたい。
 いつもの声も好きだけど、こうして私だけに聞こえる声も……好き。
 特別な感じが、すごくするんだもん。
「……おまじないしてください」
「珍しいね。羽織ちゃんから言うなんて」
「だって……怖くなくなるんですよね?」
「うん」
 きゅっと抱きつくと、彼が髪に指を絡めた。
 まるで子供をあやすかのようにしてから、その手が頬に触れる。
「……Darling , I do love you」
「っ……」
 暗闇になれたお陰で、すぐここにいる彼がどんな顔をしているかはわかった。
 すごく優しくて……溶けてしまいそうな眼差し。
 それに、このセリフ。
 彼の発音はやっぱりキレイで、なんだかとっても恥ずかしくなる。
 だって、言葉の意味くらいわかるもん。
 それに、Darlingって…………あ。
 あれだ。
 ……さっきの、映画の言葉。
 こうしてふたりが見つめ合ってキスを交わすときに、主人公の男性が彼女へ言った言葉。

Darling , I do love you(本当に愛してるよ)

 ふふ、と嬉しそうに笑ったヒロインが、うなずいてから応える。
 それが――……。
「……Don't leave me, Honey(私を置いていかないで)
 囁くように呟くと、瞳を細めてから唇が動いた。
「Good,for you」
 にっと笑ったかと思うと、ゆっくり口づけられた。
 先ほどと同じ、優しい口づけ。
 ――……だけで終わってほしくないって思うのは、わがままに入るのかな。


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