「……アイツら、人のことをまたそうやって……」
 ぽつりと漏らした呟きに、彼女が苦く笑った。
 結局、和哉から奪取するかの如く彼女とともに帰ってきた、愛しい我が家。
 孝之と泰兄がニヤニヤしてたのは、やはり気のせいではなかったようだ。
「……あの、先生……」
「ん?」
 隣に腰かけている彼女が、おずおずと俺の顔色を伺うかのように下から顔を覗きこんだ。
 その仕草は相変わらずかわいいと思うのだが、少し遠慮がちにも見える。
「そろそろ、脱いで――……ぅ」
 目は口ほどに物を言う。
 ……ということを、無意識のうちに実行していたらしい。
 彼女の言葉を遮るように瞳を細めると、案の定途中で言葉が止まった。
「なんで?」
「え? だって、もう、ここは神社じゃないし……」
「でも、今日1日バイトだったはずなんだろ?」
「け、けどっ! 今はもう、家じゃないですか! それに、皺になっちゃう……」
「クリーニング出すなら、一緒。今日1日その格好でいなさい」
「っ……そんな!」
 しれっとした顔で彼女に告げると、目を見張った。
 彼女が言うのも無理もない。
 だが、実際に目の前で巫女装束を見る機会も少ないわけで。
 着てるのが彼女だからと理由をつけて、しばらくこのままの格好でいてもらうことにしたのだ。
 ……しかし。
 そーゆー顔をするから、無意識のうちに意地悪い言葉が出てくるんだよ。
 などとは、もちろん言えないけど。
 ……ふむ。
 でも、そうだな……。
「…………」
 顎元に手を当てると、ある考えが浮かんだ。
 ――……すると、何かを察知でもしたのか、彼女が急に大人しくなる。
「ん? どうした?」
「別に……なんでもないです」
 ちょっとよそよそしいのが、気になるところ。
「わぁ!?」
「気になるだろ。なんだ? 急に」
 ふいっと逸らした視線を戻すように彼女を引き寄せ、腕で捉える。
 こちらは、スーツなんて動きにくい服はすでに着替えたので、身軽なもの。
 少なくとも、行動を制限されている彼女よりかは、ずっと動ける。
「何?」
 顔を近づけ、瞳を合わせる。
 こうすると、彼女は決まって俺に言うんだ。
 『先生は、ズルい』と。
「……ズルいですよ……」
 ほらみろ。
 でも、言われても仕方ないとは思ってる。
 俺の場合は、わざとそうしているんだからな。
 だって、そうだろ?
 こうしてしまえば彼女が素直になることくらい、これまでの付き合いでしっかりとわかっていることなんだから。
「ほぅ。ズルい? 俺が?」
「…うん」
「じゃあ、優しくしてあげようか?」
「……え……?」
 自然に出た、満面の笑み。
 きょとんとした表情を見せた彼女に、もう少し顔を近づける。
 だが、そうするに従って自然と笑みは消えた。
「っ……! な、せ、せんせ!?」
「脱ぎたいんだろ?」
「けどっ! そ、そんな、聞いてない!!」
「そりゃあね。言ってないし」
 帯に手をかけてソファに軽く倒すと、首を振って抵抗された。
 知ってる。そうするとは思った。
「昨日」
「……き……昨日っ……?」
 ぼそっと耳元で呟くと、わずかに肩を揺らして小さく返してきた。
 自分で口に出しておきながら、今になってあの光景が頭に浮かぶ。
 ……あの、冬瀬の生徒の楽しそうな顔が。
 あのとき、彼女はどんな顔をしていたのか。
 それを思うと、結構悔しい。
「……どうしてあのとき、冬瀬の生徒と一緒にいたんだ」
 自然と、声のトーンが落ちた。
 別に怒っているわけじゃないが、歓迎できるようなことじゃないからな。
 細くなった瞳で彼女を捉えると、小さく喉を鳴らしてから視線を合わせた。
 その瞳には、少し困ったような色が浮かんでいる。
「あのときは別に、冬瀬の人と一緒になるつもりなんて……なかったんです」
 だろうね。
 むしろ、そうでなきゃ困る。
 ……つーか、許せない。
「…………」
 いろいろ考えは浮かぶのだが、何も言わずに見つめていると再び彼女が口を開いた。
「絵里とふたりであのお店に行って、ケーキと紅茶頼んで……。それで、食べたらすぐに帰るつもりだったんですよ? だってほら、先生たちが見回りするっていうのは知ってたし。だけど、あのとき……」
 そこで、声がしぼんだ。
 言いにくそうにこちらの表情を伺ってから、どうしようか迷っているという感じで唇をうっすらと開く。
「で?」
「……それで……」
 彼女の頬を手のひらで撫でると、逸らした視線を再び元に戻してから言葉を続けた。
「帰ろうとしたとき、冬瀬の子たちに話しかけられたんです」
 冬瀬の生徒が、彼女らに声をかけた理由。
 その点で、思い浮かぶことがあった。
 以前、ふたりは冬瀬の生徒会連中とのお茶会と称したイベントに出かけたことがあったのだ。
 恐らく、そのときに顔を覚えたんだろう。
 だから……声をかけたんだ。
 俺の目の前で、俺の彼女に――……だ。
 いや、違うか。
 純也さんもいたんだから、『俺たち』だな。
「それで?」
「え?」
 頬を撫でる手をそのままに呟くと、彼女が不思議そうに瞳を合わせた。
 カッコ悪いことが口から出そうになる。
 ……いや、言うつもりなんだけど。
「楽しかったか? 連中とのお喋りは」
「先生……?」
「同い年だしな。さぞかし話も弾んだろ」
 ふっと視線が外れた。
 我ながらみっともないことを言ってるのは、十分わかってる。
 ……みっともねぇ。
 つーか、カッコ悪い。
 出てくる言葉すべてにあるのは、誰にでもわかる“嫉妬”のニュアンス。
 相変わらず俺は、彼女のことになるとセーブが利かなくなるらしい。
 だが――……。
「私が、そんなこと思ったって言うんですか?」
 ひたり、と頬にあてがわれた彼女の手のひら。
 そこだけが、ほんのりと温かくなる。
「……先生は、やっぱり意地悪」
「意地悪?」
「意地悪です」
 珍しく彼女が即答した。
 しかも……あれ? なんだ。
 ひょっとして……怒ってる?
 彼女にしては珍しく、ずいぶんと鋭い眼差し。
 上目遣いに見られてはいるが、雰囲気がいつもとは違った。
 ついでに言うと、声も違う。
 ……俺、怒られてるのか? 彼女に。
「私がそんなふうに思ったなんて、これっぽっちも思ってないでしょ」
「……いや、そんなことは――」
「ウソだもん。先生は、本当にそう思ってたらそんなふうに言わないじゃないですか」
 ……ちょっと待て。
 今、この状況からすれば有利なのは俺のはず。
 現に、彼女を押し倒しているのだから。
 だが、妙に弱気になるのはなぜだろうか。
 ……って、そんなの簡単だな。
 普段怒らない彼女が、若干ご立腹でらっしゃるからだろう。
「私がそんなふうに思わないって1番よく知ってるのは、先生じゃないですか。……なのに、どうしてそんな言い方をするの?」
「……いや、そういうつもりじゃないんだけど」
「じゃあ、どういうつもりですか?」
 真芯にくる、直球。
 有無をいわさず矢継ぎ早に……ってワケではないが、それでもいつもの彼女に比べればまったく違う感じだ。
「……悔しかったから」
 ほらみろ。
 お陰で、いらん言葉が出てきたじゃないか。
 それを聞いた彼女も、瞳を丸くしてるし。
 ……あーもー。カッコ悪いことこのうえないな。
「悔しかった。ダサいなって思うくらい、嫉妬した。アイツらとどんな会話して、どんな顔してたか、ものすごく気になった」
 ぶちぶちと区切りながらの告白。
 まるで、懺悔だ。
「そんなこと思ってないって言ってくれるのは、わかってる。……だけど、直接聞きたいんだよ。羽織ちゃんに」
 ……怒られて拗ねてる子どもみたいだな、俺は。
 これじゃあ、和哉のことをあれこれ言える義理はないかもしれない。
 形いい唇を親指でなぞりながら、落とした視線を戻して再び言葉を続ける。
「……悪かった。でも別に、試してるとかそういうワケじゃないんだぞ?」
 居心地の悪さを感じながら彼女の機嫌をうかがうと、じぃっと瞳を見つめたあと――……おかしそうに小さく笑った。
「わかってますよ」
 くすくす笑いながら頬を撫でていた手が、今度は頭へ回る。
 そして、そのまま……撫でられた。
 頭を。
「……こら」
「なんですか?」
「それはこっちのセリフ。どうして頭を撫でるんだ?」
「だって、先生が謝ってくれたから」
「……それとこれとは別だろ?」
「一緒ですよ」
 表情は柔和になったが、微妙にいつもの彼女らしくなくて困る。
 これじゃ、丸め込めないじゃないか。
 ……いや、別にヘンな意味じゃなしに。
「許してあげますね」
「そりゃどうも」
 軽く首をかしげられ、こっちも笑みが浮かんだ。
 その仕草がかわいかったからというのもあるが、いつもと立場が逆の自分がおかしくもあったからだろう。
「じゃあ、許してもらったついでに」
「っ!」
 ぎゅっと抱きしめ、耳元へ唇を寄せる。
 わざと息をかけながら話せば、彼女が抵抗しないことは既知の事実。
 ……しっかりと、お許しをこうことにでもしようか。


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