「待て!!」
 ――……やたらデカい自分の声で目が覚めた。
「……っ……あ……?」
 どくんっと大きく鼓動が鳴り、恐ろしいくらいの汗をかいている。
 ……なんだコレ……。
 ばくばくと早鐘のように打ち付けている心臓が、まるで知らない生き物のようにさえ感じる。
「…………」
 目の前に映るのは、ぼんやりとした薄暗い天井。
 ……朝……?
 そう思いながら身体を起こして時計を取ると、まだ、デジタル時計は『4:18』という数字を示していた。
「……4時かよ……」
 時間を見て後悔した。
 まだ、4時。
 起きるには、ずっと早い時間。
 ……だが。
 あんなモノを見せ付けられたままでは、心底気分が悪すぎる。
 そう考えれば、まだ、救われたと言ってもいいかもしれない。
「…………なんだあれ……」
 頬に手のひらをあて、立てた膝に肘をつく。
 やけに、リアリティのある映像。
 そして、登場人物の言葉と……声と。
 とにかく、改めて“夢”だと認識するまでに、多少の時間を必要とした。
 あれは……夢、だったんだよな。
 間違いなく、そうなんだよな……?
 実は、“昨日の出来事”だったりしないよな……!?
「…………」
 ごくっと喉を鳴らせていろいろ思い返してみるも、やっぱり、イマイチ判断ができなかった。
 なんせ、あの映像。
 やけにリアル過ぎて気持ち悪いほど。
 ……すげー落ち着かない……。
 ごろんっと再び横になるものの、結局は『夢だろう』というイマイチ腑に落ちない結果を得るしかできなかった。
「…………」
 横になったまま瞳を閉じ、再び眠りへと落ちる準備をする。
 まだ、4時。
 いくらなんでも、起きるには早過ぎる。
 ……それに。
 できることならばもう1度夢を見て、今度こそ気分よく目覚めたいもの。
 今となってはさっきのアレが夢だと実感できたからこそ、あの続きから見て、彼女を正々堂々と奪還してやりたい。
 …………。
 ……しかし。
 夢に出てきた自分のセリフが不意に頭をよぎり、ものすごく恥ずかしくなった。
 ……なんだよ、あのセリフ。
 つーか、海より山よりって………馬鹿か……っ。
「……はー……」
 我ながらセンスも何もあったもんじゃないんだな、と思うと若干切なかった。
「…………」
 深く息を吸い込んでから、改めて瞳を閉じる。
 耳に届く、静かな朝の音。
 車の音もそうだが、それよりも先に、すぐそこで鳴いているような鳥の声がした。
 ……あー……。
 こういうのって、なんかちょっとした贅沢を味わってる気分だよな。
 悪くないというか……結構、好きかも。
 ある種の優越感というか癒しというかで、心がほぐれたように思える。
「………………」
 ……が、しかし。
 そこで再び、瞼が開いた。
 …………。
 …………ちょっと……待てよ。
「…………」
 がばっと身を起こし、枕元に放ったままだったスマフォを探る。
 朝4時。
 ということは、早朝というよりも深夜に近い時間。
 しかも、この、冬の時期ともなれば――……言うまでもなく真っ暗闇で。
 ……こんな時間に、鳥がさえずってるワケがない。
 そして…………。
「……っ……!!」

 この時間、こんなに明るい日差しがカーテンの隙間から漏れているのも、ありえないことだ。

「遅刻……ッ……!!」

 7:35

   スマフォを弄ると同時に、目が丸くなった。
「ヤベ……っ!!」
 ベッドから転げ落ちるように降り、慌ててクローゼットからシャツを取り出す。
 とにかく、どれでもいいから。
 ネクタイ、シャツ、スーツ。
 そんなモノ、今日はもう選んでる余裕なんてなかった。
 手近にというよりは適当に目に付いたものを選び、ベッドへと放る。
「うっわ……!」
 シャツを羽織り靴下を履きながらリビングへ向かい、そのまま洗面所へ向かう。
 ……く……!
 新聞もニュースもなしかよ……!!
 すでに動き始めている世の中の情報をまったく得られないのは社会人としてどうかと思うんだが、今は、急ぎ。
 とにかく、とっとと身支度を済ませて、仕事場へ向かわねば。
 …………あー……朝メシは食えないな。
 できれば、コンビニかどこかで買いたいところだけど。
「くそ……ッ!」
 それにしたって、なんで今日に限ってあんな夢を見るんだよ!
 そんでもって、時計も!!
 どうして、こうも嫌なことばかり続くんだ……!
 ただただ、そんな責任転嫁しか浮かばない。
「ッうわ!?」
 洗面所に入って、思わずデカい声が出た。
 正面にある、デカい鏡。
 そこにはまったくもって『えぇ!?』という言葉しか出てこない、信じられないような自分の姿があった。
「うっそだろ……! つーか、なんだよこの寝グセは……!!」
 ばっと鏡に食いつき、思い切り跳ねている頭頂部に手をやる。
 ……なっ……何かのキャラか……!
 思わず、情けなくて力が抜けた。
「っく……! ただでさえ時間ないのに……!!」
 舌打ちをしてからワックスを手に取り、ふたを回す。
 ……まわ……。
「あーー、なんで開かないんだよ、くそ!!」
 ガン! と、思わず容器ごと洗面台に投げつけるところだったが、すんででそれは阻止できた。
 仕方なくジェルを手に取り、蓋を――……と、こちらは難なく開いた。
 ……が。

 ふしゅ

「……え……」
 握った途端聞こえたのは、そんな情けない掠れた音だけ。
「……う……そだろ……!?」
 手元を見ると、空の容器があった。
「ッ……!」
 なんでだ!?
 どうして、こうも駄目なことばかりが続く!?
 すべてにおいて空回りというか、とにかく連続して起こるマイナスなこと。
 ……つーか、空っぽのヤツいつまでも置いとくなよ……!
 我ながら、過去の自分が恨めしい。
「っ……くそ!」
 仕方なく、蛇口をひねって洗面台に頭を突っ込む。
 ――……が。
「っ!? つ……めて……!!」
 出てきたのは、水。
 …………待て。
 ちょっと待て。
「……っくそ……!」
 考えるまでもなく、それは当然。
 なんせ、俺は起きてから今まで給湯器のスイッチを押してないんだから。
 ……く……っ……ちくしょうが!!
 真冬の氷水な仕打ちを受け、いろんな意味で泣きそうだった。
「ああもう!」
 手近にあったタオルで頭を拭き、ドライヤーでとっとと乾かす。
 少し熱く感じる温風が、心地いい。
 ……ってまぁ、浸ってる場合じゃないんだけど。
「って、あれ!?」
 ほぼ乾いた状況。
 なのに、なぜか未だ突っ立った頭頂部は、先ほどと何も変わってなかった。
 しいていうならば、多少、へんにょりとしたってところ。
「……意味ないだろ……」
 ドライヤーの音を聞きながら呆然とし、ため息が深く漏れた。
「…………くっそ……」
 イライラするのは当然だが、今はそれよりも何よりも、家を出るのが先。
 また感じの悪い目上の教師にでも会って『いつまでも学生気分じゃ困る』なんて言われるほうが、よっぽど癪に障るから。
「あーもう……!」
 仕方なくその場をあとにして、寝室に戻る。
 手早くボタンを留めてから、ネクタイを首に引っかけてリビングへ。
 鞄と、スマフォと、財布。
 あとは家と車の鍵と――……こんなモンか。
 テーブルの上に出しっぱなしだったそれらの物をポケットに突っ込み、セーターを着てから上着を羽織る。
「……く……!」
 時間を見ると、7時45分を少し回っていた。
 ヤバい。
 とっとと出ないと、本気で遅刻。
 ……あー……くそ!!
 今日はやっぱり朝メシ抜きになりそうだ。
「……ッ……」
 何も飲まず、何も食わず。
 かつ精神的にボロボロでズタズタな状態。
 そんな“マイナス”ばかりを詰め込んだ身体に鞭打って玄関へ急ぎ、靴を履いてとっとと外に出る。
 鍵を閉めるのに多少もたついた以外は、普段と何も変わらない行動。
 …………はー……。
 なんか、当たり前のことがものすごく有難く感じるな。
 ある意味、幸せを感じるボーダーが下がったようで、少しおかしかった。
「……っと……?」
 腕時計をはめながらエレベーターに向かうと、そこには普段見慣れないモノが見えた。
 1枚の紙。
 それが、ドアにぺったりと張られているように見える。
「……ッ……!」
 まさか……!!
 ぞわっと立った嫌な予感でエレベーターに駆け寄ると、そこにはやっぱり……やっぱりなことが無情にも赤マジックで書きなぐられていた。

 『点検中につきご迷惑おかけします』

「まったくだ、ちくしょうが……!!」
 そんな叫びが、誰もいない廊下にエコーを伴って響き渡った。


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