「今年もあとわずかか……か」
ぽつりと呟くと、息が白く宙に浮かぶ。
大晦日である本日。
雪が降った。
……しかも、粒がデカい上に、積もり始めている。
この分じゃ、明日の初詣は厳しそうだ。
……まぁ、なかなか人目につく場所へふたりきりで出かけられるほどの身分じゃないんだけど。
コンコン。
大きくため息をつくと、後ろで硬い音。
振り返ればそこには、愛しい彼女がいた。
――……ただし、表情は微妙な上にガラス越しだけど。
なんて彼女観察をしていたら、ゆっくりと窓が開いた。
「……先生」
「何?」
「私、代わりますってば」
「それじゃ意味ないだろ。つーか、受験生は中にいなさい」
「けど! 全然、進んでないじゃないですか!」
「……寒いんだよ、外は」
「もぉー! だから、私がやるって言ったのに……」
呆れたように呟く彼女の言い分も、わからないではない。
でもな。
まさかこんな年の瀬に雪が降るとは思わなかったんだよ。
そんな中で大掃除なんて、おかしいだろ。
こういうときはひとつ、休んで天候を見ながらすごすのが1番いいと思うんだが。
「……何も、こんな日に窓拭きしなくても」
「今日だからするんでしょっ!」
「でも、寒い」
「だって、雪降ってるもん」
「……やけに嬉しそうだな」
「えへへ。嬉しいですよ」
そんなに嬉しそうに笑われると、こっちも笑みしか出てこない。
今年の2月以来の、雪。
そう考えると、もう随分と昔のように感じる。
……いやまぁ、実際そうなんだけど。
全国的にというよりは、世界規模で大晦日である本日。
先日ようやく仕事納めとなり、しばらくのんびりと過ごしていたのだが……やっぱり、今日はどうしても掃除をしなければならないのだろうか。
暮れに大掃除なんて、日本だけの風習じゃないのか?
何も、このクソ寒い中やることじゃないだろうに。
しかも、だ。
現在俺が立っている場所は、どこからどう見てもベランダに違いない。
――……もう1度言おう。
今日の天気は、雪。
おかげで、足元にも雪がときどき吹っかけてくる。
雪が降る日というのは、昼夜が逆転するというのが一般的。
つまり、昼間はめちゃめちゃ寒くて、夜はそれなりに暖かい……というワケ。
……だから、少しでも暖かい夜に掃除するべきだと思う。
なんていうのは、まぁ、今を逃れる口実でしかないけど。
後回ししたりすれば、蕎麦を食べてどうせ何もしないに決まってる。
「ほら。せっかく入ってる暖房が、みんな逃げるだろ。とっとと、閉める!」
「あ! で、でもっ!」
「真面目にやればいいんだろ? 真面目に。ちゃんとやるから、ほらっ」
なかなか窓を閉めない彼女に代わって閉めてやると、ガラス越しにため息交じりの苦笑を見せた。
……寒い。
開いた窓から暖かい空気が流れていた先ほどまでとは違い、冷風が吹き荒ぶベランダに戻ってしまった。
これはとっとと終わらせるのが1番の策だな。
というわけで、先ほど彼女に告げたとおり真面目に窓拭きを終わらせてしまうことにした。
「…………」
窓用の洗剤を吹きつけ、タオルで拭いて……さらに乾いたタオルで仕上げ。
それを繰り返してから、見る角度を変えたりしながらあれこれ確認。
で、納得のいく仕上がりに、軽くうなずく。
――……のは、無論俺ではなくて彼女だ。
こうして反対側から見てると、自分との違いが本当によくわかる。
俺が拭いた外側と、彼女の拭いた内側。
まさに、歴然ってヤツだ。
まぁ、きれいになった窓を見て嬉しそうな顔をする彼女を見ているのは、楽しいからいいんだけど。
しかし、マメだよなぁ……。
まさか窓拭きひとつをとってみても、これだけの差が出るとは正直思わなかった。
「……さむ……」
……ていうか、だな。
今日のこの天気でする外の窓拭きってのは、ものすごく無駄じゃないか?
と、今ごろになってようやく気付いた。
せっかく、自分ではきれいにしたと思っている窓に、風に吹かれた雪が張り付くんだから。
……うん。やめやめ。
どうせ、やってもやってもきれいにはならないんだ。
1度無駄だと気付いてしまうと、もう無理。
一気にやる気が削がれた。
……まぁ、『じゃあ、今までは真面目にやる気出してたのか』と言われると、微妙だけど。
「……はー」
大きくため息をついて、ベランダの手すりにもたれる。
……雪だなぁ。
雪が降っているときは、なんとなく世界が静かになっているように感じるから不思議だ。
まぁ、大晦日というだけあって、家の前の交通量が少ないってのもあるだろうけど。
「ん?」
服に付く雪を見ながらそんなことを考えていると、後ろで窓の開く音がした。
また何か言われるな、こりゃ。
「……もぅ。そんなふうにしてたら、寒いですよ?」
「鍛え方が違うから平気」
「さっきまで、寒いって言ってたじゃないですか」
「……ときによりけり」
振り返らずに交わす会話でも、くすくすという笑い声が交じっているので、彼女がどんな顔してるかくらいはわかる。
「窓拭き、終了」
「……まだ半分も終わってないじゃないですか」
「どうせ、外は拭いてもすぐ汚れるだろ?」
「それじゃあ、大掃除になってないのに……」
「いいんだよ。おしまい。さ、そろそろ中入るかな」
「もぅ」
隣に来てこちらを見上げた彼女の頭を撫でてから、先に室内へ。
入った途端に、まさしく別世界であることを実感。
あったけー。
すっかり冷たくなっていた手や頬が、少しじんとするほど。
「で? 中も窓拭きおしまい?」
「です。今度は、キッチン」
「……相変わらず、よく働くね。君は」
「もーっ。今日はそういう日なのっ! 先生も働いてください!」
「俺はもう仕事納めしたんだから、働かなくていいんだよ?」
「そんなこと言ったら、片付かないでしょ?」
「片付けなくても、十分使い勝手は――」
「めっ!」
「……わかったよ」
まるで子供を叱るように眉を寄せて怒られたら、そう言うしかないだろう。
とはいえ、こちらは苦笑交じりにだけど。
「……もぅ。先生ってば」
それを見た彼女に再び小さく怒られたが、そのときの顔にはもう笑みが浮かんでいた。
……仕方ないな。
彼女に言われたら、やらないわけにはいかない。
キッチンは彼女に任せることにして、俺はひとり書斎として使っている部屋へ足を向けることにした。
……自慢じゃないが、昔から片付けるのは得意じゃない。
『片付ける』というよりは、『どかす』という言葉のほうがよっぽど性に合っているだろう。
「……はぁ」
手狭なこの部屋は、元々書斎用に作られた物ではない。
……まぁ、手狭なというよりは、そうなった原因が自分にあるので何も言えないんだけど。
テーブルにあるフロッピーやらCD−Rやらの上には、覆いかぶさるようにして幾つもの紙の束。
それだけじゃない。
床にも紙束だけでなく、雑誌や本が積まれているわけで。
正直言って、どこから手を付けたらいいものかと悩んでいる現状。
とりあえず椅子に座って、テーブルの上にある物をひとつひとつ確認していくことから始める。
出てくる出てくる、不要と思しき物。
提出し終えた論文のミスプリント。
傷が付いてダメになったCD−R。
捨てようと思っていた、要らない書類。
……挙句の果てには、ペットボトルが幾つか。
おかしいな……。
捨てたと思っていた物が出てくる。
この部屋は、まさに俺の性格がよく現れている場所だ。
ざっくばらん。
というよりは、大雑把っていうほうが近いか。
……うん。間違いない。
手にした書類をテーブルに放り、改めて部屋を眺めてみる。
「……片付けなくても、使い勝手いいよな。この部屋」
そう結論が出たからには、ここにいる必要も片付ける必要もナシ。
彼女がこの部屋を見たらなんて言うか?
大丈夫。
昔から、言い訳で困った事はないんだ。
というわけで、現状維持よろしく、ドアを閉めて再び彼女がいるリビングまで戻ることにした。
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