「…………んぅ……」
朝早くに、電話が鳴った気がした。
でも、それは夢の中かもしれない。
なんだかもう、激しく疲れの取れていない身体をごろごろとベッドで転がしていると、深い眠りにまた落ちていける。
……快感。
ようやく身体に合った場所が見つかって、へにゃんと顔が緩んだ。
…………。
……ん?
そこで初めて、今このベッドを占領しているのが私ひとりだと気付いた。
いつもだったら、どんなに寝相悪く暴れても、純也はベッドから落ちることなく隣に寝てて。
たとえ、どれほど純也のテリトリーを侵してやろうとも、隅っこのほうで丸まって寝ていようとも……そうだったんだけどなぁ。
「……あれ?」
むくっと身体を起こすと、やっぱり隣に純也がいなかった。
…………。
静かな朝。
余計な音が一切しないからこそ、耳に届くモノがある。
「…………」
――……声。
ドアを1枚隔てた向こうから聞こえてくる、ぼそぼそといった感じの低い声だ。
アレは間違いなく、純也のモノ。
……ってコトはさっきの電話は……もしかしたら本物だったのか。
それどころか、切れたんだとばかり思っていた電話は、彼が取ったものだったらしい。
律儀ね、相変わらず。
私だったら、間違いなく寝てすごすのに。
だって、用のある電話だったらまたかかってくるじゃない?
……ま、そういうふうに考えられないのが、あの性格を持ってる純也なんだろうけど。
「…………ねむ……」
どうしようか考えていたけれど、やっぱり眠気には勝てなかった。
どうせ、こんな朝早くにかかってくる電話なんて、ロクなもんじゃない。
私に関係あるものであるはずがないし、万が一そうだったら純也が叩き起こすだろう。
……それに、電話なんてフツーすぐ終わるでしょ。
別に、隣にいようがいまいが関係ないけれど、なんとなくベッドが広すぎる気がして、余計なことを考えちゃっただけ。
さ、2度寝2度寝。
学校に行くまではだいぶ時間もあるし、もう1時間くらいはベッドにいよう。
そう思って、再びころんと横になった。
「…………」
だけど。
すぐに、目が開いてしまう。
……だって、電話が終わる気配がないんだもの。
しかも、なんか笑ってるような雰囲気もあるし。
伝わってくる響きだから、何を話してるかまではもちろんわからない。
だけど、怒っているのか、はたまた笑っているのか。
そのあたりの違いは、やっぱりわかるから。
「…………」
ぎゅうっと枕を握り締めたまま耳を澄ましていると、相変わらずまだ会話は続いているみたいで。
……これはやっぱ………やっぱ、よね。
軽くうなずいてから、再び身体を起こす。
行くしかないでしょ? 確かめに。
そう思うと、自然にもう1度うなずいていた。
そっと足を床に下ろしてから、音が立たないように歩を進める。
すでに日は薄っすらとあるから、部屋の中はちゃんと見えてる。
ドアノブを軽く握ってちょっとだけ下ろすと、あっけなくドアが開いてくれた。
「…………」
電話は、すぐそこ。
ちょうど、ここから目の前にあるキッチンのカウンターにあるから――……やっぱり。
昨日見たままの格好で電話に出ている純也は、私に背を向けていた。
ときおりうなずきながら、ときおり笑う。
なんだか妙にその姿がおかしくて、頬が緩んだ。
……それにしても、誰だろう。
ドアの隙間からじゃ声までちゃんとわからない。
…………もう少し、開けようかな……。
どうしようか悩みながらドアに手を当て、そっと――……。
「とんでもない。お元気そうで、何よりです」
さっきよりも、もう少し開けたドア。
その途端ハッキリとした声が聞こえた。
…………。
……なんてこった。
さっきの言葉、取り消すわ。
だって――……今、純也が話してる相手。
それは、私に思い切り関係のある人物だと思うから。
彼がこんなふうに言うのは、数人しかいない。
その中でも、特に丁寧になる人。
それは…………私の両親だけで。
仕事関係ならば、間違いなくスマフォに連絡が来る。
……でも、鳴ったのは家の電話。
普段からあまり鳴ることのない電話だからこそ、家にかけてきた人というだけで、絞られてしまう。
「いえ、とんでもない。こちらこそ、先日は申し訳ありません。お返事が遅くなってしまいまして……」
「…………」
お父さん、だ。
多分、純也が話している相手は、私の父親。
母のときは、あんなに畏まった口調じゃないから、多分……そう。
……それにしても、“返事”っていったいなんのことだろう。
最後に来た手紙は、少なくとも2ヶ月以上も前だし……。
それには私が返事をしたから、純也には関係のないこと。
……んー……?
それじゃあ、この電話は両親からじゃないのかしら。
ドアにもたれたままで、眉が寄った。
「いえ、お忙しいのは俺よりも楠乃希さんのほうで……。だからこそ、申し訳ないんです」
楠乃希。
……おりょ。
それで、間違いないと確証が芽生えた。
だって、ほかに『くすのき』という名前の知り合いなんて、純也にいないはずだから。
「本来でしたら、週に1度どころか……もっと多く出すべきなんですが……」
……んー……?
だから、相変わらずその言葉の意味がわからない。
出すべきって……何を?
まだ半分寝ている頭をどうにか動かしながら、その場に座り込んで考える。
…………。
当てはまるとしたら……やっぱり、さっき言ってた“返事”ってヤツなのかしら。
ほかに思い当たる節はないし、それで正解ってことにしておこう。
「……え? そう、なんですか?」
「…………?」
いきなり声のトーンが変わった。
何かあったのかと思い、弾かれるようにそちらを向く。
……背中よりも、もっと向こう。
遠い遠い場所を思い浮かべると、不安からか眉が寄る。
……何よ……。
何があったのよ!
聞くに聞けない状況だけに、何も言わない純也を見つめていることが歯がゆくてたまらなかった。
「そうですか。……あ、でも明日には復旧するんですよね? ……でしたら……ええ。あはは」
「何がよ!!」
「うわ!?」
いったい何があったって言うの!?
ひとりで納得して、ひとりでうなずいて。
ワケがわからなくていてもたってもいられず、バーンとドアを大きく開けていた。
「なっ……絵里……!?」
「何よ! いったい何があったって言うの!? それ! お父さんでしょう!? 貸して!!」
「は? ……あ、ああ……まぁ、それは別に……」
「早く!!」
ズカズカとそちらへ歩いていき、戸惑いまくりの表情と声の純也から、ひったくるように受話器を受け取る。
「もしもしっ……!」
自分でも、どうしたって神妙な面持ちなのは仕方ないだろう。
だって、事情も何もかもわからない以上、心配でたまらないんだもの。
こっちにしては、朝早く。
だけど、向こうは……まだ、夕方なのか。
ふと目に入った時計を見ていたら、一層強く距離を実感してしまう。
……遠いんだなぁ。
ていうか、本当に……離れてるんだよね。
――……でも。
『絵里か? ……久しぶりだな』
「……お……とうさ……」
少しだけ笑いを含んだような声。
……いつ振りだろう。
こんなふうに、名前を呼んでもらったのは。
電話で話すことすら、本当に久しぶり。
だからこそ、自分でも驚くくらい……琴線に触れた。
「…………」
何も、言えなかった。
純也と何を話していたのとか、聞きたいことはいっぱいあるのに。
ただただ、受話器の向こうから聞こえる声が懐かしくて。
話ができるのが、とても嬉しくて。
……距離を一切感じずに済むって、やっぱりすごいよね。
ぎゅっと両手で受話器を握ると、胸がいっぱいになって……涙がひと粒零れ落ちた。
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