「……なんで……」
ぽつりと、情けない言葉が漏れた。
掠れたような、ヤケに俺らしくない声。
喉が動いて何かを飲み下すように身体は動いたが、視線も頭もびったりと止まったように1点に張り付いていた。
まず、問う。
『その、隣の男は誰なんだ』と。
そして、第2に。
…………。
これはやっぱり、実力行使以外は思いつきもしなかった。
相手は、俺より背の高いかっちりした男。
だが、それでも俺には咎められる点なんぞ微塵もないから、その点で言えば強い。
「…………くそ……」
こんなことになるなら、こんな場所になんか来なければよかった。
だが――……それはそれで、やはり……気になる。
今は確かに、こうして実際を目にしているからなんとでも言えよう。
恐らく、問い詰めようと姿を見せればまず、確かなことを得られるはずだ。
だが、もし。
俺が今この場にいなかったとしたら――……はたして“彼女”である羽織ちゃんは、今日この今のことを俺に教えてくれるんだろうか。
素直に話してくれるんだろうか。
まるで、その日学校であった出来事を話してくれるかのような……そんな、軽い口調と笑顔で。
実は私、昨日……先生の知らない男の人とふたりでデートしてたんです。
なんて。
「…………はー……」
デカい柱にもたれて瞳を閉じると、自然にため息が出た。
ことの発端は、今朝。
……そう。
今朝だぞ? 今朝。
せっかくの休みだというのに、今朝。今日。本日。
日曜日とあって、明日は当然学校で。
だからこそ、十二分に彼女との時間を満喫しようと思っていたのに。
誰にも邪魔されない、それこそふたりきりの時間。
それが俺にとってどれほどの安息を与えてくれるかなんて、ほかのヤツらにわざわざ教えてやるつもりはないが――……それでも、誰だってわかるはずだ。
自分の最愛の者とともにすごす時間が、どれほど甘美で穏やかなモノかというのは。
だが。
「…………」
思い出すだけでも腹が立つ。
朝っぱらからの電話な上に、別に好んで聞きたいとも思ってなかったヤツの声。
……しかも、内容が内容だ。
どれを取っても、俺にはまったく芳しくないことばかり。
…………。
……今思うと、やっぱりアイツからの電話なんて気にせずほうっておけばよかったんだ。
どうせ孝之がもたらす情報が、俺に幸運を与えてくれたためしもないんだし。
「……はー……」
いきなり、彼女から直接突き付けられた『お断り』の言葉。
今もまだ、まぶたを閉じると鮮明に光景が蘇る。
『ごめんなさい』と言いながら、眉を寄せてそれはそれは切なそうな顔を見せた彼女。
その顔を見れば彼女の本心なんてもちろんわかるし、だから嬉しくもあった。
俺との時間を楽しいと思ってくれているのは、彼女も同じ。
そう思うことができて、本当に救われる。
「…………」
だからこそ、羽織ちゃんを行かせたんだ。
彼女が、『どうしても』と懇願したから。
だが――……俺は。
もしも彼女の断りが『俺じゃない男と会う約束があるから』だと聞いていたら、それでも同じように彼女を送り出せただろうか。
……疑問は疑問で、凝り固まる。
少なくともふたつ返事で『仕方ないよな』なんて言ってやれるほど甘くはない。
俺だって、手放しでいいよと言った訳でもなければ、限りある彼女との時間を惜しまずなんにでも遣えるワケじゃない。
むしろ、大事に大事に……それこそ秒単位でと言ってもいいほど、重んじてきたのに。
なのに――……目の前のこれは、いったいどういうことか。
あてつけ? 仕打ち?
どれにしたって、恐らく俺の納得いく回答であるはずがない。
…………クソ。
全部。
どれもこれもすべてアイツのせいだ。
ぎゅっと拳を握ると、爪が手のひら当たる。
……なんでこんなことに。
まるで、ストーカーのように買い物中とおぼしき羽織ちゃんを覗き見しつつも、見つからないように隠れている我が身が情けなく思えた。
ぽん
「……あ」
「お待たせー。待った? やぁねぇ、もう。レジのおねーさんったら、打ち間違えるんだものー」
「いや、別に」
にこにこにっこり。
俺の肩を叩いてから満面の笑みで言い訳じみた言葉を呟いた彼女に、そのまま首を横に振る。
彼女。
……あー。
今、俺の隣にいてくれるのが、あの、彼女だったらな……。
「……はぁ」
不思議そうに首をかしげる彼女をまじまじと見てから、ため息が自然と漏れた。
「なぁに? 祐恭ったら。……変な子ねぇ」
「……この年になってもなお子ども扱いするのか……」
「あら。知らないの? 親にしてみればね、子どもがたとえ40になったとしても、子どもは子どもなのよ?」
まるで、ものすごく特別な知識をひけらかすかのように。
ひどく得意げな顔をした母は、ちっちと指を振る。
……はー……。
なんか、頭痛い。
まぁ、他人からはどうせ言われるんだろうけどさ。
この親にして、この子あり――……って。
「さ。それじゃ、次はお洋服でも見てこようかしら」
「……は……? 何? まだ帰らないのか?」
「何言ってるのよー。当たり前でしょ? だって、今日はこれから羽織ちゃんが来るんじゃないの?」
ぐさ。
「……? 祐恭? どうしたの? あなた。……何? 具合でも悪い?」
「いや……そうじゃないけど……」
ズキズキと痛み出す、身体の1番コアな部分。
……ふっつーの顔して、今、ものすごい改心の一撃を放ったぞ……。
ほんの少しだけ、母が恐ろしく思えた。
「さっ。それじゃ、行きましょ」
「……いやいやいや。俺にはまだ、ちょっ……ちょっと、いろいろやるべきことが……!」
「は? 何言ってるのよ。ほら、行くわよ」
「だっ……!」
こんな小さい身体のどこに、いったいこれほどの力が眠っているというんだ。
反対方向――……というよりは、むしろ俺が行きたい方向に思い切り足を向けていたにもかかわらず、母はすごい力で俺のシャツを引っ張った。
……それこそ、襟首を見えない何かで釣っているかのように。
「さー、おっかいっものー、おっかいっものー」
「ぐぇ……っ……くるし……!」
るんたるんたと、それこそ何かのCMばりの歌声と格好。
つーか、その年になってコレをするってのは……ちょっと……いや、かなりどうかと思う。
「……恥ずかしいだろ……」
周りから集まってくる好奇な視線をひしひしと感じながら、たまらず覆うように手のひらが顔へ向かった。
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