「あー、あー。よし、こんなもんね」
 ダイヤルをいじりながら微調整を繰り返すこと、約30秒。
 もはや手馴れた域にあるせいか、納得のいく響き具合で人知れずうなずく。
「ほらよ」
「お、ありがとー。やっぱここに来たら、まずこれよね」
「いや、歌う前からアイス食うやついねーだろ」
「失礼ね。いるわよ! ここに! アイスで始まりアイスで締める。これぞカラオケの醍醐味じゃない」
 16時半過ぎの店内は、日中と違って混んでいなかった。
 ま、そりゃそーでしょ。なんてったって今日は平日どまんなか。
 学生は毎日がパーティみたいなもんだけど、社会人はそうじゃなかろうし。
 でもま、中にはこーして純也みたいに仕事あがりそのままカラオケって人もいるんだろーけど。
 受付してる最中も、同じようにスーツ着こんだ男の人がひとりカラオケ受付してたし。
「しかしまー、このご時世にカラオケってどうかと思うぞ」
「あら。そっくりそのまま返してやるけど」
「……マイク通して話してくれなくていい」
「いいじゃない。このほうが、説諭っぽくて」
「やめろ」
 いつものように炭酸ジュースを飲んでいる純也は、どっかりとソファへ腰かけたまま歌う曲を探し始めた。
 今日はさすがにフリータイムにはしなかったけど、ま、この時間から3時間ってほぼフリータイムと同義よね。
 ちなみに、明日も私はお休み。もっちのろん。
 純也は10時から勤務だってことだったから、急遽カラオケへ繰り出したんだけど。
「ねえねえ、そういやあのサンドイッチ屋さんおいしかったわよ」
「あ、お前食ったの? ずりーな。どうせ行ったならテイクアウトしてこいよ」
「するわけないでしょ。馬鹿じゃないの」
「やだやだ。俺が同じことしたらすげぇ勢いで怒るだろ?」
「あたりまえじゃない」
「あのな。そーゆーのを理不尽っつーんだぞ」
 羽織と葉月ちゃんと出かけたサンドイッチ屋さんは、私たちが到着したときすでに3人並んでいた。
 けど、意外にも限定サンドを注文したのはひとりだけで、私と葉月ちゃんは無事に買えたのよね。
 くふふ。そうなの。葉月ちゃんも買ったのよ。
 私とはんぶんこ……じゃなかった、3人でシェアするって話になったんだけど、それと別にテイクアウトしたのよ。
 もちろん、たっきゅん用に!
 はぁあああ愛だわ。愛。
 『この間食べてみたいって話してたの』と笑った彼女は、無事買えたことをとても喜んでいた。
 きっと今ごろおいしくいただかれてるんじゃないかしら。
 はっ。それこそまさに濃厚接触!!
「ねえ、濃厚接触って言葉やらしくない?」
「ぶ! だから、おまっ……マイクを通してしゃべるな!」
 あー、はいはい。それは悪ぅござんした。
 目の前で盛大にむせたのを見て、多少悪かった気がして背中をさすってやる。
 あれ、なんかデジャヴ。
 そういや昼間、同じようなことしてる人が身近にいたような。
「……ったく。何? お前、そんなに欲求不満なの?」
「え、別に?」
「あっそう」
 けろりと否定すると、純也はかわいそうなものでも見るかのような目線を向けた。
 失礼ね。誰がかわいそうか。
 てか、毎日毎日ニュースでこの言葉使いすぎなのよ!
 そもそもきっと、濃厚って言葉がエロチックなんだろうけど。
「あ! ちょっと、私のアイス!」
「いや、お前とっとと食えよ。すげぇ溶けてる」
「あーもー。純也のひとくち大きいのよ」
 がっつりと1/3は消失したマイソフトクリーム。
 スプーンをくわえたまま喋られ、金属特有の音が小さく響く。
 ……ってか、あんたね。
「人の食べかけ口にするのも、よっぽど濃厚接触よ?」
「あのな。一緒に住んで同じ飯食ってんのに、濃厚接触も何もねぇだろ?」
「……それもそうか」
 そうでした。
 一緒に住んでる時点で、十分どころか濃厚接触なわけで。
 今こうして話している距離もまったく2メートル離れてないし、同じお皿のおかずをそれぞれの箸でつついてるわけで、濃厚どころか物理的にもはや接触しかしてない。
 どっちかが感染してたら、確実にどっちもかかってるわね。
 それどころか――当然、飲み物食べ物以外のものも、取り交わしてるわけで。
「ねぇ」
「あ?」
「高校生のころ、カラオケって密室デートできる大事な場所だったじゃない?」
「……言葉が卑猥だな、お前」
「しょーがないでしょ。事実を述べたまで」
 今からたった数年前のこと。
 私と純也は、教師と生徒っていう関係だったこともあって、ふたりで一緒にお出かけーなんてのはほとんどしなかった。
 もちろん、クラスの子たちには『いとこ同士』だって伝えてあったから、手さえ繋いでなければどうとでも説明はできる方向へ持っていったけどね。
 それでも、一緒に暮らすことが決まるまでは、どうしたってべったりできる場所なんてなくて。
 学校ではいつだって誰かがいたし、外ではそーゆー体裁つくろってたから、どうしたってべたべたできなくて。
 もちろん、好んでベタベタしたいタチじゃなかったけど、それでも、人目をはばからずふたりきりになれる場所を無意識のうちに探していたような気もする。
「映画館の最後列とか、夜のドライブとかね。なんか、思い出したら全部濃厚接触じゃん、って懐かしくなっちゃった」
「そんな昔でもないだろ」
「そーなんだけど、最近は行かなくなったじゃない?」
「そりゃな。わざわざ外へ出なくても、いつだって触れるようになったし」
「っ……」
「なんだよ」
「ちょ……あのね。前フリなく触らないでよ、びっくりするじゃない」
 ひたり、と純也の冷たい手のひらが首筋を撫で、ぞわりと身体が反応する。
 大きな手。
 グラスを触っていたらしく、少しだけ濡れた指先がひやりとしてぞくりとした。
「どきどきした?」
「っさい……!」
 へぇ、と瞳を細めて笑われ、想像しなかったせいでどぎまぎする。
 ちょっとやめて。
 そういう濃厚接触がほしかったわけじゃない。
 けど……なんか、ちょっと、懐かしくて。
 ふたりきりのカラオケはいつだってしてきたけど、こんなふうに夜来るのは高校のとき以来だなって思っちゃっただけ。
「っん……!」
 唇を塞がれ、舌がはいりこむ。
 角度を変えたキスのあと、は、と互いに短く息が漏れる。
 ああ、やだ。十分エロチック。
 こんな物理的な濃厚接触をしたくて、ココに来たわけじゃないのに。
「……ふ……」
「3時間、接触してやってもいいぜ?」
「っ……馬鹿じゃないの。歌うわよ」
 首筋から耳元を撫でられ、ぞくりとして思わず唇をつぐむ。
 てか、目の前でそういう顔しないでよ。
 シたくなるでしょ。
「お前、ほん――ッ……」
 曲目を探すべく視線を逸らした純也の頬へ手を添え、もう一度こちらを向かせる。
 余裕ないのが自分だけなんて、悔しい。
 私よかよっぽど我慢できなくなってもらうんだから。
「……は」
「帰るまでずっとどきどきしてて」
 強引に舐め取った唇を、もう一度ただ合わせる。
 数センチ手前で笑うと、純也が明らかに喉を動かした。
 ああ、満足した。
 3時間、どこまでどっちがもつか、ある意味勝負ね。
「別に、ここでしてもいいけど?」
「イヤよ、そんながっついた真似。高校生じゃないんだからちゃんとベッドがいい」
 少しばかり不服そうで、少しばかり冗談めいてない眼差しに、ひらひら手を振る。
 よしよし、満足したわ。
 3時間、理性ってやつを試してみましょ。
「はー……」
 重たいため息に似たものを聞きながら、どろどろに溶けたソフトクリームをスプーンですくい、流し込む。
 まずは練習を兼ねて歌いたかった新曲をセットさせてもらうわ。
 3時間、意外とあるようできっと短いから。


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