「……は?」
「だからね、今すごい話題になってるのよ。このテーマパーク」
 朝から、なんだかヘンな話になっている。
 なぜだかよくわからないが、小枝ちゃんがいきなり俺にチケットを譲ってくれるとか言い出した。
 ……なんでだ。
 その理由がまったくわからない。
 貸しを作ったはずもない。
 だから、いきなりこんなふうに俺の席へ来て、満面の笑みとともに“チケット譲ってあげる”なんて言われても、恐怖心しか湧かなかった。
「だから、いらねぇって」
「なんでよ」
「なんでって……別に、貰う理由がねーだろ? 俺、小枝ちゃんに何もしてねーし」
「やぁね。別に何かのお礼を兼ねてなんてつもりじゃないわよ。知り合いがチケットを取ったんだけど、行けなくなったからって回ってきただけ」
「じゃあ、小枝ちゃんが行けばいいじゃん」
「あいにく、私この手のテーマパークは遊び飽きてるの」
「…………」
 ほらな? 聞いたところで、まったく頷けない理由だろ?
 だいたい、なんだよ。遊び飽きてる、って。
 ひらひらと目の前で振られる赤と白のやたらかわいいクラシカルなデザインのチケットを見ながら、理由のない頭痛にさいなまれ始めた。
 小枝ちゃんが俺に差し出しているチケットは、最近オープンしたばかりながらも、早くも話題沸騰中というデートスポットとして取り上げられている『アリス・イン・ワンダーランド』というテーマパーク。
 その名のとおり、不思議の国のアリスをモチーフにしているらしく、昼間テレビをまったく見ない俺でさえ、名前とどんな場所かくらいは把握できているほど、テレビで取りあげられている。
 俺にしてみれば、そんな場所は“いかにも混んでます”と言っているようなモノで、だからこそ行きたいとも思わない。
 子ども向けのテーマパークとは違い、大人向けのデートスポットという方向性になっているらしいが……考えただけで、口がへの字に曲がりそうだ。
 大の男が、アリスだぞ? アリス。
 似合わねー。
 絶対無理。
 流行りモノ大好物の花山だったら、もろ手どころか足まで上げて“ください!”と言うだろうが、俺はまず言わないセリフだ。
「小川センセと行けばいいだろ? 案外好きかもしんねーじゃん」
「だから。私たちに必要ないから、譲ってあげるって言ってるんでしょ? そもそも、鷹塚君が嫌いかどうかなんて関係ないの。大事なのは、瑞穂ちゃんなんだから」
「……なんでそこでアイツが出てくるんだよ」
「なんでじゃないわよ。どーせ、デートらしいデートに連れてってあげるでもなく、たーだぶらぶら毎週末“買い物がデート”みたいになってるんでしょ? ダメよ、それ。絶対ダメ。そのうち、飽きてポイなんだから」
「ひでーな」
 さらりととんでもないことをのたまった彼女に眉を寄せるも、実は内心その言葉が図星過ぎて反論できない。
 買い物はデートに含まれない。
 それは当然俺だってわかっていた。
 わかっていたが……しかし、なかなか土日まるまるっと休みになることなんて、まずない職業。
 忙しくない時期ならば土日休みでやっほーになるものの、10月ということもあり、今は発表会と月末に控える修学旅行とで時間との戦いなわけで。
「…………」
 本日は、心の教室相談員である瑞穂の出勤日。
 今は放課後ということもあって、先日予約していたらしい保護者の面接を相談室で行っている。
 そんな、“彼女”。イコール俺の大事な子。
「……デート、ね」
「ま、別にいいんだけどね。鷹塚君が瑞穂ちゃんにポイされたところで、私には何も関係ないんだし。せいぜい丸めてポイされないように気をつけなさいよ」
「だから、いちいち言葉にトゲがありすぎる」
「しょうがないでしょ。性格よ」
 フン、と鼻で笑った彼女が、勢いよくチケットを引っ込めてきびすを返した。
 しかし、歩くたびにカツカツと音がするのは、なんでだ。
 小枝ちゃんの室内履きには、ヒールが付いてんのか。
「――そうなんですよねぇ!」
 小枝ちゃんを見送って、いざ手元に残った5時間目にやったばかりの理科のテストをやっつけるべく赤ペンを握ったところで、急に職員室内が騒がしくなった。
 誰か、なんて顔を見ずともわかる。
 花山その人――と、瑞穂?
 いつにも増してにこやかな、というよりも鼻の下を3センチほど長く伸ばしやがった花山の隣には、俺のカノジョがやっぱりにこやかにいて。
 ……面白くねー。
 誰が気安く話かけていいっつった。
 つーか、デレデレすんな。
 ホント、アイツは俺の機嫌を損ねることにかけては天才的だな。
「あ。先輩、知ってます? 今流行の、テーマパーク」
「アリスなんとかってヤツだろ。それがどうした」
 頬杖をついたまま、隣へ戻って来た花山を睨むと、それはそれはかなりの勢いで驚いてくれやがった。
 “流行に疎すぎる先輩が知ってるなんて!!”とかってセリフが聞こえたんだが、それは殴ってもオーライってことなんだろうか。
「いやぁ、ほら。あそこって、ほとんど情報が公開されてないんですよね。だから、謎のヴェールに包まれていて……意味もなく、意味深じゃないですか!」
「そーゆーワケわかんねぇ会話をしてると、保護者の不信買うぞ」
「えぇ!? なんでですか!」
 今の自分のセリフを聞いていて、まったく疑問に思わなかったのか。お前は。
 なんだったら、俺のクラスへ机と椅子を持ってこい。
 子どもたちと一緒に、6年の国語から教えてやるから。
「でも、アリスってかわいいじゃないですか!」
「……お前……そのセリフは、激しく危ないヤツですと自己主張してるようなモンだぞ」
「うわ!? なんで引くんですか、先輩!」
「馬鹿か! 引くに決まってんだろ!」
 ンな、きらっきらした目で“アリスってかわいい”なんて言われたら、誰だって引く。
 お前、そーゆー趣味あんの? と聞かなかっただけ、ありがたく思ったらいい。
 シャレにもなんねーぞ。教職に就いてる人間――しかも小学校教諭ともあろう者が、そっち系ですなんて。
 違う意味で新聞に載る。
「で? 今度はアリスか? お前、この間までは流行のトレーニングシューズがどうのって話してたじゃねーか」
「あ、いいんです。あれはもう。僕には効果がないということが、よくわかりました」
「あっそ」
 何万だか出して購入したという、とある有名メーカーの靴。
 底が丸くなってるだかなんだかで、履いているだけで見事にシェイプアップ! なんて謳い文句らしいのだが、意気揚々と履いてきた翌日、ものっそい筋肉痛になったらしく、体育の授業で何度となく悲鳴が校庭に響き渡っていた。
 あれ以来、話すら聞かねーなーなんて思っていたのだが、どうやら諦めたらしい。
 相変わらず、俺よりも熱しやすく冷めやすい男だ。
「で。ですね! 今の時代は、このテーマパークがアツいんですよ! 先輩!」
「アツいとか言うな」
 パチンコかお前。
 なんて、うっかり口に出すわけにはいかないが、まぁ、趣味は趣味。
 って、俺はしばらく行っていないが。
「……ふぅん」
 花山が差し出してきたのは、首都圏の情報誌。
 ご丁寧に付箋まで付けられているそのページには、でかでかと“アリス・イン・ワンダーランドのすべて”と書かれていた。
 ……しかしまぁ、今度はお前か。
 さっきまで、小枝ちゃんが散々俺に対してその魅力たるやを語っていたのだが、まさか1日に2度も聞くはめになるとは。
 何かあるのか? 今日は。
 もしかしなくても、厄日とかって言葉はぱっと頭に浮かんだが。
「見てください、このかわいい衣装!! こんなかわいい服を着たお姉さんたちが、ごろごろしてるんですよ!? なんという目の保養!!」
「……知らねぇよ」
 つーか、そんな鼻息荒く大興奮ですとばかりに語られても、俺にはまったく興味が湧かないんだが、どうしたらいい。
 花山が開いているページをちらりと見ると、そこには何やらゴシック調の制服とおぼしき服を身につけた女性らが数人映っていた。
「つーか、これ“キャスト”って書いてあるじゃねーか」
「そうですよ! スタッフのお姉さま方です!」
「いやいやいや。お前の言い方は、まるでどっかの店のねーちゃんを指すような言い方だったぞ」
「違いますよ! なんですか、先輩! 汚らわしい!」
「なんでそうなる!」
「だって、だって! もう! やめてください! 僕をそんなキャラに仕立てあげるのは!」
 ああもうワケがわかんねぇ。
 真っ赤な顔して否定しようとすればするほど、墓穴を掘っていることに気づいてないんだろうな。コイツは。
 ホント、素直なヤツ。
 まぁ、悪いやつじゃないってのは十分わかるが。
「……ん?」
「あ、すみません」
 くすくすと笑い声が聞こえてそちらを見ると、瑞穂が楽しそうな顔をしていた。
 まぁ確かに、俺たちの馬鹿な会話を聞いて笑ってくれるなんて、相変わらずイイやつだなとは思う。
 が、その反応を見て花山がまたもや『葉山せんせぇ』なんて情けない声を出し、イラッとしたのは言うまでもない。
「そのテーマパーク、すごい人気ですよね」
「さすがは葉山先生! わかってらっしゃいますね!」
「実は、私もアリス好きなんです」
「えぇ!? そうなんですか!? わぁ、僕たち気が合いますね!!」
「っ……」
 な……んだと。
 にっこり笑って頷いた瑞穂を見ながら、思わず喉が鳴った。
 私“も”アリス好きなんです。
 それはイコール、花山と一緒ってこと。
 ……あれ。ヘンだな。
 なんか、俺だけのけ者にされてる気分なのは、どうしてだ。
「いや、待て。俺だって別に、否定してるワケじゃ……」
「あぁあ! なんですか、先輩! 葉山先生が“アリス好き”だと知った途端、その態度の急変は!」
「っ……だから、そんなんじゃ」
「そんなんじゃあります! いけませんよ! そんな!! うすっぺらい下心が丸見えです!」
「くっ……」
 なんつー言い草だお前。
 ちくしょう。
 瑞穂の目の前じゃなかったら、軽くひっぱたいてやるところなのに。
「……ち」
 何やらアリス話で盛り上がり始めてしまった、俺の正面と右隣。
 あははーと能天気な笑い声が聞こえるわ、やたらかわいい顔で微笑みながら頷くのが目に入るわ、この席はもはや俺にとって地獄と化した。
 よって、選択肢は立ち去るのみ。
 ……ではなく。
 職員室のドアへと向かい、とっとと保健室を目指す。
 目的なんて、とうにわかりきったこと。
「小枝ちゃん!!」
「だぁ!? っちょ……あのね! だから、いきなり入ってこないでよ! 馬鹿じゃないの! すごいびっくりするじゃない!!」
 ノックもせずに、ガラッと勢いよくドアをスライドさせ、大声ひとつ。
 ちょうど、パソコンの目の前で大口を開けながら、ひとくちシュークリームを食べようとしていた彼女が、ものすごい勢いで反応した。
「ちょ! さっきのチケットなんだけど!」
「は!? ……あぁ、これ?」
「そう、それ!!」
 ずかずかと目の前まで進み、バンッと両手をテーブルに叩きつける。
 ひらひらと振られている、赤と白のチケット。
 クラシカルなデザインが、今ではやたらとオシャレでハイソな感じに見えてきたから不思議だ。
 ああ、人間ってホントに気持ちひとつで変わる生き物なんだなと強く思った。

「それ譲ってくださいお願いします」

「…………何、急に」
 もっそい真顔で、もっそい棒読みのセリフを並べる。
 まさか、小枝ちゃんに“お願い”なんて媚びるとは思わなかった。
 が、手段を選んでいる場合じゃない。
 ある意味、非常事態。
 すべては、俺じゃない男ににっこり微笑んでしまっている彼女を名実ともに引き離すため。
 俺だって別に、アリスを見たことがないとか言わない。
 たぶん、見たことがある。
 それこそ、すげーちっちゃいころとかには、たぶん!
 アレだろ? たしか、うさぎが出てきて、女の子が穴に落っこちて……とかだろ?
 あぁ、あとなんか、いも虫とか出てきた気もする。
 そいつがタバコ吸ってて、ああなんかうまそうだなーとか思った気がしないでもないし!
「ついでに、アリスの本とか持ってたら貸してくんねぇ?」
「……ちょっと待ってよ。私、チケット譲ってあげるとか言ってないけど」
「…………」
「…………」
「はぁ!? ちょ、なんで!」
「なんでじゃないわよ。えぇ? 一度断ったクセに、何をいまさら」
「いやいやいや、だから! 頼んでんじゃん!」
「あー、だめだめ。そういう態度がねー、まったくダメな感じ。心に響いてこない」
「ちょっ……! 小枝ちゃん!」
「あー。ティラミス食べたいなー。あと、モンブランもー」
「ッ……な……」
「ちなみに、コンビニで買えるようなヤツはダメだからね。私が食べたいって言ってるのは、あくまでもちゃんとしたケーキ屋さんのヤツなんだから」
「はぁああ!?」

「高くないわよね? 瑞穂ちゃんが行きたいって言ったから、心揺れ動いちゃったんでしょ?」

「くっ……!」
 読まれてた。
 てか、それをわかった上で言うか? 普通!
 ……くそ。
 人の弱みを握るってのは、大層楽しいことなんだろうな。あぁ?
 だがしかし。
 今の俺には、その無茶苦茶な要求を振り払えるほどの余裕がない。
「……く……明日でいいすか」
「しょうがないわね。待ってあげるわよ」
 頬杖をついたまま、かなりの上から目線で頷いた小枝ちゃんが、それはそれは悪魔のように見えた瞬間だった。
 あー。
 30分早く仕事切り上げて買いに行かねーと、店が閉まる。
 だが、すべては愛しい彼女のため。
 ……というよりも、ぶっちゃけ俺のため。
 彼女が、俺以外の男と意気投合ってのが、もっそい面白くない。
 くそ! 腹立つ!
「ちくしょう」
 小さく呟いたつもりの言葉は、思った以上にあとを引いた。


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