「…………」
 キィ、と薄く扉を開いて廊下を覗き見る。
 と、すぐにスタッフの人と目が合ってしまい、とても気まずい思いをした。
 これを着ているところを、ほかの人に見られるというのは……とてもどころか、ものすごく恥ずかしい。
 一体、壮士さんはどんな格好をしているんだろう。
 さすがに、私と同じようなひらひらフリフリなんてことは、まずないと思うけれど。
「とてもお似合いですよ」
「っ……すみません」
 意を決して廊下に出ると、またもやあのにっこりとした微笑みのスタッフに捕まった。
 ……うぅ。
 その笑みがなんだかとても申し訳なくて、つい謝ってしまった。
 だって、まさかこんな格好をして入るテーマパークだなんて、知らなかったんだもん。
 どうりで、情報を最低限しか公開しないわけだ。
 コスプレをすると知っていたら、私は――……ううん、壮士さんも、断ったかもしれない。
「……?」
 『いってらっしゃいませ』とスタッフに見送られ、廊下の角を曲がる。
 そこには、これまで歩いてきた真っ白い絨毯ではなく、横から伸びてきた真っ赤な絨毯が繋がっていた。
 ……けれど。
 その赤よりも先に、私にはまず絨毯とは違う白い色が目に入った。
「…………」
 ふわふわの、しっぽ。
 まるくて、ふるふるしていて。
 ……子猫みたい。
 赤絨毯からこちらへと、一歩踏み出そうかどうしようか迷っているような人影が、そこにはあった。
「っ……!」
「あ、ご、ごめんなさい」
 あたりの様子を伺っていたらしい彼女が、私に気づいてびくっと肩をすくめた。
 それだけじゃない。
 大きな丸い瞳には、怯えにも似た色が浮かんでいる。
「え、ええと、あの……かわいいうさぎさんだな、と思って」
「……え……」
「っ……や、違うんです! あの、別に、ヘンな意味じゃ……!」
 ぽろりとつい思ったことをそのまま口にしてしまい、目を見開いた彼女を見て、慌てて両手を振る。
 すると、まじまじ私を見た彼女が、小さく笑った。
「アリス、かわいいですね」
「え?」
「とってもよくお似合いだと思います」
「そんな! 私は、うさぎさんのほうがかわいいなって思って……えっと、白うさぎの衣装ですよね? 」
「そうです。……変、ですか?」
「とんでもない! むしろその逆です。前から見てもかわいいのに、後ろにはふわふわのしっぽまで付いてるなんて……すごく凝っていて、かわいいですね」
 にっこり笑って頷き、両手を前で組む。
 すると、白い上着のようなものを両手でずっと抱きしめていた彼女も、おずおずと手を下ろしてから笑みを浮かべた。
「ありがとございます」
 にっこり笑った彼女の頬が、少しだけ赤く染まっていた。
 コスプレって、やっぱりどんな人でも抵抗があると思う。
 ましてや、こんなに短いスカートで……しっぽと耳まで付いているなんて。
 でも、本当にかわいい。
 思わず、その柔らかさを撫でて実感してみたくなるような、存在感もある。
 こういう衣装って、一歩間違えるとちょっとした……危ないお店のお姉さんなんかにも見えてしまうからこそ、本当に着る人を選ぶと思う。
 でも、目の前の彼女はとても清楚で、うさぎさんの格好をしていてもまったく嫌味がない。
 同性から見て“かわいい”と思う女性は、本当にステキだ。
「あの、その格好だと寒くないですか?」
「え?」
「……あ、ごめんなさいっ! お節介でしたよね。すみません、なんでもないんです」
「いえ、そんな!」
 まじまじと私を見た彼女が肩口を指差したかと思いきや、いきなり頭を下げられてしまい、慌てて両手と首を振る。
 どうやら、私以上に人に気を遣うタイプらしい。
 もしかしなくても、ずっとそうして生きてきたのだろう。
 言うんじゃなかった、みたいに視線を合わせてもらえず、少しだけかがむようにして彼女の顔を覗き込むと、ようやくその視線をもらうことができた。
「その……スタッフさんにお願いすると、ポンチョを貸してもらえるみたいですよ」
「そうなんですか? わぁ、知らなかったです。ありがとうございます」
「っ……とんでもない、です」
 にっこり笑って軽く頭を下げると、彼女がまた顔を赤くして少しだけ俯いてしまった。
 かわいい女性って、こういう人のことを言うんだと思う。
 視線を上げた彼女と目が合うと、ふふ、と微笑んでくれてなんだかとても嬉しかった。
「ここ、すごい人気ですよね」
「本当に! でも、まさかこんな格好するだなんて、私……知らなくて」
「私もです。すごく驚きました」
 いつの間にか肩を並べて歩きながら、他愛ない話を交わす。
 私は、初対面の人と話すことにそこまで抵抗はない。
 けれど、うさぎさんの彼女とは、今しがた出会ったばかりとは思えないほどの柔らかい雰囲気があたりに漂っているから、不思議だ。
 初めて会った人じゃないみたい。
 どこの誰かもわからないのに、こんなことを思うのは変かもしれないけれど……でも、なんとなく親近感を覚えてしまった。
 それはもしかしたら、こんな格好をすることがちょっぴり恥ずかしい者同士ということがあったからかもしれない。
「あ、鷹之さん!」
 更衣室から、ずっと続いていた絨毯が途切れた先。
 その先にいた人物を見た途端、彼女がとてもかわいい声で名前を呼んだ。
「っ……」
 彼女が呼んだ名前の男性の、隣。
 そこには、どうやら待たせてしまっていたらしく、壮士さんが立っていた。
 ……立って、いたんだけれど…………真っ先に目が行くのは、頭についているふわふわ。
 それは…………それはいったい、どういうことですか。
 一緒にいるということは、ふたりとも知り合いか何かなんだろうか。
 今も、さすがに聞こえはしないけれど話をしているようで、ときおり笑いあっている。
 それにしても――彼女。
 今までとは、表情も、声も、何もかもが違う。
 本当に安堵したときに出るような、甘い声。
 ふと顔を見ると、はっきりと表情に感情が表れていた。
「……かわいい」
「えっ?」
「彼氏さん、ですか?」
「っ……はい」
 彼女があまりにもかわいく笑うから、つい思ったことが口から出た。
 途端、かぁあっと音が聞こえるくらい鮮やかに頬が染まり、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
 こういう素直な人と会うのは、久し振りかもしれない。
 自分の感情に素直に反応することは、実はとても難しくて、とても大切なことだ。
「自己紹介、まだでしたね」
「……そういえば……そうでしたね」
 小声で笑いながら、ふたり揃って歩いていくのはふたりの男性のもと。
 そこで初めて、私たちはお互いの名前を知ることができた。


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