僕は、山中昭(やまなか あきら)、25歳。
冬瀬女子高で、教師をしている。担当は、生物。
最近、彼女が出来て、とっても嬉しい。
なんか、人生ってこんなに楽しいものだったんだなあって、しみじみ思う。
………けれど。
こんな僕にも、悩みがあるんだ。…あまり人には、言えないような悩みだけれど。
今日は、いよいよ終業式。
明日からは、夏休みだ。………生徒は。
僕たち教師は、なんだかんだいって仕事がある。
もちろん、授業がないから、普段よりは暇だけどね。
特に僕は、うちの学校の生物の教師の中では一番若いから、色々な雑用をやらなきゃいけない。
まあ、ついこの間までは、暇だったから別に良かったんだけどさ。
彼女が出来ると、やっぱり、…一緒にいたい。
僕の彼女は、………女子高生、だ。…しかも、教え子。
だから、一緒に居られる時間は、少ない。近場で会うわけにはいかないから、少し遠くへ行かないといけない。
だって、デートしてて誰かに見つかったら、彼女も僕も困るから。
…だから、時間は出来るだけあったほうがいい。
でも、いくら外で会えないからって、僕のアパートに来てもらうなんて、出来ない。
………そんな、下心ミエミエなこと。
なんせ、まだ手もつなげないんだ。はあ………。
僕は、おもむろに机の引出しを開ける。
そこにある、封筒。中には、水族館のチケット。
…初めてのデートも、水族館だった。馬鹿の一つ覚えみたいに、また水族館。
僕は、水族館が好きなんだ。
大きな水槽の前でじっと魚を見ていると、とても気持ちが落ち着く。なんだかリラックスできるんだ。
彼女と一緒にいると、ドキドキしてしまって、落ち着かない。
だから、水族館なら、少しは落ち着いて話せるかなって思って水族館にしたんだけど、ダメだった。
瀬那さん(彼女の友達)が一緒に行ってくれなければ、多分、お葬式みたいなデートになっていただろう。
でも、やっぱり僕は水族館が好きだった。
彼女も、楽しそうにしてくれてたし。気の利いた所になんて連れて行けないし(そんなところ知らないもの)。
…そろそろ、HRも終わったかな。
僕は、時計を確認してから彼女を水族館に誘おうと立ち上がった。
生物準備室を出て、彼女のいる教室に歩き出そうとすると。
僕の彼女が、目の前にいた。あたりを見回し、一人なのを確認して声をかける。
「…田中さん。」
「はい、あ………。」
彼女は、返事をしてこちらを向いた瞬間、顔を赤くして俯く。…ああ、可愛いなあ。
「ちょっと」と声を掛けて、廊下の隅に連れて行く。…彼女も黙ってついてくる。
僕の彼女、田中詩織さん。
彼女は、3年5組の生物の授業担当なんだ。つまり、僕とはそれで知り合ったってわけ。
目立たない所に行ってから振り返ると、赤い顔のまま僕を見ていた。
「あ、あのね、明日、なんか予定ある?」
「えっ…。い、いいえ。ありませんけど…。」
良かった。第1関門、突破。
「こ、この間行った水族館、また、行きたいんだけど、どうかな?」
「え………。」
2枚ある水族館のチケットを見せて彼女を誘うと、彼女は、真っ赤になって俯いてしまった。
その顔を見ていて、僕も自分の顔が赤くなるのがわかった。そのまま、彼女の返事を待つ。
と、その時。
「…何してるんですか?」
「えっ!?」
「…あっ!は…羽織ちゃんに絵里ちゃん…」
突然、声を掛けられてびっくりしてしまった。
声の方を見ると、彼女と仲の良い瀬那さんと皆瀬さん。
僕たちの反応に、お互い不思議そうな顔をして、顔を見合わせている。
「…あ、あの…その…」
突然だったので、田中さんも、何を言おうか考えつかないらしい。
その時、皆瀬さんの視線がちらっと動いた。次の瞬間、その顔に浮かんだのは、…小悪魔の笑み。
「ふぅん、先生ここに詩織誘ったんだぁー。いいなぁ、私も行きたかったんだよねー」
うわっ、な、何てこと言うんだっっ。
僕の頭に、血が上る。
「え、絵里っ!すみません、あの、お邪魔しましたぁ」
瀬那さんが、慌てて皆瀬さんを引っ張って化学実験室の方に歩きかけた。と、そこに。
がっくりとした様子でこちらを見ている田代先生と、なんとなく面白がっているような様子の瀬尋先生。
二人が、こちらの方に歩いてきた。
「…絵里。お前またなんかしたのか…」
田代先生が、皆瀬さんに聞く。その声は、いかにも「なんかやったんだろ」と言いたげだった。
「ん?別になにも…ねぇ?」
皆瀬さんが答える。そう、彼女は、何もしてない。一言、言っただけだ。
…僕と田中さんの羞恥心を大きく揺さぶる、一言を。
「はぁ…」
そんなことも、田代先生には全部お見通しなようだった。
彼は、皆瀬さんを掴んで僕たちから引き離すと、そのまま彼女の頭を押さえて下げさせた。
「…すみません、山中先生。絵里がご迷惑おかけしたようで…」
本当に申し訳なさそうに謝ってくれる、田代先生。
「い、いえ、とんでもないです」
慌ててそういうと、僕は、二人の顔を眺めた。
…この二人は、どういう風に知り合って、どうして付き合うようになり、………どうやって会ってるんだろう。
そんな疑問が沸き起こる。彼らも、そして瀬尋先生と瀬那さんも、教師と生徒のカップル。
…外じゃ会えないだろうし。
「…あ」
そんな僕を見た瀬那さんが、瀬尋先生と田代先生の顔を見る。
二人は、軽く頷くと「それじゃ…」と言って僕たちに背を向けた。
「ち、ちょっと待ってください!!」
「うっわ!?」
僕は、慌てて瀬尋先生の腕を掴んだ。驚く瀬尋先生。
…今しかない。その、男と女として、生徒と付き合うノウハウを聞くのは。
「な…なんですか…?」
僕は、ヘンな顔をしていたかもしれない。
おびえたような様子で少し後ろに下がりながら、瀬尋先生が言う。
そ、そんなに怖がらないで下さいよ。
「…少し…ご相談したい事が…」
「…は…はぁ…?」
瀬尋先生が、田代先生と顔を見合わせる。そうだ、ちょうどいい。田代先生にも教えてもらおう。
「すみません、ここじゃなんなんで、ちょっといいですか…?」
そう言って僕は、生物準備室に二人を案内する。二人とも、いぶかしみながらも一緒に来てくれた。
「実は、ですね。」
生物準備室には、運良く他の先生方はいなかった。二人にイスを勧めて、コーヒーを出したところで、切り出した。
「あの、僕、…瀬尋先生はご存知だと思いますが、田中さんとお付き合いしてるんです。
といっても、一昨日からなんですけど…。
生徒と付き合うなんて、本当はどうかと思ったんですけど、この気持ちを押さえきれなくて…。」
うう、言い訳っぽいよなあ。どうしても悪いことをしているような気がして…。
先生方は、僕の話を相槌を打ちながら聞いてくれている。そ、そうだ。本題に入らなければ。
「それでですね、お二人にご相談したいんですが…。」
「はい、なんでしょう。」
田代先生が「待ってました」とばかりに聞いてくる。我ながら、前振りが長いよなあ。
「………お二人とも、生徒と付き合ってますよね。その、どうやって、会ってるんですか?」
僕がそういうと、二人は困っている顔になった。…答えを待つ。やがて。
「…俺たち、一緒に住んでいるんです。」
と、田代先生。…え、ええっ!
と驚いていると、彼女の両親がアメリカに行っているので、保護者の代わりを頼まれていると教えてくれた。
…そうか、それで「従兄弟」ってことになってるんだな。じゃあ、瀬尋先生は?
僕が、瀬尋先生を見ると、先生はほろ苦く笑って言った。
「俺はまだ、付き合い始めたばかりなんで…。テストもあったし、外で会ってません。」
うーん、そうなのか。こういっては悪いけれど、瀬尋先生の話は、参考にならないかなあ。
そう考え、田代先生に聞く。
「その、どこかでデートしたり、しないんですか?」
僕は、多分すごく真剣な顔をしているんだと思う。田代先生は、苦笑しながら答えてくれた。
「いや、行きますよ。でも、さすがに近場ではなかなか会えませんね。」
やっぱりそうか。そうだよなあ。
納得したところで、もう一つの疑問が大きく膨らんできてしまった。…今だったら、聞けるだろうか。
「あの、田代先生、一緒に住んでらっしゃるってことですが、その、お、男として、困りませんか?」
田代先生は、飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになっていた。自分でも顔が赤くなっていると思う。
瀬尋先生は、目を丸くしている。…いや、それは、僕だって男ですから。
落ち着いた田代先生が、逆に聞いてきた。顔には、悪戯っぽい笑み。
「山中先生、それはやっぱり、そういう意味ですか?」
うう、恥ずかしい…。でも、もうしょうがない。僕は、腹をくくって話し始めた。
「僕、まだ、彼女と手もつなげないでいるんです。でも、彼女が可愛くて可愛くて…。
つい、キスしたいとか、抱きしめたいとか、………色々と、考えてしまうんです。
でも、彼女が嫌がったら、とか、怖がらせてしまったら、とか思うと、なかなか手もつなげなくて…。
今まで女の子と付き合ったことがほとんど無くて、どうしたらいいかわからないんです…。」
以前に付き合った彼女は、僕より1つ年下だったけれど、僕より経験は豊富だった。
僕なんかじゃつまらなかったみたいで、3ヶ月でフラれてしまったけれど………。
「…明日、デートに行くんです。出来れば、キスをしたい。…出来れば、ですけど。
でも、どうしたらいいのかわからない。…タイミングがわからないんです。」
つくづく、情けない。うなだれていると、田代先生と瀬尋先生も、なにやら考え込んでいるようだ。
「…こればっかりは、口で言ってわかるもんじゃありませんからね。うーん…。」
そんなこと言わないで、助けて下さい、田代先生、瀬尋先生。
…そうだっ!
「じゃ、じゃあ、明日、お付き合いいただけませんか?田代先生、瀬尋先生もっ!!」
「「はあっ!?」」
二人で同時に声を上げる。それはそうだよなあ。でも、僕には他に考えが思い浮かばない。
「お二人とも、彼女と一緒に僕達に付き合って下さい!
そして、なんていうか、その、雰囲気っていうか、タイミングを教えてください!
お願いします!!」
二人は、顔を見合わせている。田代先生が言った。
「山中先生、気持ちはわかりますが、それはちょっと…。」
…二人とも、かなり困っているようだ。
僕は、必死だった。…なりふりかまってなんか、いられない。
がばっっ!!
僕は、土下座して頼み込んだ。
「お願いしますっ!!どうか、助けて下さいっ!!」
「うわっ、ちょ、ちょっと、山中先生!」
「わかりました、行きます、行きますから、山中先生!」
その言葉で僕が顔を上げると、二人とも「やれやれ…」といった顔で僕を見ていた。
「すみません、ありがとうございます。よろしくお願いします。」
僕がお礼を言うと「明日のことは、また連絡します」と言って、二人は帰っていった。
…よし、明日こそは、必ず。
僕は、そう固く心に誓うと、残った仕事を片付けるため机に向かった。
その夜、田中さんから電話があった(こんな僕たちでも、電話番号の交換はしたんだよ)。
明日は、9時頃に水族館に集まってみんなで朝食を食べに行こう、ということになったらしい。
「じゃあ、明日、8時過ぎに迎えに行くから、待っててね。」
「はい、わかりました。」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい。…また、明日。」
そう言って電話を切る。…ああ、幸せ。
彼女の声を聞くだけで、こんなに幸せな気分になれるなんて。
…でも、それだけじゃあ、済まない。
こんなにも、彼女を好きになってしまっている、僕。
その次の段階、次の段階と求めてしまうのは、仕方が無いよね?
…翌朝。僕は、5時に目が覚めてしまった。
楽しいことが待ってる日は、早くに目が覚めてしまう。
まるで、子供みたいだなあ。
他人事のように苦笑すると、準備をはじめた。風呂に入って、身を清める。
…い、いや、ヘンな意味はないよ?デ、デートの前の身嗜みだよ。
そ、そりゃあ、…あったらいいな、とは思っているけどさ…。
7時過ぎにアパートを出る。
昨日のうちに、レンタカーを予約してある。………期間は、2日間。
多分、明日は使わないと思うんだけど、…もしも、もしもだよ。
彼女と一緒にいられたら。…いや、そんなの、ありえない。
もちろん、自分でも車は持ってる。でも、デートで使うのはちょっと………。
通勤に使うのも、はばかられるような車だから。
はあ、買い換えるかな、車。…気に入ってるんだけどなあ。
そんなことを考えていると、営業所に着いた。
今日借りるのは、若草色のマーチ。…彼女、気に入ってくれるといいんだけど。
手続きを済ませて、彼女の家に向かった。
20分ほどで、彼女の家の近くまで来た。
まだちょっと早いかな。時計を見ながら、そう考える。
僕は、近くのコンビニに入ることにした。
…コーヒーでも飲むか。
缶コーヒーを買って、車内で飲む。
…あ、そうだ。彼女にも飲み物を買っとこうかな。何がいいだろ…。
そう思いついて、店内に戻る。
………困った。彼女、何がいいんだろう。うーん…。
迷った僕は、結局、彼女が好きそうな飲み物を何本か買っていくことにした。
車に戻ったら、もう8時だ。僕は、慌てて彼女に電話した。
「も、もしもし。」
あ、あれ?呼び出し音が鳴らなかったぞ?
気持ちの準備が出来る前につながってしまったため、ちょっと慌てる。
「あ、た、田中さん?おはよう、山中です。」
「おはようございます。」
彼女に、近くのコンビニで待っていることを告げ、電話を切る。
…つい、顔が緩んでしまう。もうすぐだ、もうすぐ会える。
………来たっ。ああ、今日も可愛いなあ。
彼女は、キョロキョロとあたりを見回したり、店内を覗いたりしている。
そうか、車に乗ってるのがわからないんだな。
僕は、慌ててドアを開けて、彼女を呼ぶ。驚いた顔の彼女。すぐに寄ってきた。
「おはよう。」
「おはようございます。…これ、先生の車ですか?」
怪訝な顔の彼女。何でそんな顔するの?
「いや、レンタカーだけど。…でも、どうして?」
「だって…。先生、学校に来るのもバスじゃないですか。…免許、持ってないのかなあって。」
「いやいや、免許も車も持ってるよ。ただ、…今日は、デートだからね。」
自分で口にした「デート」という言葉の響きに、照れてしまう。そっと彼女を見ると、頬を染めて俯いていた。
「あ、えっと、何か飲む?どれでも好きなの選んで。」
車を出しながら、さっき買っておいた飲み物を彼女に勧める。彼女が選んだのはココアだった。
…ココアね、ココア、ココア。
彼女の好みを頭に刻み付けるように、頭の中で何度も繰り返す。
「…先生は?」
彼女に聞かれ、答えに詰る。…しまった。彼女の分しか考えてなかった。こんな甘いの、飲めない…。
「ああ、いや、僕は、さっきコーヒー飲んだから。」
そう答えると、心なしか彼女の表情が曇った気がする。うう、気を使わせちゃったかなあ。
「じゃ、じゃあ、そのレモンティーにするよ。」
「あ、はい。」
彼女は、微笑んで缶を開けて渡してくれた。一口飲む。…やっぱり、甘いなあ。
静まり返った、車内。…まずい、緊張してきた。あ、そうだ…。
僕は、彼女にCDを渡し、かけてもらう。
「…これ、誰ですか?」
「ああ、ビートルズだよ、知らない?」
知らないのも無理はないよね。僕だってリアルタイムで知ってるわけじゃない。
「1960年代に活躍した、伝説のバンドだよ。…田中さんのご両親なら、知ってるんじゃないかなあ。
今は音楽の教科書にも載ってると思うんだけど。聞いたこと、ない?」
「………先生、こういうの聞くんですね。」
ちょっと沈んだ声で、彼女が言った。え?な、なに?なんかヘン?
「え、なんかヘンかなあ?似合ってない?」
「いえ、そういう意味じゃなくって…。ちょっと意外だったから…。」
そう言って、口をつぐむ彼女。…結局、水族館までこの沈黙は続いた。
水族館へは、僕たちが一番乗りだった。
しまった。早く着きすぎたかなあ。…まいった、間が持たないよ。
でも、すぐに田代先生と皆瀬さんがやってきた。挨拶を交わす。
僕達二人は、どうでもいいような話をしていたと思う。
…話の内容が、頭に入ってこない。受け答えはしてるんだけど、言ったそばから忘れてる。
うう、緊張する。…やっぱり、イケナイことを考えているからかなあ。
彼女の顔を、まっすぐ見れない。彼女も、僕と視線を合わせようとしない。
…なんで?僕、何か悪いことした?
そうこうしてるうちに、瀬尋先生と瀬那さんもやってきた。
「それじゃ、ご飯食べに行きましょ。お腹すいたし」
「あ、そうだね。私もお腹すいた…」
皆瀬さんが言うと、瀬那さんも笑って頷く。
「詩織ーっ。先に行くよー」
「…えっ、あ、今行くね」
田中さんが答える。僕も、笑って頷いた。…早起きしたから、お腹が空いてきた。
みんなが立っているところへ、歩き始める。…歩こうとした。
固まってしまった。…どうしよう。手を握ろうか。いや、でも、朝から早々と勝負かけるの?
しばらく悩んだものの、結局手を握らないで歩き始めてしまった。彼女も、僕に並んで歩く。
「ごめんね、行こっか」
田中さんが、みんなに声をかけた。顔が赤い。…そんな姿も、可愛い。
その時。
皆瀬さんが、田代先生の腕を取った。そのまま、自分の腕に絡ませる。
「…お、おい」
戸惑う田代先生。でも、皆瀬さんは気にする様子はなかった。
「いいじゃない。折角の休みだし、他の生徒とかに見つかるかもしれないけど…それ承知で付き合ってるんだし。
ねぇ純也?」
「……まったく…」
微笑んでそう言われ、田代先生も諦めたようだ。…うわ、なんか、見てる僕のほうが恥ずかしい。
と思っていると。
瀬那さんも、瀬尋先生の手を握る。驚いた様子の瀬尋先生。
「…え…」
「行こっ」
「あ、うん…」
呆然と見ていると、田代先生と瀬尋先生が、僕を見つめている。…そ、そうか。
田中さん、と言いかけて、口をつぐむ。………よし。
「…し…詩織ちゃん」
「…え?」
驚いた様子の彼女。それはそうだろう。僕に初めて名前で呼ばれたのだから。
「僕らも行こうか」
「……あ…っ。…はい」
恐る恐る、手を差し出し、彼女の手を握る。彼女は、ぎゅっと強く握り返してきた。
…つい、顔が綻ぶ。やった、ついに手を握った!
まるで中学生のようだけど、僕は嬉しかった。
みんなで入ったお店は、お洒落な、…なんていうんだろう、カフェっていうのかな?
こんな雰囲気のお店は、初めてだから、少し緊張する。
…やっぱり、女の子はこういうお洒落なお店が好きなのかな。
席に案内され、メニューを開く。
…うーん、やっぱり。雰囲気からすると、そうだよね。
メニューには、洋風の朝食メニューが並んでいた。
「……決まった?」
「あ、ちょっと待ってね」
「えぇと…」
皆瀬さんに聞かれて、答える彼女。僕も、まだ決まらない。
普段の僕は、ご飯と味噌汁。でも、さすがにこういうお店じゃ、そんなものない。
「…決まりました?」
彼女が聞いてくる。うーん。しばらく考えてから、言った。
「じゃあ、僕はAセットにするよ。」
「飲み物は、何にしますか?」
「うーん、じゃあアメリカンで。」
とっくに決っていたみんなと一緒に注文する。…彼女も、僕と同じものだった。コーヒーまで。
ジュースでも頼むんだろうと思っていた僕は、ちょっと驚いた。
「…オレンジジュースとかじゃなくて良かったの?」
「ええ、…先生と同じものが食べたかったから。」
なんでもないようにそう言われて、頬が熱くなる。
つい、黙ってしまう。彼女も、俯いて何も言わない。…甘い沈黙。恥ずかしいけど、嬉しい。
そうしているうちに、料理が運ばれてきた。
「Aセットのお客様ー」
田代先生が手を挙げた。ウェイトレスがもう1つの置き場所を探している。
そういえば、僕たちが頼んだのってAセットだったっけ。
「えっと…」
「あ、彼女です」
目の前の彼女を示す。そんな僕を見て、彼女は少し驚いたようだったけれど、嬉しそうに頷いた。
みんなも、ちょっと意外そうに僕を見ている。
な、なんで?僕、なんかヘンなことしたかなあ?
みんなのところに行き渡るのを待って、食べ始める。
彼女と他愛無い話をしながら、のんびりと食べていると、それだけで嬉しくなってしまった。
しばらくして、田代先生が立ち上がった。あわせて、みんなも立ち上がる。
あ、あれ?あ、そろそろ時間かな?
慌てて僕たちも立ち上がる。伝票を持っている田代先生に近づき、僕達の分を渡してお願いする。
彼女の表情がちょっと曇ったけど、気にしない。…やっぱり、男だからね。
みんなで移動して、水族館へ入る。僕達はチケットを持っているので、少し先のところで待っている。
館内に入ると、…ああ、やっぱり落ち着く。
前回一緒に来たときよりも、リラックスしている自分に気付く。
今度は、積極的に話をする。僕は、生物を教えているんだからね。まして、自分の好きな、水族館。
…ついつい、饒舌になる。そんな僕の話を、微笑みながら頷いて聞いてくれる彼女。
「…あ、ここ。深海魚のコーナー。魚もそうだけど、エビとかタカアシガニとか、面白いんだよ。」
そう言って、入ろうとする。…ためらっている彼女。なんで?
「どうしたの?」
そう声を掛けた後、ふと考える。…暗いの、怖いのかな?
そう思って彼女の顔を見ると、不安そうな顔をしている。どうしようかな。やめようかな、うーん。
実は、僕は深海魚のコーナーが好きだ。
光の届かないような深海にも生きている生物なんて、神秘的でドキドキする。
ごめん。やっぱり、見たいんだ。
心の中で謝って、先に入る。…彼女は、まだためらっているようだ。
と、その時。
彼女が後ろを振り返った瞬間。
そのままの体勢で、僕のほうに飛んできた。いや、大げさじゃなくって、本当に飛んできたんだ。
「きゃぁっ!?」
「し、詩織ちゃん!」
慌てて抱きとめる。なんとか、間に合ったようだ。
「だ、大丈夫?怪我してない?」
「だ、大丈夫です…。」
彼女を見ると、すぐ近くに顔が迫っていた。
ドキッとする。赤く染まった頬。濡れた唇。
我慢できなかった。そのまま、僕の顔を近づけていく。
「…あ…」
彼女が呟いた次の瞬間。僕は、彼女とキスしていた。…彼女との、初めてのキス。
すぐ、離した。彼女の赤くなっている顔が目に入る。
「大丈夫?」
「…はい。」
そっと立たせ、抱きしめる。もう押さえられなかった。僕の、熱い気持ち。
「えっ、せ、先生…。」
うろたえる彼女。僕は、それに構わず、こう告げた。
「愛してるよ…。離したくない…。」
うわ、僕にこんなことが言えるなんて…。
「………私も。離れたくない………。」
彼女が呟いた。そう聞いた途端、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
なっ、なに言ってるんだ、僕!慌てて彼女を離す。
彼女の表情が曇った。…ダメだ、降参。そんな目で見ないでよ…。
「…僕の部屋に来ない?今日は、返したくないよ…。」
もう一度抱きしめて、囁く。そんなこと出来るわけないだろって思いつつ…。
「………はい。」
えっっ!?今、なんて言ったの?
「い、いいの?」
「…ええ。私も、先生と一緒に居たい…。」
そう言うと彼女は、僕を抱きしめてきた。…嬉しい。もう、踊り出しそうだ。
「…うん、じゃあ、一緒に居て。僕の部屋で…。」
そう告げると、彼女の体をそっと離し、手をつないだ。
お昼になった。そろそろ、かな。
水族館を出る。もう、みんな外で待っていた。
「この後、どうする?お昼…食べる?」
「んー、そうだなぁ…。でも、そんなに腹減ってないんだよな…」
皆瀬さんが呟くと、田代先生が伸びをしてから答える。
…田代先生、瀬尋先生。それから、皆瀬さん、瀬那さん。
今日はありがとうございました。
僕は、二人の方に歩いていき、声をかけた。
「……あの…」
「え?」
振り向く二人。僕は、お礼を言った。
「…今日は、無理を言ってしまって…本当にすみませんでした。でも、おかげで…なんとか……ええ」
「…良かったですね、山中先生。彼女の事、大事にしてあげて下さい」
田代先生にそう言われて、頷く。もちろん、大事にします。本当にありがとうございました。
「それじゃ、もう大丈夫ですよね。この先の事は…」
「…え?……あ、…は、はい」
う、そ、それは…。やっぱり、そういう意味なんだろうなあ。顔が熱くなる。
「…頑張って下さいね」
「決して焦らずに」
そう言ってくれた二人。僕は、何も言えずに何度も何度も頷いた。
瀬那さん、皆瀬さんと話をしていた彼女に声をかけ、みんなと別れて車に乗り込む。
ホントにいいのかなあ。希望してはいたけど、いざ実現するとちょっと………。
「…ホントに、大丈夫?」
「………はい。」
それを聞いて、車を出す。CDを止め、小さくFMをかける。
「…どうして、CD止めたんですか?」
「いや、…あまり、好きじゃなさそうだったから。」
彼女に聞かれ、ここに来る途中の表情を思い出して、答える。
「え…。別にそんなことは…。」
あれ、違うの?
「じゃあ、どうして、さっきは浮かない顔してたの?」
「それは………。私、先生のこと何も知らないんだなあって思って…。」
は?どういうこと?
「だって、先生の音楽の趣味も知らないし、好きなお料理も知らない…。
学校での先生しか、知らないんだもの…。」
それを聞いて、思わず笑みがこぼれた。なんだ、そんなことか。
「そんなの、お互い様でしょう?僕も、詩織ちゃんのこと、なんにも知らないよ。
…僕達、付き合い始めたばかりでしょう?これから、少しずつわかっていけばいいじゃない。」
そういうと、彼女は微笑んで「はい」と言った。ラジオを止めて、CDをかけてくれる。
それからの僕達は、よく話した。お互いの家族のこと、趣味のことから、食べ物の好き嫌いまで。
「僕の得意料理はね、豚の角煮。」
「えーっ、先生、そんなの作るんですか?」
彼女が笑う。自慢じゃないが、料理は得意な方だと思う。このごろは面倒になって、つい弁当を買ってしまうけど。
「詩織ちゃんは?」
「私は、…肉じゃが、かなあ。」
「じゃあ、今度作ってよ。」
そんなことを話していると、アパートの前に着いた。
車を止めて、彼女を部屋に案内する。
「散らかってるけど、どうぞ。」
…昨日、必死になって片付けた部屋。まさか本当にこんな日がくるなんて、思ってもみなかった。
座布団を出して、座るように勧める。彼女が座るのを確認してから、台所に行ってコーヒーを淹れる。
彼女は、部屋を見回している。…そんなに、珍しいのかなあ。
「ここで、先生が暮らしてるんですね…。」
彼女の前にコーヒーを置くと、ぽつりと言った。
「ん、何?どうかした?」
「いえ、どうもしないですけど…。今私がいるのは、先生の部屋なんだなあって思って。」
そう言われて、ドキッとする。彼女は、何気なく言ったんだろう。でも。
…いや、そのつもりで連れてきたんだけど、なんとなく、イケナイ事をしている気がして…。
「…怖い?」
つい、聞いてしまう。し、しまった!意識させるようなこと言って、どうするんだ!
案の定、彼女は赤くなって俯いてしまう。…でも。
「…いいえ。………先生だから、大丈夫。」
うわあっ。頭に血が上る。もうだめだっ、押さえられないっ!
「し、詩織ちゃんっ!」
ぎゅっと彼女を抱きしめる。彼女は驚いたようだったけど、しばらくして僕の背中に腕が回された。
しばらくそのまま抱き合う。ああ、幸せだなあ。…でも、そのままじゃ、収まらない。
力を緩め、彼女を見つめる。彼女も、僕を見つめている。…やがて、その目が閉じられた。
彼女にキスしながら、そっと寝かせる。…落ち着いて、優しく。そう、心の中で呪文のように唱える。
緊張しながら、彼女の服を脱がせていく。…1枚、また1枚。彼女の肌が表れる。
「きれいだ…。」
そう呟く。誰にも、渡したくない…。ここも、ここも、…僕だけのものだ。
彼女の全身に触れていく。彼女の口から、甘い吐息が漏れた………。
「…んっ………」
彼女と一つになった瞬間、苦しげな息が漏れる。
「ごめん、痛いよね…。」
「いいえ、大丈夫です…。」
口ではそう言っていても、表情は苦しそうだ。
…かなり痛いんだろうな。
しばらく、動かない。そのうちに、彼女も少し落ち着いてきたようだ。
少しずつ、動き始める。…途端に、苦しげに眉を寄せる彼女。慌てて動きを止める。…うう、罪悪感。
「ごめんね。」
こう言って、僕は彼女から離れた。そのまま、彼女の横に寄り添う。
「…どうして?」
いや、どうしてって…。その顔を見てたら、僕には続けられないよ。
「だって、すごく痛そうだから…。」
「でも…。」
どうやら、彼女は僕を心配してくれているらしい。
「今日が最後じゃないでしょ?…また、そのうちね。」
「だって、………大丈夫だから…。」
なかなか納得しない彼女。…僕のことを思ってくれているのが、嬉しい。
そんな彼女に、ふと思いついたこんな提案をしてみる。
「じゃあ、一緒にお風呂入ろうか。」
「えっっ!?」
驚く彼女。見る見るうちに、顔が真っ赤になる。…つられて僕も、赤くなる。でも…。
「大丈夫だよ、ヘンなことしないから。」
そう言ってねだる僕に、彼女は恥ずかしがりながらも頷いてくれた。
彼女を残して風呂場に行き、準備をする。
…朝入ったばかりだったので、あまり冷めていなかった。
追い炊きして彼女を呼び、一緒に入る。
緊張している彼女。視線が泳いでいる。
…きれいな体。美しい、って言ってもいいと思う。
つい、まじまじと見ていると、恥ずかしそうに俯いた。
僕が一緒に入っていたら、やっぱり落ち着かないかな。
そう考えて、さっと温まってから先に出る。服を着ながら考える。…さて、これからどうしようか。
考えていると、彼女も風呂場から出てきた。恥ずかしそうに服を身に着け始める。
ドキドキしながら、出来るだけ彼女を見ないようにする。…本当は、とっても見たいけど。
恥ずかしそうにしている彼女を見て、これからの行動を決める。…うん、やっぱりそうだな。
彼女が服を着終わって、僕を見た。
「お昼ご飯食べたら、送って行くよ。」
「えっ…。で、でもっ。」
今日は泊まると言ってくれた彼女。でも、そういうわけには…。
「詩織ちゃんが本当に大事だから、今日は送って行く。…まだ、家に電話してないでしょう?」
「はい、そうですけど…。」
不安そうな彼女。大丈夫だよ。僕は、君にトコトンまいっているんだから。
「可愛いお嬢さんに外泊させたら、僕はご両親に挨拶できなくなっちゃうよ。」
冗談めかして言うと、彼女が真っ赤になった。
…僕、ひょっとして、勢いに任せてすごいこと言った…?顔が熱くなってくる。
「じゃ、じゃあ、ご飯食べに行こう!」
照れ隠しに元気よく言って、彼女の手を握って連れ出す。…彼女も、微笑んでついて来る。
僕達は、晴れやかな気持ちで車に乗り込んだ。
流れてくるメロディ。今の僕達にぴったりの曲だ。
"ALL YOU NEED IS LOVE"
邦題は”愛こそはすべて”
鼻歌を歌いながら、そっと彼女を見た。彼女も、僕を見つめて微笑んでいる。
ALL YOU NEED IS LOVE,LOVE IS ALL YOU NEED.
こうして、僕達は結ばれた。
こんなに可愛い彼女を持った僕は、世界一の幸せ者だと思う。
ただ、最近また、悩んでいるんだ。
こんなに可愛い彼女と居ると、歯止めがきかなくなって…。
色々としたくなるし、してほしくなっちゃうんだ。…恥ずかしい悩みだ、とは思うんだけど。
どうしたらいいんだろうね?
たかボンさんから頂いた、小説です!
昭と詩織の、続編っ!
なんていうかもう、ねぇ!!!
きゃーーvv
昭のどきどき具合が伝わってきて、こちらもドキドキです。ええ!
ああもう、しーちゃん可愛いなぁ。
なんて、作者ながら思ってしまいましたよ。
こうして見ると、なんか、不思議な感じですね。
他の人の体に入って自分を見てるようなそんな感じ。
ああ、こういう風に見えてるのかー、みたいな。
続けて、本当にありがとうございました!!
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