『女子高生は見たかもしれない
瀬那家〜瀬尋家事件行脚 渦巻く謎と絡み合う人の業
とりあえず、犯人はお前だと言ってみる探偵がここにいた』
「まづい……」
自らの所業を呆然と見下ろしていた。
「マジでゲロヤバ……」
言い方を変えたところで事実は変わらない。
たっぷりその場で5分は立ち尽くした後、ようやく現実に復帰する。
「とりあえず逃げよう」
かくして犯人は思いつく限りの隠滅工作をして、その場から立ち去ったのである――
とある日曜日、平和なはずの瀬那宅に男の叫びがこだまする。
「うわあああっ!?」
声の主は瀬那孝之。その目は驚愕に見開かれていた。
「どうしたの、大きな声を出して、お兄ちゃん」
怪訝な顔で台所に現れた彼の妹の羽織が不運な犠牲者となった。
「お前か」
「はぇ?」
「正直に言え。いまなら……でこぴん5発で勘弁してやる」
「な、なんのことだか話が見えないんだけど」
「あくまでとぼけるつもりか、ならばその体に聞いてくれるわ!」
――速いっ!
孝之は瞬時に羽織との間合いを詰めると、攻撃を繰り出した。
ぺちん、ぺちん、ぴちん!
3発目はクリティカルヒット! 効果は抜群だ!
「いたっ、いたっ、いたいよ〜」
「ちょ、ちょっと!? 何やってるの」
騒動に階下へやってきた、ちょうど彼女の家に遊びに来ていた絵里は、その光景に唖然とする。
……まぁ、大の大人が女の子を追い回し、でこぴんしているのだから無理もない。
「ふええ〜、絵里ぃ」
彼女の元に逃げてきた羽織はすでに半泣きだ、おでこの赤が痛々しい。
「たっきゅん、ひどいっ! 妹に向かってなんてコトを!」
「……その呼び方はやめてもらえんか、絵里ちゃん」
「意外と冷静なツッコミね、とりあえず双方の事情を聞こうじゃない」
「当然の報いだ! なんせそいつは俺が買ってきておいた超高級プリンを食したのだからな!!」
「……超高級プリン?」
その後、孝之がそのプリンが以下に希少品かを長々と語りだす。
大の大人がプリンを力説する状況――これもまたどうなのか。
「――というわけで、昨日ついに届いたばかりのそれをこいつがあっさりと食べちまいやがったのだ。これが怒らずにいられ……」
「私そんなの知らないよっ。だいたいプリンがあったことすら初耳だし」
「なにぃ? しらを切るのも大概――」
「なるほど。わかったわ」
やおら、二人の口論を遮るように絵里がつぶやいた。
「分かったって、なにが」
「これは、事件よ。題して――
「超高級プリン盗難事件」
この難事件、名探偵皆瀬絵里が見事解決してみせるわ!」
そういえば、部屋で読んでいたマンガは探偵物だったなぁ……羽織の脳裏にふとそんな光景がよぎる。
『…………』
もし、仮に。
この時点で瀬那兄妹のどちらかが彼女を止めていれば被害は最小限に食い止められたかもしれない。
だが、下手に切り出すとややこしくなりそうな気がして、あえてここではスルーすることにした。
後にこれが重大な選択ミスと気付くことになるとも知らず。
「じゃあまず状況の把握ね。第一発見者の孝之さん。その時の状況を詳しく話してもらえますか?」
「あ、ああ……。昨日の夕方、クール便で届いたそのプリンの箱をチルド室に入れて保管しておいたんだ。無論その時点では未開封。入れたところは誰も見ていないはずだ。そしてさっき満を持して食べようと思ったら箱ごとプリンはなくなっていた……」
「ふむ……」
絵里は思案に首をひねりながらキッチンを歩き回る。と、ガスコンロの鍋に目が留まった。火はとろ火でついている。
「これは?」
「これは?って……くる時電話で話したじゃない、新しい料理のレシピを試してるって、絵里はその試食役で来たんでしょ」
「……ちっちっち、分かってないな、羽織くん。一見分かりきったことにこそ真実が紛れているかもしれないのだよ」
「は、はぁ……」
困惑しつつも、律儀に彼女に合わせようとする羽織。鍋に近づき説明を始める。
「これは牛の頬肉の煮込みです。ワイン、フォンドボー他各種香草、調味料をと共に長時間コトコト煮込むことによってお箸でも簡単に切れちゃうほどの柔らかさに――」
そこで蓋を開け、くるりとかき回す。
「……あれ? 結構時間経っているのにまだ水気多いなぁ。量が減ってないや」
「孝之さん。あたしたちの他にこの場所に侵入できる人物に心当たりは?」
「侵入って……そうだなぁ」
名探偵の関心はすでに別のところにいっているようだった。
だったら、ふらないで欲しいものだ……きっと調査らしきものをしたいだけなのだろうけど。
なんて羽織が思っているうちに、孝之が記憶を掘り起こしていた。
「葉月は朝から見かけないし、親父もお袋も出かけてる。あ、祐恭の奴が来たな」
「ええ? なんで先生が。私たち部屋にいたけど気がつかなかったよ」
「借りてたCD取りにきたもらっただけなんだが。でもそういや変だよな、あいつがここにきて羽織に会っていかないなんて」
ぎゅぴーん。
絵里の頭でそんな音がしたとかしなかったとか。
ともかく、彼女はぽつりと呟いた。
「怪しいわね」
「怪しいって……まさか先生が犯人って言うの? それはいくらなんでも……だってプリンだよ?」
「魔が差したってやつよ。大体犯人がいつまでも現場にいるなんて今日びどんな三流の推理ドラマにも描かれないわ」
「そりゃそうかもしれないけど……」
頭の中で想像してみる。
誰もいない真っ暗なキッチンで冷蔵庫をあさり、一心不乱にプリンをほおばっている、祐恭。
「うわ、すこぶるそぐわねぇ」
思わず、正直な感想が孝之の口からついて出た。
「とにかくこれは当人に直接話を聞く必要がありそうね。その後どこに行くか彼から聞いてない?」
「さあ。でもスーツだったから学校じゃないか? 休日出勤」
「ならさっそく出向くわよ。孝之さん、車出して」
「ぇえ〜、いいよ。なんだかもうめんどくさいし」
「このまま犯人を逃がす気!? そんなことじゃ食べられてしまったプリンたちが浮かばれないわよ!」
結局、異常とも思える名探偵の熱意に根負けし、三人は学校へと向かうのだった。
つかつかつか、がらっ。
「警察だっ、大人しく縛につけぇ!」
「絵里、絵里っ、いろいろと間違ってるからっ」
「……」
そんな彼女の登場シーンにたまらず純也は頭を抱えていた。
「悪いねー、純也さん。仕事中のところ」
「孝之くん。いや、こちらこそお世話になっているようで」
「そこ! しみじみしないっ!」
「で? 一体何の用だ? 帰ったら構ってやるから大人しく留守番してろよ。あと羽織ちゃんや孝之くんを巻き込むな」
彼はもう机の上の書類の相手に戻っていた。片手間に彼女に声をかける。
「くっ、重ね重ね、人をコケにして。まぁいいわ、純也になんて用はないの、祐恭先生はどこ?」
「祐恭くん? いやここにはいないけど」
「あれ? でもあいつスーツ着てたから、てっきり休日出勤だと」
「いや、今日は俺だけだよ。彼、約束があるとかって、昨日は遅くまで残業してたみたいだし」
「約束、ね。じゃあ次は彼の自宅をあたって見ましょう」
ペンを走らせながら、それはごく軽く返したつもりだった。
「どうかしたのか、祐恭くん。それじゃまるで逃亡中の容疑者扱いじゃないか」
「鋭いわね。彼は『瀬那家プリン強奪事件』の重要参考人なのよ」
ぴたり。ペンが止まる。
「……えーと」
純也の視線は彼女以外のところへ。その先で待っていたのは沈痛に頷く兄妹の姿。
『彼女はいたって本気です』
っはぁぁぁ……。
ため息と共にどっとくる徒労感。
ただでさえ休日出勤というやるせない状況なのに、どうしてこうもまぁ不幸が重なりますかね。
ともあれ身内として彼氏として、これ以上、彼女を暴走をさせ続けるわけにもいかない。
純也は絵里に向き直り、挑発的に言葉をつむぐ。
「強奪事件、ねぇ……また大層な肩書きをつけたもんだ」
「なによ。孝之さんのプリンが忽然と姿を消したのよ。何者かが持ち去った&食べちゃったのは間違いないでしょ」
「で、祐恭くんが容疑者」
「葉月ちゃんは留守。羽織がそんなことするはずないし――まして嘘をついていたとしてもすぐにバレるに決まってる。そういう娘だってことはつきあい長いあたしが一番よく知っているわ!」
「……なんだか微妙にバカにされてる気がするぅ」
「とにかく! 残る登場人物で不審な動きをしているのは祐恭先生だけ。彼を疑うのは道理でしょ」
大見得を切る彼女に、大仰に肩をすくめてみせる純也。
「やれやれ、甘いな。それなら外部犯なら誰でもいいってことじゃないか。それこそ名も無きプリン窃盗犯Aでも」
「なんですって、ふざけんじゃないわよ!」
「あほぅ、つまりはそんだけお前の推理とやらが穴だらけってことだ。んな子供じみた考えでむやみに人様を疑うんじゃない。相手の身にもなってみろ。疑われていい気分はしないだろうが」
「うっ、く……」
「わかったなら、家に帰れ。仕事ももうすぐ終わるから、そしたら夕飯は旨いもの作ってやるから。
そら、ちょうどあの絶品の――」
「! う、うるさいわねっ」
諭すようにそっと頭に手を置いてきた彼の体を、振りほどく。
意外にもその力は強く入ってしまう。
「っと?」
咄嗟にロッカーに手を伸ばすものの、昨日搬入され山積みのままの資料集が純也の足をすくう。
慣性の法則。質量保存の法則。重力の法則。
様々な物理法則が彼に襲い掛かった。
「――」
ごしゅあぐあらがらがたごどーん!
『……』
もうもうとした埃が窓から外へとのぼっていく。
一瞬にして大惨事だった。もはや純也の姿はロッカーやら資料やら物の山に埋もれ、見える範囲の膝から下はぴくりともしない。
「な、なんてこと……」
「絵里……」
彼女は沈痛な面持ちで下唇をかんだ。
「事件の第二の被害者が出てしまうなんて」
『……え?』
「もうこれ以上犠牲者を増やさないためにも、一刻も早く犯人を捕まえなくっちゃならないわ。
さぁ、いくわよ、羽織!」
「ちょ、絵里ぃ!? それより純也さん助けないと」
「ダメよ振り向いちゃ、あたし達はこの悲しみを越えて先へ進まないといけないのよ」
絵里は強引に羽織を引きつれ、駆け出していった――世間一般、逃げたという。
「……ええと」
取り残された孝之は呆然としたまま見送るしかなく。
「なんつーか、宅の彼女さん、いろんな意味でスゴいっすね……」
「……」
瓦礫の中から、答えは、ない。
「……数々の犠牲を払ってようやくここまでたどり着いたわね」
祐恭の自宅前に立ち、感慨深げに絵里は呟いていた。その胸の内に去来する思いは果たして――
「もうどこから突っ込んでいいのやら……聞いてくれないよね、多分……」
そして羽織も呟く。こちらは幾分やつれたとか思うのは気のせい、ではないかも。
「それじゃさっそく犯人との直接対決よ!」
ぴんぽーん。
インターホンを押してしばらく、聞きなれた彼の声が返ってきた。
『はい、どちらさま――』
「あたし、絵里だけど。今、羽織と一緒なんだけど少し部屋に上げてくれない」
「えと、ども、こんにち――」
『!!』
ぶつっ。
「……え?」
彼の息を飲む音がしたかと思うと、急に応答がなくなった。
思わぬ彼の行動に絵里が不敵に微笑む。
「どうやらこれはビンゴらしいわね」
「ビンゴって……ええ?」
「プリン強奪犯は祐恭先生よ。あのあからさまな動揺っぷり、2時間ドラマのラストそのものよ!」
いや、あれはフィクションだから……。
そう思うのは山々な羽織だったが、反面、確かにあの行動は彼らしくなかったのも事実。それが心に不要な勘ぐりさえ生んでしまっていた。
そんな二人の前で鍵が開く音がする。
「ええと、さっきは急にごめん、さ、どうぞ」
中へ進む、見慣れたはずの光景にも微妙な緊張感を伴う。
「おじゃまします」
「や、やあ。二人ともいらっしゃい」
祐恭は取ってつけたような返事をしている。やはりどこか落ち着きがない。
「……あれ?」
そう初めに気がついたのは羽織の方だった。これって――
「んん?」
呼応するように絵里が視線を巡らせて、事実に気付く。
「こ、これはっ! 明らかに女性用と思われるローファー!!
まさか窃盗だけに飽き足らず、二股までかけているとは思わなかったわ」
「は? 窃盗って……いやそれより二股って何」
「ふふん、まさか「これは俺が履くんだ!」とか安い言い訳はしないわよね。部屋を改めさせてわよ!」
「いや――」
「ええと、絵里。この靴はね、多分」
「私の、なんだけど」
祐恭の後ろからおずおずと顔を出したのは二人の見知った顔、葉月であった。
「なっ――まさか祐恭先生、親友の彼女に手を出したわけっ!?」
「……」
ずびし。
祐恭はさすがにもう実力で訴えるしかなかった。
「いたた……くぬぅ、乙女の柔肌に傷が残ったらどうしてくれるのよぅ」
「チョップ一発で勘弁してあげたのを感謝してもらいたいくらいでしょ。窃盗だの二股だの、人のことを散々言ってくれちゃって」
一同はリビングに移動してようやく落ち着いて話を始める。
「む。ならなんで葉月ちゃんがここにいるのよ。若い男女が休日に自宅で二人っきりだなんて」
「べ、勉強! 祐恭先生に勉強を見てもらってたんだよ」
「わざわざぁ、こんなところでぇ? 羽織んちで見てもらえば済むことじゃないのぉ?」
なおも詰問口調の絵里を羽織がいさめる。
「もー、絵里やめなよ。二人が困ってるじゃない」
「何言ってるの、羽織。普通ならあなたが真っ先に怒らなきゃいけないところじゃないの!」
「でも、二人に限ってそんな、前から仲いいのは絵里も知ってるじゃない」
「甘い、甘いわ! そういう友達関係がいつ恋愛感情に変わってもおかしくないでしょ」
なんだよ、その決めつけは。ため息混じりに祐恭が呟く。
「いや、おかしいって……」
「あははー、確かに祐恭先生はかっこいいけどー」
「ほら、聞いた、羽織。すでにここまで篭絡されているのよ」
「だーかーらー! どうあっても俺を悪者にしたいってのかい。ならその証拠を――」
勢いにそこまで言いかけ、彼はすぐに後悔する。
いい口実を与えてしまった……まぁアレはすぐに隠したので多分見つからないとは思うが。
それでも心配に越したこともなくて。
祐恭は内心の思考を封じ、かろうじてポーカーフェイスを維持しつづけた。
「ふふん、望むところよ。なら悪いけど少し部屋の中を家捜しさせてもらうわよ、羽織、手伝って」
「……すいません。なるべく散らかさないようにしますから」
「いいよいいよ。気の済むまでやってください」
その後、リビング、書斎と適当なところを回る絵里たち。
「大体、何を探せばいいの、絵里?」
「それは……そう怪しいものよ! 犯人が観念するような決定的証拠物件!」
「はぁ」
アバウトすぎる指図に羽織は、彼のクローゼット周辺を散らかす(決して探しているようには見えない)絵里とは反対側の机の方に近づく。
「ぁ、これ……」
ごそごそごそ。
「んー、ないわねぇ。羽織、次の部屋にい……って何やってんの?」
「片づけてるの。絵里があんまり荒らすから」
気のせいだろうか、部屋は入ったときより綺麗になっていた。
「かー、この娘ってば! どこまでいい人なんだか!」
結局、その後いくら探しても物証は何も見つからず。なんだか終わってみればただの掃除だったかもしれない。
「どう、気が済んだ?」
「……その勝ち誇った顔が気に入らないわ」
唇を尖らせる彼女に祐恭は苦笑しか返せない。
「じゃ、そろそろ私の家に戻ろうよ。急に出てきたから台所とか片付けないと。それに……お兄ちゃん」
「あ」
「あ。って……すっかり忘れてたのね」
お兄ちゃんってば、かわいそうに。
「なら家まで送るよ。ちょうど葉月ちゃんも送ろうと思ってたし」
「すいません、わざわざ」
「すぐ支度するから、先に駐車場行っててくれる」
車のキーを手渡し、二人を先に送り出す。
ドアが閉まり、気配が遠ざかったところで祐恭は大きく一息ついていた。
「……ふぅ、どうやらごまかせたようだな」
せっかくここまで仕込んだのにバレてしまっては元も子もない。
「ん……あれ?」
と、その協力者である葉月なのだが、支度をするといって入った部屋からなかなか戻ってこない。
そんなに大荷物ではなかったと思うのだが……。
「どうかし――」
『失礼しますっ』
「おわっ、羽織ちゃん!?」
ドアが開き、急に部屋に上がってきた羽織はまっすぐ祐恭の――横をすり抜け、部屋にいる葉月のところに向かう。
「羽織?」
「葉月、えっと、こっち」
彼女は本棚の間から、取り出したものを葉月に手渡した。
「机のところで見つけたの。絵里に見つかるとなにかとまずいと思ったから、隠しておいた」
「え、えっと。これは、ね?」
取り繕おうとする葉月を前に、それでも羽織は笑みを浮かべる。
「大丈夫、私、わかってるから――」
『そう、あなたも共犯だったわけね。羽織』
「っ!?」
いつの間にか戸口に絵里が寄りかかっていた。
「気がつくべきだったわ。ここまでの三人の一連の行動。それらはすべて繋がっていたわけね」
「え、いや……俺には何のことだかさっぱり」
当惑する後ろの祐恭。しかし絵里は確信に満ちた声を上げる。
「ふっ、往生際が悪いわね。葉月ちゃんの手に持っているその丁寧にラッピングされた小物。そのプレゼントが何よりの愛情表現の証拠よ!」
「ちがうわ、絵里。これはっ」
「羽織……親友を信じたい気持ちは分かるわ。でも、その動かぬ証拠。そして、彼の今日これまでの不自然な行動は説明がつかないわ」
「そ、それは……」
彼女の目が祐恭に移る。だがその表情は悲嘆にくれたものではなく、心底困った顔だった。
何かを躊躇するような、言っていいものかどうか……。
「……ああ」
なんだ。どうやらすでに彼女にはバレていたようだ。
さすがにこの方面では敵わないらしい。
祐恭はどこかすっきりとした面持ちで羽織に先を促すのだった。
「は? 料理?」
「そ。いつも彼女に作ってもらってるから、たまにはこっちからご馳走してあげたいなと思って」
言いつつ、祐恭は肩をすくめた。
「……まぁ、意気込んでみたものの、日頃入らない厨房では本を片手にやっても失敗の連続。
誰かに教えてもらおうにも周囲には適当な人材がいない。俺の女性の知り合いのほとんどは、頼んだが最後、からかわれて終わるのがオチだし」
「そこで私が選ばれたの。羽織の味の好みもよく知ってるし」
「じゃあ、あの意味ありげなプレゼントの包みは」
「手伝ってくれる正当な報酬。だいたい葉月ちゃんが渡す相手なんて一人しかいないでしょ」
「あ、あはは……」
葉月が羽織に近いように、祐恭の近くにもまた彼がいて、長い付き合い彼の嗜好は理解しつくしているから。
「でも、よく分かったね、羽織ちゃん。俺が料理してるって。鍋はオーブンの奥に隠したからバレないって思ったんだけど」
今日彼女はキッチンに入っていない。飲み物も俺や葉月ちゃんが出し、意図的に遠ざけていたのに。
「分かりますよ。作ってたのは『仔牛の頬肉の煮込み』ですよね」
「うお、大正解……なんで」
「だって……」
きっとそれは数日前。料理番組を家族で見てたとき、私がおいしそうと大絶賛だったから。葉月はそれを彼に伝えたのだろう。
私は彼に食べさせたいと思っていて作り。
彼は私に食べさせていと思ってくれて作り。
見えない何かで繋がっている、そんな偶然が羽織にはなによりも嬉しかった。
「……ふぅ、なんにせよ。どうやら一件落着のようね」
「いいや、まだ事件は終わってはいない」
『!?』
その場に現れたのは孝之に手を借りた純也だった。
「ど、どうしたんですか、そのケガ!?」
「……いやぁ、まあ、いろいろあってな。話すと長いんだか短いんだか……」
「せっかくでてきたところ悪いんだけど、もう事件は解決したわ、全ては互いを思いやった末の勘違いだったってこと」
「ふっ、事件か……確かにそう言えなくもないな。ある一つの事実を隠そうとした余りにも馬鹿げた企み」
彼の仰々しい口上は絵里を思わせ、祐恭たちを困惑させる。
「企みって」
「12000」
「っ!?」
その数字に過剰な反応を示したのはたった一人。
「なんです、その数字?」
「ここにくる途中、自分ちと孝之さんの家に寄ってきてね。それですべて謎は解けたんだ。絵里、証拠隠滅をするならもっと徹底した方がよかったな」
純也が取り出したのは一本の空瓶。
「本場直輸入のエクストラヴァージンオイル、限定生産のやつでで最近ようやく専門店で探し当てた珠玉の一本さ。こいつで作るパスタが最高なんだ――」
遠い目をしてしげしげと見つめる。
「それがどうして瀬那家にあったのか……」
「さ、さぁねっ。羽織も同じものを持ってたんじゃないの?」
「どう、羽織ちゃん」
両者を見比べた後、控えめに首が振られた。
「じゃあ! 他の家族の誰かが……」
「瀬那家の他の面々にはすでに確認済みだ。俺の家にあるはずの限定生産品のこれをあの場所に今日持ち込めたのはお前しかいない!」
「ぅっっく」
よろよろとあとずさる絵里、やがてベッドまで行き着き、どっかりと腰を落とす。
「……大体、純也が悪いんじゃない。あんなに最高だ、最高だっていうから、試してみたくなるのが人情ってもんでしょ。それで朝、あなたが出かけた後でちょっと試したら――」
「派手にぶちまけたな。いくら雑巾で拭いたとしてもそうそう床のぬめりやてかりが取れるもんじゃない」
「残ったそれの処分に困ってとりあえず羽織んちまで逃げてきて、そこで料理していたのを見て、隙を見計らって……」
「って、お鍋にオイルを入れちゃったの!? どおりでなんだか時間の割りにかさが減ってないと思ったら……え、煮込み料理にオイルって、あ、あわわ……」
青ざめる羽織に悲しげに純也がかぶりを振った。
「うん、残念だけど、鍋の中身はもう人の食べられるものにはならないと思うよ。
で、首尾よく隠滅完遂と安心した絵里は冷蔵庫を物色、孝之さんのプリンを強奪」
「な、なにぃーっ!」
「ことを終え、気の緩んだ犯人がとるありがちな行動パターンだ。
だがここで誤算が生じた。絵里が現場を離れる前に強奪の件が騒ぎになってしまった。大事になってキッチンを探され自らの隠蔽が発覚されるのを恐れた絵里は咄嗟に事件をでっち上げたんだ。そう、居もしない犯人を捜すというどさくさにまぎれその場から離れるため」
確かに、すべては彼女の一言から始まっている。
『これはプリン強奪事件よ!』
『純也殺人未遂事件の犠牲を無駄にしないためにも』
『祐恭教諭二股浮気事件の真相は』
「……後半2つは事件だったか?」
「どうして、どうしてなの、絵里。すぐに謝ればきっと純也さんだって」
絵里は悲痛な羽織の声に、視線を逸らした。
「しかたなかったのよ、羽織。純也はきっと許してくれない、だから罪を犯すしかなかった」
「嘘を嘘で塗り重ねた結果がこれか……だが、ここまでことを大袈裟にする理由くらいあるだろ」
「そうね、それは――」
「それは?」
「面白そうだったからよ!」
…………。
「よくあるじゃない。マンガやテレビで「犯人はこの中にいる!」とか。あれを一度体験してみたかったの!
でも、あたしには所詮探偵業は務まらなかったみたい……ふふ、最後に気がつくなんてお笑いよね。
笑ってもいいのよ、みんな。ふ、うふふ……ってあれ?」
気がつくと絵里しか口を開いていなかった。
誰もが無言のまま。そして純也が代表して判決を下す。
「……ご来場の陪審員の皆様、被告人皆瀬絵里を有罪と判断する方、挙手をお願いします、はい」
手は5本上がった。
「ちょ、ちょっと、横暴よー! 弁護士、弁護士を呼びなさいーっ!!」
純也と孝之にがっちりと両側から拘束され、犯人は連行されていった。
「情状酌量の余地は……ないだろうなぁ」
「ふぅ、食った食った。ごっそさん。あ、メイドさん。俺らこの後ビールでよろしく」
「は、はぁい」
「お嬢さん方にはデザートのアイスだ。きりきり働く。それが終わったら夕食の皿洗いだからな」
「ぅぇ〜、腰が腰が痛いよぉ〜」
半分泣きが入っている親友の様子にさすがに罪悪感が込み上げてしまう。
「あの……私手伝うよ」
「ホント――」
「ダメダメ、羽織ちゃん。ここで甘やかしたら本人のためにならないでしょ。罪はちゃんと償わせるべし」
それは優しい口調ながらも、有無を言わせない迫力があり、羽織もそれ以上は続けられない。
時間も時間ということで、夕食は祐恭の部屋にて皆で取ることとなった。メニューはもちろん彼の作っていた『牛の頬肉の煮込み』。奇しくも共同作業となったそれは期待にたがわずすばらしい出来栄え。
一日皆をひっかき回した絵里の処罰は、その夕食の片付け&皆のお世話ということで落ち着いた。
「あうあう、ちょっとした茶目っ気じゃないの。そんな目くじら立てなくても」
「……ほぉう、まだそんな口を叩く余力はあるわけだな。だったら罰金刑も追加。来月分の小遣いナシ」
「ええー! そんなのないでしょー、ただでさえ孝之さんのプリン代とか出費がかさんでるのにー」
「俺としては1年間、無給で奉仕してもらっても構わないんだがな」
う、目がマジです。この男。
「ははは、ま、食い物の恨みは怖いってね。ちなみに俺もまける気はないから、プリン3つでしめて2000円、よろしく〜」
観念して、うなだれる絵里。しかしそこでひっかかった。
「ん? 3つ? あれ、あたし食べたの1つだけだよ。つか、冷蔵庫には初めから1つしか」
「またまた。いまさら嘘言っても『刑期』は軽くならんよ。プリンの代わりに『ケーキ』買ってきてもらっても困るけど。うはははは!」
「……うっわー、くだらねー。葉月ちゃん、そいつのビール取り上げちゃえ」
「はーい」
「うお、待て。そんなルールは聞いてないぞ」
食後の和やかな空気の中、絵里の主張がむなしく響く。
「違う、ホントに。今度はホントにそうだったんだってばー、お願い信じてよーっ」
自業自得。
で。
「……ただいま。ん? 誰もいないのか」
「携帯に羽織からメールが入ってたわ。『夕食はみんなで済ませて帰ります』ですって」
「そうか」
我が家のリビングで瀬那夫妻はひと心地つく。
「孝之がいないのは幸運だったな。母さん、今のうちに代わりのを冷蔵庫にしまっておきなさい」
「ええ。でも、あの子にも困ったものよね、プリン一つであれだけ怒るんだから」
「体ばかり大きくなってもまだまだ子供だ、ぜひ葉月ちゃんにはしっかりしてもらいたいものだな」
「あら、お父さん。いやですよ、気の早い、うふふふふ」
「はっはっはっ」
完全犯罪者の二人の談笑はもうしばらく続くのであった。
「へっくしゅ」
「ん? たーくん、風邪?」
「あたしは無実よーっ」
『それは違う』
名探偵への道のりは、はるかに遠い。
早馬師匠に頂いた、『相棒』ならぬ『親友〜偽りの果てに〜』みたいな!!(どんな
いやーん(*´▽`*)
もー、相変わらず完成度の高さに何ともいえません(笑
ケーキ・・・ケーキて!ちょ!どんだけー?と突っ込みつつ、葉月に期待。
それにしても、意外な真犯人と言うのが隠れていましたね。
まさか、そんなオチだったとは・・・!!
仰るとおりでございます。
身体ばかり大きくなっても、所詮、子供は子供ねっ。
結論としては、やはり『瀬那夫妻は最強』って事になるんでしょうか(笑
相変わらず、あっぱれです。本当にもう。
毎度毎度楽しませていただいている、師匠のお話。
やばいです。
何がやばいって、面白いよね。やっぱり(笑
私が一番の読者である事は、間違いなし・・・!(´▽`*)
本当にありがとうございましたv
・・・ああ、大変だなぁ。純也って。
と、改めて思いましたとさ。
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