一日の疲れを風呂で流した孝之は、部屋に戻って眠ろうと階段を昇っている途中だった。
今日の仕事は受付業務ではなく、夏休みの喧騒も一段落したので、蔵書の総チェックを行なった。
紛失本の有無、破損物の点検をして、修理に出すものはその処理を、紛失本は返却処理がされているかどうかを再チェックする。
日頃からやっている仕事ではあるが、夏休み終盤になると宿題を片付ける学生で館内はごった返す為、ついついそれらの業務が疎かになってしまう。
受付に座って可愛い女の子を眺めたり、暇な時間に読書するのも楽しいが、今日のように身体を使う作業も嫌いではない。
明日も本に囲まれて過ごすと思うと、鼻歌すら出そうになる。
階段を昇りきり、廊下を歩いていると、ふと違和感を感じた。
自宅だというのに、どこか違う気がするのだ。
鼻歌を止めることなく考え続けていて、はたと気づくものがあった。
香りだ。
自分の前に誰かがここを歩いた。
その残り香が漂っている。
そしてそれには、嫌というほど心当りがあった。
親友であり、妹の彼氏の祐恭。
高校からの付き合いで、金持ちのボンボンなのは知っているが、あいつほど世間一般の想像とかけ離れた奴もいないだろう。
酒は飲むがウンチクを語るわけじゃあない。
まぁ、聞かれたら見事な知識を披露してくれるが……。
女遊びをするかと聞かれたら、はっきり言って皆無。
周囲に女がいないというのではない。
掃いて捨てるほどいるし、まめまめしく世話をしてもらっているが、それは本人が希望しているんじゃあなくて周囲が勝手にやっている事で、あいつにとっては大きなお世話らしい。
あいつ自身から声をかけたのは、羽織が初めてじゃあないだろうか?
そして服装も……。
きちんとした席ではばっちりと決めるが、普段はどうでもいいらしい。
ユニクロのTシャツに破れかけのジーパンで大学の講義に出席した事もあるくらいだ。
あいつは、自分が気に入ったものを身につける。
小物に対するちょっとした拘りはあるかもしれない。
腕時計なんて幾らするんだよって、聞いてやりたくなるくらいのをつけているしな。
そして香り……。
周囲の女が付け過ぎていたんだろうか。
どうやら嫌いらしい。
「仕事で薬品を扱うんだ、匂いに敏感でないと駄目なんだ」
……なんて言い訳していたが、取り巻きどもの香水の混ざった匂いで、胸焼けをおこすか吐くかしたんだろうな。
そんなあいつと違って、俺は付けるタイプだ。
昔、付き合っていた彼女が、香水好きで色々とレクチャーを受けたくらいだしな。
今、愛用しているのはブルガリの『ブラック』。
人によって香りが変化するというなかなか秀逸な一品。
彼女ができたら、カップル用のに変えてもいいかなと考えちゃあいるんだが……。
二人でいたら、お互いの香りが混ざって、二人だけの香りになるなんてお洒落だろ?
……って、語ってどうする。
誰に向かって喋っているんだ、俺は?
問題は祐恭だろ、祐恭。
あいつは出張中で来れるはずが無いんだが……。
お陰で羽織がどれほど寂しがっていたか。
無理矢理HPの更新作業をやらせたはいいけれど、気はまぎれただろうか。
……とっと、また脱線だ。
ほんの微かだが、あいつの匂いがする。
祐恭が来ているかどうか、どうやって確かめようか?
いきなり羽織の部屋を開けるのは不味いよな。
俺は部屋のドアを開けて、足音を立てながら中に入り、足音を忍ばせながらでてきてドアを閉めた。
そのまま黙って、取って来た煙草に火を点けてひたすら待った。
5分もしない内に微かに声が洩れてきた。
いつも可愛らしい微笑を浮かべている妹の甘く淫らな女の声。
そして親友の聞いたことも無い男の色香が漂う声音。
衣擦れと僅かに軋んだ家具のあげる悲鳴。
お互い必死に押し殺しているようだが、なにをしているのか手に取るように判ってしまう。
確認するんじゃあなかった。
俺は今の状況を激しく後悔した。
何も考えず乗り込んだほうがよかった。
そうすれば何も起こらなかったし、いつ両親が起きてくるか怯えずに済んだのに……。
しかも、あいつらが寝静まるまで、俺はここから動けねぇじゃんか。
すでに寝たと思われているんだろうしな。
早く終わらせて寝てくれッ。
それだけを願いながら、ひたすら何かを抑えるように、貪るように煙草を吸い続けていた。
1時間も経っていないと思う。
でも、俺にとっては拷問に近かった。
ようやく静かになった羽織の部屋。
そっと音も気配も消したまま、俺も自分の部屋に戻った。
正直言って、俺は朝が来るのが怖い。
祐恭なら、皆が起きだしてくる前に、さっさと帰っていくだろう。
俺が怖いのは羽織と顔を合わせることだ。
あんな声を聞いてしまって、羽織も女なんだと自覚してしまった。
やばい。
ただでさえ、悪友共からシスコン扱いを受けているというのに……。
くそっ。
兄の欲目を引いたって、羽織はいい女なんだよッ。
可愛いし、さり気無い気遣いはできるし、料理は上手くて、掃除洗濯OK、嫁にしたくなる女NO1だ。
実際、妹でなきゃあ……って、思った事はごく稀だがあるんだよなぁ。
あいつは妹だってーのッ。
手を出したりしたら……嫌な四文字熟語が……。
こんな事、アキにも相談できねぇーじゃねぇーか。
俺は布団に潜り込んだまま、頭を抱えて、必死で浮かんでは消える四字熟語を払い除けていた。
くそっ。
俺がこんな思いをするのも、全部彼女の家に夜這いするような馬鹿(祐恭)の所為だ。
あいつが来なけりゃあ、こんな思いをせずに済んだんだ。
許せねぇ。
絶対、苛めまくってやる。
一睡もできず迎えた朝。
窓の外は爽やかに晴れ上がっているというのに、俺の心はどんよりと曇ったまま。
這い出るようにベッドから抜け出して、Yシャツを身体に引っ掛け、ボタンを留めながら階段を降りていく。
キッチンでは、昨日とうって変わって明るく楽しそうな顔で、朝食を作る手伝いをしている羽織がいた。
「お兄ちゃん、おはよう」
「ああ」
あくびをかみ殺しながら、テーブルにつく俺に親父が咎めるような視線を送ってくる。
だらしないって言いたいんだろう。
仕方ないだろう。
二人のあんなシーンを聞いてしまったんだ。
眠れるはずが無い。
羽織の後姿を見ながら、ここまで元気が戻ったのも祐恭のお陰なのか、と思うと癪に障る。
「はい、お兄ちゃんどうぞ」
羽織が手渡してくれたバタートーストに餡子を塗りつけ、早速齧りつく。
咀嚼しながら、俺はいかにして祐恭に八つ当たりして憂さを晴らすか。
そればかり考えていた。
羽織になにもしないのかって?
するわけ無いだろう。
可愛らしく愛しい妹に手出しなんてしない。
逆にいっそう可愛がるだけだ。
祐恭苛めに、まずは羽織に何か買ってやろうか……そんな事を考えながら、トーストの最後の一欠けらを口に放り込んだ。
ねこ♪さんに頂いた、『Gimme your love』の裏話。
にいや、大変だなぁ・・・。
なんて、書いておきながら思わず苦笑してしまいました。
恐らく、にいやはさすがに四字熟語をやったりしないでしょう。
やったら私が作者権力で・・・ッ
の前に、祐恭に殺されるんじゃないかと。
日記でこっそり(?)書いた香水の話もきっちり使って頂けて、
嬉しい限りです^^
ありがとうございました☆
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