やっと一日の仕事が終わったので、祐恭は帰り支度を済ませて準備室を施錠する。
そのまま歩き出したら、生物準備室の前でガタッと物音が聞こえた。
すでに電気も落とされた部屋。
誰かが残っているというより、侵入しているとしか思えない。
泥棒?
試験問題目当ての生徒?
後者はありえんだろうと思いながら、静かにドアを開けて自分も準備室へと忍び込んだ。
どっちにしろとっ捕まえて説教してやる。
そう考えながら、慎重に奥へと足を進めていくが、誰もいない。
気配を探ろうと耳を澄ませば、カタカタと小刻みにリズムを刻む音。
そちらへ近づいて、視界に入ったのは……。
白衣を身につけて頭を抱えた誰かだった。
どう見ても教師にしか見えない。
誰だ?
疑問に思いながら、
「もしもし」
と声をかけた。
相手はビクッと身体を震わせると同時に、バッと離れて行く。
上げられた顔を見て、相手が昭だと気づいた。
「山中先生、どうしたんです? 気分でも悪くなったんですか?」
「せっ、瀬尋先生、助けてください。み、耳が、耳が生えてきたんですッ!」
怯えているようなので、ゆっくりと穏やかな声で話しかけたのだが、彼は自分を認めた途端、縋りついてきた。
信じられないような事を言いながら……。
「じょ…………」
冗談は辞めてくれという言葉はブツッとぶち切れて、祐恭は彼の頭をまじまじと見つめた。
さっきまでは、そこは手によって隠されていた。
今、彼の手は自分の腕にしがみついていて、頭にはふわふわした毛の生えた耳がピンッと自己主張するかのごとく立っている。
触って確認したいが、腕は押さえられたままで自由にならない。
「山中先生、落ち着いてください」
とりあえず、彼の興奮を鎮めなくてはと再び語りかける。
しかし、彼の目線はこちらにはなかった。
もう少し上……どうやら自分の頭を見て、口を開けたまま固まっている。
「先生、どうしました?」
「瀬尋先生にも耳が……」
「は?」
何を言ってんだ、この人は。
呆れて笑ってやろうとしたら、いつの間にか放されて自由になっていた腕。
対応に困り頭を掻こうとして、指が触れたものに固まってしまった。
どう考えても毛質も長さも違う感触。
暗くなった部屋の片隅に設置された水道。
その上に貼りつけてある鏡の前に駆け込めば、しっかりと自分の頭にも耳が生えていた。
引っ張れば痛い。
これは夢だ。
自分にそう言い聞かせながら、口から出る言葉は、昭に帰宅を促すものだった。
「もう帰りませんか? 一晩寝たら、耳もなくなっていますよ」
保障なんて一つもない。
でも、さっさと帰って寝てしまいたかった。
彼も頷いて、二人連れ立って準備室を出る。
ついでだから彼を家まで送っていくつもりだった。
耳を晒したままでは、公共の交通機関を使って通勤している彼は帰れないだろう。
駐車場―――。
さっさとエンジンをかけようと急ぎ足で愛車に近づいていく。
そこにいきなり現れたのは、優人だった。
いつも通りの軽い笑み。
「よっ、祐恭。これから飲みに行こうぜ」
「何言ってんだ。明日も仕事だろうが」
「お仲間もいるよ」
忠告を無視して、妙に明るい声で話し続け、引っ張ってきた相手は不貞腐れた顔の孝之だった。
「孝之。お前、何やってんだ」
「優人に呼び出されたんだよ。送迎しろだと」
眇めた眼で優人を見て、面白くなさそうに言って寄越す。
「そっちにいるのは、山中先生じゃないですか。一緒に行きましょう」
優人は祐恭を孝之に任せて、祐恭の背後で怯えている昭を誘い出す始末。
「放っておいてくれ。俺達は疲れているから帰る」
「今夜だけなのに? こうやって楽しんでいられるのは」
本当に軽いノリ。
いつもより酷くないか。
そう言って窘めてやろうとして、彼の頭の異変に気づいた。
そこにも耳がある。
「優人、お前の頭……」
「ああ、生えてるよ。孝之とお揃いの猫耳。さっすが従兄弟同士だよなぁ。お揃いなのが笑える」
「うるせぇ〜ッ!」
優人がいきなり孝之に抱きつくもんだから、孝之は必死で逃げようと暴れ出す始末。
でも、逃げる事は叶わず、しっかりと張りつかれたままで頬擦りまでされて、どんどんと孝之の顔色が変わっていく。
眺めているのも楽しそうだが、一刻も早くまともな世界に戻りたい。
帰宅してベッドにもぐりこみたかった。
そうするには、二人を撃退するしかないのだが、そんな方法思いつかない。
誰か助けてくれ、そう願わずにはいられなかった。
「ところで、そっちの耳は何?」
「?」
まだ孝之に引っついたままの優人から発せられた問いかけ。
答えられずにいたら、勝手にそれを導き出してくる。
「やっぱ、狼なんだろ? なんてったって、女子高生食っちゃったんだし」
くすくすくすと相手を小馬鹿にした笑い。
ムッと来るが、横の孝之も苦虫を噛み潰したような顔。
何でこんな事言われないといけないんだ。
祐恭の頭の中はぐちゃぐちゃになって、パニックを起こさずにいるだけで精一杯だった。
「こんなところにお揃いで何してるんです?」
唐突に全く別方向から投げかけられた質問。
四人は一斉にそちらを見た。
聞こえた声は、すでに帰宅したはずの純也。
「た、田代先生」
昭が安堵の声を漏らす。
ま、その気持ちは判る。
純也さんも仲間だからな。
まだ陰に隠れて彼の姿はハッキリしない。
ようやく街灯の下に出てきた彼の頭にもしっかりと耳が生えていた。
「今日みたいな日は楽しむのもいいですが、休める時に休んだ方がいいですよ」
しれっとした顔で告げてくる。
それを聴いた昭は力を得たように頷く。
「そ、そうですよね。それで、田代先生の頭に生えているのも……」
「う〜ん、残念」
「え?」
「俺のも猫ですよ。これに見覚えは無いかい、祐恭君?」
そう言って、にっこりと笑うその笑みが怖かった。
なぜ、純也の耳まで猫なんだろうか?
気にはなるが、とにかく邪魔は入ったんだ。
今逃げずに、いつ逃げる。
茫然自失している昭の肩をゆすって正気に戻し、突き飛ばすように車へと押しやる。
「帰ったほうがいいですよね。さ、山中先生、車に乗ってください」
慌しく車を開錠して、助手席に彼が乗り込むのを確認し、自分も運転席に滑り込もうとした。
その時、向こう側でアテンザのキーを弄っていた純也に呼ばれたような気がした。
何だろうと顔を向けたら、彼はからかうように話しだす。
「祐恭君、なんで今日は持って来てなかったんだい? 君は持っているはずだろう?」
「何がです?」
「ほら」
純也は手を頭にやるとひょいと引っ張り上げた。
なんだと目を凝らせば、彼の頭に耳がなく、手に持っているのは祐恭自身が付けたこともある耳。
彼はにやっと笑みを浮かべ、
「駄目だろ? 朝のニュースでも言ったはずだよ。ハロウィンには事前に用意しておかないと、何が生えてくるか判らないって」
と言うだけ言って、さっさとアテンザに乗り込み、走り去ってしまった。
逃げそびれた祐恭は、小さくなっていくアテンザを指差して叫ぶしかできなかった。
「なッ、なんでだよ〜〜ッ」
「んだぁ〜」
そう叫びながら飛び起きた。
や、やっぱり夢を見ていたんだ。
どこかでホッとしながら、前に悪夢を見たときを思い出し、今も夢じゃあと疑って周囲を見回してしまう。
動いたせいで布団が身体からずり落ち、数瞬遅れて寒さを感じた。
ブルっと身震いして、急いで布団を身体に巻きつける。
なぜって?
今は冬だからだ。
それから頭に手をやり、耳が生えてないのを確認してから、ゆっくりと夢の検証を始める。
もう一度寝てしまえば良いのだが、どうしても今の夢が気になるし、寝たとしてもまた夢に彼らが出てきそうで嫌だ。
さ〜て、検証だ。
今日は日曜で……。
夜までそばには彼女がいてくれて、離れがたいのを我慢して送って行ったんだ。
その後、何度も孝之と優人から合コンの誘いが来て、それを断り続けて……そのまま寝たんだったよな。
彼女の夢が見れたらいいなとは思ったぞ。
でも、なんで山中先生に耳が生えて、お揃いの猫耳で孝之と優人が出てくるんだよ。
純也さんまで猫耳だし……。
最初、山中先生に耳が生えたと言われた時点で、夢ではと言う疑いは抱いた。
確証を得たのは、純也さんが持っていた猫耳。
あれは、俺がクリスマスパーティの仮装に使った物で、彼はシルクハットにグラサンだったはず。
じゃあ、『ハロウィン』って言葉はどこから来たんだ?
それが理解できない。
ずっとここ数日の事を思い浮かべて……。
思い当たるのは、今日の夕食がカボチャ尽くしになってしまったことくらいか?
実家から送りつけられた大量のカボチャ入りのダンボール。
相変らずお袋のすることは理解できん。
鬱陶しいそれらを美味しく料理してくれたのが彼女で……最後のパンプキンパイだけは食わなかったっけ。
もしかしてそれのせいか?
あれのお陰で、彼女が出てくるはずの夢が、あいつらのお祭りになったのか?
悔しすぎて歯軋りしてしまう。
すっかり消えてしまった眠気。
祐恭は眠るのを諦め、上着を着こんで書斎にこもり、論文の続きを片づけることにした。
ねこ♪さんに頂いた、ハロウィンのお話です!
そうかそうか。耳が生えてきたのか(笑
ダメですよ、先生。
ご利用は計画的に!!(違
それにしても、昭はとんだ災難ですね(笑
そして、純也は相変わらず一番周到と言うか、抜かりが無いというか・・・。
さすがは、絵里の彼氏。
きっとこれからは、毎年祐恭センセが「耳が生えてないか」チェックをするんでしょうねー(笑
その光景が笑える。
ありがとうございました!
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