シャッ、シャッ、シャッ。
部屋になにやら不気味な音が響いている。
学校から帰ってきた羽織は、怪訝な顔をしながら、大元らしいキッチンをそっと覗きこんだ。
シンクの前には、大柄な人が背中を見せ、俯いたまま何か作業をしている。
じっと見ていたら、その人はいきなり身体を起こして、こちらを振り返った。
その手の中の物を見て、彼女は思わず悲鳴を上げそうになった。
「ひゃッ……」
「失礼な奴だな」
そこにいたのは、文句を言いたげな顔した兄の孝之で、彼の右手には牛刀が握られている。
「お、お兄ちゃん、何していたの?」
「暇つぶしと気分転換。それより羽織。今、暇か?」
「え? まぁ……」
まだ怖くて、少々顔を引きつらせながら頷く。
「じゃあ、買い物に行くぞ。なんか買ってやるから付き合え」
「ほんと? じゃあ、着替えるから待ってて!」
いきなりの誘い。
珍しいこともあるのねと思いながら、羽織は着替えに部屋への階段を駆け上った。
超特急で着替えて玄関まで行くと、そこには悠然と構えた孝之が、キーを手で弄びながら待っていた。
「ごめん、遅くなっちゃった」
「そんなに待ってねぇ―よ」
孝之は口角を上げ、ぽんと頭を軽く叩いてくる。
そのままレヴィンの助手席に乗せてもらい。
行き先は運転手の孝之任せで、羽織は車窓を流れる景色を楽しむ。
車内には、羽織の持ち込んだB'zのアップテンポの曲が流れている。
到着したのは、祐恭との買い物でもよく来るショッピングモール。
駐車場に車を停め、二人で店内に向かっていると孝之が、
「何か見たいものはあるのか?」
とこちらに聞いてくる。
『服』と言いたいところだが、きっと嫌な顔するだろうなぁ。
少し悩んでいたら、ひょいと襟首を掴まれ、引っ張られて行く。
連れて来られたのは、雑貨屋さん?……というよりも、アクセサリーショップだった。
また新しい彼女が出来たのかな?
羽織はそんな事を考えながら、ちらっと見上げると、孝之は結構真剣な眼で色々と手に取って見ている。
女の子連れでないと、こんな店は入れないもんね。
彼女のプレゼントを買うダシにされたかな、と苦笑しながら、ピアスでも眺めて楽しむ事にした。
いつの間にか夢中になっていたみたい。
「なんだ? ピアス付けたいのか?」
隣から孝之の声が聞えてくる。
驚いて顔を上げたら、興味深げな顔でこちらを眺めていた。
「ま、いいけどよ。穴開ける前に祐恭に許可取れよ。あいつ、結構そういうの煩そうだからな」
「そうなの?」
「今までの女に干渉したって、話は聞いたことは無いけどな」
孝之の言葉に急に不安を覚えてしまう。
今まで先生がお付き合いした女性って、みんな大人の女性だよね。
だから、何も言わなかったんだよね。
自分はお子様だし…。
嫌な考えばかりが、頭の中でグルグルし始める。
ぽん。
まるで宥めるかのように、孝之が頭の上に手を置いた。
「お前だからだよ。大切にしたい相手だから、何かする時は言って欲しいわけ。何考えたか聞かないけれど、気にすんな」
「ありがと」
「祐恭からOKがでたら、穴は俺に開けさせろよ。祐恭にはさせるな。俺にさせたらさ、24K(金)のいい奴を一つ買ってやるよ」
へらっと笑いながら、くしゃくしゃッと頭を掻き混ぜて、先へと歩き始める。
言われた事が頭に浸透せずにぼんやりしていたら、
「なにしてんだ? 放っていくぞ」
と呼ばれる。
慌てて走って追いついたら、孝之の耳にキラッと光るものを発見した。
なんだろ?
「お兄ちゃん」
「食料品買う前にソフトクリームでも食うか?」
尋ねようとしてした呼びかけに、問いで返され、思わず頷いてしまう。
冬前だというのに、店内は季節を先取りのつもりか、すでに暖房が入っていて暑いくらい。
孝之の誘いは嬉しかった。
美味しいと評判のお店で、バニラソフトクリームを買ってもらい、そばのベンチに腰掛けて早速一口。
横に腰を降ろした孝之は、期間限定発売の塩味ソフトの餡子をスプーンで掬って口に運んでいる。
その耳にはピアスではないけれど、キラキラと輝くものが着けられている。
なんなんだろうか?
すごく気になる。
思わず疑問が羽織の口をついて出ていた。
「お兄ちゃん、その耳のさっきの店で買った奴?」
孝之はスプーンを口に突っ込んだまま、こちらを向いてコレ?と指でさし示してみせる。
コクンと頷いたら、彼はキュッとそれを取り外し、彼女の手の上に乗せてくれた。
針金を曲げてくるくると巻きつけた物のようだ。
まじまじと観察していたら、口の中の物を飲み込んだ孝之が教えてくれる。
「さっきはなんも買ってねぇよ。これはどっかの百貨店でビーズクラフトの展示即売会で売っていて、気に入ったから買ったんだ。
イヤーカフス、イヤーカフとも言うかな。これはワイヤークラフトって言って、針金で作ったもんだよ」
「へぇ。もしかして、ビーズ細工が趣味って言っていた彼女と付きあっていた頃?」
「そーだよ。悪いか」
照れたのか、頬を染めてそっぽを向いてしまう。
でも、一瞬後に向きなおって、
「これだと穴を開けないで済むし、はめ込み式だから耳が痛くならないんだよ。なかなか落ちねぇーしな。
ネット通販のサイトも結構あるし、家に俺のがまだあるぞ。気に入ったなら、ひとつやろうか?」
「欲しいッ」
「じゃあ、さっさと買い物を済ませて、家に帰るか」
孝之はぱくっと最後の一口を食べて済ませる。
羽織も焦らないようにしながらも、急いで食べた。
自宅の台所には、なぜか孝之が立っている。
真剣な眼で、先程研いだ牛刀を使って、トマトをゆっくりと切っていく。
買い物をしている時、羽織は目の前で起こる出来事が信じられなかった。
孝之は真剣にトマトを選んでいるのだ。
それからバジルの葉やモッツァレラチーズを取ってカートの籠に放り込み、他にも何点か選んでは入れている。
最後にはワインを選んでいた。
その間、羽織自身も必要な物を選んでいたのだが、孝之がカートを押す姿というのは珍しくて、何度も眼を擦っては見直してしまった。
思い出しながら苦笑を浮かべたら、孝之は切ったトマトとモッツァレラチーズを重ねて皿に並べている。
その上にバジルの葉を散らし、刻んだバジルにオリーブオイルや他の香辛料を合わせたドレッシングを、トマトの上に廻しかけた。
彼がキッチンから退いたので、羽織はニンニクを細かく刻む。
包丁の切れ味がいいので、嬉しくて思わず頬も緩んでくる。
鼻歌を歌いながら、オリーブオイルと刻んだニンニクをフライパンに入れ、弱火でじっくりと炒めていく。
その横に水を張った鍋で湯を沸かし、パスタを湯がく。
フライパンのニンニクが薄っすらと色づいたら、みじん切りしたトマトとタマネギを入れて炒め、ケチャップや塩コショウで味を調える。
アルデンテに茹で上がったパスタも入れ、ざっと炒めて味を馴染ませて皿へと盛った。
今日、二人の両親は、夫婦二人で食事に出掛けてしまっている。
パスタの皿をテーブルに置いたら、
「おっ、美味そうだな」
と嬉しそうな孝之の声があがる。
彼は、自分が作ったトマトとモッツァレラチーズのサラダをつまみに、ワインを飲み始めていた。
羽織は他にも適当に作った料理をテーブルに並べ、自分も席に付く。
彼女は早速、孝之が作ったサラダを取って頬張った。
「美味しいッ。お兄ちゃんいつから料理を始めたの?」
「ん? さぁな?」
はぐらかすような返事をして、グラスを取って口に運んでいる。
「なんで?」
もう一度尋ねたら、
「暇だし、作れるようになったら、食いたいもんが食えるだろ」
と返ってくる。
何となく誤魔化されたような気がするんだけど。
でも、孝之の愛読書は文学書だけではない。
最近、よく見かけるのは『お料理基本大百科』とか『お菓子作り入門』といった本。
彼女作るのを諦めたのと聞いてみたいが、流石に怖くて口には出せない。
食べ終わると立ち上がって、片づけまで手伝い始めてくれた。
ちょっと前まで何にもしてくれなかったのに、本当に信じられない。
今、自分が見ているのは、夢じゃあないだろうかって気になる。
頬を抓ると痛いから、やっぱり、夢じゃあないんだよね。
羽織は手をタオルで拭きながら、少し離れたところで洗い終わったお皿を拭いては、食器棚に直していく孝之の姿を眺めていた。
お風呂から出て、羽織は自分の部屋に向かっていると、タイミングよく向かいの孝之の部屋のドアが開いた。
「おっ、ちょうどいい。ちょっと来いよ」
孝之に呼ばれ、彼の部屋へと招き入れられる。
中では、PCのモニターが光っていて、PCの稼動音も小さく聞えている。
既にネットに繋がっているらしい。
画面には綺麗なアクセサリーの写真が幾つか並んでいた。
「ほら、イヤーカフ。買ってやるから、気に入ったのを選べよ」
「え、いいの?」
「俺も注文するからついで」
孝之はそう言いながら立ち上がり、席を羽織に譲ってくれる。
彼女は腰を降ろすと、マウスを操って画面をスクロールさせていく。
気に入ったのがあったので、孝之にさし示すと背後から彼の腕が伸びてきて、マウスを素早く操作していく。
必要な記入事項は彼女が入力して送信した。
後は、注文を受け付けたという連絡のメール待ちだ。
「お兄ちゃん、有難う」
「祐恭には、俺が着けているのをぶんどったって言っておけよ。兄とはいえ、男からのプレゼントじゃあ、あいつも気に入らないだろうしな」
からかうように微笑む孝之。
羽織はつい想像して、妬いた祐恭の顔を思い出し、怖くなって何度も頷いた。
「お前も苦労するなぁ」
孝之の苦笑が羽織の耳に届いた。
ねこ♪さんに頂いた、にいやの話。
にいや、こえぇ(笑
牛刀なんてあるのか、瀬那家には!!と、爆笑してしまいました。
トマト料理をうまそうに食べる兄妹を、祐恭はどんな気持ちで見るのだろう(笑
想像出来るのが、楽しい。
ありがとうございました☆
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