と、そう思ったのは彼女、「松本真姫」のことを両親に話した時だった。
案外あっさりOKをもらえるなんて思ってなかったから、嬉しいといえば嬉しい。
両親は俺にここを任せるような形で往診メインなもんだから、昔からの患者さんだって、、こっちに来れない人も当然いるわけで。
それでもやっぱり「老先生は?」と言われることもしばしば…。
患者の方が手厳しいってどゆことだよ、と思いながら日々プレッシャーと戦ってる様は案外、衛生的で良いと思う。
肉欲に駆られて、自分の衝動を抑えられない「獣」が表に現れるよりも、ましだ。
ヤツは、可愛くて、肌が白くて、血色が良くて健康的な気の強い大人の女を好む…──
診察室のドアからひょっこり顔を覗かせて、真姫ちゃんはにっこりと俺に微笑んだ。
不思議そうな顔をする松本真姫に慌てて首を振ると、彼女は「そうですか?」と、あまり気にしてない様子でパタパタと出ていった。
いつも医院に来る順番は、俺、三河さゆ、の順だったのに、二番目に来る三河さゆよりも早く俺に挨拶してきた真姫ちゃん、なんだか顔色も昨日よりだいぶ良いみたいだし、頬がほんのりピンク色をしていた。
いかんいかん、こんなことで心臓が反応してどうするんだ。
変な考えだけは起こさないようにかぶりを振って、仕事をするために眼鏡を掛けた。
目の前に散乱するカルテに目を移していると、先ほど顔を覗かせてきた真姫ちゃんが入ってきた。
カルテに目を落としたまま、曖昧な返答をする俺のデスクに、こと、となにか置く音が聞こえた。
「お茶です。…朝からカテキン摂取すると良いって、この間テレビで言ってたんで…」
驚いて思わず傍にいる彼女を見上げると、彼女は照れくさそうにそれだけ言って出ていった。
その後ろ姿は母性的で、俺の目が離せなくなっていたのも、すぐだった。
診察中に泣き出した子供をちゃんとあやし、足の悪いお年寄りがいれば率先して手を差し伸べるし、笑顔は絶やさないし、本当に「良い子」だと患者さんからも好評。
それに、医療行為だけはさせない、という約束をちゃんと守っているらしくて、いくらカルテを散乱させていても、片付ける、ということもしなかった。
守秘義務が義務付けられているのは知ってて、彼女ならそれを守ってくれるだろうけど、やはりまだ「看護師」ではない彼女に患者の容態を見たり、知られてしまうのは嫌だった。
まぁ、カルテを上手に片付けられない俺が悪いんだが…。
しかし、本当に彼女はよく働いた、────俺に、毒はけるぐらいに。
「───稔先生!? もー、カルテは散乱させたら駄目って、何回言えば解るんですか!? 医療に携わる者、必ず守秘義務があるんです。だからといって、患者の秘密をそう簡単にほいほい置かないでください! 医師失格!!」
「当たり前です。稔先生、医者なんですからしっかりしてもらわないと!」
それだけ言うと、まるで俺を日曜日にごろごろしている親父のように扱い、診察室の掃除を済ませていった。
思わず眼鏡がずり落ちるほどの発言に、冷や冷やしているのは言うまでもない。
女に関して百戦錬磨のこの俺様が、あんな小娘になにも言わせられないなんて、信じられない。
一度だけ、女子高生と付き合ったことがあったが、そいつは、彼女よりも内向的で…、とにかく彼女とは正反対のタイプだった。
極度の甘えん坊だから、俺が仕事で忙しくなったらすぐに離れてったけど。
そんなことを頭の隅に追いやりながら、本日もしっかりと仕事をし終えた俺は、眼鏡をとってデスクで一休みしていた。
疲れが溜まると視神経にくるもんだから、眉間を軽く押してやると大分楽になる。
初日の朝のように、こと、という音がして湯飲みが置かれていた。
ふんわりと酸味のする香りを鼻孔に入れて、口に含む。
お湯の中で梅が解れていて、ほんのりとすり下ろしたショウガが浮いていた。
ショウガは体温を上げる食材だということは聞いていたが、まさかこんな風にして飲むとは。
にっこり笑って、俺を見下ろす彼女の笑顔は、やはり「可愛い」かった。
「……そろそろ一週間経つけど、どうだ? 看護師、目指せそうか?」
真姫ちゃんに作ってもらった、梅干し生姜湯を飲みながら診察椅子に座った彼女を見ると、少しだけ不安に顔を曇らせていた。
「……看護師になるっていう自信はありません。…でも、……なりたい、っていう希望は膨らみました」
そう言って、笑いながら立った彼女の笑顔潔くて、真っ白な彼女の肌に似合うぐらい純粋な笑みだと思った。
ゆっくりと近付く顔に、対処出来ないことはなかった。
なにも考えられずに、訳のわからない感情に邪魔をされて甘んじて彼女のキスを頬に受けていた。
たとえ、彼女の気持ちに気付いていたとしても、断らなければならないと解っていても。
つくづく、彼女に振り回されているのは自分なんだと感じている。
「お試し期間、ってどうですか? ほら、なんにでもお試し期間ってあるでしょ? だから、私のことも暫く試してもらえませんか?」
彼女の無垢な笑顔を見ていると、本気でそれも「アリ」かなぁという気持ちにさえ思ってしまう。
「お試し商品に、欠陥、不良が見つかったらどうしてくれるんだってこと」
「……えー…とぉ…、だ、大丈夫です、欠陥も、不良もありませんから!」
それに彼女はあと三日もいない、その三日ぐらい俺が彼氏面していることで彼女が楽しいのであれば、別に良いんじゃないかとさえ思えた。
───これが、後々の大きな誤算を引き起こそうとしていたなんて、誰も気付かなかった。
握手した手をこちらに引っ張り込んで腕の中に閉じこめると、そのまま真っ白な首筋に唇を当てた。
「さっきのお返しだ。次は、痕でもつけてやろうか?」
顔を真っ赤にして、それだけ頑張って口から吐き出すと、診察室から駆けていった。
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