「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「………あーもう!!」
じぃーっとすぐ隣に座っている彼を見つめたままで居ても、にっちもさっちも会話が起こる気配は無かった。
え?ていうか、コレって何!?
ありえないでしょ!
だってここ、『高級ホストクラブ』だよ!?ちょー高いんだよ!?
3000円ぽっきりとかって客引きのお兄さんが謳ってるような場所とは、雲泥の差。
まさに、月とスッポン!
お値段は恐くて聞けなかったけれど、でも、きっと一時間で物凄い金額が動いているはず。
…そう、何となくぴぴーんと察知した私は、だからこそ物凄く楽しみにしていた。
一体、どれだけ素敵で、どれだけ私をスペシャルいい気分にさせてくれるホストなのかと、めちゃめちゃウキウキしてたのに…!!
それなのに…!!!

「何で、綜なのよぉおぉぉおおおーー!!」

思わず立ち上がって、びしっと指までさしてしまった。

――― 綜 so ―――

「っていうか、愛想無さ過ぎ!!ホストって普通、愛想バリ良いはずでしょ!?」
盛り下がるわよ、と続けてちょっぴり睨むと、彼が組んでいた足を変えて再びシートにもたれた。
「…ぎゃーぎゃー、うるせぇ客」
「にゃにを!?」
ぼそり、と愛想の欠片も見せずに呟いた綜へ身体ごと向き直り、テーブルに両手をつく。
…やっぱり、どこからどう見ても、完全に『普段と同じ』にしか見えない。
そりゃあ確かにダブルのスーツとか着てるけど、そこを言えば普段は仕事着に『タキシード』を着ているから、あまり違和感は無いし。
…むしろ、なんか、こっちの方が安っぽ――…い気がしないでもない。
ていうか、こんなスーツ持ってたっけ?
数多く衣装があるというのもあるけれど、綜がスーツを着る所なんてあまり見ないから、首を傾げそうになる。
「…っつーか」
「ん?」
「座れ」
「……あ」
面倒くさそうにため息をついてこちらを見た彼に言われ、そこでようやく自分がまだ立っていた事に気付いた。
「…べ…別に忘れてたわけじゃ…」
「思いっきり忘れてただろうが」
「うるさいなぁ、もう!」
赤くなりそうになる頬を押さえて深く座り、そのまま――……あ。そうだ。
「…?何だ」
「ねぇ、ねぇ、そぉー。聞いてよー」
「……はァ?」
…うわ。思いっきり訝しげな顔したわね。
折角こっちがようやく本来の目的を思い出して乗り気になったって言うのに、張本人がそんなんじゃ話にならない。
……ったく。
ホントにやる気あるのかしら。
「はぁ、じゃなくて!今、綜はホストなんでしょ?」
「………あぁ、そう言えばそんな話だったな」
「忘れないでよ!」
いかにも普通の顔で正面を向いた彼にテーブルを1度叩き、小さくため息をつく。
…不安。
っていうか、本来この仕事を引き受けたのは綜自身のはずでしょ?
それなのに、何でこうもやる気ゼロなんだろう。
……ありえない。
やっぱり、ありえないわよ。
この『仏頂面』がべったりとへばりついている彼に、ホストなんて言うサービス業の王様的存在の仕事は。
…なんか、さ。
むしろ、綜よりも私がホステスやった方がいいんじゃ。
って言うか、なんか……そんな風に見えない?この状況。

『愛想の「あ」の字も出ないほど憔悴し切ってる客を、健気に励ます(ホステス)

みたいな!
だって、そう思わない?
これまでの間、私全然もてなされて無いんだよ?
イイ気分どころか、むしろなんか……けなされてるし。
…楽しくない。
ていうか、どうして相手が綜なの…。
……稔さんも雅都さんも、もっと愛想のイイ男の人を紹介してくれればいいのに…。
「………はぁあ」
ここにきて、どっと疲れが出てきた。
喉も渇いたし。
……………。
「……あ」
くたーっとソファに預けていた身体をぱっと起こすと、若干力が戻ってきた。
…私、一度でいいからしてみたい事があったんだ。
何が?って言ったら、そりゃあもう勿論アレ。
ホストに来たら、あれしかないでしょ…!!

「おにいさーん。『ドンペリ』持って来てー」

蝶ネクタイを結んで入り口付近に立っていた青年に、ひらひらと手を振る。
そうよ、そう!!
ホストクラブと言ったら、誰が何と言おうと『ドンペリ』でしょ!!
しかもほら。ドンペリとか入れちゃうと、周りの大勢のホストもテーブルに集まって――……
「……ありゃ?」
「…馬鹿か」
「何ですって!?」
ぼそりと聞こえた綜の一言だけが、冷たい雰囲気漂う静かな空間に響いた。
「…所詮、庶民は庶民」
「庶民!?」
「繕ってみても慣れてないって事か」
「くっ…!何が言いたいのよ、何が!」
嘲るでもなく、罵るでもなく。
綜は、いつもと同じようにただただ淡々と言葉を続けた。
…やっぱり、私の方すら見る事もせずに。
「馬鹿の1つ覚えみたいに、『ドン・ペリ』しか言えないんだな」
「う」
「…ほぅ。図星か?」
さらりと言われた言葉に、二の句も継げなかった。
「……ち…」
「ち?」
「違うわよ!ただ、夢だったの!夢!」
「…は?」
慌ててぐるぐると頭を働かせて出てきたのが、そんな言葉だった。
いや、でもね?
あながち、嘘じゃない。
だって、よくテレビとかでホスト特集みたいなヤツ見ると、必ず『ドンペリ』を入れるお客さんだけが違ってたんだもん。
ホストの待遇とか、態度とか。
テンションだってすごい上がるし、中にはシャンパンタワーとかまで作ってたし。
…だから、ほんのちょっと憧れという物もあったりしたのだ。
あの、高すぎるテンションに。
「それじゃあ、『ドン・ペリ』を略さずに言ってみろ」
「…へ?」
「…だから。ドンペリは、何の略だ?」
一瞬、綜の言った言葉の意味が分からなくて、ぽかんと情けなく口が開いた。
…え?
ドンペリ……の略?
……じゃなかった。
って言うか、え?何?
ドンペリって、『ドンペリ』じゃないの?
「どうした?まさか、知らないなんて事は無いよな」
「う。…あ、当たり前でしょ!」
ちらりと投げかけられた冷たい視線に一瞬言葉が詰まったけれど、ここで負けるわけには行かない。
虚勢でもいいから張って、ここは乗り切らねば…!!
……などと、拳を握って心に誓った時。
こちらから視線を外した綜が、わざとらしいため息をついた。
「こういう場所に来るならば、もっと教養を備えて置かないと見向きもされないぞ」
「っ…そ…それは…」
まさに、図星。
…と言うか、仰る通り。
あまりにそれ過ぎて、思わず言葉に詰まる。
………何よぅ。
そこまで言わなくてもいいじゃない!
そりゃ確かに、『ドンペリ』は『ドンペリ』って名前のシャンパンだと思ってたけどさ。
でも、もしかしたらそう思ってる人は案外多いかもしれないんだよ?
…って、それが……何のフォローにもならない事くらい、身に沁みて実感してる。
上を見たって下を見たって、キリがない。
……そうなんだけどね。
「…え?」
ふと、あれこれ深く考え込んでいたら、いつの間にか目の前に1つのグラスが置かれていた。
「……これは?」
「飲んでみろ」
顎でその仕草をした綜が、何となく偉そうにも見えた……けれど。
…つい、グラスに手が伸びる。
綺麗な形の、細長い――…そう。
これって、シャンパンのグラスだ。
「……わー…」
目の高さまでそれを持ち上げると、綺麗な細かい泡が幾筋も立ち上っているのが見えた。
…綺麗。
きらきらとした光を受けて、一層輝くそれ。
きめ細かい泡が、何だか本当に美味しそうにも見える。
「…………。……あれ?」
こくん、と一口含んだ途端、私が想像していた物よりも遥かに違う味が口の中に広がった。
「…甘くない…。っていうか、むしろ辛い!えぇ!?何これー!」
私が想像していたシャンパンって言うのは、もっと甘くて、凄く飲みやすいもの。
事実、これまで口にしてきた物はそう言う物ばかりだった。
…なのに、これは全く別物。
とてもじゃないけど、同じシャンパンには思えない。
……え?
もしかして、これが『ドンペリ』だったりするの?
…………えぇー!?だとしたら、ショック。大ショック。
こんなに期待ハズレの物なんて、きっと他を探してもなかなか無いと思う。
「ニセモノ!!」
「……は?」
「だから、これ!シャンパンじゃないでしょ!」
ずいっとそのグラスを綜に差し出すと、それと私とを見比べてから、眉を寄せた。
…そんな顔したって、ダメなんだから。
幾ら物の価値が分からないとは言え、この差くらいは分かる。……はず。
だから、綜がそんな顔をしても、私は(ひる)まなかった。
「…確かに、シャンパンじゃないな」
「ほら見なさい!通りで、味が違う――」
「これは、スパークリングワインだ」
珍しく素直だった綜に、胸を張ろうとしたその時。
あまりにもさらりとした冷たい言葉が、すぐ続いた。
「……へ?」
「だから。これは、スパークリングワインだっつってんだろ」
……すぱーくりんぐ。
いやいやいや、勿論知ってるよ?それ位。
でも……ねぇ。
…………あ、そうか。
それじゃ、シャンパンじゃないからこんなに甘くないんだ。
…なるほど。
それはある意味、納得かもしれない。
「これは、ロデレールの物の中でも、辛口のヤツだ」
「……ろでれーる…?」
「…そう言う会社だ」
「あー、なるほど」
ぽん、と手を打った途端、綜はまたもや『お前馬鹿だろ』とでも言わんばかりの表情を浮かべた。
…くー。
あのねぇ。
そう思うなら、最初から逐一説明入れてよ。
じゃなきゃ、分かんないんだから。
「…言っておくが、『シャンパン』は甘くて、『スパークリング』は辛いなんてワケじゃないからな」
「え?そうなの?」
「………お前がこれまで飲んできたシャンパンは、本物か?」
「……え?」
「シャンパンっつーのは、ある意味ブランド名なんだぞ」
「…………はい?」
一瞬、頭が真っ白になった。
…だって、ワケ分かんないでしょ?
シャンパンが、シャンパンじゃないなんて。
……え?
それじゃ、ドンペリは?
それは、どうなるの?
「…オイ」
「………あ」
「ちゃんと聞いてんのか?お前」
「き……聞いてるわよ」
呆れ返っているのが一目で分かる彼に慌てて背を正し、眉を寄せる。
…なんか、悔しい。
別に負けたとかそう言うんじゃないんだけど、でも、何だか負けたような気がする。
……色んな事で。
「日本でも、色々あるだろ?同じ物なのに、獲れた場所によって名前が変わる物が」
「あ。越前ガニとか?」
「…食い物はすぐ出てくるんだな」
「う。…うるさいわね」
冷ややかな綜の視線に負けないように軽く睨んでみる。
でも、彼は全く気にも掛けずにソファへもたれた。
「要は、それと同じだ。同じ物なのに、フランスのシャンパーニュ地方で作られた物は『シャンパン』。そうでない物は、『スパークリングワイン』を含む他の名称。…分かるか?」
「……うん。だから、『越前ガニ』か『ズワイガニ』かの違いでしょ?」
「………お前、こう言う話だと飲み込みが早――」
「あーもー、しつこい!それはいいの!!」
呆れたように頬杖を突いた綜を手で追い払うようにしながら、自分もソファにもたれる。
…なるほど。
それじゃ、その『シャンパーニュ地方』って所じゃないと、シャンパンを名乗っちゃいけないのか。
……へぇ。
綜って、結構雑学知ってるんだ。
「あ。それじゃあ、アレは?『ドンペリ』」
先程聞きそびれたのを思い出して身を乗り出すと、綜は1つため息をついてから瞳を閉じた。
…むー?
その格好、『お前が馬鹿すぎて疲れた』とでも言いたいの?
何となく無言の何かを受け取って、先に頭が働く。
「『ドン・ペリ』っつーのは、『ドン・ペリニヨン』って言う人物の名前だ」
「…へぇ。名前なの?」
「ああ。彼が発見したから、その名前が付いた」
豆知識、2つ目。
…って言うか、まさかドン・ペリにそんな歴史があったとは…。
…………。
「…何だよ」
まじまじと、隣に座っている綜を改めて見てみる。
…賢い。
って言うか、ホント綜って色々知ってるわよね…。
海外(むこう)で暮らしていた事があるからって言うのもあるだろうけど、なんか、ちょっと感心しちゃう。
……うん。
なんか、話し上手なホストっぽい。
「…凄いね、綜って」
これまでは愛想の欠片も無くて、それはもうホストの『ホ』の字も無いようにしか見えなかったけど、ここに来て株価上昇。
…ふーん。
さっき言ってた、『教養を備えておかないと』って言葉は、もしかしたらそう言う意味だったのかも。
でも、確かに頷ける。

売れるには、理由がある。

それって、この業界だけじゃなくても……言える事なのかな。
世界中で名を挙げてきた彼が言った言葉だからこそ、何だか余計に重たく聞こえた。
「………鬱陶しい」
「えへへ。ありがとー、綜ー」
思わず、知識をくれた彼の頭を撫でていた。
…綜って、案外いい人なのかしら。
「…………あ」
……そこで、改めて1つの事が頭に浮かんだ。

今日は、そういう日にしよう。

どういう日かって、『綜からあれこれと知識を授けて貰う日』。
これまで、綜にこんな風にあれこれ聞く事って、あんまり無かったような気がする。
…だから、これをいい機会だと思って……そうしようかな、ってちょっと思った。
本当は、こんな特別な機会だからこそ、普段出来ない『甘える』事を『甘えさせてくれる』彼にしようと思った。
でも、やっぱり綜は綜だから。
たとえどんな場所であろうと、境遇であろうと……私の前では一緒なんだよね。
それは少し寂しい気もするけれど、でも、やっぱり嬉しかった。
他の人の前とは違って、私には絶対に『私だけの綜』であるから。
「…へへ」
「……気持ち悪いぞ、お前」
「ひど!もうちょっと、『可愛いよ』とか何とかって言えないの!?」
「天が落ちても、あり得ないな」
「っくぅ…!!」
すらすらすらすらと、やっぱり気に食わないような言葉ばかり出てくる綜を見ながらも――…でも、さっきまでとはちょっとだけ気持ちが違っていた。
…まぁいいか。
綜は、綜なんだ。
いきなり優しくなったりしても、かえって気持ち悪いし。
「あ。ワインお代わりね」
「……マズいんじゃなかったのかよ」
「んー…。お酒だし」
「…どんな理由だ」
テーブルに置いたグラスを軽く指先で押しながら、笑みが浮かぶ。
…うん、決めた。
今夜は、そういう楽しみをしよう。
隣では相変わらず、仏頂面No.1のホストがいるけれど、この際気にしない。
って言うか、これがきっと私には一番の形なんだ。
そう思うと、腹も立たないしね。
「…それじゃ、次はねー」
注がれるワインを見ながら、笑みが浮かぶ。
…さて。
次は、どんな事を彼に聞こうか。
こんな時間のあり方も、たまには――…いいかな。


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